| スカイブルー |
目の醒めるような、スカイブルー。 空はこんなに青いのに。 君は今にも泣き出しそう。 街と空の境界線に張り付く、綿飴のような積乱雲。 コンクリートの上に腰を下ろしている俺の横では、充が仰向けに寝転がっている。 午前の屋上。 強い日差しを避け、給水塔の影になった場所で、時間と沈黙が流れるに任した。 今頃、体育館では終業式が行われているのだろう。 「明日から夏休みかぁ・・・」 「・・・そうだな」 疎(まば)らに交わされる会話の途中で、蝉の鳴き声に気付いた。 目線の先には、相変わらずの白く厚ぼったい雲が、緩慢に形を変えている。 ただ座っているだけで、額に汗が滲んでくるような気温。 いつだってこんな風に、気がつくと季節が移り変わっている。 俺の前に、唐突に夏が訪れた瞬間だった。 「ボス」 Yシャツを軽く引かれたので振り返ると、充がペットボトルのミネラルウォーターを差し出していた。 受け取って口を付けるが、中身はすっかり生温くなっている。 それでも、喉を潤すには充分だ。 ペットボトルを返す時、充と目が合った。 寝そべったままの充は、どこか憮然とした表情で俺を見上げている。 こういう顔をしている時は、何か言いたいことがあるのだと、今までの経験から学習していたので、 俺は何も言わず、向けられる視線を受け止めていた。 「ボスん家はさ、やっぱりどっか旅行とか行くのか?」 予想通り、充の口に上ったものは質問だった。 その問いに対する返答を、数日前父親から告げられた言葉の中に見出したので、 記憶を辿りながら口を開く。 「・・・ああ。立科に行くんだ」 「タテシナ?それってどの辺?」 「長野県」 「ふーん・・・いつ行くの?」 「三日後にはこちら発つ。夏休みの間は向こうで過ごすことになっている」 「・・・・・・・・・・嘘だろ」 「嘘を吐く必要性がどこにあるんだ?」 充は何か言おうとして言葉に詰まり、結局は押し黙った。 重なった視線が外れ、空を彷徨った後、俺の影の上に落ちる。 肘を支えに起こしていた上体が、ゆっくりとした動きでコンクリートの上に戻った。 血の気が引いて青白くなった顔が、炎天下にはそぐわない。 「・・・・・・・・・・」 再び訪れた沈黙に、俺は、充はもしかしたら怒っているのかもしれないと思った。 充の周りの空気が、張り詰めたように緊張しているのが肌に伝わってきたからだ。 嵐が訪れる前の、 夕立が降る前の、 不安定に大気が揺らぐ時の肌触りと、今の状況はどこか似通っている。 こうしている間にも太陽は中天に向かい、それに比例して給水塔が落とす影も移動していた。 膝下までせり上がってきた日差しを避けるため、俺は座る位置を調整してから、 充と同じように仰向けになってみる。 寝転がった状態で見る空は、延々と青が広がるばかりで、雲の白さはひと欠片もない。 先程まで見ていたあの雲が、まるで幻だったように。 眩しさに、思わず目を細めた。 空の青というのは、思いの他、眼球に優しくはないらしい。 不意に、給水塔が齎(もたら)す以上に濃い影が俺の上に落ちる。 視界の端には、風にはためく薄茶色の髪。 いつの間にか上体を起こした充が、俺の顔を覗き込んでいた。 「何日?」 「・・・何の話をしている?」 「ボスがタテシナに行った後、次に会えるのは何日後だ?」 「正確な日数は、俺にも解らない」 「・・・だいたいでいいから」 「少なくとも30日以上は、向こうに滞在することになると思う」 逆光で灰青色の影を纏った充が、苦く笑う。 不思議な笑みだと思った。 そのまま充を眺めていると、彼の右手がすっと上がったので、俺はそれを目で追う。 空中で逡巡した掌は、俺の肩口に辿り着いて止まった。 項垂れた充は口の中で、30日、と呟いた。 「・・・ヤだよ、そんなの・・・」 「どうして?」 充の瞳が大きく見開かれて、肩に触れる掌が硬直した。 その表情が苦しげに歪むと同時に、指先が痛いくらいに食い込む。 「それを俺に訊くのか」 吐き捨てるように言った。 泣き出しそうな充の後ろには、鮮やかに青い空。 目の醒めるような、スカイブルー。 薄茶色の髪が、空の青に透けて赤く燃えている。 泣けばいい。 そうしたら、この鮮烈な色彩も、少しは濁るだろうから。 そう思って充の目尻に触れた俺の指先は、僅かに濡れただけだった。 充は泣かないまま。 瞳に染み入る眩しさだけが増して、俺は堪らず目を閉じる。 瞼の裏に映った残像は、空と同じ色をしていた。 その残像が闇に融ける直前、唇に訪れた柔らかい熱の感触を、俺は何となく予期していた。 直ぐに離れてゆこうとする体を引き寄せ、もう一度口付ける。 そうか。 会えない間は、こうしてキスをすることも出来ないんだな。 汗で湿った首筋を撫でながら考える。 “これ”が無い場所で過ごす時間のことを。 それは酷くつまらないもののように思えた。 |
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