緑の夢 5





「どう… して…?」


足の震えが治まってきたのは、かなりの時間が経ってからだった。いや、ほんの僅かな時間だったかもしれない。しかし、ベアトリクスにとってはその時間が長く、本当に長く感じられた。

昨夜ほど朝が待ち遠しい夜はなかったと思う。瞳を閉じれば皆の驚く顔が目に浮かんできて、耳を澄ませば喜びに満ちた声が聞こえて、それらは朝日が昇れば現実のこととなると…

だけど、今、目の前にあるのは、そんな夢に溺れた自分をあざけ笑うような枯木だった。あの生気に満ちた美しい緑は、たったの一晩の命だった。



ウィランとシャノンがやって来た。
二人ともプランターの枯木を見、暫くは何も言葉を発しなかった。その傍に置かれている、葉の生い茂ったバラ達がいっそう眩しく輝いて見える。
「今朝見た時には、既にこうなっていました。」
 ベアトリクスの言葉には、どこか自身を責めいる重さが感じられた。
「ベアトリクスさん、あなたのせいではありませんよ。」
 ウィランは微かに首を振り、枯れた苗木にそっと触れてみた。

カサァァァ………

微かな葉の擦れる音と同時に、苗木は塵と化した。塵は柔らかな空気に吹かれていって、そして静かに消えいった。
「魔力で急激に成長させたのが、いけなかったのでしょうか?」
 空になったプランターを見下ろしながらシャノンは、ため息混じりにポツリと漏らした。


――クライラの実に魔法をかけて育ててみる――


そう提案したのはベアトリクスだった。正直なところ、クレイラの樹の育て方など誰も知らない。この樹がいつから、どんな風に存在していたのか…?そのような記録や伝承などは全くなかった。だから、樹の神官であるウィランでさえも分からなかった。

クレイラに最初に訪れたとき、地質学者のヴァルドは魔力に反応する苗木で土壌の汚染の具合を見せた。負の魔力に触れ、枯れてしまった苗木。浄化の魔法を受けた土で成長した苗木。クレイラの樹は砂漠のど真ん中、決して肥沃とも呼べぬ過酷な地で、あれほどの大樹に成長したのだ。きっと何らかの魔力で培った、魔法樹のはず……

「考えの方向性としては、芽が出てきたのだから間違いではないよ、シャノン。」
「だけど、ウィラン。実際はこうして枯れてしまっているわ…。じゃぁ、一体何が原因なの?」
「それは… わかりませんよ…。バラの鉢植えは何ともないから、急激な気候の変化とかではないと思いますが…。」
 応えに窮したウィランは、ベアトリクスに視線を移した。黙って聞いていたベアトリクスだったが、意見を求められたということに気づき、小さく頷いた。
「どうやら私は、知らないうちに事を性急しすぎたみたいだったようね。今までが全て順調だったから早くできて当然だと思ってしまったわ。焦りは禁物っていうのはよく分かっていたつもりだったのに…
そうね、もう一度、今度は普通に植えてみましょうか。」
 自分の考えは否定されたのだが、それについては何も反論しなかった。クレイラの実はあと15個。枯れる可能性のあることは絶対に避けねばならない。
早速、別のプランターを用意し、実を植えてみた。


しかし、新たに植えたこの実は、芽を出すことすらなかった。













――1804年11月




負の魔力によって汚染された、クレイラの地は――



ついに その力より 開放された…



最後の区画の浄化が終わった瞬間。皆、示し合わせたように自分の帽子を放り投げた。おびただしい色とりどりの帽子が砂漠の空へと乱舞する。それを見ると、当初、たったの数名で再建作業を始めたのだとは到底思われなかった。アレクサンドリアから、リンドブルムから次々と人が集まりだし、そして最後には…
ブルメシアからも、人々が労を担いに来たのである。

