【 相応しい言葉 】





見てご覧。
今夜も満月だ。

ほら、聞こえる。
狼の遠吠えが。















月が見たいと、葉月は思った。
モニタの表示画面を夜空に切り替えようとして、止める。
おかしな話だが、肉眼で見てみたいと、そう思ったからだ。
時刻の確認もしないまま、外へと通じる扉にカードを通す。

夜空は黒いものだとばかり思っていたのだが、実際には深い青色をしていた。
星々のか細い煌めき。大きく円い月の、冷たい輝き。
それらが、葉月に向かい落ちてくる。
吹き付ける風は無機質なのに、夜の匂いがした。

──歩朱。

真ん丸な天体を見て、葉月はふと思う。
歩朱はどうしているんだろう。
歩朱に会いたい。

ふらりと誘われるように、葉月は歩き出した。
端末は家の中に置いたままだ。
これでは自分の位置を確認することが出来ない。
歩きながら、そんなことに意識が向かう。
不安で仕方なかったが、それでも葉月は歩いた。

動物と暮らす、少女の元へ。






記憶を辿って彼女の家に辿り着いたものの、歩朱は不在だった。
また、あの高架橋を渡って、石の傍らに座っているのかもしれない。

待とうと思った。
自分は歩朱に会いにきたのだから、それまで待とうと。
螺旋階段の前に座って、剥き出しになった土を見詰める。

──お父さんに叱られるかな。

自宅には不在表示が出ているだろうし、自分の行動は全て記録されている。
養い親は自分の行動を定期的にチェックしているので、
近い内に、葉月が取った今日の行動は知れてしまうだろう。

──この間、叱られたばかりなのに。

叱られて、心配を掛けたことを申し訳なく思って、それなのに少しだけ──嬉しかった。
葉月は苦笑する。こんな訳の解らない感情は、以前の自分には無かったものだったから。



「こんな時間に何をしてるんだ」



感情の篭らない声音に、顔を上げる。
歩朱、だった。

「……歩朱」

名前を呼んだのに、前に立つ人間は何も答えない。
月を背に黒いシルエットになったその人が、どんな顔をしているのかも解らない。
会いたかったのに、歩朱を目の前にしたら、胸の中がざわざわした。
とても非常識なことをしている。そしてとても無神経なことを。

「帰れ、と言っても聞かないんだろう?」

上がっていきなよと歩朱は呟くように言って、螺旋階段を上りだす。
葉月は禄に返事をすることも出来なくて、ただ彼女の後ろに続いた。

鳩に部屋の一部を占領された、懐かしい場所に入って、葉月は目を見開いた。
部屋の中の荷物が、綺麗に整頓されている。
衝撃吸収素材で出来た箱に、部屋の中の物が詰め込まれていたのだ。

これは、これは。

「……引っ越すの?」

手に嵌めた赤いグローブを外しながら、歩朱はそうだよと短く言った。
その答えに、葉月は立ち尽くした。何も言えない、頭が混乱している。

──歩朱がここから居なくなってしまう。
──もう、会えなくなってしまう。

事件以来、週一回のコミニュケーション研修で姿を見掛けるだけで、
あの草むらで歩朱と過ごすことも、もう無くなっていたのに。
それでも、その事実は、葉月にとって衝撃だった。

頭がくらくらした。心臓がどきどきする。
「どうして?」と、「やっぱり」と言う言葉が、交互に頭の中に浮かんだ。

「……何処に、行くの?」
「遠いところさ」

そんなの、狡い。そんなの答えになってない。
けれど葉月は、それ以上訊くことが出来なかった。
歩朱は答えてくれないだろうし、訊いてはいけないのだ──きっと。



自分が言うべき、言葉は。

「元気でね」・・・違う。
「行かないで」・・・違う違う。
「さようなら」・・・違う違う違う。

わたしが本当に言いたいのは──



静かに立っている歩朱へと、近付く。
ぴくりと歩朱の体が敏感に反応して、彼女は身構えた。

「……牧野、僕に近付くんじゃない」
「…いいの」
「危険だ」
「それでも、いいの」

戸惑ったような歩朱の顔。
華奢な体に凭れ掛かって、言う。
ひとりよがりな、我儘を。



「……わたしのこと、忘れないで……」



忘れないよ──耳に届いた歩朱の呟きは、鼓膜を震わせて。

葉月は涙を流した。














【戻る】