ホームページの設計思想
〜現代文化学部ホームページを作りながら考えたこと〜


 
最終更新 1998/7/21 16:42
1998/6/2 18:51書き始め
1998/6/2 20:24暫定公開(建設中) 1998/7/21 16:42 (建設中)

はじめに

自分のやっていることの正当性を、鏡の中の自分に向かって大声で語りかける。それを聞きながら、納得してうんうんとうなずく。自宅などのローカルマシンで作ったhtmlファイルを同じ機械にインストールしてあるブラウザで眺めてチェックするときのホームページ作成者の姿は、たとえてみればそんな感じなのではないかという気がする。これほど楽しいことはない、という感じである。

そんな姿勢で作ったhtmlファイルをホームページとして世界に公開することは許されるのだろうか。当然許される。そしてそのようなページに我々は興味を覚えるだろうか。覚えるかもしれないし、覚えないかもしれない。覚えたらめでたしめでたし。

でも、覚えなかったら? 多分我々は、「そこには二度とアクセスしない」という形で対応することになる。

現代文化学部のホームページを作るときに私は、「そこには二度とアクセスしない」という仕打ちに値するようなページにはしたくないと思った。でもそれでは、一体どうしたらいいのだろう。

考えたことは、二つある。

一つは、ハイパーテキストの表現力を最大限に引き出すこと。

もう一つは、アフォーダンスの見えやすいページにすること。

これらについて、以下順に考えていくことにする。

ハイパーテキストの表現力について

それは、画像でも動画でも音源でもない

ハイパーテキストの表現力という言葉から、(静止)画像とか動画とか音源とかを思い出す人もいるかもしれない。たしかに、画像とか動画とか音源とかをうまく利用すればホームページの表現力を引き出すことができる。

だが、私が考えたかったのはホームページの表現力ではない。ハイパーテキストの表現力だ。そしてそれは、おそろしく原始的なことだった。リンクの張り方を考える、それだけのことである。

そんなこと、あらためて考えるほどの問題なのだろうか、という疑問が生じるかもしれない。そこで今度は、そもそもリンクとは何なのか、という問題が出てくる。

ファイルとファイルをつなぐものだ、と決め付けてしまったら、それでおしまいである。

だが、リンクについて考える前に、一つやっておかなければならないことがある。それは…

ハイパーテキストを考えるためのメタファー

それは、ハイパーテキストの構造を、可能な限り紙のメディアの構造になぞらえて考える、という視点である。これによって、次のような対応関係が見えてくることになる。

つまり、リンクとは…

ということでリンクは、ファイルとファイルをつなぐものと見るよりは、情報と情報をつなぐもの、と見た方がよいことになる。もっと正確に言うと、ある情報の「タイトル」にあたるものから、情報それ自体に飛ぶためのもの、ということである。

このように考えることによって「ファイルとファイルをつなぐもの」という発想では不可能な、きめこまかな文書の構造化ができることになる。

それでは、その構造化は具体的にはどのようにやればいいのだろうか。

文書の配列のしかた〜階層構造にはしない

まず、文書、すなわちファイルの配列のしかたについて考えよう。ここで重要なのは、文書の配列を階層構造にしない、あるいは生成文法の文献に出てくるような木の構造にはしない、UNIXやDOSやWindowsのディレクトリやフォルダのような構造にはしない、ということだ。かりに階層構造を取り入れるとしても、それと同時に平板な配列も取り入れる。つまり、純粋な階層構造にはしない。

純粋に階層構造状に配列された文書とはどういうものか、全部言葉で説明するのはしんどいので、まずサンプルをご覧いただきたい。

このサンプルは思いっきり極端に作ってある。だが、このような構造になっているホームページは決して珍しくはない。というより、世の中に存在するホームページの多くが、基本的にはこの構造を採用しているといってよい。大きな組織で、部局ごとにサブドメインを持っていてそこで独自のページを作っている、というような場合には仕方ない。だが、個人のページでも、このような構造になっているところが多い。

このような構造のページは見づらい、と私は感じる。そして、この感じを他の人々も共有してくれると勝手に仮定する。で、それでは一体なぜ、見づらいのか。

一つには、ファイルの数が多いため、読み込みに時間がかかるということ。ネットワーク経由でアクセスした場合にはとくにこれが問題になるだろう。でも、それだけではない。私の感覚では、自分のマシンにおいてあるにも関わらず、非常に読みづらいのだ。

一番大きな理由は、一つのファイルを読み終わるたびに、そのファイルが組み込まれている「章」(とでも言うべき単位)のインデクスに戻らなければならず、また一つの「章」が終わるたびに、「トップページ」に戻らなければならない、ということである。

紙のメディアで考えてみよう。本を通読するときに、一つの章を読み終えるたびにいちいち目次に戻るという手順を踏む人は、いるかもしれないが、そんなに多くはないと思う。ところが、サンプルのように純粋な階層構造をなすように配列された文書では、通読するときにこの手順を踏むことが強制される。これがこの文書の読みにくさの一番大きな原因だと思う。

本を通読するとき、第一章が12ページで終わるとすると、通常はそこで一度目次に戻るということはせず、そのまま第二章がある13ページの突入するものだと思う。この「ぱらぱらモード


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