潜在意識の海へようこそ







俺は今、首を締められている。

何故こんなことになったのか、まったく憶えがない。

ただ、気がついた時には既にこの状況だったのだ。


喉に絡みつく指の尋常ではない力が、明確な殺意を俺に対して突きつけている。

完全に呼吸を遮断され、見開いた目の前がちかちかと点滅した。

苦しい。

息を止められただけで、こんなにも苦痛を感じるものなのか。

とりあえず腕を外そうと考えたものの、肝心の体が全く言うことを聞かなかった。

指先ひとつ動かせない。


何なのだろう、これは。

訳が解らない。


自分の喉元から伸びる腕へと視線を移すと、力を込めているせいで

腕の外側に筋が張っている様が見える。

直線的な造詣の腕は、明らかに男のものだ。

腕の持ち主の顔を確認しようと視線を上げたが、その行為は無駄に終った。

顔が見えなかったのだ。

周囲を取り巻く濃い闇の中へ、肘から上の部分が溶け込むようにして消えている。

ちょうど、暗闇の向こうから腕だけが伸びているような光景だ。


男の正体を見極めることを、俺は早々に諦めた。

それが誰であるのか、解らなければそれで構わないし、

どうして俺を殺そうとしているのか、その理由にも興味がなかった。

今俺がそれを知ったところで、この状況が変わるとは思えない。

導き出される結果が変わる確率は、極めて低く。

結局はこの世の上に、死体がひとつ出来上がるのだ。

目前に広がる闇を見ながら、そんなことを思った。


ああ、そんなことよりも。

この苦痛をなんとかしてくれ。

激しく脈を打つこめかみが酷く痛む。

殺したって構わないから、もう少しマシな方法を取って欲しいものだ。

自分が死んで行くのに気付く暇がないほど、一瞬で片付けてくれるといいのに。

俺は、痛みや苦しみを進んで受け入れようとは思わない。

避けられるのなら、それに越したことはないと考えている。


頭の中で、早鐘のように鳴る心音が反響する。

脳が酸欠を起こしているせいか、思考が暈やけ途切れがちになってきた。

そして全身を支配する、駆け上がるような感覚。

快楽の限界を察知出来るのと同じに、俺はこの苦痛の限界を予知することが出来た。

もう直ぐ、終わりがやって来る。


苦しみが痛みになり、痛みが熱に変わって加速する。

体が内側から瓦解して壊れてしまいそうだ。

解放される予感に唇が戦慄く。


一閃。


そんな単語が脳裏を過ぎったあと、限界まで高まった苦痛が不意に消失した。

極限を越えた領域に待っていたのは、静寂と浮遊感。

ゆっくりと海の底へと沈んで行くような、静かな停滞感が俺を包む。

瞼の下から透かし見る外の世界は既に暗闇ではなく、

淡く発光する白い世界へと変貌を遂げていた。


心地好い。眠りに落ちる寸前、まどろんでいる状態にも似た。

じわじわと死が滲んで来るこの感覚が得られるのなら、絞殺も悪くない。


最期の瞬間を迎える間際、指先に熱を感じた。

焦れるようなその熱は、手首を伝い腕へと侵食する。

その熱が、停止し掛けている俺の体に、申し訳程度の生命力を運んで来るのが解った。

指先が動いた。腕を持ち上げることも出来る。

これで終わりだから。

俺は、自らの首を締め上げている腕へと、静かに掌を重ねた。

一時先には、ひと殺しになるその腕へ。




















そこで目が覚めた。

俺は生きていて、確かめるように指先で触れた首にも、何の痕跡もなく。

結局あれは夢だったのだ。


「それでさー・・・」


狭い空間に、軽い調子で喋る充の声が余韻を残して響く。

途切れることなく続く話を上の空で聞き流しながら、俺はこんな風に昨夜見た夢のことを考えていた。

思考に影響されてか、無意識に右手を喉元に触れさせていたのに気付いて手を止める。


印象に残る夢だった。

夢というものは本人が覚えていないだけで、人間は一晩に何度も夢を見るのだと、

何処かで見聞きした憶えがある。

だとすると、俺自身も毎晩夢を見ていることになるが、

目が覚めた後、自分が見た夢の内容を憶えていることは稀だった。


思考の合間を縫うように、扉の向こうから細い雨の音が聞こえる。

屋上へと続く階段。雨で行き止まりになった場所。

湿気を帯びた空気が、この時季特有の気怠るさと相まって、

閉じ込められた空間に、錯覚のような熱気を沈滞させている。


「ボス」


強い調子で名前を呼ばれたので、俺は考えるのを中断して声の主に顔を向けた。

眉根を寄せた充が、俺を観察するようにじっと見ている。


「何ぼーっとしてんの?」

「・・・昨夜見た夢のことを考えていた」

「夢?どんな夢見たんだ?」



身を乗り出すようにして尋ねて来た充が、恐らく無意識の動作でシャツの袖を捲り上げた。

白いシャツを退(の)けて現れたのは、少し日に焼けた、いかにも健康そうな男の腕。

間違いようもない。昨夜見たあの腕だった。

お前だったのか。


そうして俺は、唐突に何もかも理解した気分に陥る。


「お前が夢に出てきたよ」


俺がそう言うと、充は目を瞬(しばたた)かせた。

それから充は、面白いくらいに真っ赤になると、気まずそうに俯く。

その色の変化が不思議で、俺は赤く染まった充の耳朶に指先を触れさせた。

けれど充は、そんな俺の行動を首を振ることで拒絶してみせる。

おまけに半眼で睨まれたものだから、俺はどうしていいのか解らなくなった。


表情は変わらないまま、充は俺に向けて腕を伸ばした。

掌がひたりと俺の頬に触れ、そのまま滑るように移動した指先が首筋へと辿り付く。

そして訪れる、目眩にも似た既視感。

俺は夢の続きを見ているのだろうか。


無言。

雨の音しかしない。


充の掌に力が込められ、やがて俺の視界は一面の白色に覆われた。

眼前には真っ白なシャツ。

俺は、充の肩口に顔を埋めるような格好で抱き寄せられていた。

首の後ろには、柔らかく触れる掌の熱い感触。



「俺、ボスが無責任にそいうこと言うの、嫌いだ」



俺がどういう気持ちになるかも知らない癖に。

呟くようにして最後にそう付け加えられる。

呆れを含んだその声音に、俺は目の前の白いシャツへと、自分の額を押し付けた。





つまらない。


夢から覚めた世界は、こんなものか。


何も知らないのは、お前のほうだ。




















僕の私の

潜在意識の海へようこそ
























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