| 夏の残骸 |
オレンジ色の湖面を眺めがら、「もう帰ろうか」と秋也が言ったので、俺は頷いた。 今日は秋也と一緒に、近くの湖までバス釣りに出かけた。 夏休みももう終わりに近付いて、陽が落ちるのも大分早くなった。 まだ六時半をまわったばかりなのに、辺りはもう薄暗い。 青に近い灰色が世界を包み、アスファルトに浮かぶ二人分の影が、更に濃い青を目の前に落としていた。 『なんでかな〜?釣りじゃお前には適わない』 隣をぶらぶらと歩いている秋也がそう言った。 口にした言葉の内容は不満を述べたものだったけれど、声色も顔も笑っている。 こう言うところが秋也らしいなぁと、俺はいつも思う。 朝から夕方まで粘って、連れた魚の数は、俺が8匹で秋也が5匹。 他のスポーツじゃ秋也に全く歯が立たないけれど、釣りの腕は俺の方が上のようだ。 『釣りに運動神経は関係ないんだよ、多分。忍耐と努力とセンスが必要なんじゃない?』 『ってことは、俺には忍耐も努力もセンスもないってこと?』 『ははは。だってそうだろ』 『何それー。慶時酷い』 頭の後ろで腕を組み、秋也は子供のように口を尖らせている。 その表情が可笑しくて、俺は笑った。 顔を前に戻した俺の視界の中に、小さな違和感を発見する。 少し先の道路の左側に転がっている、黒い小さな塊。 蝉の死骸だった。 改めて、もう夏も終わりなんだと、物悲しい気持ちになった。 秋也は蝉に気付いていないようで、変わらず俺に話し掛けている。 屈託のない笑顔で。 秋也は俺の左、つまり道路の左側を歩いている。 もし、このまま秋也が蝉の死骸に気付かなかったら。 あれを、足で踏み潰してしまうかもしれない。 それだけは見たくなくて。 蝉の存在を秋也に伝えようと思うのに、どうしてか言い出せない。 ああ、どうしよう。 もう目の前にある。 踏んで、しまう。 『慶時?どしたの?ボーっとして』 掛けられる言葉に生返事を繰り返していた俺に、秋也の怪訝そうな声が届いた。 『気分でも悪いのか?・・・って、あれ?』 カサッっと乾いた音がして、俺は思わず体を強張らせる。 『慶時。蝉が死んでる』 『・・・踏んだの?』 『ううん。つま先にちょっとぶつかっただけ』 秋也の足元を見ると、仰向けに転がっている蝉の黒い腹と、折り畳まれた足が見えた。 俺が蝉に目を奪われていると、秋也は屈みこんでその死骸を掌に乗せた。 秋也の手の上で露になった蝉の羽は、細い赤銅で編んだような造詣で、僅かに覗く胴体部分も、 鍛え上げられた鋼のような質感を持っている。 蝉は、金属で出来た小さなオブジェのようだった。 秋也は歩き出すと、近くの生垣の上に、その蝉の死骸を乗せた。 『道路に転がってるよか、この方がいいだろ?』 振り返って、俺にそう言った。 俺は秋也の傍らに立って、生垣の青い葉の上に、ちょこんと乗った蝉を見詰める。 『こうしてると、まだ生きてるみたい』 『うん』 『秋也』 『ん?』 『秋也って不思議だね』 俺の言葉に秋也は目を大きくして、「なんで?」と言った。 仲間の弔いの歌を唄うように、油蝉や蜩が鳴いている。 頑張って生きろよ、と俺は心の中で蝉たちに声援を送る。 慈恵館はもう直ぐそこだったので、俺は秋也の腕を取って走り出した。 輝いていた14歳の夏。 最後の夏、だった。 |
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