| 【 金環 】 君と見上げた金の環は 怖いくらいに美しくて 君と見上げた金の環は 哀しいくらいに儚くて 君と見上げた金の環は── “僕達だけのもの”となった [今日はいいんだよ。こっちで」 意味深なその言葉に誘われ、学校とは逆の道を歩き出してから暫く経つ。 相変わらず中禅寺は黙ったままだ。 有無を言わさず連れて来た癖に、説明のひとつも無いとはどう言うつもりなのだろう。 さすがに痺れを切らして私は彼に問うた。 「おい、中禅寺。一体何処に行くんだ?」 私の質問に彼は前を向いたままでこう答えた。 「君はこちらの方向に来た事はあるかい?」 質問に質問で返され、結局私が答える羽目になる。 「いや…無い、と思うな。だってこっちには何も無いらしいじゃないか」 実際に自分の目で確かめた訳では無いが、 人伝で聞いた話によると、こちらの地域はまだ開発が進んでおらず、 店らしい店はおろか民家さえまばらだと言う話だった。 「確かに駅や商店街などの人間にとって便利な施設がある訳では無いけどね、 だからと言って何も無い訳ではないよ。「何も無い」など実際には有り得ない。 どんなに辺鄙な処だろうが鄙びた場所だろうが、必ず何かしらあるものさ」 理屈ではまあ、そうなのだろうが、 本来私が聞きたかった事柄からは話が逸れているような気がする。 「中禅寺、君の言いたい事は解かった。 けど僕は、これから何処に行くのかが知りたいんだけど……」 「もう直ぐ着くよ」 食い下がった私の言葉はあっさりと遮られた。 彼は今の次点で行き先を教えるつもりは無いらしい。 諦めてそのまま歩いていると、道は緩やかな上り坂に差し掛かった。 見上げると坂の頂上から先に広がるのは真っ青な空で、その先に何があるのかは解からない。 漠然と、私はこの坂の向こうが終着点なのだな、と思った。 「……この先が……?」 坂で少し息の上がったまま、私はそう呟く。 酷く聞き取り難かっただろうに、少し前を行く中禅寺は頷いた。 この先に、いったい何があるのか。 傾斜は緩やかだが、思ったより坂は長かった。 それまでも大分歩いている私は、坂の途中でかなりの疲労を憶えた。 中禅寺も私と同じ距離を歩いているのだし、 見た目から察するにとても体力があるようには見えないのだが、 彼は歩調を乱すこと無く坂を上って行く。 ふう、と息を吐いたところで顔を上げると、中禅寺が立ち止まっていた。 太陽を背にしているせいか、その姿は黒いシルエットになって見える。 「着いたよ」 その言葉に促され、一歩を踏み出した私の視界は一気に拓けた。 私が目にしたもの、それは── 呆れ返るほど何も無い風景だった。 坂の頂上は小高い丘になっており、一面の野原だった。 只延々と草が生い茂るだけの風景。 確かに見晴らしは良いが、それだけである。 見て楽しむような美しい景色が広がっている訳でも、物珍しい風景があるのでも無い。 「……………………」 私は絶句した。 中禅寺はこれを見せるために、わざわざこんな処まで私を連れ出したのだろうか。 だとしたら、正直言ってとんだ期待外れだ。 窺うように彼に目線を移すと、中禅寺もこちらを向いた。 「あ、あの……それで……?」 「それでって、何がだい?」 「な、何って……」 言い淀む私を無視するように、彼はさっさとその場に腰を下ろしてしまう。 そうして鞄を開けると、中から本を取り出しそれを膝の上で開いた。 呆然と立ち尽くす私の傍らで、友人は何時ものように、悠然と頁を捲り始める。 そんな彼を見て、急に不安になった。 中禅寺は書痴と言って差し支え無い程の読書家である。 まさか本の読み過ぎでおかしくなってしまったのでは無いか。 落ち着かない気分になり、私は再度彼に視線を向けたが、 別段平素と変わったところは見られない。 何を、考えているんだ?中禅寺。 そう思ってみても、私に彼の思考が読み取れる訳が無い。 何だか考えるのが馬鹿らしくなり、私も中禅寺の横に座った。 「……学校、無断欠席しちゃったな……」 「……そうだな」 ぽつりと呟いた言葉に、本から目を離さないまま素っ気無く彼はそう返す。 場所が変わっても、相変わらずな友人の態度が何だか可笑しくて、 私は笑いを押し殺しながら草の上に仰向けになった。 こうして寝転がって見上げると、確かにここは目前を遮るものは何も無く、 視界全部が一面空だ。 これはこれで、良い眺めと言えぬ事も無い。 頬を撫でる秋風も心地好くて爽やかだ。 こんなのも偶には良いかも知れないと思う。 視線を少し右にずらせば、そこに中禅寺が居る。 抜けるような青空と、中禅寺と。 その情景を瞼に焼き付けるように、私はゆっくり目を閉じる。 瞳の奥に浮かび上がった中禅寺の横顔に、何故だか胸が疼いた。 