ベアトリクスに対しての憎しみの感情は、決して消えないだろうに。それでも、失われた同胞の、その故国のために。些細なことでも自分の力を尽くそうする人がいたのだ。



ああ、4年の歳月とは振り返ると何と一瞬の世界なのか…

でも、これで終わりではない。やることがまだあるのだ。



この年、ベアトリクスは32歳になっていた。






クレイラの苗木は相変わらず育つことがなかった。
時間、温度、光、水、養分、魔力。およそ考えつくことは一通り試してみた。その結果、分かったことは――

「魔力に反応して発芽する」
「光に関係があるらしい」

の、2点だけだった。あとは何が必要なのか…

植物専門の学者から話を聞いたり、植物に関する古き書物を読み漁る日々が続いていた。社の神官キルデアは再びダゲレオに赴き、彼の地で調べていた。しかし、クレイラの樹について書かれている書物はやはりなく、手詰まりな状態が続いていた。
苗木を先に植え、根付いた頃合を見計らってから徐々にクレーターを埋めていくという計画が脳裏にはあった。抉れているということは、水の心配が少ないからである。砂漠は雨が殆ど降らないが、その分「霧」が発生しやすい。昼と夜の激しい温度差によって「霧」が生まれ、地下を通っていくのだ。砂嵐の直撃を防ぎ、また、浄化による魔力も一番強い部分でもある。だけど、肝心の苗木が育たない以上は、埋めたて作業を先にやらざるを得なかった。

確かに「土を浄化し、砂漠に強い品種の樹を植え、クレイラを緑の大地に…」というのが一番最初の考えだった。それで、いい。それでもいいではないか…
自分の中で、心が揺れる。

しかし… 本物のクレイラの樹が植えられるのであれば、やっぱり植えたい。初めは何年かかろうとも自分一人でやるつもりではなかったか?今、止めてしまったら、きっと元のようには戻らない…

自分自身にそう言い聞かせて、皆に作業指示を出した。恐らくこれが最後の大仕事となるであろう。

作業場に建てられていた小屋は解体され、作業に使っていた道具類も全て地上へと引き上げられた。埋めたて用の土は恵み豊かなデインズホースの山々から切り出された。



「何をなさっているのですか?」
 風の巫女アイリーンが不思議そうに尋ねてきた。ベアトリクスはクレーターのちょうど中央にあたる場所で、何かの植物を植えていたのだ。もちろんクレイラの苗木ではないのは分かるが…
「バラを植えているのよ、アイリーン。」
「バラ… ですか?」
 アイリーンの表情には明らかに訝しげだった。すでに埋めたて作業は始まっている。端から埋めたてはいるが、ここもやがては土の底となってしまうに、この人は今更何故そんなことを…?
「このバラはね、白地に薄いピンクの縁取があるとてもカワイイ花が咲くのよ。バラは、キチンと手入れをして株分けすればいくらでも増やすことができるの。これも株分けした物でね。元のはちゃんとあるわ。」
「そんな綺麗なバラでしたら、尚更ここに植える必要はないのではないですか?ここは…」
 そんな疑問は百も承知と言いたげに、ベアトリクスはバラを愛しそうに撫でた。
「これは「デザートピース」っていう名前なのよ。これを私にをくれた人はね、クレイラの未来を想ってこのバラを選んでくれたと思うの。確かにここはもうすぐ埋められてしまうわ。でも、埋められてバラが土に還っていっても、その人の願いはいつまでもここに残ると思ってね…。ふふ。いい歳してちょっと少女趣味過ぎるかしら?」
「いいえ、そんなことないです!私はとってもステキだと思います!」
 きっぱりと言い放った。女同士だからこそ、アイリーンはベアトリクスのそんな気持ちが分かるような気がしたのだ。「ああ、この人は、このバラと一緒に自分の想いもここへ残したいのね…」と。しかし、それを口に出すことまではしなかった。
「そう?ありがと。」
 くすっと笑みを浮かべながら立ち上がった。アイリーンの後ろにある砂の壁が滑らかに動いて見える。
そこは、天を突き刺すような急斜面。

砂丘の頂きが空へとくっきりと浮かび、風が茶色の巻き毛を優しく舞い上げた。土で薄汚れた手を払い、フサァと髪を優雅に掻き揚げる。
「ここから見える空の色は、何故かいつも白かった気がするわ…」
 誰に語ることなく静かに呟いた。




