| 【 ひとでなしの恋 5 】 私にとって、それは初恋だった。 些かなりとも、「恋」と言うものに甘い幻想を抱いていた私の思いは、 呆気なく打ち砕かれた。 初めて知ったその感情は、 辛くて。 苦しくて。 そして、切なかった。 同性である中禅寺に対して、そのような思いを抱いてしまった事への後ろめたさもある。 なにより、中禅寺に私の想いが知られてしまうのを恐れた。 知られて、軽蔑されて、彼が私から離れて行ってしまうのが怖かった。 己の想いを遂げようなどと、そんな大それたことは微塵も思わない。 ただ、彼の側に居れるだけで、私は充分に幸せだったのだから。 「本当にそれで良いのか?」 男は少し怒ったような口調で、私に問う。 「……いいんです。僕は、彼の側に居れるだけで……それで充分なんです」 「僕には解からないな、好きなら好きとはっきりそう言えばいいのだ」 彼は秀麗な顔を微かに曇らせる。 貴方と私は違う。私は心の中でそう反発をした。 「まあいいや、君が決めた事だ。君の好きにすればいい」 それ以上深く干渉しようとしないその態度が、私には有難かった。 「……心配してくれて有難う」 本当にそう思ったので私はそう告げる。 彼──榎木津は、そんな私を見て、少し哀しそうな顔をした。 明日学校に行ったら必ず中禅寺と顔を会わせることになる。 彼と対面した時、自分はどんな態度を執れば良いのか。 勿論何時も通りに接すれば問題無いのだが、 その「何時も通り」が今の私に出来るか甚だ疑問である。 中禅寺に会うのが怖い。 学校を休んでしまおうかとも思ったが、 流石にそんな理由で休む訳には行かないと考えを改めた。 彼に会うのが怖いからと休み続けるのは無理な話だし、 かと言って学校を辞める訳にもいかない。 結局、私にしては珍しく決意を固め、明日はちゃんと学校に行こう、と決めた。 私は通学途中の道を、気だるい思いで歩みを進めていた。 昨夜は禄に眠れなかった。 睡眠不足の上悩みを抱えた私の体に容赦なく夏の日差しが照りつける。 額から頬を伝い流れて来る汗を、手の甲で拭った。 「朝からそんな大量に発汗していたら、途中で脱水症状を起こすよ」 背後から呆れたような声色が私の耳に届いた。 この、声は。 振り返った私に声の主は続けて言う。 「お早よう、関口君」 矢張り、中禅寺だった。 「あ……お早よう」 私は何とか、そう返事をした。 「なんだい、ぼけっとして。七月に入ったばかりだと言うのにもう夏バテかい? 君は暑いと直ぐ体調を悪くするし、かと言って寒さに強いわけでもなく、 寒ければ寒いでまた体調を崩す。 部屋に篭ってばかりいずに、少しは外に出て体力をつけたらどうだい」 顔を合わせた途端にこれである。私はむっとして反論する。 「人一倍出不精の君に言われたくないよ」 「僕は誰かさんと違って夏バテになんてならないぜ」 横に並んで歩く中禅寺は私の方を見ずに、前を向いたままぴしゃりと言う。 そのまま取り留めのない話をしながら、学校まで一緒に歩いた。 昨日あれだけ中禅寺とどう接したら良いのかと悩んだが、 普段と変わらぬ中禅寺の態度に(それは当然のことなのだが) 失語状態になる事もなく、何とか「何時も通り」の態度をとる事が出来た。 それから内心びくびくしながらも、取り敢えず何事も無く日常は過ぎて行った。 時折、間近で中禅寺と接する時などは、 彼の顔をまともに見ることが出来ずに俯いてしまったりしたが、 私が人とまともに目を合わせられないのは今に始まったことではないので、 特に不信の目を向けられることもなかった。 しかし、何時かは彼に私の想いが知れてしもうのではないか、 と言う恐れは常に私の中にあった。 毎日続くそのような精神的重圧に私が絶えられる訳も無く、 元々バテ気味で細くなっていた食が益々細くなり、 とうとう、私は本格的に夏バテになってしまったのである。 床に伏し、学校を休んでしまった私を中禅寺と榎木津が見舞ってくれた。 「夏バテ猿」 部屋に入るなり開口一番榎木津は私に向かいそう言った。 「全く君は自己管理がなっていない。 君がそうやって寝込む度、誰が世話をするのか少しは考えて欲しいものだね」 中禅寺の言う通り、私は二人(特に中禅寺)には迷惑を掛けてばかりいる。 しかしこれが病人に対する台詞だろうか。 朦朧とする頭でその言葉を恨めしく思うが、そんな気分は忽ち消えうせて、 直ぐに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。 「………すまない」 「そう思うのなら、早く体調を元に戻すことだね。起きれるかい?」 そう言われ中禅寺を見ると両手で盆を持ち立っていた。 盆の上には小さめの土鍋が乗っていてそこから湯気が立ち昇っている。 「賄いさんに粥を作ってもらったんだ、これなら君も少しは食べれるだろう」 米が煮える独特の臭いが鼻をつく、それだけで気分が悪くなった。 