| 【 ひとでなしの恋 3 】 そうして彼、中禅寺と親しくなってから、私の学生生活は劇的な変化を遂げた。 欝の症状が完全になくなることはなかったが、 その回数は以前に比べ大分少なくなっていた。 ある日、中禅寺から「榎木津 礼次郎」と言う一級上の先輩に引き会わされた。 この先輩は校内では超が付くほどの有名人で、 その名を知らぬ者など誰一人いない程の人物である。 彼はとにかく目立つのだ。 元華族の家柄で、学問も運動もずば抜けて優秀だった。 おまけに、女性ばかりか男でも見蕩れてしまうくらい美しい容姿の持ち主でもある。 まさに向かうところ敵無し。彼は「帝王」と言うあだ名で称されていた。 世間に疎い私でも、榎木津のことは知っていた。 何度か校内で彼の姿を見掛けたことはあったが、 彼は何時も大勢の人間に囲まれ、端正な顔に浮かぶ表情は眩しいような笑顔ばかり。 何から何まで自分とは正反対だ。 同じ学校に通っていても、自分とは住む世界が違う人間なのだと思っていたのである。 それが。 「榎木津先輩。これが関口君です」 中禅寺はそう言うと、彼の後ろに隠れるように立っていた私を、 かの「帝王」榎木津の前に押し出した。 いきなり有名人に紹介されて狼狽えていたこともあるが、 彼が榎木津と知り合いだったことにも驚かされ、私は混乱し訳が解からなくなる。 中禅寺は見かけによらず交際範囲がとても広く、友人も多い。 しかし、まさか榎木津とまで面識があるとは、流石に私の想像の範疇外であった。 おどおどと榎木津を見上げると、帝王は私の顔をしげしげと眺めてから、 「君は猿に似ているね」 と言った。 それから榎木津は「中禅寺、君もそう思うだろう!」と、 中禅寺の肩をばんばん叩きながら大笑いしたのだった。 私はと言えば、一気に毒気を抜かれ、 高笑いを続ける男の前でがくりと肩を落としたのである。 大きな溜息をひとつ吐いてから顔を上げると、中禅寺が私を見て苦笑いをした。 こうして榎木津との付き合いが始まり、 私は中禅寺と共に、否応無しに色々な処へと連れ出されることになった。 後ろ向きで鬱気質の私とは違い、榎木津は何時でも無駄に陽気で行動的なのだ。 中禅寺曰く、榎木津には躁病の気があるのだと言う。 言うこともやることも目茶苦茶で型破りな榎木津の行動に振り回せれているうちに、 部屋に閉じ篭りがちだった私は、次第に外に出掛けるようになった。 何も考えずに、榎木津の破天荒な行動に振り回されていた当時の環境は、 一人でいると内へ内へと思考が向いてしまう私には、却って良かったのだと思う。 もしかしたら、それを見越して中禅寺は私に榎木津を引き会わせたのかも知れぬ。 中禅寺と榎木津に知り合ってから、色々な処に遊びに行き、夜通し論議を交わし、 それなりに学生らしい生活を送った。 何の期待も希望もなかった学生生活を、私は楽しいとまで思えるようになっていたのだ。 私は幸せだった。 何より、中禅寺の側に居れることが、私を幸福な気分にさせてくれた。 その感情が何を意味するのかを、当時の私はまだ気付いていなかった。 しかしそれを決定的に自覚してしまったのは、 私が二学年に進級した年の初夏に起きた出来事が、きっかけだったのである。
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