赤色
神架 憐 様







充は「待つ」ことが嫌いだ。



別に彼が時間に几帳面な訳ではない。

学校などいくらでも遅刻するし、待ち合わせを忘れることだってある。

ただ、自分が待たされるのが嫌いなのだ。

特に理由はないが、苛々する。

待っている間に他の事をしようという気が起らないので、ひたすら苛々する。



それなのに、黒長などはそういうのに特にルーズで、何度言っても毎回人を待たせる。

この前ついに殴ったのに、次はまた30分遅れて来た。

それで、桐山ファミリーを首にしてやろうかと思ったが、理由が「遅刻」ではあまりに

箔がつかないからやめた。その代わり、もう黒長が遅れて来ても待たないことにした。



とにかく、充は「待つ」ことが嫌い――だった筈なのだ。



彼は腕をちょっと上げて、時計を見た。

針は7時30分近くを指している。

待ち合わせは6時だったから、多分もう来ないだろう。用事が出来たのだ。

時間を違えた事など一度もない人だから、余程大切な用事だったのだろう。

なんと言っても財閥令息だし、どうしても席を外せない事だってあるはずだ。

充は携帯電話など持っていないし、家の電話は当然留守電になっている。

連絡手段がないのでは、約束の取り消し様もない。



大分熱の散ってきたコンクリートに後頭部をこん、とぶつけて、

充は真夏の遅い夕焼けを見上げた。

あと30分くらいしたら、空だって暗くなるだろう。花火も映える。別にどうでもいいけれど。

目的はどちらかというと花火ではなくて、花火に誘われてやってくる

血の気の多い奴等――つまり、喧嘩だったし。

隣の県まで遠征するつもりだったからここからは流石に見えないだろうな。

ここの屋上、見晴らしはかなりいいけど。



『…帰ろ』


呟いて立ち上がりかけた充の瞳の片隅で、太陽が光彩を変えた。

赤い光を磨り減らして町の向こうに沈んでいく太陽と、それに照らされて

徐々に陰影を変えていく町並み。

夏特有の薄闇の向こう、不透明に表情を変えゆく町と空に見蕩れて、彼はしばらく動きを止めた。



太陽が消えてしまっても、もう充は立ち上がろうとしなかった。

家に帰っても仕方がないし、もしかしたら、あの人だって遅れて来るかも知れない。

コンクリートの上に寝転がった。



赤色は薄紫になって、濃紺になって、黒になった。


月と星が動く様子(実際には、居眠りしていて目を開けたら場所が変わっていて吃驚しただけだが)

なんて、生まれて初めて見たかも知れない。



それらの光景を眺めながら、充はずっと待ち人――桐山のことを考えていた。


自分でも呆れるほどに、充はいつも桐山のことばかり考えている。

彼の立てた盗みの計画の鮮やかさと、それを実行した時のスリルや成功後の

堪らない爽快感を思い出してみたり。


あと、その姿。

一緒に戦っているときの横顔、授業で英文を読み上げている声、

二人だけの時に伸ばされる腕、触れる唇。

うー、と呟いて頭を掻いた。



随分長いこと、充はそうしてひとり、仰向けに寝転がっていた。


幾度目かのうたた寝から目覚めると、何時の間にか空の色が薄くなってきていた。

夜が明けるらしい。

彼はコンクリートを布団にして痛くなった背中をさすりながら起き上がって、

昨日と逆の方向を向いて膝を抱えた。



色彩を変えて行く空を見詰めながら、充はもう、何を待っているのか解らなくなっていた。

桐山を待っているのか、夜明けを待っているのか、それとも、何も待っていないのか。

頭はぼんやりしているのに、視覚だけは奇妙に冴え渡っていて、やがて真っ白になった空に

注す薄紅色がはっきりと記憶に焼き付いた。


空の色を、全部知った。



いま、どこにいるかな。まだ寝ているんだろうか。

また、桐山のことを思った。

太陽が山間から顔を出した。灰色のコンクリートが、暁に照らされてさあっと赤く染まった。






『充』


声がしたので腕時計を見ると、『AM6:00』とデジタル表示されていた。

振り返ると、夢のように待ち人が立っていて、眩しそうに目を細めて充を見ていた。



――なにそれ。花火見に行く待ち合わせなら夕方来るのが普通だと思うんだけど。


冷静な思考はそう考えたが、それより胸の奥のもっと深い所では、こう思った。



――ああ、俺、あんたが来なくて寂しかったんだ。


『昨夜電話をしたら留守電になっていて、今朝掛け直したら母親がお前は家に

いないと言ったから、日付を勘違いしているのではないかと思って来た。

今日が土曜日だ。一晩待ったのか』



歩み寄りながらの桐山の台詞は、殆ど頭に入ってこなかった。

脇に立った彼を見上げて、充は少し笑った。



『ちょっと、さ。ちょっとだけ、いいかなって思った。待つのも。

ここに座って、ずっとあんたのことだけ考えてるのも。でも、』



言いながら、充は桐山に向かって手を伸ばした。



『やっぱ、やだ。俺はこっちの方がいい。あんたがここにいて、こうしているのが』


そっと腕を取り、引き寄せる。

甘えるように胸に額を押し付けて、息を吐く。


桐山はそれを振り払うでも抱き寄せるでもなく、ただじっと見詰めている。



『ひとりは、寂しいよ』



触れている存在が頭の全てを占めて、折角見た空の色を全部忘れてしまった。
















花束を燃やした。



近くの民家の庭に、バケツにつっこまれて萎れかけていた、白い薔薇の花束を燃やした。


白い花びらは一瞬だけ閃くように赤を映して、すぐに縮んで黒くなった。

生花を燃やした鮮烈な甘い香りが漂う。

完全に壊れて方々から火を放つ建物を見回し、たった今殺した、

その原因を作った人間を桐山は振り返った。



炎に照らされて、血に染まって、赤色をした三村信史の死体を眺めながら、

桐山はいつか見た少年の姿を思い出した。

その時、少年の姿は同じように赤色で(それを演出したのは朝焼けだった)、確か、こんなことを言った。



『ひとりは、寂しいよ』


桐山は今、ひとりだった。出会った人間は全て殺したから、ひとりだった。

もうこの島に残っている人間も少ない。

全員殺したら、最後のひとりになる。本当に、ひとりになる。



――寂しい、のだろうか。


少なくとも、少年の言った状況には見合っている。

なら、今、自分は『寂しい』はずだ。

本当にそうなのか確かめるために、彼はそれを口に出してみた。




『寂しい』



自分の声を久しぶりに聞いたが、そこには何の意味も生じなかった。


炎を見詰めた。目を閉じた。激しい熱に接して、瞼が熱い。


もう一度、ゆっくりと、呟いた。



『――寂しい』



目を開いた。

花束は、消し炭になって、もうそこに何があったのかも解らなくなっていた。


言葉は空に散った。

そして、やはり何も、起らなかった。


桐山は諦めて、その場を立ち去った。
















【神架さんのコメント】
■話とはあまり関係ないですが、白い薔薇の花言葉は「尊敬」、赤い薔薇の花言葉は「愛」です。



■またもや神架さん有難う御座います!神架大明神様と呼ばせて下さい。

■『寂しい』と呟いても、それを理解出来ない桐山の姿が、私にはとても寂しく思えます。
桐山を『待っている』充の気持ちを思うとまた、胸が痛いです。充はきっと、彼が死ぬまで
ずっとずっと、桐山を『待っていた』んじゃないでしょうか。


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