「関口君、起きて」 その声に、私ははっとして目を開いた。 突然開いた視界は一瞬ぶれ、 次第に焦点が合い始めた私の目の前に映ったのは、中禅寺の顔だった。 どうやら私はあのまま寝入ってしまったらしい。 中禅寺に起こされるのは、これで今日二度目だ。 「あ…ごめん……。寝ちゃったのか……」 さすがに照れ臭く、そそくさと身体を起こす。 「そんな事どうでもいいよ。それより、もう始まる」 そう言うと中禅寺は空を見上げた。 始まる? 始まるって何が? つられて私も空を仰ぐと、何故だか妙に薄暗かった。 もうそんな時刻なのだろうか。 しかし異常な速さで暗くなる空を目を遣ったその瞬間、私は思わず息を呑んだ。 中天に昇る太陽が、真っ黒な影に蝕まれている。 「な……」 「皆既日食だよ」 空を見上げたままで中禅寺はそう言った。 「2・3日前から新聞やラジオで報道していただろう?」 「………そう、だっけ……?」 異様な光景に目を奪われてしまった私は、曖昧に返事をした。 世情に然程感心の無い私は、殆ど新聞を読まないしラジオに関してもまた然りである。 そう言えば、クラスの誰かが日食の話をしていたような気がするが、 それが今日だとは知らなかった。 そんな事を考えている内にも、辺りはどんどん暗くなる。 ゆっくりと、月の影に太陽が隠されて行く。 「こんなに広範囲で完全な日食を今度日本で拝めるのは、随分先になる」 視線を太陽に向けたまま、中禅寺はそう言って、更に言葉を続ける。 「次に見れるのは──126年後だそうだ」 126年とは、また気が遠くなりそうな話だ。 「それじゃあ、これが僕達が生きてる内に見ることが出来る、 最後の日食って訳だ……」 私がそう呟くと、「まあ、そう言う事だね」と中禅寺は言った。 それからお互い黙って空を見上げた。 侵食される太陽と比例するように、色彩溢れる昼の世界が、夜の黒に塗り込められて行く。 さっきまで青空に四方を囲まれていたこの場所も、今は闇によって孤立させられているようだ。 まるで暗闇の中を、私達二人だけが浮かんでいるような不思議な感覚。 そして私は、気付いた。 そうか、だから敢えて中禅寺はこの場所を選んだのだ。 確かに、視界を遮るものが無く空に囲まれたこの場所なら、 日食を見るのには絶好の地形だと思う。 より間近に、日食を体験出来るような気がする。 真っ黒な月の影と殆ど重なり合った太陽の光が、出口を求め細く鋭く輝いている。 円を縁取るように、環になって瞬いているその光は、まるで── まるで、銀の環のようだった。 「───……………」 壮絶なまでのその美しさに、文字通り私は言葉を無くす。 ああ、もう完全に太陽が消える。 光が途絶えて、何も見えなくなる。 そう思った瞬間、私は反射的に中禅寺を目で探していた。 日食を見ているとばかり思っていた中禅寺の瞳は静かに閉じられており、 ざわざわと厭な音を立て、舞い上がる風が彼の髪を弄る。 消えてしまう、と思った。 咄嗟に伸ばした腕が彼に届く前に、私の目の前で中禅寺の姿は闇に溶け入るように消え、 視界は暗転した。 太陽は完全に月影に呑まれ、漆黒の闇が世界を覆ったのだ。 「……中禅寺……?」 私は思わず立ち上がると、彼の名を呼ぶ。 どうしてだか、酷く不安だったのだ。 闇と共に消えた彼の存在を確認したかった。 しかし呼び掛けに返事は無く、余計に私の焦燥は増す。 歩き出そうとした私は、案の定と言うかやっぱりと言うか、派手に転んだ。 「わああっ!!」 前のめりに転んだせいで、口の中に砂利や草の切れ端が入り込み、思わず顔を顰めた。 「さっきから何を一人で騒いでるんだ」 怒りを通り越して呆れているような声が、暗闇の中で頭上から降って来る。 その聞き慣れた声にほっとしていると、腕を掴まれて倒れている身体を引き起こされた。 「まったく……こんな暗い中で不用意に歩き回れば、転ぶに決まっているだろう。 何を考えてるんだ、君は」 「う……」 中禅寺の言う通りである。私は返す言葉も無かった。 「怪我はしてないか?」 「ああ…大丈夫だと思う……」 中禅寺に手を引かれ、私は闇の中手探りで座り直す。 「随分な慌てようだったが、いい年をして暗いのが怖かったなんて言う訳じゃないだろうね」 からかうような口調に、私は何とか抗議の言葉を紡いだ。 「ち、違うよ。そんなんじゃなくて…… 何だか君が闇に紛れて消えてしまうような気がして、怖かったんだ……」 一瞬の沈黙。 沈黙が怖い。こんな闇の中では直ぐに君を見失ってしまう。 返事をしてくれ、中禅寺。 漠然とした不安にまた襲われようとした時、不意に肩に腕を回されぐいと引き寄せられた。 「……!!」 「馬鹿だな。人間がそう簡単に消えたりするものか」 耳元で、そう囁かれた。 