仏教学・禅学の再検討

   

「無我説」について学者の誤解が多いー三枝充悳氏

 「無我」を実体論とか、縁起で説明するのは、初期仏教の初めにはなかった。次が三枝充悳氏(つくば大学教授)の「無我」の起原である。


「無我説」の誤解と起原ー三枝充悳氏

(1)「無常ー苦ー無我」は当初からセットで成立したのではない

(注)

(2)初期仏教の「無我」とは「執着の否定・超克」

 三枝充悳氏の趣旨をそこなわないように(大田の我田引水にならないように)注意しながら、重要な箇所を抜書きして三枝氏の主張を理解したい。

 「無我」の意義・内容は、仏教の歴史を通じて種々に変化している。  最古の経典とされる「スッタニパータ」から、「無我」に関わる資料を抜き出して「無我」説の由来・起源を探究する。その資料から「捨てられるべきもの、否定されるべきものとして示されている用語(A類)と、反対に、奨励されているもの・肯定されている用語(B類)を集めて考察した。そして結論は次のように「執着」の否定である。  その「執着」の根底に、「自我」がある。「執着」の否定、その根底の「自我」の否定、ということから「無我」の語となった。
(注)

(3)「無我」は即「実体の否定」ではない

 多くの学者が、仏教の「無我」説といえば「実体の否定」と説明するが、それは、必ずしも正しくない。「無我」説の真意までも、充分には堀り下げられていない、という。そこで「無我」の起源となる「執着」について思索を深める。
(注)

(4)実体論は後代の論

 仏教は、アートマンの否定即実体の否定と短絡的、一元的に解釈する学者が多いが、「実体」をまきこんだ議論は、初期仏教においてもずっと後代に属するものである。ということは、実体論的なアートマンの有無の議論は釈尊の教説では重要ではなかった。つまり釈尊の仏教の根幹ではない。釈尊の仏教は、それとは、別なものを最も重要なものとして成立していたことになる。 (注)

(5)「無我」とは、「自我」の執著の否定

 「無我」とは、自我の執着の否定により、新たなる自己の誕生である。  釈尊の「無我」とは、「執着の自我」の否定、そして再生の自己である。  以上が、三枝氏の仏教の「無我」説の起源である。そして、ここに、「そもそも仏教とは何か」の回答の重要な鍵があると思う。

 <<大田評>>私(大田)から見れば、禅とほぼ同じに聞こえる。私の師から教えられ実践した、そして、実践している禅とは、「真の自己(元からあるが自覚なきゆえ知らず、自覚のあかつきには再生の自己となる)を知らず、我執のゆえに自分で苦しみ、他者を傷つけ苦しめる。そういう自我をみつめ、我執を捨てて、我執のない自己を自内證し、その新たなる自己を依所として生きていく」、これである。禅者によって、説き方や、強調の置き方は、異なっても、その根幹は、釈尊、道元禅師、白隠禅師に通貫している(4)と信じて、その研究を続けている。ただ、私自身が、釈尊、道元禅師、白隠禅師と同様の「社会的働き」をしているとは毛頭言っていない。この方々の行動力、指導法は卓越している。その教え・精神をそう理解して、一歩でもそれに見習たいと日々、つとめているにすぎない。

(注)

(6)初期仏教には肯定されるアートマンがある

 「無我」を決してニヒリズムと受けとってはならない。  三枝氏は、上記のとおり、「仏教そのものがそのようであった」と、釈尊の精神が大乗仏教にまで通貫している、とされている。私も釈尊、道元禅師、白隠禅師に通貫するものが、それである、と思う。
(注)

(7)「ダンマパダ」の考察

 三枝氏は、次いで「ダンマパダ」の「無我」説を考察された。自我の否定、無我、という否定的表現から、主体的な「自己」ならびに再生し新生した「自己」が、主張される。
(注)

(8)言葉による表現の限界

 上記のように「無我」を探求したが、しかし、なお、三枝氏は、割り切れないものを感じている。
(注)