この景色を最後に見るのは… このバラね……

風に撫ぜられたバラは、確かに頷いたかのように、そっと頭を垂れた。


デザートピース〜砂漠の平和〜はこの年、スタイナーがベアトリクスに贈ったバラだった。












新たな年がまた、草原の片隅にある小さな小屋へひっそりと訪れた。





最近はアレクサンドリアからやって来る飛空挺の定期便も、2〜3日に一度しか来なくなっている。
作業に必要な人手も資材も、あまり必要としなくなったからだが、別の意味でアレクサンドリアの方でも忙しかった。アレクサンドリア王国の第17代女王、ガーネット・ティル・アレクサンドロスの婚礼が6月に行われることに正式に決定されたからだ。
若き女王の治世になって早5年。アレクサンドリアの街を焼払ったバハムートによる傷跡は、もはや人々の記憶の片隅と家々の壁にしか見られない。当初はあまりに若すぎる女王に不安な人々も多かったのは事実である。だが、様々な人々の助けがあったにしろ、街を復興させ、新たな産業を奨励し、伝統と文化を重んじながら街を再発展させた手腕は見事だった。皆、女王を支持し、また盛り上げていった。

婚約者である青年は、女王と同じく今年で21歳になる。明るい金髪とアレクサンドリアの海のような青い瞳、そして茶色の長いシッポを持つこの青年は名をジタン・トライバルといい、リンドブルム王家の遠縁にあたる由緒正しき「トライバル家の御曹司」という大層ご立派な肩書きを持っていた。アレクサンドリアは元より、リンドブルム国内でもあまり聞いたことのない家柄だが、何でも…


偉大なる機械王 シド・ファブール5世の!
妹の娘の夫の従姉妹の嫁ぎ先の大叔父の子孫……


とかだそうで、この青年の後見人を現リンドブルム大公シド・ファブール9世自ら行っている程の人物なのだ。しかも、何かもの凄い修業のために幼い頃から身分を隠し、タンタラスという人気劇団に入団して自分の腕を磨いていたのだという。

この話を伝え聞いたアレクサンドリアの市民は、「旅芸人に身をやつした異国の王子が、ガーネット王女を助け、この国の、世界の危機を救い、そして王女と結ばれた…」と、感動で涙を流したという。ジタンの気さくな性格も親しまれ、大抵の人々はこの結婚に賛成だった。
で、昔の仲間はというと…

「どうやったらそんな怪しげな話ができるんだよ?」

皆、そろいもそろって腹を抱えて大爆笑をしたのだ…

ジタンはそんな様子をブス〜と不機嫌そうに見つめ、「しかたねぇだろ…」と、呟くのが精一杯だった。自分だってこんなバカバカし過ぎる体裁などはしたくはない。堂々と「自分はタンタラスの団長、バクーに拾われた、『ジタン・トライバル』だ!」と言いたかった。しかし、いくら先の戦乱の英雄だったとしても、それだけではアレクサンドリアの貴族達を納得させるのには、やはり無理があった。
そこでシドが、後見人を買って出たのである。元々、実績は十分なのだから文句はあるまい。無用な争いを避けることもまた、時には必要だとジタンに悟らせた。

「ガーネット様が、ついに、ご成婚なされる…か…」
 その知らせを受けたベアトリクスは、感慨深げに目を閉じた。
「あの、お小さかったガーネット様が…。ああ、ブラネ様が、アレクサンドリア王がご壮健であらせられたら、どんなにかお喜びになったであろうか…」
 15歳で城に上がってから13年もの間、王家に忠誠を誓ってきた。特に自分を信頼し、厚く遇してくれたブラネに対する忠誠心は誰よりも強く、今でもそれはあった。だからこそ守りたかったのだ。アレクサンドリアを。ガーネットを…

最後にガーネットに会ったのは、もう4年も昔になる。フライヤの結婚式の帰りに寄ったときだ。ジタンとはその後も会っていた。身軽な彼はアレクサンドリアから、リンドブルムから。前触れもなく現れては様々な情報を提供し、ルアーズとルイーゼに散々遊ばれては帰っていく。そんなクレイラの様子をガーネットに、そしてスタイナーに伝えていくのだった。相変わらずやたらと軽い調子だったが、それは人一倍ある正義感の照れ隠しだということは分かっていた。彼ならばガーネットを幸せにし、二人で選んだ路を歩んでいくだろう。