制服越しに触れ合った部分から中禅寺の体温が伝わって来て、一気に鼓動が早まる。 こんな事をされるのは初めてで、私はどうして良いのか解からず固まってしまう。 「僕はここに居るよ」 静かに、中禅寺はそう言った。 鼓膜の奥で響いたその言葉に、私は酷く泣きたい気分になった。 彼の優しさが、胸に痛い。 黙って頷くと、気配で察したのか中禅寺は私の体からそっと腕を離した。 閉じた瞼の先が白く滲んで来る。 皮膚の上に光を受ける温かい感触。 月の影から、漸く太陽が抜け出たらしい。 私は微かに目を開いた。 「今日は無理に連れ出して学校を休ませてしまった……済まない」 陽の光を受け色彩を放ち始めた世界を見ながら、私は中禅寺の言葉を聞いている。 見上げると、そこには魔法のように美しい銀色の環。 「僕はね……これを君と見たかったんだよ」 だから、最後に私が聞いた言葉は幻だったのかも知れない。 翌日学校へ行くと、担任の教師に昨日の無断欠席について咎められたが、 中禅寺が上手く誤魔化して事なきを得た。 普段は異様に口が達者なこの友人に辟易させられることもあったが、 この時ばかりは、彼の話術に心から感謝した。 そして授業の合間、中禅寺は日食についての知識を色々と教えてくれた。 「君も見たと思うが、月の影と太陽が完全に重なり合う瞬間に、 太陽光線が円状になって、まるで光の環のように見えただろう?」 「ああ、あれは綺麗だったなぁ……」 私は中禅寺の言葉で、昨日見た光景を思い出す。 「あの現象は、西洋で「ダイヤモンドリング」と言われている。 この目で見て思ったが、確かに似ているね。 日本では日食の事を「金環」と呼んだりするのだが、 僕としては「ダイアモンドリング」よりは「金環」の方がしっくり来るな」 そうなのか、初めて知った。 でも私はあの輝く環を見た時、「金の環」と言うよりは、「銀の環」だと思った。 私がそう告げると、中禅寺は微笑んで、 「物の見え方なんて、人それぞれ皆違うものだからね、 君が銀の環に見えたのなら、それが君にとっての真実なのだろう」 と、言った。 放課後になると、何時もの勢いそのままで、榎木津が教室へと雪崩れ込んで来た。 「やあっ!!中禅寺は相変わらず本ばっかり読んでるな!! そして関君は見事なまでに今日も猿面だッ!!」 突然の乱入者に教室に居た者は唖然としているが、 中禅寺は読んでいる本から視線を上げると、険しい表情で我が校の帝王に一瞥をくれた。 「そう言う榎さんは相変わらず躁の気が強いようですね」 「わはははは!ソウだかゾウだか知らんが今日も僕は絶好調!!」 貶しているとしか思えない中禅寺の言葉も全く堪えていないようで、榎木津は高笑いをしている。 しかし突然榎木津は笑うのを止めると、私と中禅寺を交互に見比べた。 そんな榎木津を見て、中禅寺は舌打ちをしたように、私には見えた。 「ははぁ、二人揃って休んだと思ったらそう言う事か」 その言葉に、私はどきりとする。 「榎さんも昨日は休んだそうじゃないですか、あんたこそ何をしていたんです?」 こちらも全く動揺した様子は無く、頁を捲りながら平然とそう答える。 「勿論君たちと目的は同じ!綺麗な環っかを見ながらデェトだ、デェト!!」 「デ、デェト?」 私がそう言うと、榎木津は目を丸くした。後ろで中禅寺が盛大な溜息を吐いている。 「ん?違うのか?ちなみに僕は修ちゃんと「雪見酒」ならぬ「日食見酒」をしたのだッ!!」 「シュウちゃん?」 「修ちゃんとは、世にも珍しい四角い顔をした豆腐人間だ」 大真面目な顔で榎木津は奇天烈な事を言った。 「は?トーフ人間?」 言ってる事がさっぱり解からない。 「関口君。君ね、榎さん相手にいちいち合いの手を入れていたら、 話が余計ややこしくなるだけだよ」 読んでいる本を閉じると、中禅寺は私にそう言った。 言われた私は黙り込む。 「でも、あれは綺麗だったな。もう一回くらい見てみたいぞ」 榎木津が言った言葉に、私も同感だった。 でもそれが叶わぬ願いだと、私はもう知っている。何故なら── 「残念ながらそれは無理でしょう。次に日本で日食が見れるのは126年後ですから」 私が思った事を、中禅寺はそのまま口にした。 「ふん、それでも見る」 怯むこと無くそう言い放つ榎木津に、 この人なら本当に見れるかも知れないと馬鹿なことを思った。 目を閉じれば、鮮やかに甦る銀色の環と、君の横顔。 どうか、この美しい情景が何時までも私の中に残りますように。 時の流れによって色褪せ、くすんでしまいませんように。 祈りを込め心の中でそう呟くと、 瞼の奥に浮かび上がった銀環が、まるで応えるかのように瞬いた。 君が私だけにくれた、銀の輪が。
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