逆さまな幸せ







「お前には何を言っても無駄だと、もう諦めている」


そう、親父に言われた。

お袋は親父の後ろに立って溜め息を吐いていた。

頭に血が昇って、乱暴に玄関のドアを閉めると俺は家を飛び出した。


──もう、諦めている。


そうか。

俺はとっくの昔に見限られてたって訳だ。

親父にもお袋にも、見放されてる。

ちくしょう。


走って走って、息が続かなくなった処でやっと足を止めた。

屈み込んだ瞬間、アスファルト上に汗がぱっと散った。

肩で息をしながら、膝に置いた拳を強く握り締める。


・・・見限られて当たり前じゃねぇか。

ガキの頃から問題ばっかり起こして、ケーサツの世話になったことだってある。

何度も、泣かせた。

それなのに、見放されて悲しいだと?

馬鹿じゃねぇの。

自業自得の癖に。

悪いのは、全部俺だ。





そのままぼんやりと歩いていたら、アジトの前に来ていた。

俺が行く処なんて限られてる。

鍵を開けようと思ったら、驚いたことに鍵は掛かっていなかった。

中に入ろうかどうか迷った。今、誰かに会うのは気まずい。

だけど、他に行く充てなんてなくて。

俺は恐る恐る、ゆっくりとドアノブを回して部屋に入った。


灯りはついていたけど、室内は静まり返って人の気配はなかった。

どういうことだろうかと不審に思ったが、中に足を踏み入れる。

ゆっくり歩いてソファの傍まで来た時、そこに意外なものを発見して足を止めた。

ソファに、横になった桐山が眠っていたからだ。


静かな訳だよ、眠ってるんだもんな。

そうやって俺が目の前の寝顔を見ているうちに、桐山の睫毛がひくりと動き、次いで瞼が開いた。

桐山はニ三度瞬きしてから俺の顔を見上げると、むくりと体を起こす。


「・・・今は何時だ?」


少し寝惚けているのか、髪を掻き揚げながら桐山は低い声で言った。

俺は慌ててケータイをズボンのポケットから取り出すと、時間を確認する。


「11時26分。夜の」

「そうか・・・」


呟くように言ってから、桐山は俺の顔をじっと見た。

感情の色がない瞳に不安を覚え、視線を逸らしたくなるのを耐えた。

桐山の目が僅かに細められる。


「何かあったのか?」

「・・・え?」

「酷い顔をしている」


思わず俺は体を強張らせた。

部屋に入ってしまったことを、今更ながら後悔する。

こんな風に勘付かれた挙句、理由を聞き質されるのが嫌だから、誰にも会いたくなかったのに。


俺が黙ったままでいても、桐山はそれ以上尋ねようとはしなかった。

しかし、視線は俺に注がれたまま離れない。

居心地の悪さに、下唇を軽く噛む。

笑って誤魔化したかったけど、顔が上手く動かなかった。


「充」


抑揚のない、静かな声だった。

けれども、俺の心はその呼び掛けに竦(すく)む。

彼の瞳を見返す勇気が、今の俺にはなかったからだ。

あの目は嫌だ。

見られたくない部分を全部見透かされて、その上きっと。

何にもなかったみたいに振る舞われるんだ。


覚悟が決まらないまま、のろのろと顔を上げると、桐山が俺に片手を差し出していた。

俺には不釣合いな、白くて綺麗な手を見詰める。



「おいで」



何も考えずその手を取った。


軽く腕を引かれ、前に倒れ込んだ俺の体を、桐山はすとんと受け留めた。

桐山は抱き締めるでなく、引き剥がすのでもなく、じっとしている。

だけど、俺は。

服越しに伝わってくる微かな体温にさえ動揺して、酷く泣きたくなる。

桐山の肩口に額を押し付けて、顔を歪ませた。


慰めて欲しかった訳じゃないし。

泣くなんて、もっと嫌だった。


堪えて、いや、堪えきれそうになかったから、泣く代わりに俺は桐山へしがみ付く。

俺がそうするのを待っていたみたいに、漸く桐山の腕が、背中に廻される。

少しの間を置いて、額に口づけが降ってきた。


「・・・ボス、俺、」

「黙っていろ」


言葉が終ると同時に、今度は唇へとそれが触れた。

口を開き、重なる熱に意識を持ってゆかせる。

嫌なことを全部放り投げて、俺は桐山が用意した逃げ道を利用した。


俺は卑怯者で、その上意気地なしだ。


いつか、いつか。

今日みたいに、俺は、自分のやってきたことの報いで、

この手も失う日がくるんだろうか。










そのままソファの上でセックスした。

桐山は、滑稽なくらいに優しかった。



















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