| ウルネスの丘 |
君は憶えているかい? いつかは外国に行ってみたい。 目の前の充は微笑みながらそう言う。 どの国へ行ってみたいのかと問うた桐山に、彼は。 『さあ?向こうの情報って入ってこねぇから良くわかんねぇし。写真でもあればいいんだけどな』 言って、苦笑した。 桐山は静かにその姿を見遣ると、何かを考えるように微かに瞼を伏せた。 それから数日の後。 再び充の家を訪れた桐山は、数冊の本を部屋の主の前に差し出した。 『本?』 『写真集だ』 分厚い本が、全部で4冊。 床に投げ出された本と桐山を交互に見比べて、充は瞬きした。 手を伸ばし、一番上にある本を無造作に開く。 『この間、写真でもあればいいのにと言っていただろう。だから家の書斎から何冊か持ってきた』 『わざわざ?ありがと、ボス』 いや、と短く桐山は言った。表情のない桐山に充は満面の笑みを見せる。 そうして、手元の本をぱらぱらと捲る。 充が手に取ったその写真集は、緑が生い茂る自然豊かな風景を写した写真ばかりだった。 余り興味がないのか、充は頬杖をついてそれらを眺めている。 『なんか、田舎っつーか、長閑っつーか・・・。これどこの国の写真?』 『フランス南部を中心に撮った写真集だと思う』 『フランス?フランスって都会ってイメージがあったんだけど、実は田舎なのか?』 『都市部は発達しているが、フランスは元々酪農の盛んな国だからな』 『ふぅ〜ん。そうなんだぁ・・・』 次に充は中国の写真集を手に取ったのだが、少し見て直ぐに閉じてしまった。 充曰く、「雰囲気がこの国と似ているので、見ても面白くない」のだそうだ。 3冊目の表紙を見て、充は本を開く前に訊いてきた。 『この本は?』 『スカンジナビア半島を写した本だ』 『それ、どこ?』 『デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの三国。北ヨーロッパ──北欧だな』 ゆっくりとページを捲る。暫くして、充の手がぴたりと止まった。 視線を本に落とすと、開かれたページはオーロラを写した写真のようだった。 『な、これオーロラだろ?』 少し興奮気味に訊いてくる充に、桐山はそうだな、とだけ返す。 『ここ行けば、これ見れるんだぁ。生で見てみてーなぁ・・・』 漆黒の空に浮かぶ、光のカーテン。 その自然現象を幻想的で美しいと、遠路遥々見に行く人間も多いと聞いた。 勿論桐山には、その気持ちは解らないのだが。 興味深げに写真集に見入る充の動きが、また止まる。 森の中に建つ、教会の写真だった。 桐山は少し意外に思う。彼の知る限り、充が興味を持つような風景だとは思えなかったので。 『これは?』 『ノルウェーのスターヴ教会と言うものを撮った写真らしい』 充は写真集を桐山の方に向けて訊いた。 説明文が写真の横についているのだが、英文の為に充には読めないのだ。 桐山が説明文に目を通し、母国語に訳して読み上げる。 『教会っぽくねぇ建物だな・・・』 『13世紀から14世紀の間に建てられた教会で、土着の宗教とキリスト教両方の建築様式が 取り入れられている・・・と書いてある』 細かい装飾を施されず、煉瓦色で統一されたその姿はどこかどっしりと構えていて、 神聖な雰囲気と言うよりは、素朴な味わいを醸し出している。 一見すると教会だとは気付かないかもしれない。 『気に入ったのか?』 『うん・・・。ゴテゴテしてなくて何かいいかなって。それに色合いが綺麗じゃん。 周りが森で緑でさ、これがオレンジだから映えるっつーか』 笑顔を零した充から視線を離し、桐山は説明文の続きを声には出さず読み進めた。 教会の説明の下には、“ウルネスの丘から撮影”とある。 更に次の文を読もうとしたところで、充の声がそれを阻んだ。 『写真のこの辺てさ、何が有名?』 『・・・フィヨルドと白夜と、それにさっき見たオーロラ。・・・ああ、バイキング発祥の地としても知られているな』 『フィヨルド?白夜って一日中明るいってアレ?マジでそんなことあるんだ』 『フィヨルドは入り組んだ湾の地形のことを言う。氷河が溶けた後に海水が入り込んで出来る地形だ。 白夜は、北欧は緯度が高いから、季節によっては一日中太陽が出ている状態になる』 『・・・ボスってホントに何でも知ってるのな。やっぱ凄いや』 『そうか?』 桐山が閉じた本をそのまま充は受け取って、手の中のそれに視線を注ぎながら呟く。 『行ってみてぇけど、無理だろうな・・・。この国じゃ、国外に出るの難しいもんな』 『外国に行く手段がない訳じゃない』 『・・・ホント?』 『ああ』 その言葉に充は表情を明るくしたが、直ぐに黙り込んで下を向いた。 何かを必死に考えているように、けれど落ち着きなく視線は空を彷徨う。 本を手放した両手を、意を決したように強く握り締めるのが解った。 『・・・さっきの写真と同じところに、ボスと一緒に行けたら、いいな・・・』 『・・・俺と?』 『あ、いや。俺がそう思ってるだけだから!今の聞かなかったことにしてくれ!』 やけに慌てる充を桐山は不思議に思い、そうして、考えてみる。 充と二人で旅をする。けれど、上手く想像することが出来なかった。 予測することは出来ても、思い描くことは、彼にとっては困難な作業なのだ。 ただ、充が自分と一緒に行きたいと言うのなら、それに従うのも悪くないのじゃないかと、そう思う。 『お前と旅をしてみるのも、いいかもしれないな』 弾かれたように充が顔を上げる。少し、怯えた瞳が桐山の視線を捉えた。 見返すと、それを厭うように充は俯く。 充の指先が、床に置かれている桐山の指に触れた。 意図を計り兼ねて、桐山はもう一度充の顔を覗こうとしたが、充は視線を合わせない。 触れた指が、暖かかった。 『・・・俺、馬鹿だから真に受けて本気にするよ?』 『俺は本気で言ったんだが』 触れているだけだった指が、躊躇いがちに絡まる。 『いつか、一緒に行こう』 充が下を向いたまま小さく頷く。掌が、重なった。 そうしなければいけないような気がして、桐山は握った手に力を込めてみる。 未だ視線を合わせようとしない、俯いた充の顔が、酷く赤いのが印象に残った。 桐山は考えてみる。もう一度。 丘の上に立って、森の中に佇むあの教会を二人で眺める。 どうしてか、それは安易に想像出来た。画として、彼の脳裏に浮かんだ。 今のように、手を繋いで。 そうして多分、充は笑うのだろう。 ささやかな、約束。 憶えているかい? |
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