海鳴りの笛










笛の音が
遠くに近くに
聞こえてくる

波間に揺られて
揺り返して
音は海へと帰っていく


雲は何処までも 灰色で
何処までも低く 垂れ込めて
再び泣き出しそうな その空を
少年が独り 見上げている

凍った髪は 真っ黒に
吐き出す息は 真っ白に
こごえる小さな掌は
ほっぺと一緒に 真っ赤になって

それでも空を 見上げている




粗末な服を幾枚も重ね
粗末な毛布に包るまれて


笛のその音が聞こえてきたら



迎えに来ると 言ったのは……














海が見渡せる小高い針葉樹の森の終わりから、一組が男女がチョコボから降り立った。

「ご苦労様。重かったでしょ?一人、物質密度の高い人がいたからね。」
柔らかなキャメルのコートを着た女性は、茶色の巻き毛を揺らしながらチョコボの首を撫でやった。
「それは… 自分のことであるか?」
がっちりしたその体躯をアルスターコートで包んだ男は、少し憮然とした口調で応えた。空を見上げながらコートの衿を直す。空の色はコートと同じグレーウォッシュに広がっていた。
「あなたしかいないでしょ?ねぇ?」
女はクスクスと笑みを浮かべ、そのチョコボに同意を求めた。チョコボは目を細めて甘えたように「クェェ〜」と一声鳴きながら、女の白いマフラーの結び目に顔をすり寄せた。
「ほら、この子も言ってるわ。」
「し、しかたないであろう。借りれたチョコボはコイツしかいなかったのだからな。」
「あら?二人乗りは嫌でしたか?スタイナー?私は楽しかったのですが…」
「……。」
からかわれていたことに、ようやく気付いたスタイナーだった。どうやら恋人同士になっても、ベアトリクスには適わないらしい。

「降りそうだが…。ここからは少し歩くぞ。」
「分かったわ。じゃぁ、ここで少し待っててね。」 
「クェ〜」
チョコボを残し、二人は海岸へと続くゆるやかな坂道を下っていった。







この年、アレクサンドリアの冬は早くに訪れた。







年が明けても寒さは一向に緩むことはなかったが、二人にとってそんなことは関係なくやっと一緒に取ることができた短い冬の休みに、このメリダ地方へとやって来きた。
「冬の海を、見に行かないか?」
腰の重いスタイナーが珍しく誘ったのである。忙しい毎日を送るなか、二人で自然の中に身を置くのもいいかと、ベアトリクスは思った。



この辺りには何もなかった。街どころか村さえなく、観光になるような所も名物も何もない。ただ手付かずの自然だけが、そこにはあった。
海沿いの砂利道を踏みしめるように歩いて行く。海岸はゴツゴツした岩が天へと突き出しており、白い波しぶきの泡は作られた瞬間に消えいった。

「この辺りの海はな、冬になるといつも雲が垂れ込めて暗く、荒れる。だからこの時期に漁はできない。長い長い冬が明けて穏やかな春が訪れるまで…。人は家に縮こまってひたすら待ち続けるのだ。」
「そうなんですか…」
スタイナーの説明に、ベアトリクスはじっと耳を傾けて頷いた。
「だがな…。荒れ狂う海でも、一時、穏やかになる時がある。この時ばかりは海は静寂の中に沈み、不思議な音を出す。

海鳴りの笛――

そう、海鳴りの笛と、いった…」


「海鳴りの、笛?」

ベアトリクスの問いに、だが、スタイナーは応えなかった。激しい波音とブーツに踏まれた砂音だけが、沈黙を紛らわしていく。やがて道は突如に途切れ、だだっ広い平原へと姿を変えた。
枯草が低林のようにせり上がっている。あちらこちらに風化した木材の破片が転がっていた。荒れ狂う海に面した荒れた原。


