飛ぶ鳥、跡を濁さず。(01'10'09)

平成という年号になってから早13年ですか。
でも、まだ昭和という時代が色濃くあるような気がする
のは、やはり社会を担っている人たちが政治・経済そし
て、文化・芸能に至までまだ昭和生まれであると言う
ことによるせいでしょうか?

先日ついにその昭和の時代の貴重な人達が二人去って
往ってしまいましたね。
一人はミスター長島茂雄監督。私の世代は幸運にも
彼の華麗なプレーを生で見ることのできた最後の世代
でしょう。もちろん監督になっても国民のヒーロー
であり続けた人ですが、選手、監督いかんに拘わらず
あのミスターのユニホーム姿が再び見れないというのは
なんとも寂しい限りです。
われわれミュージシャンとは違い、死ぬまで現役という
ことが常識的に無理なスポーツの世界では、やはり引退
とういうことがどれだけ深い意味を持つものか。
そしてその引退の時期を考えて指揮をとっていたという
からすごいではありませんか。そしてその世代のバトン
タッチの時期もまさに見事でした。現役の引退もそして
今回の退陣も誠にあざやかで、まさに 「飛ぶ鳥、跡を
濁さず。」ではないかと思うのであります。

さてそのミスターの引退の日にまた別の巨星が去って
いきました。こちらは死ぬまで現役であるはずの
日本のすばらしい文化「らくご」の貴重な担い手の一人
古今亭志ん朝師匠その人であります。
これも私の落語好きが幸いして、生の高座を何度となく
楽しませて頂きました。

おそらく、残念なことに落語と言う文化が今の日本の
中でどれほどのポピュラリティーを得ているかは疑わし
いところですが、しかし間違いなくこの落語のなかに
こそ人間社会のあるべき姿 を学べるわけで,そうした
貴重な人生の正に教えの語りを失ってしまったこと
の損失は多大ですね。今の日本をあの名人がどのように
考えていたかわかりませんが、少なくともあの名人芸を
通して写る古きよき日本とのギャップにため息を漏らし
ていたに違いないと思われます。

「死ぬまで芸人」「長生きも芸のうち」といわれるあの
世界で63歳の 『引退』は余りに残念でした。

以前、恩師からこのようなことを言われたことを思い出
します。『100点と99点の違いは100を越えたところ
の可能性の有無であって、決して1点の差ではない』と...。
生意気ではありますがアノ芸はまさに100点の域にある
ものであった訳でこの若すぎる死が後世にタラレバ
語りつがれて行く であろうあの名人芸が残念で
ならないのです....合掌

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