(9)「阿含経」の「無我」説

 三枝氏は、「スッタニパータ」「ダンマパダ」についで、阿含経における「無我」説を資料を列挙して探求される。結論の部分を記載する。阿含経の「無我」説でも、形而上学的実体の議論はない。すなわち、「アートマンを説くのは仏教ではない」というようなことは、初期仏教では全く議論されていない。
(注)

(10)経典編纂の過程で「無我」説にも変容

 元来、釈尊の近い初期仏教の「無我」説は、上記のようであったが、後の教団における経典の編纂過程で教理の論理化がすすみ、「無我」説も当初のものとは変容をきたした。  こうして、三枝氏が先に明らかにした「無我」説は、自我の執著の否定であり、いわば、「無我」は、「悟り」である、と言ってよいであろう。しかし、原始仏教の表現は変遷した。「無常・苦・無我」と三をセットデいう場合には、その「無我」は「苦」であるとされていて、それでは、「迷い」であることになる。このことを明確にしたのが、森章司氏である(4)。

(注)

(11)無常説、苦の説、無我説は独立して完結

 三枝氏が、もう一つ強調されるのは、無常、苦、無我は独立して(森章司氏が研究された、三がセットで説かれる説であない)さとりに導く完結した教説である、ということである。「無常」だけでも如実知見すれば、悟る。「苦」だけでも、如実知見すれば悟るということである。「無我」だけでも如実知見すれば悟る、ということである。  以上が三枝充悳氏の「無我」説の起原とその変容した無我説の要旨である。大変、説得的である。こういうことが、多くの学者に誤解されているのだろう。むしろ、迷いの「無我」の教説を理解して、仏教がわかったつもりの誤解が多いかもしれない。


(注)

(12)三枝充悳氏の研究に学ぶこと

 三枝氏の研究を、どう意義づければよいのであろうか。私(大田)に思い浮かぶのは、大乗仏教の唯識説、法華経、華厳経なども、それぞれの教説、方便で、悟りに導くという立場のはずである。さらに、白隠は「無字」または「隻手」の公案だけで、道元は「只管打坐」だけで、悟りに導く。
 このことと同様なのではあるまいか。四諦、八正道、中道、縁起説などでも、独立して、また、無常説、苦の説、無我説でも、単独で、悟りに導けるものであったに違いない。もちろん、そのことを如実知見させる力を持つ先達の指導があってのことである。
 しかし、最も初期の仏教(釈尊の指導に近いであろう)では、修行法は、念、気をつける、ことであるとされる。これをどう結びつければよいのだろう。四諦、八正道、中道、縁起説、無常説、苦の説、無我説でも、あるいは、そのように体系化される前の素朴な苦や煩悩の教説(「スッタニパータ」など)、どれもが、その教説で自己をみつめる段階では、結局、「念」「気をつける」「正定」「禅定」の修行に集約されていったのではあるまいか。
 仏教や禅に種々の重大な誤解、偏見があるようであるから、三枝充悳氏は、そのような偏見を批判されているので、詳細にご紹介した。
 三枝氏の研究から学ぶことが多い。仏教は「無我」説だといい、アートマンを説くのは仏教ではない、というそれだけで排他的断定をする研究者がいるが、もともと、釈尊の仏教は、そのような形而上的アートマン論とは無関係に成立した。また、アートマンの解釈も多様であって、「誰々はアートマンをいうから仏教ではない」と短絡的にいうべきことではない。「無我」説(縁起説もそうであるが)は、最初期のものと、やや後代の「無我」説とは意味内容が大きく変化している。縁起説と無我説を同一視する学者の誤解が多い、と三枝氏は言っておられる。
 森章司氏、伊吹敦氏なども、仏教学、禅学の学問研究における偏見、不毛の議論を批判しておられる。そのような偏見・誤解・不毛の議論の上で、坐禅や悟りなどを否定する学者の偏見・独断・誤解も多い。一般の市民も偏見や独断ある学説にくらまされない叡智を養わないと、大きな過ちに導かれる。

 
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