仏教学・禅学の再検討
「無我説」について学者の誤解が多いー三枝充悳氏
「無我」を実体論とか、縁起で説明するのは、初期仏教の初めにはなかった。次が三枝充悳氏(つくば大学教授)の「無我」の起原である。
「「無我」は、「生(生きる)」すなわち「執着」が「自我」および「自我の執着」として根をはっていた地平を逆転して、そのいわば原点に、真の新たなる「自己」が誕生するという、まさにそのことの的確な表明なのである。」
「無我説」の誤解と起原ー三枝充悳氏
(1)「無常ー苦ー無我」は当初からセットで成立したのではない
「宇井伯寿博士、水野弘元博士、中村元博士をはじめ、数多くの学者が、「無常ー苦ー無我」、そして「諸行無常ー一切皆苦ー諸法無我」の三項が、初期仏教の教義・思想のなかで、もっとも古い・先駆的なものであろうとされているところから、「無我」の教義・思想を右の三項においてのみ考えようとする傾向がある。」(1)
「しかしながら、この三項は、当初から三項として(すなわち、まとまったひとつのストック・フレーズとして)存在したものではない。」(2)
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、376頁。
- (2)同上、377頁。
(2)初期仏教の「無我」とは「執着の否定・超克」
三枝充悳氏の趣旨をそこなわないように(大田の我田引水にならないように)注意しながら、重要な箇所を抜書きして三枝氏の主張を理解したい。
「無我」の意義・内容は、仏教の歴史を通じて種々に変化している。
「「無我」はかならずしも、「諸法無我」とは限定されず、幾つもの「無我」に関する教説が存在することを、当初から考慮に入れておく。」(1)
最古の経典とされる「スッタニパータ」から、「無我」に関わる資料を抜き出して「無我」説の由来・起源を探究する。その資料から「捨てられるべきもの、否定されるべきものとして示されている用語(A類)と、反対に、奨励されているもの・肯定されている用語(B類)を集めて考察した。そして結論は次のように「執着」の否定である。
「以下のようなことが結論され得る、とわたくしは考える。
すなわち「スッタニパータ」に関するかぎり、ここでは、無明、慳み、怠惰、識別、苦、老衰、憂い、悲しみ、心の荒び、疑惑、嫌悪、迷い、慢心、怒り、おそれ、おののき、動揺、偏見、妄想、愛、憎、悔恨などが、A類のなかに見えて、すべて斥けられているけれども、それらにもまして、パーリ語の多くの語を総動員しつつ、きわだって斥けられるべきものとして強調されているのは、「執着」に関する種々の語、ないしは「欲望」に関する種々の語である。また他方に、B類を見ると、そのなかに取りあげられている語は、きわめて多くが、「捨てる」「制する」「断つ」「斥ける」「滅する」などの否定的な語であり、同時に「乗りこえる」「渡る」などの「超越」をあらわす語である。」(2)
その「執着」の根底に、「自我」がある。「執着」の否定、その根底の「自我」の否定、ということから「無我」の語となった。
「そこでその「執着」をさらに追求して行くと、ここで突きあたるものが、「我」「自我」である。すなわち、「欲望」の根拠に「執着」があり、その「執着」の根底に「自我」がある。そしてその「執着」の「否定」「超越」は、「無執着」から、さらに一歩ふみこんで、「無我」という術語となった、「執着」に関する種々そのようにわたくしは考え解釈する。
このようにして、「スッタニパータ」の説く「無我」説は、「自我」の否定を正面からあからさまに説くのではなく、その「自我」を「執着する主体」としてとらえ、そこでとくに「執着の否定・超越」をくり返し強調するという形で述べられている、ということができるであろう。」(3)
「こうして、「無我」説の起源は、ここに明らかに、「執着」の「否定」「超克」にあったということができる。」(4)
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、377頁。
- (2)同上、417頁。
- (3)同上、420頁。
- (4)同上、422頁。
(3)「無我」は即「実体の否定」ではない
