| 【 図書室にて 】 ここは図書室。夕暮れ時。 静まり返った室内には三つの人影。 一人は規則正しい所作で頁を捲り、 一人はつまらなそうな顔をして欠伸をし、 一人は机にうつ伏せて寝息を立てている。 いっそ暢気に思える程、平和な光景。 茜色に染まった空間が、ゆっくりとした時の流れと共に押し流されて行く。 「……つまらん」 大きく伸びをした後、榎木津は一言そう漏らした。 「おい中禅寺、退屈で死にそうだ。何か面白い事をしろ」 暇を持て余した榎木津神は、隣に座る後輩にちょっかいを出し始める。 「……本でも読んだらどうです。幸い此処には山のように書籍が有ることですし、 何ならお勧めの本を紹介しますよ」 行間に視線を走らせたまま、ちょっかいを出された後輩、 中禅寺はさらりとその攻撃をかわす。 「やだ」 即答。 「先輩の退屈凌ぎに付き合っていられる程、僕は暇じゃないんですよ。他を当たって下さい」 「そうだ!かくれんぼなんてどうだ?楽しいぞー♪」 良いことを思いついた、と言わんばかりに中禅寺の顔を覗き込んで来る。 人の話を聞いてないのかこの人は。 中禅寺の眉間の皺が深くなる。 「かくれんぼでも鬼ごっこでも缶蹴りでも花いちもんめでもお好きにどうぞ。 但し僕はお断りします。関口君でも叩き起こして勝手にやって下さい」 そう言うと、彼は隣でぐうすか眠りこけている友人に目を遣った。 「関君は駄目だ。隠れるのが吃驚するくらい下手で直ぐ見つけてしまうから ちっとも面白く無い。その上探すのも下手。世界かくれんぼ大会を催したら、 きっとこの猿は誰も見つけられずに死ぬまで鬼だぞ」 今の言動から察するに、彼は関口相手にかくれんぼをした事があるのだろう。 いい年をして何を考えているのだ。中禅寺はげんなりした。 「とにかく僕は遠慮させて頂きます」 きっぱり言い放つと、帝王と渾名される男は子供のように頬を膨らませた。 「可愛くなーい!」 「可愛く無くて結構」 つれない返事に臍を曲げた榎木津は、あろう事か机の上に仰向けになった。 「先輩、行儀が悪いですよ」 窘めた彼の言葉などまるで耳に入っていないかのように、 榎木津は目前で寝息を立てている後輩をじっと見ている。 「しかし関君は良く眠るなぁ、猿だからか?」 猿と良く眠るのとがどう関係あるのか謎だが、彼はそう思ったらしい。 「だらしがないだけでしょう」 「ふぅ〜ん」 会話の元になっている人物は、そんな事とは知らず夢の中だ。 その時、図書室の扉が控えめな音を立て開いた。 榎木津は寝転がったまま視線だけをそちらに向け、 入り口に立つ人物をその目で確認するや、がばっと勢い良く体を起こす。 「藤牧だッ!」 入室した途端、大声で自分の名を呼ばれ、 藤牧こと藤田牧朗は瞬間面食らった顔をしたが、直ぐに普段の温和な表情に戻った。 「こんにちは。君たちだけ、なのかな?」 軽く挨拶を交わすと、榎木津たちが占領している机に向かって歩み寄ってきた。 眼鏡の奥の細い瞳はやわらかく半月状に形を変え、 口元には微笑みを称えている。 「ちょうど良いところに来たぞ君は。 今から中禅寺と鬼ごっこをしようと言っていたところなのだ。君も一緒に遊ぼう」 そんな事は一言も言っていない!と中禅寺は心の中で大きく否定した。 大体かくれんぼじゃなかったのか、何時の間にか鬼ごっこに変わっている。 「デタラメ言わないで下さいよ、藤田先輩が困っているでしょう」 「はは…、僕は課題で使う資料を探しに来たんだ。 鬼ごっこはまた今度にしてくれるかな…?」 破天荒な榎木津の発言にも、藤田は律儀に答えている。 