4月に入ってすぐに、新たなバラが届けられた。鮮やかな黄色の花を付けたそのバラの名は「ゴールデンセプター」という。ベアトリクスは名前を聞いてすぐに理解した。これはスタイナーがガーネットの結婚を供に祝して欲しいということをだ…。その名の通り、繁栄を表す黄金の錫杖のような見事なバラにはいつものようにカードが添えられてあったが、今年は2通あった。一つは誕生日のお祝いメッセージ。もう一つはガーネットの結婚式に出席して欲しい旨が書かれていた。正直、ベアトリクスは迷った。ガーネットの結婚式にはもちろん行きたいし二人を祝福したい。しかし、自分はクレイラが元に戻るまでアレクサンドリアには帰らない決心をしていたのだ。悩んだ末にベアトリクスはペンを取り手紙を2通認めた。一つはバラのお礼であり、もう一つは結婚式へは出席できない非礼を詫びたものであった。





――1805年6月

アレクサンドリア王国にて、ガーネットとジタンの結婚式が行われた。

「6月のこの日に、私達の結婚式を挙げたいの。」

というのが、花嫁の願いだった。5年前のあの日。劇団タンタラスによるアレクサンドリア公演が行われた日は、イーファの樹で離ればなれになってしまったジタンが、元気な姿で自分の元へと帰ってきた日。ガーネットにとって一番の思い出の日。
 その特別な日に、生涯忘れられない思い出を…。そしてそれをいつまでも大切にしていきたい…。ずっと心の中で人知れず温めていたそんな彼女の小さな願いは、かつての仲間達と多くの人々との祝福とを受けなら、愛する人の笑顔と共に叶えられた。


















9月に入り、埋めたて作業もほぼ終了した。


「初めてここへ来た時、自分の目の黒いうちにこの場所がこのようになるとは… 夢にも思わなかったですよ。」
 ヴァルドの分厚い眼鏡の先には、土嚢で丸く囲まれた地があった。そこは砂ではなく豊な土が広がっている。小高い砂丘の頂きはからは、囲いが砂で埋まった城の城壁のように見えた。
「私もこんなにも早く終わるとは思いませんでしたわ。ヴァルド先生、これも先生のおかげです。」
 ベアトリクスも改めて感慨深げに呟く。
「いやいや、ベアトリクス殿。私は何もしてはいないのですよ。あなたのがんばりがここまでにしてこれたのです。」
「それは違いますわ、先生。私は皆の力の上に、ただ乗っていただけです。」
「相変わらず、自分に厳しいですな。」
 そう言いながらヴァルドはもう一度、埋め立てられたクレイラを眺めた。5年前と同じ場所に立っているせいか、年甲斐もなく静かに思いに馳せた。
 風が緩やかに吹いて二人の間を駆け抜けていった。その空気の流れには微かながら湿り気が感じられている。風は埋めたてられた土の上を通るとき、水分を運んでいく。年月が経てばこれらの土も侵食され、風化し、やがては砂へと変わってゆくのだろう。

「ところで、クレイラの樹の方はどうですかな?」
「相変わらずダメです。」
 ベアトリクスはため息混じりに、茶色の巻き毛を揺らした。
「魔力で成長するのは分かっているのですが…。どんなに強く魔法をかけても、10cmの苗木以上には育ちません。そして夜になると必ず枯れてしまうのです。」
「プランターから出してもですか?」
「はい、試しに地にも植えてみたのですが、それでもダメでした。」
「実はあといくつ残っているのですかな?」
「残りはあと7個です。」
「7つか…」
 ヴァルドはあごに手を置き、暫く考え込んでいた。足元にある砂が、そんな迷走を表しているかのように動く。
「ベアトリクス殿、クレイラの実を3つ、いや2つでいい。私に下さらんか?ちょっと試してみたいことがあるのです。」
 ベアトリクスは瞬間的にためらった。もう、後が、ない。でも…


 
「分かりました、先生。どうぞお持ち下さい。」
 無理な申し出だとは分かっている。でも、どうしてもやらねばならないことが――ヴァルドの瞳がそう言っているように思えたのだ。
 ヴァルドは地質調査を行う上で、魔力に反応する植物を専門に扱っている。何か分かる方に賭けてみようという気持ちの方が大きかった。



