| 【 ひとでなしの恋 4 】 あっと言う間に時は過ぎ、私は進級して二学年になっていた。 中禅寺、榎木津との付き合いもまだ続いていて、 相変わらず榎木津の気まぐれに振り回される日々を送っている。 私は学校から寮へと続く道のりを力無く歩いていた。 六月になり、衣替えで漸く暑苦しい詰め襟からは開放されたものの、 ここのところ酷く暑い日が続き、 体力などまるで無い私は体調を崩して少々バテ気味だったのだ。 ふらつく足を引き摺るようにして歩いていると、背後から聞き慣れた声が聞こえた。 「おお!ふらふら歩いているから誰かと思えば関君じゃないか!!」 その声に振り返ると、榎木津がこちらに向かい駆け寄って来る。元気一杯だ。 そうしてすぐ近くまでくると私の顔を見て、 それでなくとも大きな瞳を更に大きくして首を傾げる。 「何だ、その顔は。まるで泥鰌が死んだみたいな顔をしているぞっ」 「なんです泥鰌って……。元気ですね、榎さんは」 見上げた榎木津の顔には汗一つ浮かんでいない。 私など、今日のような日は只座っているだけでも汗が噴き出して来ると言うのに。 「僕は何時でも元気一杯なのだ!今日はお天道様もかんかんで実に気分が良い」 何が良いものか、この暑さの上に榎木津だ。 何時ものようにあちこちへと引き摺り回されたら、私は死んでしまう。 返事をする気力もなかったので、私はそのまま踵を返して歩き始めた。 目の前の男はそんなことなどまるで気にならぬと言った様子で、 鼻歌を歌いながら跳ねるように私の前を歩いている。 時々くるりと身体を回転させたかと思うと、突然走り出したりする始末だ。 まるで子供である。 そうこうしている内に、私は榎木津の姿を見失った。 何時の間に消えたのだろう。 私は項垂れ、下ばかり見て歩いていたので気が付かなかった。 彼は歩くのが早いから、もうずっと先の方まで行ってしまったの知れない。 悲しいことに、榎木津のこういった奇行に私はすっかり慣れてしまっていたので、 さして気にもせず歩みを進める。 ──りーー……ん 暫く歩いていると、涼しげな音色が私の耳を掠めた。 音のする方に視線を遣ると、道路脇にある雑貨屋の軒先に風鈴がぶら下っている。 江戸風鈴だろうか。風が起こる度、硝子で出来たそれが涼やかな音色を奏でる。 立ち止まって風鈴の音に聞き入っていると、 姿を消していた榎木津が、なんとその雑貨屋から出てきた。 榎木津は私の姿を見付けると、臍を曲げた子供のような顔をした。 「遅ぉい!なんて歩くのが遅いのだ君は。 まるで亀だな。そうだ、これから君を亀君と呼ぼう。関猿じゃなくて関亀に改名だ!」 勝手なことを言っている榎木津の手には、二本のラムネが握られている。 「榎さん、それ……」 「美味しそうだったから買った。感謝し給え、僕からのプレゼントだ」 にっ、と笑うと榎木津はラムネの瓶を私に差し出す。 手渡されたそれはひやりと冷たく、 薄い緑色をした硝子瓶の中で液体が揺れる度、きらきらと輝いた。 私達はそのまま道の左側にある空き地で一休みすることにした。 焼けるような直射日光を避けて、木立の下に腰を下ろす。 「有難う、これ……」 「良いから早く飲む。温くなったらつまらないぞっ」 礼を述べようとした私に榎木津はそう言い放つと、勢い良くラムネを飲み始める。 私も瓶の口にそっと自分の唇を押し当て、傾けた。 途端に、口の中一杯に冷えた甘い炭酸水が広がる。 自分が想像する以上に液体が流れ込んで来たので、思わず私は咽てしまう。 「わはは!関は何をやらせても駄目だなあ。 ラムネも満足に飲めないなんて、矢張り君は下僕だっ!」 そう悪態を吐く目の前の男に少々むっとしたが、 貰ったラムネが美味しかったので、私は抗議の言葉を飲み込んだ。 榎木津の手元を見ると、瓶の中身は既に空になっている。 空瓶を私に押し付けると、榎木津は木の幹に凭れ掛かって気持ち良さそうに伸びをした。 そして彼は私を、と言うより、私の頭の少し上辺りを、目を細めてじっと見ている。 何なのだろう?私は妙な胸騒ぎを憶えた。 暫くして私から視線を外すと、榎木津はうふふ、と笑った。 「な、何なんですか?気味が悪いなあ……」 榎木津は私の言葉に首だけ動かしてこちらを向くと、嬉しそうに言った。 「関は本当に中禅寺が好きなんだなあ」 一瞬、何を言われたのか解からなかった。 握り締めた瓶の水滴がつう、と、私の指をつたって、そのまま地面に落ちる。 ──今、何と言った? 「な………」 ──私が、中禅寺を? 「何言って……」 震えて、上手く言葉に出来なかった。 そして、次に自分の耳に届いた榎木津の言葉に、私は激しい衝撃を受けたのだった。 「関のは、あの本馬鹿で一杯だ」 それこそ、その言葉の意味そのものは不可解で訳が解からなかったが、 榎木津の一言で私は、気付いてしまった。 自分の気持ちに。 ずっと気付かぬ振りをしていた。 無意識の内にその感情を押し込めていた。 きっと、ずっと前から、私は彼が、 中禅寺が、好きだった。 はっきりと自覚してしまうと、体が内側から熱くなって行くのを感じた。 実際、私はその時顔どころか、首まで真っ赤になっていたのである。 俯いて赤くなる私に榎木津は珍しく落ち着いた声色で 私の曖昧だった気持ちに終止符を打つ、最後の言葉を紡いだ。 「君は中禅寺に恋をしているんだね」 榎木津の発した、「恋」言うその言葉は、胸の奥を甘く疼かせ── けれども同時に激しい後悔が押し寄せて来るのを感じ、私は強く目を閉じた。
|