多くの学者が、仏教の「無我」説といえば「実体の否定」と説明するが、それは、必ずしも正しくない。「無我」説の真意までも、充分には堀り下げられていない、という。そこで「無我」の起源となる「執着」について思索を深める。
「「欲望」「執着」、それらの「否定」「超越」ということについて、さらに堀り下げて考えてみよう。ゴータマ・ブッダによって指し示されたこの方向について、これまでの内外の諸学者の「無我」の研究及びその説明のどれもが、わたくしにはあきたらない部分を残す。というのは「無我」説をはじめから規定のもの−−一言であらわせば「実体の否定」−−と決定してしまっており、前項で考察した「無我」説の起源に関しても、ほとんど触れられていないこととあいまって、「無我」説の真意までも、充分には堀り下げられていないのではないかと思い、より深く・より根本的に考えるべき問題点がある、と思われるからである。」(1)
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、423頁。
(4)実体論は後代の論
仏教は、アートマンの否定即実体の否定と短絡的、一元的に解釈する学者が多いが、「実体」をまきこんだ議論は、初期仏教においてもずっと後代に属するものである。ということは、実体論的なアートマンの有無の議論は釈尊の教説では重要ではなかった。つまり釈尊の仏教の根幹ではない。釈尊の仏教は、それとは、別なものを最も重要なものとして成立していたことになる。
「なお、先にひとことだけ触れておいたように、「執着」ということが、いわゆる哲学上の論理のうえで、或る意味の「実体」とつらなり、その結果として形而上学的色彩を帯びてくるようになる。そのような面から、いわゆる「実体の否定」として「無我」説を説明するものが、これまでの研究や解説のほとんど全部といってよいほどであるけれども、このようないわば「実体」をまきこんだ議論は、初期仏教においてもずっと後代に属することであり、それは人間・人間の生そのものに即したゴータマ・ブッダのなまなましい直視・思索・洞察からは離れ、遠ざかっている、とわたくしは理解する。」(1)
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、428頁。
(5)「無我」とは、「自我」の執著の否定
「無我」とは、自我の執着の否定により、新たなる自己の誕生である。
「「執着」には、人間のあらゆるはたらき、本能も、感情や直観を含めた感性も、認識・判断などを含んだ悟性も、理論的・実践的の両面にわたる理性も、記憶や意志なども、そして欲望はもとより、さまざまのものに導かれる積極的・消極的な行動・実践も、ほぼすべてのものが、秘められ、籠められ、しまわれている。否、生(生きる)そのものが「執着」にほかならない、ということができる。ひとびとはさまざまに生きる。しかしどのような生きかたをしようと、それがすなわち「執着」そのものの表現なのである。」(1)
「換言すれば、「無我」は、「生(生きる)」すなわち「執着」が「自我」および「自我の執着」として根をはっていた地平を逆転して、そのいわば原点に、真の新たなる「自己」が誕生するという、まさにそのことの的確な表明なのである。」(2)
釈尊の「無我」とは、「執着の自我」の否定、そして再生の自己である。
「「アートマン」は、一方で否定される「自我」であり、他方で肯定され主張される「自己」である。ブッダはただ「アートマン」という語そのものの通常の意味において、人間を見つめ、生を見つめ、そして「執着」を見きわめて、「アートマン」の否定と超越を「無我」をもって表現しつつ、「アートマン」の再生・新生をとらえたのである、ということができる。(3)
以上が、三枝氏の仏教の「無我」説の起源である。そして、ここに、「そもそも仏教とは何か」の回答の重要な鍵があると思う。
<<大田評>>私(大田)から見れば、禅とほぼ同じに聞こえる。私の師から教えられ実践した、そして、実践している禅とは、「真の自己(元からあるが自覚なきゆえ知らず、自覚のあかつきには再生の自己となる)を知らず、我執のゆえに自分で苦しみ、他者を傷つけ苦しめる。そういう自我をみつめ、我執を捨てて、我執のない自己を自内證し、その新たなる自己を依所として生きていく」、これである。禅者によって、説き方や、強調の置き方は、異なっても、その根幹は、釈尊、道元禅師、白隠禅師に通貫している(4)と信じて、その研究を続けている。ただ、私自身が、釈尊、道元禅師、白隠禅師と同様の「社会的働き」をしているとは毛頭言っていない。この方々の行動力、指導法は卓越している。その教え・精神をそう理解して、一歩でもそれに見習たいと日々、つとめているにすぎない。