10日程過ぎて、ヴァルドは再びベアトリクスを訪ねた。


「先生、何かお分かりになられましたか?」
 ベアトリクスはヴァルドを見るとすぐさま話を切り出した。ここへと来たということは、何かしら分かったことがあると思ったからだ。
「ベアトリクス殿、これはあくまで私の仮説であることを頭に入れて欲しい…」
「はい。」
 期待に胸が弾むベアトリクスとは対称に、ヴァルドの口調は少し冷ややかなだった。こほんっと一つ咳払いをして、椅子に腰掛ける。
「クレイラの樹は、クレイラの民の手によって作り出された物だと思うのです。その昔、ブルメシアを離れねばならなかったクレイラの民の祖先が、ヴブ砂漠へクレイラの樹を作った…」
「魔法で巨大な樹を出現させたのですか?」
「いや、そうではなくてたぶん、砂漠に適した樹に魔法をかけて生み出した物だと思うのです。自分達が住めるように、自然の樹を魔法樹に作り変えたと。」
「自然の樹を作り変えるなんて…。そんなことが可能なのでしょうか…?」

物体に魔力を付加させるのは容易なことではない。魔法を物にかけるという行いは、魔法を使う者だったら誰にでもできる。問題は、魔法をかけた物が「魔法化」するかどうかである。
ベアトリクスは、シャベルに「レイズ」の魔法をかけて霧の魔獣を倒したことがあった。それはシャベルが「魔法化」し、それ自体が魔力を発動させたからこそ倒せるのである。物に作用し、力を発動させるのは、より強力な魔力を必要とする。優れた術者ではないとできない技だ。
ベアトリクスは自身が聖騎士として白魔法を極めたからこそ、自然の樹をクレイラの樹のような巨大な魔法樹にする方が信じられないのだ。

「恐らく…。まぁ、実の数が少なかったばかりに一番肝心なことを調べられなかったことが、今までの失敗した原因でしたな。」
 ヴァルドはバッグから小さな箱を取り出して、中身をテーブルの上に置いた。それは半分に切られたクレイラの実であった。堅い殻に覆われた、クレイラの実の中は…
「中身が… ないのですか?!」
 中心に胚芽らしき小さな塊があるだけで、あとはスカスカの空洞だった。
「いえ、この空洞の部分には、成長に必要な養分がありました。だけどそれは、殻が破れた時点で一瞬で消えてしまうのです。」
「と、仰いますと…?」
「この部分には、何というか… 樹自体が蓄えた魔力らしき物が詰まっていたのです。」
 ポッカリ開いた殻の中を指差し、ヴァルドは続けた。
「この実は、ただ土に植えただけでは発芽しませんね。魔力に反応して初めて芽が出る。ところがある程度育つと枯れてしまう。それは、この実自体に成長するだけの力が無いからです。自然に育つというのはまず不可能でしょう。」

「まず、なぜ、魔法でしか発芽しないかというと…。この実は異様に堅い殻で守られています。実際、二つに割るのに一苦労でした。それは、この実の魔力が作用していると思います。
次に、外部から「魔力」を感知すると殻が破れ芽が出てくる。一斉に伸びてくるのは栄養分の「魔力」の力だと考えれば納得しましょう。ところが、その「魔力」は実に詰まった分しかないのだから、それが尽きると急激に枯れてしまうのです。ようするに、芽吹いた時点で他に育つ要素を加わえることよって育つのですよ。クレイラの樹が殆ど実を付けのは、実を生らしても自然に育つことができないのだから不必要だからでしょう。人為的に魔法をかけなければ芽は出ないのですからな。」
「でも、実際はこうして実があるではないですか?」
「それがクレイラの樹が自然の樹だったという証なのです。純粋な魔法樹だったら、花が咲く必要も、実を結ぶこともないでしょう。次世代を残す必要がないのですから。ひょっとしてこの実は、実というよりはクレイラの樹の記憶かもしれないですな。もう少し幻想的な言い方をすれば、クレイラの樹が見て、そして伝えたいと願った遠い遠い、昔の夢… とかどうですかな?」
 その言い回しが少し気恥ずかしかったのか、ヴァルドは照れ隠しに分厚い眼鏡をハンカチで拭きだした。
「クレイラの民がこの実についてあまりに知識がないのは、実が生る以前にクレイラの花すらを見たことがないからでしょう。ウィラン殿も、一度しか見たことないと言っておりました。殆ど咲かず、すぐに枯れてしまうから、実があることも知らないと。そして、実は食べる所がなく、しかも不味い…」
「召し上がったのですか!?」
 ヴァルドはその問いには応えず、ホッホッと笑っただけだった。
「じゃあ、先生。この実からは… クレイラの樹は育たないのですか?」
 ベアトリクスの声は心許なく小さくなっていった。
「いえ、そういう訳ではないでしょう。ちゃんと芽が出てたのですから。ただ、育だつ条件がどんなものか…。クレイラの民が樹を作った以上、そのことについて書かれた文献などが必ずあった思うのです。伝えられた話とかがない処を見ますとね。しかし街が丸ごと消滅してしまっては…。
条件が分からなければいつまで経っても、苗木は枯れるだけです。」

