屋上情歌







嵐が来る。

全ての物が、遠退いて行く。

空も。

大地も。

目の前を通り過ぎる雨粒も。

彼も。











教室を抜け出して辿り着いた屋上は、生温い風が吹いていた。

灰色の空を、蓋をしたように厚い雲が覆って、いつもより空が近く感じられた。

どうどうと、風が吹く。

高い処に吹く風が雲を千切り、それを西の空に押し流して行った。

何かの群れが移動するかのように、空が蠢いている。


重い空気。

曖昧になって行く世界の輪郭。

纏わりつくような熱気だけが、それら全てを、この場所に繋ぎ留めている。

ストロボを焚いたように閃光が走り、ほんの一瞬、視界が白色に染まった。

暫くして、体の奥底に響くような、低い音が聞こえてくる。


遠雷だ。


嵐が来る。


フェンス越しに見える景色が灰色になって行く様を、俺は見ていた。

深緑の枠越しに見る、その光景。

地響きのような雷鳴がまた聞こえた。

押し当てた掌の先に感じる、金属の感触が何故だか気になって。

俺はふと、その向こう側へ行ってみようかと思った。



外へと通じる扉に掛けられている南京錠を蹴り上げる。

風雨に晒され腐蝕していた留め具が、呆気なくバラバラと飛び散った。

ギイと軋んだ音を立て、扉が外へ向け開く。

その隙間に体を滑り込ませると、俺はフェンスの外側に出た。


遮る物が無くなっても、目に映る景色が変わる訳ではなかった。

同じ。

ただ、視界の中からフェンスが消えただけ。

縁に足を掛け足元を見下ろすと、誰も居ない校舎裏の光景が目に入った。



視線の先の地面は、とても遠い。

空を見上げる。

空もまた、遠かった。



俺は目を閉じた。



頬にぽつりと、水分が当たる感触。

瞼を開けると、降り注ぐ雨。

あっと言う間に雨脚は強まって、全身が濡れて行く。

ザァザァと降る雨が、視界だけでなく聴覚をも鈍らせる。


何を考える訳でなく、俺は目の前を通り過ぎる雨を見ていた。

只ずっと、眺めていた。


落ちてくる雨粒を見て。

なんとなく。

俺も落ちてみようかなと思った。










『風邪ひくぜ』





どしゃ降りになった雨の中、耳に届いた声に振り返る。

充がいた。

雨で灰色になった世界に、充がいた。


『・・・ずぶ濡れじゃん。ボス、そんなトコにいないで校舎に戻ろう』

『・・・・・・・・・』


俺にそう言った充もまた、今も激しく降り続ける雨によって、全身濡れそぼっている。


『・・・・・ボス?』


何かを問いたげな顔の充が、フェンスに手を付いて俺を見詰めた。

かしゃんと、金属が鳴る。

目の前に、金網からはみ出た充の指。

殆ど無意識に、それに触れた自分の手を、俺は反射的に引っ込めた。

触れた充の指先は、とても──



火傷をするのではと思うほどに、熱く。

指先が痺れた。



もう一度、その指に触れたかったのに。

充はフェンスから手を放し、ニ、三歩離れた場所に立ったまま俺を見ていた。

激しく降る雨が視界を煙らせて、彼の姿を掻き消そうとする。





この時点で、桐山の興味の対象は、『落ちる事』から、『熱い指先』に移った。





自らが壊した扉を抜け、フェンスの内側に戻る。

こちらに歩み寄ってきた充に腕を伸ばし、その手に触れた。

やはり──とても、熱い。

触れた俺の手を充は乱暴に掴むと、驚いたような表情で俺を見上げ言った。


『ボス!冷え切ってるぜ。氷みたいに手が冷たい』

『・・・お前の手が、とても熱く感じるんだ』

『だから、体が冷えてるんだって。とにかく早く戻ろう、ホントに風邪ひいちまうよ・・・。

まったく、なんで雨の中あんなトコに突っ立ってたんだ?』


俺の手を掴み、屋上の入り口へと充は歩き出した。

引かれている方の手で充の腕を掴み返すと、そのまま彼の体を引き寄せる。

『わっ』と、短く声を上げた充は、倒れ込むようにして俺の胸元にぶつかった。

抱き締めると、腕の中の充は、眉根を寄せて俺を睨み付けた。


『ちょっと・・・、俺にまで風邪ひかす気?』

『飛び降りようとしていたんだ』

『はぁ?』

『でも、止めた』


体を押し戻そうとしながら、『ワケわかんねぇよ・・・』と充が呟いた。

けれど、離す訳には行かなかった。

充の体が、燃えるように熱かったから。





『充・・・。今直ぐ、お前の中に入りたい』





その言葉に充の体が硬直して、目前にある彼の耳が、見る間に赤く染まる。

焼けるように熱いであろう、その耳へ触れる為に、俺は顔を寄せ薄く唇を開いた。


叩きつける雨の中で。

嵐の中で。
















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