やんわりと拒否され、少しつまらなそうな顔を榎木津はしたが、 藤田の登場に、より斜めだったご機嫌はどうやら上向きになったようだ。 榎木津は藤田を気に入っている。 その理由を、中禅寺は何となく解かる気がした。 藤田牧朗と言う人間は驚くほど真っ直ぐだ。 他の人間が「何を馬鹿な」と鼻で笑うか呆れるかする榎木津の行動や言動も、 まともに受け止めて真剣に対応しようとする。 不器用なだけと言ってしまえば、そうなのかも知れない。 けれど。 「ここ、良いかな?」 暫く課題に必要な書物を物色していた藤田が、数冊の本を手に戻って来た。 此処に座れと言わんばかりに、 榎木津が自分の左隣りに置かれている椅子をばんばんと叩く。 藤田は苦笑してその席に腰を下ろした。 「関口君は…具合でも悪いのかい?」 向かいの席で机に突っ伏してる関口を見て、彼は心配そうな口調で言う。 「ただ寝ているだけですよ。 本来書物を読む為の図書室でぐーすか鼾をかいている罰当たり者です」 「そう、猿だから」 「・・・???そ、そうか。それじゃあ静かにしていてあげないとね」 訳の解からない合いの手に戸惑った顔をしつつも、 言葉を発した後榎木津に笑顔を向けるあたり、只者では無いと思う。 一番騒ぎそうな人物に対し、静かにしていろと暗に忠告している以外の何者でもない。 校内ではまさに敵無し、帝王として君臨している榎木津相手に このような態度を執れるのは自分くらいと思っていた。 しかし、もう一人居たようだ。 多分藤田のこう言ったところも、榎木津が気に入っている要素のひとつなのだろう。 ノートを広げ、手馴れた手付きで課題に必要だと思われる文面を藤田は写して行く。 その様子を、榎木津は珍しい物でも見るようにしげしげと眺めていた。 鉛筆が紙の上を滑る音と、頁を捲る紙擦れの音だけが室内に響く。 時折、うう、とかうー、などと気の抜けた関口の寝言らしきものが混じるのだが。 あらかた写し終えたのだろう、藤田が開いていたノートをふう、と息を吐いてから閉じた。 それまで珍しく静かにしていた榎木津が、見計らったように言葉を発する。 「君は本当に良く勉強するなぁ」 感心したような、呆れたような口調だ。 「…そう、かな…?僕は身体を動かす行為は余り得意でないし、 必死に勉強をすることくらいしか出来ることが無いから…。 でも、嫌々やっている訳ではないんだよ、好きでやっているんだ。 勉強が好きだなんて、おかしな話だろう…?」 机の上に広がった筆記用具や本を整理しながら、彼は自嘲気味に少しだけ笑った。 「そんな事はないでしょう。人はそれぞれ好きになるもの、 興味の対象となるものは千差万別です。 何事にも向上心が有ると言うのは素晴らしいと僕は考えています。 高みを目指し勉学に取り組む先輩の姿は、 誇りこそすれ決しておかしい事ではありません」 中禅寺の言葉に、藤田は困ったような、照れたような複雑な表情をした。 「その通り!好きと言えばこの中禅寺も相当な本好きで本馬鹿だぞ。 こいつは食べ物からじゃなく本を読んで栄養を摂っているんじゃないかと疑うほどだ。 一週間断食しても死なないが、断本したら多分死ぬぞ」 「………榎木津先輩」 目に見えそうな怒りのオーラを発散させている中禅寺だが、 勿論榎木津がそんな事で怯む訳は無い。 「ちなみに関君は見ての通り眠るのが大好きだ!なぁ、猿君?」 そう言って、榎木津は眠っている関口の頭を軽く小突いた。 「うぅ、…ん」 小突かれた関口は、小さく唸り声を上げる。 「ほら、返事した」 「只の寝言でしょう。あんたがちょっかい出すから唸っただけですよ」 二人の遣り取りが何だか微笑ましく、藤田は笑いを押し殺してそれを見ていた。 