スタイナーは一瞬立ち止まり、辺りを見回した。手頃な枯れ枝を見つけると、海の景色を見やりながらガリガリガリッッと地面に大きな四角い囲いを描く。そして何かに誘われるようにその中に入り呟いた。

「ここから入ると、目の前には大きなテーブルがあった。丸い形だった。
この奥にはベッドがあって、出窓になっていた。こんな寒い日には、毛布に包まって飽きずに海を眺めていたりした…」
「スタイナー…?」
けげんそうな顔でベアトリクスはスタイナーを見た。だが、そんな様子に臆することなくスタイナーは続ける。
「そうだ…
こっちが納屋だ。漁に使う網がいつもキチンとなっていて… それで遊ぶのが好きだった。怒られるのも承知の上で広げて遊んだものだ。
こっちは… にわとり小屋だった。5、6羽はいたな…。にわとりは毎日、卵を産むが、産むたびに苦痛を伴うという。だからどんな食べ物にも痛みがあるということを忘れるなと、言われた…。
そんな… 当たり前の毎日だった…」

「スタイナー…?   まさか…?」


「ああ。自分が生まれ育った村の…   成れの果てだ…」


「…………」





「飛空艇革命―― 後にどんな立派な名前を付けようが、どんなご大層な意味を持たせようが、あの争いはこの辺境の村には全くに預かり知れぬほどに、貧しく、平穏で、何もない小さな村だった…
北ゲートの
メリダアーチが
ブルメシア軍によって破られるまではな……


その日がいつだったのか…
最早覚えてはおらん。
だが、やはりこんな冬の
今にも雪が降り出しそうな日だった…。





―― アデル!アデル!あなたはここに隠れてなさい
物音を立ててはダメよ?どんなに外から何かが聞こえてきても出てきてはダメよ?分かった?
大丈夫
海鳴りの笛が聞こえてきたらね、迎えにくるから
それまで静かに待っていなさい



                     必ず 迎えにくるから…





暫くして、今までに聞いたことのないけたたましい音が襲ってきた。どれくらい経ったか分からぬが、今度は一切の音もしなくなった。それでも自分は動かずにじっとしていた。約束したのだから…
そして。笛の音は鳴った。


だが、誰も迎えには来なかった―

誰一人 来てくれる者は いなかった――



納屋の戸棚から外へと這い出してみた…。何時の間にか、雪が降っていた…。まるで地面に転がっている数多の屍を覆い隠すかのように、あまりに真っ白過ぎた雪だった…

自分は何故か動かぬまま、その場で笛の音を聞いていた
いつまでもいつまでも、その音を聞いていた

笛の音が小さくなった頃に、雪は止んだ… そんな暗くなった空を、今度はひたすら眺めやった…


どのくらい経ったのだろうか?自分はアレクサンドリア軍の偵察部隊によって保護されていた。立ったままだったのかそれとも倒れ込んでいたのか…分からぬが目を開けたら、数名の騎士達の中に、自分はいたのだ。


次の日に   何も無くなったこの村から   旅立った


部隊隊長だった人が、たった独り生き残った自分を憐れにと思ったのだろう。アレクサンドリアへと向かう間いろいろと面倒を見てくれ、そして街の教会に世話してくれたのだ。
貧しい漁村に生まれ、一生をその村で過ごすであった自分の道は、その時から騎士の道へと行く先を変えたのだ…


海鳴りの笛とはな、
潮の引きに鳴る、潮風の音なのだ。

潮の引き際に、風も潮と一緒になって海へと帰る…。その時、風が突き出た岩に共鳴し、まるで笛のように鳴り響くのだ…」










ベアトリクスは黙って聞いていた。言葉を挟んではいけないと感じたからだった。自分が立っているこの何もない、荒れ果てた地こそが、スタイナーにとって最も幸せであり残酷な思い出の地であることが、痛いくらいに分かった…
思い出したくはない、忘れ去りたかった記憶の断片の数々。星砂で作られたような、あまりに美しく、儚く、脆い、砂の塔。

