【 手の中の永遠 】





春は、新しい門出。出会いの季節。
そして春は、それまでの日常に別れを告げる季節。

出会いがあれば、当然別れもある。
そのどちらもが桜色に染められて、鮮やかに彩られている
けれど私は、美しい筈の風景を悲しい思いで見ていた。

誰かと別れるのをこんなに辛いと思うのは、生まれて初めてだった。
ずっと一緒に居れると錯覚していた。
ありもしない幻想を抱いていた。

「錯覚」と「幻想」の終わり。
今日私は、高等学校を卒業する。















「この制服を着るのも、今日で最後なんだな……」

黒い詰襟に手を充てながら、私は目の前の友人に言った。

「知らなかったな、君はそんなに制服がお気に入りだったのかい?」

振り返った友人は意地の悪そうな笑みを浮かべからかうようにそう返す。

「…そうじゃなくて……」

続ける言葉が見付からず、私は黙り込む。
そんな私を見て、友人──中禅寺は溜息を吐いた。





高等学校に入学する時も、私は暗澹たる気分だった。
私のような人間は、苛めの対象になるか、
或いはその存在を無い物のように否定され、無視されるかのどちらかだと、
今までの経験で解かっていた為だ。

最初の内は私の予想通りだった。
他の生徒に馴染む事も出来ず、私は周囲から完全に孤立していた。
何時もの事なので、さして気にも留めなかったし別段哀しいとも思わなかった。
独りには慣れていたから。
けれど驚いた事に、そんな私に接触をして来る人間が一人だけ居た。

それが、中禅寺だったのだ。

結局私達の付き合いは高校生活の三年間、ずっと続いた。
この三年辛い事も沢山あったけれど、それと同等、否、それ以上に楽しい事も沢山経験した。

その生活が、今日で終わる。
君との生活も、今日でお終い。





「随分陰鬱な顔をしてるじゃないか。
君は普段から鬱々とした顔をしているが、今日は特に酷いぜ。
今にも黴が生えて来そうな形相だ」

僕がそう言うと、関口は微かに顔を上げこちらに視線を寄越す。

「君は…嬉しいのか?」
「無事卒業出来る上に、僕達は進学も決まっている。嬉しいに決まっているだろう。
それとも何か、君は落第でもした方が良かったと言うつもりかい」

少し間を置いて、関口は「その方が良かったかも知れない」と、
殆ど聞こえないような小声で呟いた。

彼の言葉に僕は閉口した。

危なっかしくてつい目が離せず、自分は彼を甘やかせ過ぎたのかも知れない。
他人に言われるまでも無く、関口が自分に依存しているのは明らかだった。
関口と進む大学は一緒だが、学部が違う。
これからは今までのように四六時中一緒に居る訳にはいかない。
以前のように、同じ寮に住む事も無いのだから。

この先、彼は日常生活で訪れるであろう困難や障害に、
独りで立ち向かわなくてはいけないのだ。
それはひとりの人間として当然の事で、
乗り越えなければその先に進むことなど出来はしない。

このような事態に陥る事は予測可能だったのに、
関口を突き放す事が出来なかったのは、自分の甘さゆえだ。

「…僕はちっとも嬉しくなんかない…。でも、でも君は違うんだな……」

声が上擦って、今にも泣き出しそうな顔をしている。

「何馬鹿なこと言ってるんだ。永久の別れじゃあるまいし。
どの道大学は一緒なのだから、会おうと思えば何時でも会えるじゃないか」
「う、嘘だ…」

流石にこの返答には腹が立った。

「嘘とは何だ。随分と失礼なことを言ってくれるじゃないか関口君。
大体僕が今まで君に嘘を吐いた事があるかい?」
「……無い、けど……」

関口は唇を噛み締めて俯く。
それはどこにでもある、友人とひと時の別れを惜しむ状況に違いは無かったのだが、
何故かこそばゆく甘ったるい気持ちになった。

「僕はそんなに信用が無いのかい?」
「違う。そうじゃないんだ…僕は……」

そこまで言うと、関口は僕の背に腕を回し縋り付いて来た。

「関口……」

正直言って豪く驚いた。
彼が自分に対し特別な感情を抱いている事は薄々感づいていたが、
まさかこんな行為に出るとは予想外だったのだ。

「中禅寺……」

触れ合った胸元から、早鐘のように鳴っている関口の心音を感じる。
紅潮させた顔を自分の肩口に埋める友人の姿に、胸が締め付けられる思いがした。

「全く、君は子供みたいだなあ」

己の感情を悟られぬよう、僕はわざと呆れた声でそう言った。
僕の言葉に関口は制服を掴む手に一瞬力を入れたが、
片腕だけそろりと離すと、その手を僕の胸元に置く。
不思議に思い彼に顔を向けると、胸に充てがった関口の掌が移動し、
指先が制服の釦に触れ、止まる。

「…………」

まさか、と僕が思った次の瞬間。

関口は、その釦を引き千切った。

「ごめんよ……僕は……」

彼は手の中に収めた物を守るように、僕から身体を離し距離を置く。



「僕は、馬鹿だから」



そう言うと、関口は強張った笑顔を僕に向ける。
その行為は、見苦しい最後の足掻きでも、
子供じみた執着でも、どちらでも無いと僕は思った。
多分、彼なりの決意を現したものなのだ。

何時の間に、君はそんなに強くなったのだろう。

「乱暴なことをするね。欲しかったなら欲しいとそう言えばいいじゃないか」

憎まれ口を叩きながらも僕は思う。
それは、与えられてしまうのでは意味が無いのだ。
自ら奪ってこそ、初めてその行為は意味を持つ。

ならば、僕も君の勇気を見習おう。
奪われたものは、それに見合った代償で贖わなければならない。

そうだろう?

「僕だけこんな格好では、不公平だと思わないか?」

僕は釦ひとつ分空いてしまった制服の胸元に、手を押し当てながら言った。

「あ…ごめん……」

関口は困ったように僕を見る。

「謝って欲しくて言ったんじゃ無いよ。ああ、まったく君は鈍いなあ」
「え…?」

訝しげな顔をする彼に向け、僕は大きく溜息を吐いた。
どうしたら良いのか解からないのだろう。関口は赤い顔をしてうろたえている。

「簡単なことだよ。僕にも同じ物を呉れればいい」

瞬間、彼は呆然とした表情をする。
しかし忽ちその表情は消し飛んで、今度は泣き出しそうな顔になった。



君が望むものを、僕もまた同じように望んでいるのだと知って欲しい。

ひとりきりだなどと、思わないで欲しい。



気紛れな初春の風が僕達の間を吹き抜け、何も彼も攫って行く。
細めた視界の中、君が一歩、二歩と近づいて──

僕は目を閉じる。

風に乗って、ぶつ、と鈍い音が耳に届いた。
関口が、自ら釦を引き千切ったのだろう。

触れ合う程に彼の気配が接近し、
金色のそれを、彼はそっと、僕の胸ポケットに落とした。



まるで宝物をしまうように。



離れて行こうとする関口の腕を、軽く掴んで引き止める。
抗うでもなく、関口はそのままじっとしていた。

もう少しだけ、このままで。
せめてこの風が止むまでこうしていたい。


欠けた釦と縮まった距離。


偶にはこんなのも悪く無いと、そう思う。
何故だか急に可笑しくなって、僕は口元だけで笑った。












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