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、425頁。
- (2)同上、426頁。
- (3)同上、426頁。
- (4)ただし、これらの禅や仏教がすべて同じというのではない。苦の問題、エゴイズム(自我の執著、煩悩)、悟り、慈悲などの、ある部分を強調して説法される場合もある。禅、仏教から生まれる「思想」も、かなり異なるところがある。
(6)初期仏教には肯定されるアートマンがある
「こうして、アートマンそのものに、実に多くのありかたを見なくてはならない。苦しみ悩むアートマン、迷えるアートマン、それは根源的に執著につらなるアートマン、というよりも執著すなわちアートマン、それは否定・超越されるべきものとして「無我」説となる。
しかし否定・超越は、決してたんなる消滅を意味しない。それは再生・新生を意味して、ここに登場するアートマンは肯定され、称賛され、求められるべき「自己」となる。しかもそれを果していく主体的なアートマンがある。それは当然「自己」と訳されるべきであろう。」(1)
「無我」を決してニヒリズムと受けとってはならない。
「わたくしはそこに同時に、その奥に潜む「安らぎ」に満ちた「さとり」の無限のぬくもり・暖かさにつつまれた世界を感じ取る。これまで説かれたたびかさなる否定も、たんなる否定ではない。まして否定のための否定ではない。それは実は超越につらなり、少なくとも超越を期待し、促進する。その基幹に流れているものは、人間そのものへの限りない肯定であり、信頼である。否定を通じ、超越を果たし、大いなる肯定へと進む。ゴータマ・ブッダの一生がそうであり、さらに仏教そのものがそのようであった、ということができる。」(2)
三枝氏は、上記のとおり、「仏教そのものがそのようであった」と、釈尊の精神が大乗仏教にまで通貫している、とされている。私も釈尊、道元禅師、白隠禅師に通貫するものが、それである、と思う。
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、430頁。
- (2)同上、433頁。
(7)「ダンマパダ」の考察
三枝氏は、次いで「ダンマパダ」の「無我」説を考察された。自我の否定、無我、という否定的表現から、主体的な「自己」ならびに再生し新生した「自己」が、主張される。
「こうして、アートマンおよびその類語に関して、深い思索が果たされて行き、「自我」は「無我」へ、そして主体的な「自己」ならびに再生し新生した「自己」は、堂々と主張される。後者の「自己」(アートマン)をめぐる表現が、先にも少し触れたとおり、ウパニシャッドのどの文章とどのように一致するか共通するか類似するかどうかは、ゴータマ・ブッダにとって、まったく問題とならなかった。ブッダみずからのアートマンそれ自体に関する思索から、必然的に見いだされ、明確に称えられたものであるからである。(なお、以上の文脈をたどって行って、「無我」説から大乗仏教の「空観」への連絡については、先に述べておいた(1)けれども、他方、「自己」への沈潜は「こころ」の重視と信頼とにつらなり、やがては「心性本浄」「自性清浄心」が突きとめられて、そして大乗仏教の「如来蔵」「仏性」の説が導き出されるにいたる、ということもできよう。)」(2)
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、418頁。
- (2)同上、442頁。
(8)言葉による表現の限界
上記のように「無我」を探求したが、しかし、なお、三枝氏は、割り切れないものを感じている。
「ところで、「自我」と「自己」とをこのように分割して論を進めながらも、なおわたくし自身、どこか割り切れないものが残っている。」(1)
「おそらく「無我ーアートマン」に関しては、完全無欠の表現は不可能といわざるを得ないのではないか(元来ことばによる表現には限界がある)とも思われる。」(2)
