| 美しい人 |
放課後、借りていた本を返却するため、杉村弘樹は図書室に向かった。 静まり返った部屋に、扉を開ける音がやけに大きく響く。 室内に入ると誰も見当たらず、受け付けの机の上には、 【図書委員不在のため、本日は貸し出し不可。(持ち出し禁止!!)返却の方は、こちらの箱に本を 戻しておいて下さい。──図書委員より──】 と、書いた札が立ててあった。 怠慢だ。そんな勝手が許されるのか?と思いつつ、持っていた本を指定された箱に入れた。 そのまま帰ろうと思ったが、誰もいない図書室と言うのは、案外気分がいい。 【本日は貸し出し不可】らしいので、少しだけ本を読んで行こうかと思い、読み物を物色することにした。 上履きが床を打つ、カツカツと言う音が、小気味好く耳に届く。 静かなのはいい。 騒がしいのが嫌いと言う訳ではなかったが、弘樹は静寂を好んだ。 その方が落ち着くし、自分の性に合っていると、そう感じていたからだ。 杉村弘樹は、表に出るもの、表面的なものより、内面的な、精神世界を尊ぶ──そう言う、少年だった。 拳法を習い始めたのにしても、肉体的な強さを求めたのではなく、精神的に強くなりたかったから。 果たして、自分が望んだ、『強さ』を手に入れられたか、彼はわからないでいたのだが。 歩いていると、極微かな感触が、彼の頬を撫でて通り過ぎた。 ──風? どこかの窓が開いているのだろうか。 弘樹は、風が流れて来る方向へ、歩みを向けた。 本棚で隠れた、左端の場所。誰もいないと思っていた室内にひとつの人影を発見して、少し驚いた。 それは、彼の幼馴染みの、千草貴子だった。 彼女は、開け放たれた窓枠に凭れて、頬杖を付きながら、ぼんやりと校庭を眺めている。 一瞬、声を掛けるのを躊躇ったが、そんなことを遠慮する間柄でもないと気づいた。 『貴子、こんな所で何してんだ?』 『・・・弘樹?』 弘樹の掛けた言葉に、振り返りもせず、校庭を見詰めたままで、彼女は返事をした。 『お前、部活は?』 『風邪引いたみたいでね、微熱があるの。だから今日は部活は休み』 『・・・そうか。大丈夫なのか?』 『平気よ。そんなヤワな体じゃないもの』 会話をしている最中も、彼女は一度も弘樹を見ることなく、窓の向こうに視線を向けていた。 綺麗な、横顔だった。 吹き込んで来る風が、貴子の長い髪を揺らす。 さらさらと、音がしそうな、髪。 その髪に触れてみたいと、そう、弘樹は思ったが、伸ばし掛けた手を引っ込めた。 それは何だか、とても罪深いことのように思えたから。 何より、刹那的な衝動に身を任せてしまうのが、彼は許せなかった。 自分と彼女は幼馴染みで。 とても、近い存在。 弘樹は、純粋に貴子を好きだと思う。 彼女は気高く、誇り高い。 貴子の容姿も、心も。 研ぎ澄まされたナイフのような、そんな美しさだった。 けれど自分は。 別の少女に恋をした。 貴子でなく、他の少女に。 彼女は自分から近過ぎて。 『恋』と言うものを、通り過ぎてしまった。 気が付いたら、それを飛び越えていた。 そんな、感じ。 だから、弘樹は貴子の髪に触れることが出来ない。 それはきっと、裏切りだから。 『意気地なし』 窓の外に視線を遣ったまま、貴子はそう、呟いた。 凛と響いたその言葉に、彼は。 杉村弘樹は、打ちのめされ、呆然とした。 風が、また、貴子の髪を攫って、通り過ぎた。 |
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