彼はそれを自分に見せてくれたのだ。
誰にも見せることはなかった、幼子のままの自分の姿を
自分にだけ、見せてくれのだ…








空からは雪がちらついてきた








「降りだしてきたな…。そろそろ戻ろう。」
スタイナーは枯れ枝を投げ捨て振り返った。しかし、ベアトリクスは静かに頭を振った。
「まだ、笛の音を聞いてないわ…
あなたは、私に、その音を聞かせたくてここへと連れてきたのでしょう?」
「いや… そういうつもりでは… なかったのだ。笛はいつも聞こえるわけではないからな…。
ただ、その、お前にこの地を見せたかった…
ただ、それだけなのだ…」

「でも、潮の引きはもうすぐなんでしょ?」
「このままでは風邪をひいてしまうぞ。
「これくらい… 平気よ…」





雪は止むことなく降り続き、立ち尽くす身体は冷え切ってくる





「ベアトリクス…
もういい… 暗くなる前に帰ろう…」
「お願い… もう少しだけ… ね?」
「しかし…」







‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐







「……ねぇ?
…… 何か、聞こえ… ない?」








‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐








しんと雪が降り続く中、
潮の引きと共に風が海へと引かれ、風音が微かに鳴り出していく。









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段々に響き渡ってくる美しい潮風にスタイナーは空を仰ぎ、忘れかけたあの光景を思い出して唇を微かに動かした。


「海鳴りの… 笛だ…」

「これが… 海鳴りの笛?」

「あの時と同じ…   同じ笛の音だ…」






あれから
30年は経とうかというのに

海鳴りの笛は

あの時と同じ音の ままだったのだ――








ベアトリクスは結んだマフラーを解き、起毛した温かいそのマフラーをふわっとスタイナーの首に掛けた。


「遅くなってごめんなさい、アデルバート…  笛の音が鳴ったわね…
約束通り、あなたを迎えに来たわ… 」

「ベ、ベアトリクス…  お、お前、一体何を…?」

あまりに突然のベアトリクスの行動に、スタイナーは戸惑ってしまった。狼狽して硬直したその顔を、ベアトリクスは精一杯腕を伸ばしてマフラーで包み込んだ。


「寒かったでしょ?
寂しかったでしょ?
でも、もう大丈夫よ
私が… 
私が来たのだから… 」


「…………。」


「さぁ、帰りましょう。あなたは独りで、ここで迎えを待つ必要は
これでもう… ないのだから…」





スタイナーは瞳を閉じた。
聞こえたその声は、一体誰の声だったのか… 優しく慈愛に満ちたその声は… 
だが、一つだけ確信できたことは、自分を迎えに来てくれた声だということだった。



ああ…



白くて柔らかい手に、無骨で大きくなった自分の手を重ねた…
氷のように冷たくなったその手をそっと握しめながら、幼きあの日に言えなかった言葉を… 想いを…
吐息と一緒に吐き出すことが、できたのだった。




やっと… き てくれた…




「ありがとう… ベアトリクス…
自分と… 自分と共に…
帰ってくれるのか…?」

「ええ、
一緒に帰りましょう…… 」










真っ白いマフラーの毛羽立ったのその上に、小さな粉雪が次々と絡み付いていく…

薄っすらと雪で覆われた、薄暗い荒地にたたずむ一組の男女に笛の音は静かに終わりを告げ、そして海へと帰っていった。














少年は
見つけることができた…


自分を迎えに来た人を
見つけることができた…



30年 経ってから

ようやく 来てくれた人を

見つけることが できた…





あの時と同じような 空の下に
あの時と同じような 海の上に


冷え切った身体でも
凍てついた黒い髪でも


いつまでも同じ 心のままで
想いはいつまでも そのままで


待ち続けた笛の その音は

海から聞こえた、故郷の潮風



30年前と、変わらずに響いたその音は



雪野に鳴いた




海鳴りの笛