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、442頁。
- (2)同上、444頁。
(9)「阿含経」の「無我」説
三枝氏は、「スッタニパータ」「ダンマパダ」についで、阿含経における「無我」説を資料を列挙して探求される。結論の部分を記載する。阿含経の「無我」説でも、形而上学的実体の議論はない。すなわち、「アートマンを説くのは仏教ではない」というようなことは、初期仏教では全く議論されていない。
「ここでとくに強調すべきことは、「無我」をいう場合、「無我」の「我」として指示されるその当体は、あるいは「これ」であり、あるいは「五蘊」「六入」「六境」などの「法」「諸法」であり、それらはすべて現実に「現象しているもの」「現象そのもの」であって、いわゆる「ものそのもの」では決してない。「ものそのもの」や、さらに形而上学的実体は、ここには何の考慮もはらわれていない。」(1)
「ゴータマ・ブッダは、アートマンに関する議論では、いわゆる形而上学的な考察を一切なさず、顧慮もせず、採用しなかったことはもちろん、「無記」として拒否するというようなことさえ、まったくなかった、そのことを銘記する必要がある。」(2)
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、474頁。
- (2)同上、475頁。
(10)経典編纂の過程で「無我」説にも変容
元来、釈尊の近い初期仏教の「無我」説は、上記のようであったが、後の教団における経典の編纂過程で教理の論理化がすすみ、「無我」説も当初のものとは変容をきたした。
「ゴータマ・ブッダからは(年代的にも地域的にも)或る距離を隔てて、仏教教団に属するひとびとが初期経典の伝承に懸命になり、やがてはそれらの諸経典編集が果たされた時代、すなわち、初期仏教の後期と部派仏教の初期とが重なる時代には、右の諸資料に語られるような形において「諸法無我」という術語を成立させて、その術語をそのまま一種の決まり文句として受けとり、伝えるようになっていた。そしてそのときにはすでに、最初に「無我」説の成立を考察した個所に強調したような「否定」「超越」というオリジナルの原型がもつ一種のダイナミックな活力は影をひそめ、よりスタティクな論理的な形式として、この「諸法無我」の場所が得られるようになった、と考えられる。」(1)
「先に見たように、「無我」説そのものの起源は、「無常」にも」なく「苦」にもない。「無我」は決して本来は「無常」「苦」にしたがうものではなく、しかもまた、三項はそれぞれ独立のテーマであった。にもかかわらず併列されて「「無常ー苦ー無我」となり、やがてその確固たる系列がつねに保たれて行くのは、初期仏教経典の編纂ー初期仏教思想の整備に際してのいわば論理化という事情によるものであり、すたがって、ここでは「無我」説の起源や根本や根拠にかなうものを強調することばは、いわば消極的になり、目立つことをやめて、やがては隠れ消えてしまう。」(2)
「このように「無我説の起原は、ここに論理化され、そして三項の系列において、「無我」は「無常」という新しい起原をもつことになったとはいえ、そのことは、この「無我」説の起原の最初に考察したいわゆる「執著の否定・超越」という原型を、この「「無常ー無我」が(掩い包むことはあっても)、くつがえすものでもないし、それに対抗するものでもない。
伝承され集大成されて今日にまで伝わる初期仏教資料には、直接探求されるべきものと、論理化という大前提のローラーを認めてそのうえで承認されるべきものとの両者がある、という事実がここに明らかになって、その取り扱いに当たっては、両者の混同を避けるべく、充分に留意しなければならないことが判然とする。」(3)
こうして、三枝氏が先に明らかにした「無我」説は、自我の執著の否定であり、いわば、「無我」は、「悟り」である、と言ってよいであろう。しかし、原始仏教の表現は変遷した。「無常・苦・無我」と三をセットデいう場合には、その「無我」は「苦」であるとされていて、それでは、「迷い」であることになる。このことを明確にしたのが、森章司氏である(4)。
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、475頁。
