| 忘れ形見 |
自宅の書庫で、古い写真を見つけた。 それは、偶々手に取った小説の間に挟まれていた。 色褪せた写真には、若い男女が写っていて、 ふたりとも穏やかに笑っている。 男の左隣に立つ、女は。 俺と同じ顔をしていた。 空き教室の一室で、ぼんやりと本を読んでいた。 紙面に並ぶ文字を目で追いながら、頭の中で反芻する。 本当だったら、今は国語の授業なはずだが、昼休みが終っても、俺は教室に戻らなかった。 使われていないこの部屋は少し埃っぽく、そして恐ろしく静かだ。 ページを捲る微かな紙擦れの音だけが、耳に届く唯一な気がする。 暖房などないこの場所は、酷く冷える。壁や床に接している部分は熱を奪われて、 窓から差し込む日差しを受ける、本を持つ指先だけが、いやに温かく感じた。 沈黙の中に、小さな音が混じる。 静寂を破り近付いてくる音に、俺は顔をゆっくりと上げた。 徐々に大きくなるそれは靴音。俺は、ああ彼がきたのだと思う。 扉に小さくとられた曇りガラスの向こう、見慣れたシルエットが浮かんだ。 がらりと大きく扉が開いて、その人物の姿が覗く。 充だ。 『ああ、ボスここにいたんだ。やっと見つけた〜!』 そう言うなり、ぞんざいに扉を閉めて、俺のほうに駆け寄ってくる。 隣に腰を降ろし、ふうと息を吐いてから、充は俺の顔を覗き込んだ。 『いきなりいなくなるから探したんだぜ』 俺を探していたと充は言ったけれど、彼はまるで自分が迷子にでもなったかのような表情をしている。 それが不可解でその顔を見詰めていると、充は直ぐにいつもの笑顔になった。 俺は開いていた本を閉じて床に置く、その動作を見ていた充は慌てて言った。 『あ、俺のことは気にしないでさ、本読んでていいよ』 『いや、もういいんだ』 別に続きが読みたいわけではないから、と俺が言うと、充はふうんと言葉を返した。 それから充は、床に置かれたその本を拾い上げて表紙を眺めている。 『・・・「変身」・・・。カフカ?面白いのかこれ?』 『読んでみるか?』 『う〜ん、パス。小説ってどうも読む気しねーんだよな・・・』 難しい顔をしながら、両手で持った本を掲げるようにして充は見上げている。 すると、充の動きが不意に止まった。 つと彼の手元に視線を向けると、充は本の間から食み出た紙を凝視している。 あの写真だ。 本を開いたら偶然に見つけた古い写真。 それをそのまま、しおり代わりに使っていたのだ。 『なにこれ・・・写真?』 それを摘み上げた充は、あっと声を上げた。 充は写真を見て、それから俺を見て、また写真に視線を戻した。 写真を手にしたまま、充は興奮気味に俺へと詰め寄る。 『スゲー美男美女!この女の人ボスとそっくりだよ!これボスの親だろ?』 『・・・たぶん』 俺の答えに、充は訝しげな顔をした。 少し躊躇してから、充は恐る恐るといったふうに俺の顔を見上げる。 『・・・たぶんて、どういうこと?』 『俺にはその人たちについての知識がないから、詳しいことは解らない』 俺の言葉に、充は何かに打たれたような顔をして、それきり黙ってしまった。 室内にはまた、張り詰めた静けさが広がる。 俺は立ち上がり、窓の外を見た。誰もいない校庭が視界に映る。 『本に挟んであったのを、偶々見つけたんだ』 充は何も言わない。 けれど黙ったまま、例の写真を本の間に戻し直してから、それを俺に差し出した。 俺は本を受け取り、そこから写真を抜き取る。 俺に似た女。 その隣で笑っている男。 知らない人間だ。 『充、ライターを持っているか?』 『・・・うん。なに?タバコ吸うのか?』 それには答えず、俺は充からライターを受け取った。銀色でシンプルなデザインのオイルライターだ。 窓を開ける。途端に冬の冷気が室内に入り込んできた。 左手に写真を、右手にライターを持ち、窓の外にその両腕を伸ばした。 あっという間に指先が凍え、じんわりとした痛みが手の甲まで伝う。 親指でライターの蓋を跳ね上げると、かこんと小気味好い音が弾ける。 俺の動きを、息を詰めて見ていた充が腰を上げ掛け、何かを言おうと口を開いた。 けれど俺は、充が言葉を発する前にライターを着火し、写真の端に火を点けた。 『ボス!!』 充は跳ねるように立ち上がり、俺に掴みかかろうとした。 俺は充を視線で制して、写真の行く末に目を転じる。 勢いよく燃え上がる古い写真。 焦げた匂いを発しながら、赤い炎がふたりの姿を飲み込み、消し炭と化す。 残り少なくなったところで手を放したら、写真は空中で完全に焼け落ち、灰が風に乗って消えていった。 『・・・なんで・・・?』 充は呆然と、俺の制服の腕の辺りを握り締めながら呟いた。 俺は窓を閉め、目には見えない風の行き先を辿ろうとしながら答える。 『俺にも解らない』 理由なんてない。 どうでも良かった、全部。 写真そのものも、その中に映っている人間も。 燃やしてみようかと、瞬間的に思っただけのことだ。 漠然とそんなことを考えている俺の横顔に視線を送っていた充は、 小さいけれど、しっかりとした口調で言った。 『ボスは悲しいんだ』 ゆっくりと振り返り、充と目を合わせる。 薄茶色に染めた髪にそぐわない黒い瞳が、真っ直ぐに俺を見詰めていた。 『・・・たぶん』 投げられた言葉の意味も理解できないのに、俺はそう口にした。 手にしたままだったライターを、充に差し出す。 ライターを受け取った充は、何故だか泣きそうな顔をしていた。 床に転がった本に視線を落とす。しおりがなくなってしまった本。 それを見ていたら、ふと、ある考えが俺の頭に浮かんだ。 唐突なその思いつきを、充に向けて言ってみる。 『今度お前の写真を一枚くれないか?』 出来れば笑っている写真がいい── そう言った俺の言葉に充の顔から表情が消え、次の瞬間苦しげに歪んだ。 無言で何度か首を横に振ってから、充は俺の腕に縋りつく。 充、と名前を呼んだけれど、答えが返ってくることはなかった。 俯いた顔に落ちる前髪のせいで、口元しか見えない充の表情。 痛みを堪えているように、堅く引き結ばれた唇を見ながら、胸の中で呟く。 いつか、お前の写真も燃やしてあげるよ。 |
| Back |