同胞はらからの夜明け







カツッ カツッ カツッ・・・





冷え切った石畳の階段に、ブーツの踵の擦れ合う音だけが鳴り響いている。
ピィーーーンと張り詰めた空気は恐ろしい程澄み渡り、肌に鋭く突き刺さってきた。
吐き出す息は、口から漏れた瞬間に白い霧へと昇華していく。







この年、アレクサンドリアの冬は早くに訪れた。







「見張りも、楽ではありませんね。」

塔の最上部、見張り台から空を仰ぎベアトリクスは自嘲気味に呟いた。今、月は昼間にあり、天の白道にはその軌跡すら見えない。
ベルトに括り付けている懐中時計にチラッと目を走らせる。薄明まであと1時間余りだ。



「最も暗くなるのは、夜明け前 か…」

誰の言葉か分からぬが言い得て妙だと思う。
空は宵闇の真っ只中にあった。闇といっても黒色ではない。紺青を、紫紺を、最も濃くした何とも形容しがたい不思議な色合いの衣。
それがアレクサンドリアの全てを包み込み、永劫とも思わせる眠りの時に就かせていた。







ガッシャ ガッシャ ガッシャ・・・


静寂な夜空を切り裂くかのように、聞き覚えのあり過ぎる音が耳に入ってきた。段々と近付いてくる。
確かに彼も夜勤だ。
足音がいつものように騒々しくはない。時間が時間なだけに気を使っているのだろうか?
くすっと笑みを溢して階段の裏手に隠れた。

3歩、2歩、1歩…

階段を昇りきり…



・・・・・・・・・



音の主は目当ての人物がいないことに戸惑っている様子だ。



「何をお探しですか?」
「うおおっっ!!」
地の底から這い上がるような叫び声が螺旋状に谺した。
「しっ、静かに!」
「す、すまん…」
バツが悪そうにうつむきながら、男は応えた。

「ところでどうしてここへと来たのですか、スタイナー?あなたの持ち場は違うでしょう?」
「その… み、見たくなったのでな…」
「夜空をですか?」
我ながら意地の悪い問いだと、ベアトリクスはもう一人の自分に問いかけてみた。

「むろん…… おまえの顔をだ…」

無骨なグローヴが伸びてきて、ベアトリクスの身体をおもむろに引き寄せた。
冬の夜気を吸い込んだ鎧は氷のように冷たい。そっと目を閉じ、ベアトリクスは頬でしばらくそれを感じ取っていた。



「スタイナー…?」
「なんだ?」

「その… 鎧が… 痛いのですが…」
「す、すまんっっ」

慌てて腕を離し、赤くなりながら顔を背けた。
不器用なそのしぐさに、笑い必死で堪える。

ベアトリクスは塔の縁に手を置き、闇に沈む街並みを眺めやった。止んでいた風が微かに動きだし、茶色の巻き毛がふわっと揺れる。





「早いものですね。新たな年がもうそこまで来ています。」
「そうだな」
「あなたと出会って… 来年で14年ですね…」
「ああ、もうそんなになるのか…」

思い返せば何と一瞬のことだろうか。
長きに渡り同じ禄を食み、同じ空気を吸い、同じ使命を全うしてきた仲間。


不思議な… 仲だ…
ベアトリクスは想う。


あの御前試合から感じるようになった、何とも言えない心の鈍いの感覚。しかし、それを表に出すことはなかった。
踏み出すきっかけが皆無だったからこそ、あの、アレクサンドリアが燃え盛った夜に溢れ出てきたのだろうか?

それも、決して激しく燃えることはない。

輝く陽の光の中、勢いよく紅蓮の炎を燃やし感情をぶつけ合った若き主君達に対し、月も星も姿を見せぬ暗闇に、静かに燃えゆく青き透明な炎。





「たまには… 風に当てないとね…」
ベアトリクスはそっと眼帯を外した。銀紫色の瞳を冷たい空気の中に曝け出す。
隣にいる男の姿がその瞳にはっきりと映ってきた。
左の紫の瞳と 右の銀紫の瞳

「手術を… 受ける気はないのか?」

スタイナーの問いに、ただ黙っていた。


目を煩ってからかなりの時が経つ。
右目は完全に失明していた訳ではなかった。ただ、陽の光を見ることはできない。つねに眼帯で遮光しなければならなかった。
医者の話では治る確率は5分5分。それも昔の話で、今はどうかは分からない。手術を受けたら成功しても失敗しても、少なくとも数年は剣を握ることはできない。

引退――

ベアトリクスは迷わず眼帯を選んだ。
たとえ左の目だけでも、誰にも負けない自負があったからだ。

だが、世界は変わってしまった。

人々の生活を脅かした悪しき霧はなくなり、世界は新たな時代を歩んでいく。大きな争いもなく、穏やかで平和な世界。

来年にはアレクサンドリアも全てが復興する。
それは自分の使命が完全に終わることを意味していた。





同胞の終焉・・・・・・









「自分が… おまえの右目の代わりになろう…
だから… おまえは… その……」

風が強き吹き遊み、兜の羽飾りが後ろに靡いた。



「あなたの… その瞳では、まだまだ無理がありますわ。」




ベアトリクスはそっとスタイナーに身体を預けた。不器用で大きな手が、ぎこちない動きで冷たい風から守るかのように優しく覆い被さってきた。左の手から眼帯がするりと滑り落ち、乾いた音を立てた。

優しく温かい息遣いと鼓動

二人を繋ぐそれは決して他の誰にも存在しえなかった。長きに渡り、同じ路を歩んできた者だけが引かれ合い、感じ合うことのできる絆。

それは、たとえ剣を置いてもあり続けることができるのだろうか?









遥か彼方の地平線が青紫にその色を染め出してきた。











もうすぐ夜が明ける・・・・・・