- (2)同上、477頁。
- (3)同上、485頁。
- (4)森章司「原始仏教から阿毘達磨への仏教教理の研究」東京堂出版、1995年。このHPで、右に森氏の説を概略ご紹介しておく。
(11)無常説、苦の説、無我説は独立して完結
三枝氏が、もう一つ強調されるのは、無常、苦、無我は独立して(森章司氏が研究された、三がセットで説かれる説であない)さとりに導く完結した教説である、ということである。「無常」だけでも如実知見すれば、悟る。「苦」だけでも、如実知見すれば悟るということである。「無我」だけでも如実知見すれば悟る、ということである。
「三項を説く非常に多数の経典では、本書に今後考究して行く種々なる教説ー四諦、八正道、中道、縁起説などーのどれひとつにもなんら触れることも言及することもなく、三項だけで完結して、完全なる解脱ーさとりに到達することを宣言し、さらにその解脱ーさとりの境地を明確に説明している。」(1)
「わたくしがここに確認したいのは、三項は三項として独自のものであり、当時としては完全なものであり、しかもおそらく最初期のものである、そのことは判然としている。それにもかかわらず、それをたとえば、三項と縁起説とは同一のものであるとか、さらには、三項を、またその各々を、縁起説をもって説明しようとする最近の諸学者の説明や解説には、どうしても組みすることはできず、逆に、強く反対せざるをえないということを、この章の末尾にとくにくり返し念を押しておきたい。」(2)
以上が三枝充悳氏の「無我」説の起原とその変容した無我説の要旨である。大変、説得的である。こういうことが、多くの学者に誤解されているのだろう。むしろ、迷いの「無我」の教説を理解して、仏教がわかったつもりの誤解が多いかもしれない。
(注)
- (1)「初期仏教の思想(中)」レグルス文庫、第三文明社、1995年、486頁。
- (2)同上、487頁。
(12)三枝充悳氏の研究に学ぶこと
三枝氏の研究を、どう意義づければよいのであろうか。私(大田)に思い浮かぶのは、大乗仏教の唯識説、法華経、華厳経なども、それぞれの教説、方便で、悟りに導くという立場のはずである。さらに、白隠は「無字」または「隻手」の公案だけで、道元は「只管打坐」だけで、悟りに導く。
このことと同様なのではあるまいか。四諦、八正道、中道、縁起説などでも、独立して、また、無常説、苦の説、無我説でも、単独で、悟りに導けるものであったに違いない。もちろん、そのことを如実知見させる力を持つ先達の指導があってのことである。
しかし、最も初期の仏教(釈尊の指導に近いであろう)では、修行法は、念、気をつける、ことであるとされる。これをどう結びつければよいのだろう。四諦、八正道、中道、縁起説、無常説、苦の説、無我説でも、あるいは、そのように体系化される前の素朴な苦や煩悩の教説(「スッタニパータ」など)、どれもが、その教説で自己をみつめる段階では、結局、「念」「気をつける」「正定」「禅定」の修行に集約されていったのではあるまいか。
仏教や禅に種々の重大な誤解、偏見があるようであるから、三枝充悳氏は、そのような偏見を批判されているので、詳細にご紹介した。
三枝氏の研究から学ぶことが多い。仏教は「無我」説だといい、アートマンを説くのは仏教ではない、というそれだけで排他的断定をする研究者がいるが、もともと、釈尊の仏教は、そのような形而上的アートマン論とは無関係に成立した。また、アートマンの解釈も多様であって、「誰々はアートマンをいうから仏教ではない」と短絡的にいうべきことではない。「無我」説(縁起説もそうであるが)は、最初期のものと、やや後代の「無我」説とは意味内容が大きく変化している。縁起説と無我説を同一視する学者の誤解が多い、と三枝氏は言っておられる。
森章司氏、伊吹敦氏なども、仏教学、禅学の学問研究における偏見、不毛の議論を批判しておられる。そのような偏見・誤解・不毛の議論の上で、坐禅や悟りなどを否定する学者の偏見・独断・誤解も多い。一般の市民も偏見や独断ある学説にくらまされない叡智を養わないと、大きな過ちに導かれる。
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