| 嘘機(うそつき) |
屋上で充と二人、壁に寄り掛かりながら立っていた。 授業はもう始まっていたが、充が、『サボる』と言い出したので、俺もそれに付き合った。 授業に出ようが出まいが、そんなことは、どちらでも構わない。 季節はもう夏に差し掛かっていて、俺も充も、もう詰襟は着ておらず、夏服を着ていた。 日差しがきつく汗が滲んできたが、別にそんなこと、どうだっていい。 隣にいる充を見ると、笑っていて、機嫌が良さそうだった。 『あーーっ!風が気持ちいいー!!』 充はそう言って伸びをすると、本当に気持ち良さ気に瞳を閉じた。 やはり、機嫌が良いらしい。 そんな充を見ているうちに、ふと、充の耳に目が行った。 最近、充の耳をよく噛んでみたくなる。 実際、噛んでみたりもする。 そうすると充は、『そんなに耳ばっかり噛まれたら、痕がついちまうよ』と言って怒る。 だから偶に、別のところも噛んだりする。 でも、やはり、耳がいい。 何故耳なのか。 どうして噛みたいのか。 よく、わからない。 ただ、何となく。 噛みつきたくなる。 それだけ。 今も、『噛みたいな』と思っていたところ、充がこちらを向いた。 『なんかさぁ、こうしてると、すっげー幸せ〜って感じしねぇ?』 『・・・幸せ?』 それは俺にはわからない言葉だ。 だから。 『・・・こう言うのも、悪くない』 と、答えておいた。 よくわからない質問をされると、決まって俺はこう答える。 別に嘘を言っているわけではなく。 言葉の通り、『悪くない』と実際思っているから、そう返す。 周りからは、口癖だと思われているらしい。 気が付くと、充が俺をじっと見ていた。 『なんだ?』 『・・・・・ん、別にー』 何か言いたいことがある時にする、充の癖だ。 必ず一度、はぐらかす。 『言いたいことがあるなら、はっきり言え』 俺がそう言うと、渋々と言った感じで、充は口を開いた。 『ボスってさ・・・』 そこで一旦言葉を切ってから、充は深呼吸した。 『俺のこと、どう思ってんの?』 充はそう言って、俺の目を見返してきた。 また、俺にはわからない質問だ。 しかもこの問いは厄介だった。 いつもの、『悪くない』が適用されない種の質問だからだ。 該当する答えを、質問の意図に当てはまる答えを、探す。 しかし、見つからない。 仕方なく、こう答えた。 『・・・・・よく、わからない』 正直な、俺の答えだ。 充は拍子抜けしたような顔をしてから、ははっと笑った。 『やっぱりなー、そう言うだろうと思ってたよ』 充の言葉は、予想外のものだった。 大抵の人間は、俺が、『よくわからない』と答えると、不思議そうな顔をする。 けれど、充は違った。 予想していた? わかっていた? 俺の答えを。 『しっかしボスも酷いよな。散々俺に好き放題しといて、『よくわからない』なんてさ。 嘘でもいいから好きだって言ってくれりゃいいのによー』 おどけてそう言うと、充は少しだけ、悲しそうな目をした。 充の言葉を聞いて、俺は思った。 この場合、『好きだ』と言うのが、正しい答えだったらしい。 ならば、言ってみようか。 『・・・・・充』 俺に顔を向けた充に、言う。 『好きだ』 強い風が吹き抜けて、俺は目を眇めた。 風が止んだので瞼を上げると、充の表情が視界に入る。 目は大きく見開かれ、薄く開いた唇が僅かに戦慄いた。 しかしそんな顔をしたのはほんの刹那で、見る間に充の表情は強張った。 充はぎりっと歯噛みをすると、俺に一歩、二歩と近づく。 俺はただ──一連の充の仕草や表情を眺めていた。 握り締めた拳が、震えているのが、見て取れた。 次の瞬間、気付いた時にはもう、充が俺に対して拳を振り上げていた。 避けようと思えば避けられたが、俺は何故かそうしなかった。 左頬に衝撃がきて、俺は二、三歩後ろによろめく。 口の中に血の味が広がった。 『・・・・・・・・・・』 口の中に溜まった血を吐き捨ててから顔を上げると、充と目が合った。 眉をぎゅっと吊り上げ、俺を睨みつけている。 充は、酷く──怒っているようだった。 『・・・・・サイテーだ』 そう言い放つと、くるっと俺に背を向ける。 目尻にうっすらと、涙が滲んでいた。 何故──。 お前が望んだ通りの答えを言ったはずだろう。 『嘘でもいいから好きだと言って欲しい』と、そうお前が言ったのに。 どうして、そんなに怒るのだろう。 わからない。 わからないよ。 俺に背を向けたまま、充はその場にへたり込んで、胡座をかいた。 色を抜いた茶色の髪が、風に揺れている。 充はじっとしたまま、動かなかった。 俺も黙ったまま、暫く充の背中を見詰めていた。 よくわからなったが、多分俺は充に対して、酷いことを言ったのだろう。 とても、酷いことを。 屈み込んで、その肩に手を置く。 『・・・充・・・』 『・・・・・・・・・・』 『・・・・・悪かった・・・』 『・・・もう、いいよ、・・・放っといてくれ、俺のことなんか・・・』 それでもまだ、充は哀しそうだったから。 どうしたらよいのか、俺にはわからなかったから。 俺は充の耳を、噛んだ。 いつもよりも、幾分優しく。 その時の俺に出来得ることと言えば、そんなことくらいしか、なかったのだ。 充はびくりと身体を強張らすと、こちらを向いた。 『・・・馬鹿やろぉ・・・っ・・・』 そう言うと、充は俺の身体を押して、引き離した。 俯いた瞬間、今度は本当に充の目から涙が、零れ落ちた。 俺はどうやら、また充を怒らせたらしい。 やはり俺には、どうして充が怒ったのか、わからなかった。 |
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