「……いい、食べたくない……」 「そう言うだろうと思った。けれどね関口君、 少しでも食べて体力を回復させなければ、何時までたっても治らないよ。 悪いが、無理にでも食べて貰う」 「よおし!この僕が直々に食べさせてあげよう!」 榎木津は中禅寺から粥の乗った盆をひったくると大声を上げた。 弱っている身体にその大音響がズシンと響き、私は眉を顰める。 「静かにして下さい榎さん。関口君は一応病人なのだから」 中禅寺がそう榎木津を窘めたが、当の本人はその言葉を無視して私に近寄る。 そして榎木津は、横になったままの私を上半身だけ起こさせる。 想像に反して、私を扱う榎木津の所作は労わるような、優しい動きだった。 「ふふふ、猿に餌付け」 愉快そうに笑うとレンゲに粥を掬い、 それに二、三度息を吹き掛け冷ましてから、私の口元に運ぶ。 「い、いいよ。それくらい自分でしますから……」 まるで小さな子供にしてやるような扱いで、流石に照れ臭い。 しかし榎木津は、レンゲを受け取ろうとした私の手をぴしゃりと撥ね退けた。 「黙れバテ猿。先輩の好意は素直に受け取るものだ。ほら、口を開けろ。あーん」 こうなってしまっては、何を言ってもこの男は聞き入れてはくれまい。 観念して私が口を開くと、ゆっくりと冷ました粥を流しこんでくれる。 口に入れた途端、胸がむかついて吐き戻したい衝動に駆られたが、 無理にそれを飲み下した。 冷ましては私の口に運ぶ作業を何度も繰り返す。 その度に榎木津は「はい、あーん」などと言って私に口を開けさせるのだ。 これではまるで親鳥に餌を貰う雛のようだ。 「それだけ食べれれば十分だ、今回は割に早く回復しそうだね」 食器類を盆の上に纏めながら中禅寺は私を見て微かに笑った。 「そうだぞ!病気の関君をからかってもちっとも面白くない。 早く元に戻ってこの僕の為に働くのだ。ご主人様の命令だ」 日頃からこの二人には散々嫌味や悪言を浴びせれれているが、 こうして私が身体を悪くすると、必ず見舞いに来ては世話を焼いてくれる。 二人の優しさが胸に温かく染み入り、嬉しかった。 「……ありがとう。迷惑掛けて済まない……」 呟くようにそう言うと、傍らに座っていた中禅寺が私に向かって不意に手を伸ばす。 私は近づいて来る彼の手を、ばんやりと見ていた。 全く日に焼けていない白い掌だ。 指が長くて、細い。けれども綺麗な手。 それが、私の額にそっと触れた。 「ふむ、熱はないようだね」 触れられた瞬間、何かが全身を駆け抜けた。 一気に動機が速くなる。 息が上がって、上手く呼吸が出来ない。 触れ合ったところから中禅寺の体温がゆっくり伝わって来ると、 痛いくらい胸が締め付けられた。 私が中禅寺への想いに気付いてから、初めて触れる彼の温もりだった。 ──ああ。 ──こんなに。 こんなにも、私は中禅寺が好きだったのか。 甘さを伴ったその痛みに、知らず熱いものがせり上がって来る。 視界に映っていた中禅寺の顔が、込み上げて来るもので暈やけた。 ──駄目だ、今涙を流す訳にはいかない。 咄嗟に顔を彼から背ける。私は涙を零さぬよう、必死になって耐えた。 視界の端に見える中禅寺が訝しげに眉を寄せ、私の額に置いた手を引く。 ──気付かれた。 はっとして見上げた中禅寺の肩越しに榎木津が立っている。 私をじっと見ながら、声には出さず口の動きだけでこう言った。 「言ってしまえ」 と。 言える訳がない。私は小さく首を横に振った。 それを見て、榎木津は呆れた顔を私に向け肩をを竦める。 中禅寺からは榎木津が見えない。彼は益々怪訝な表情をした。 「関口君……?」 もう一度、中禅寺はこちらに腕を伸ばす。 その動きに私が一瞬硬直すると、彼の動きはそのまま止まり、触れることなく離れて行く。 中禅寺は無表情だった。 そこから彼が何を考えているのかなど私には到底読み取れない。 「……ゆっくり養生するといい。また、様子を見に来るよ」 静かに立ち上がると扉の方へ向かう。 榎木津は「じゃあね」と挨拶をすると、あっと言う間に姿を消した。 部屋を出る前に一度振り返った中禅寺の顔は、矢張り、表情が無かった。 一人きりになった部屋で私は呆然とする。 気が付くと熱いものが頬を流れていた。 はらはらと、何時までも涙は零れ続ける。 私は泣いた。 声を押し殺して、只泣いた。 こんな風に泣くのは、本当に久し振りだった。 ──中禅寺。 どうして私は君を好きになんかなったのだろう。 君を好きになんて、ならなければ良かった。 こんな感情を抱かず、友人として君を見ていたかった。 恋なんて知らない方が良かった。 こんなに辛い思いをするならば。 どうか、君の手でこの私の愚かな想いを断ち切ってくれ。 どうか、君の言葉で私の罪を断罪してくれ。 一人咽び泣く私の耳の中で、遠くに聞こえる蝉の鳴き声が木霊した。
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