「そんな事はない!ご主人様の問い掛けに、寝ながらこの猿君は答えようとしているのだ」 それまで安らかな顔で眠っていた関口は、眉を寄せ苦しげに唸っている。 「こら関猿、返事をしなさい」 就寝中の関口に、榎木津は尚も言葉を投げ掛ける。 「うう…ぼ、僕は……」 苦しそうな後輩が何だか憐れになって来て、 藤田は榎木津を止めるべく声を掛けようとしたが、 眠っている筈の関口が言葉を発したので、思わず動きが止まってしまった。 言葉を発した関口に、榎木津がぱっと表情を輝かせ、顔を上げる。 「聞いたか今の!やっぱり返事したじゃないか!」 勝ち誇ってそう言い放つ傍若無人な先輩に、中禅寺はあからさまな溜息を吐いた。 くだらない・・・と言うように、彼は再び読みかけの本に視線を転じる。 「関君は眠るのが好きだよなー?」 「ぅ…ぼ、ぼくは……」 「うん?」 寝言相手に榎木津は聞き返す。 「…僕、は、中禅…寺が、好き…です…」 シーン─────………… 数秒間、図書室の中に真っ白な空気が流れる。 しかしその静寂を打ち破ったのは、耳を劈くような榎木津の大爆笑だった。 「ぶわっはははははははは!!!」 机を叩いて笑う榎木津の真向かいで、本を手にしたまま微動だにしない中禅寺だったが、 その額にはくっきりと青筋が浮かんでいる。 「き、聞いたかっ!?良かったなぁ、中禅寺!!わははははは!!!」 榎木津の言葉に、本を掴む中禅寺の手が微かに震え出した。 こんなに動揺する彼を見るのは始めてだと、藤田は目を見張る。 「い、いや、中禅寺君…友人にこれだけ慕って貰えるなんて、良いことだと思うよ…」 藤田は彼らしい誠実さで、何とか笑いを堪え中禅寺にそう告げるが、 全く慰みにはならなかったようだ。 大声で笑う榎木津と、無言で肩を震わせる中禅寺と。 どう対応して良いか藤田が考えあぐねていた、その時。 ガタンと音を立て中禅寺は立ち上がった。 読みかけの本を脇に抱え、手早く鞄を肩に掛ける。 その間も榎木津は大笑いを続けていた。 「失礼します」 そう言って、その場を後にしようと彼は踵を返す。 「あ、関口君は…?」 慌てて引き止めようとした藤田に一言。 「死ぬまでそこに寝かせておけば良いでしょう」 と、怒気が込もった声色で言い放った。 こんな騒ぎになっても眠っている関口と、 未だ笑いの虫が治まらず爆笑し続ける榎木津とを交互に見て、 藤田は深い溜息を吐いた。 私が目が覚めると、榎木津は大笑いをしていて、 何時の間にか藤田先輩が向かいの席に座っていた。 私が起きたのに気付くと、榎木津は更に大爆笑をし、藤田先輩は困ったような顔で私を見た。 何がなんだか解からず中禅寺の姿を探したが、彼の姿は何処にも見当たらなかった。 私が『中禅寺は?』と尋ねると、藤田先輩は更に困った表情をして、申し訳なさそうに言った。 「ああ…彼は先に帰ったんだ」 「あいつは白旗上げて出て行ったのだ!!今回は君の大勝利だな!」 愉快そうに笑う榎木津の言葉は、私にとって全く意味不明だった。 それから3日間、中禅寺は何故かひと言も口を利いてくれなかった。 理由を聞いても答えてくれず、私は本当に困り果ててしまった。 漸く口を利いてくれるようになった四日目。 私は中禅寺から「人前での居眠り厳禁」を言い渡され、 必ず守るようにと強く念を押される羽目になったのだった。 何故だと問い質しても、物凄く怖い顔で睨みつけられてしまうので、 それ以上は聞く事が結局出来なかった。 一体何なのだろう? 私には解からない事ばかりである。
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