それが分かれば苦労はしないですな…

ヴァルドはうめくような言葉を残した。


育てる条件が分からなければ枯れるだけ…
残った5個の実でそれを調べるのはもはや不可能であった。だが、いつ日にか、そのことが分かる時が来るかもしれない。その時までクレイラの実はそのまま保管し、クレイラの跡地にはやはり他の樹々を植えようか…
そんな考が頭に浮び気持ちが揺れた時だった。一人のブルメシア人が小屋へと現れたのは……








そのブルメシア人の男は50代終わりのように見えた。実際の年齢はもっと若いかもしれない。髪と髭は随分と白くなっていたために老け込んだ印象を受けたのだ。歩くのに杖を突いていたがよく見ると左足が義足だった。左の手も使うことができないだろう。肘の関節が不自然な方向へと折れ曲がっていた。
「あんたがベアトリクスか。」
 その男は、扉を開けたベアトリクスを見や否や、ゴミを吐き捨てるような口調で言った。
「そうです…」
 ベアトリクスはそれを静かに受け止め、椅子を引いて男に勧めた。しかし、男はじろじろと目の前にいる隻眼の女を見回すだけで座ろうとはしない。扉の近くの壁に杖を置き、そのまま自分も寄りかかる。
「あんたは、今、この俺を見てどう思った?」
「え?」
 男の口から発せられた唐突な質問にベアトリクスは思わず聞き返した。男は少しイラついた表情になるも、もう一度、同じ言葉を繰り返した。
「この俺を見てどう思った?」
「どう…って…」
 絶句してしまった自分の姿が見えているように、ベアトリクスは思った。何と応えていいものか…。
「あんたは俺の姿が見えないのか?」
 男の鋭い視線に飲み込まれそうになる。この男は自分を茶化しているではなく本気で言っている――

用があるからこそ、この小屋へと赴いたのだろう。その不自由な体で、一人、ブルメシアから歩いてくるのは容易ではない。そんな複雑な思いに駆られながらもゆっくりと息を吐き出して、冷静さを取り戻した。
「あなたの左足は膝から下が義足ですね。左手は肘の骨折の際に十分な手当てができなかったのか、筋が伸びきった状態で固まってしまって、曲げることもできない…。傷跡が痛み、生活するのに大変不自由かと思います。」
 的確すぎるその指摘に、男はふふん。と、皮肉な薄笑いを浮かべた。
「そう、あんたの言う通りだ。どうして俺がこんな風になったと思う?」
「……。」
「ブルメシアがアレクサンドリア軍の進攻を受けたとき、俺の体は崩れ落ちた石壁の下敷きになった。家の中にいた家族は皆、逃げる間もなく潰れちまった。俺一人さ。助かったのは…。ブルメシアの神々に左足を捧げてな…」
 男は一瞬だけ遠い目をした。その凍えるような灰の瞳が優しさを湛え、刹那に消えいく。そしてここへ来た目的を思い出したかのように聞いてきた。
「あんたは何故、クレイラを再建しようとしたんだ?あそこはブルメシア人でさえも見捨てた、不毛の砂漠だ。俺がもしあんたの立場だったら、そんなことはまずやらねぇだろう。確かにあんたはアレクサンドリアの将軍だった。ブルメシア攻略の指揮をした。が、それは発狂したブラネの命令に従っただけだろ。違うか?そしてあんたは、ブラネから離れ、あの八英雄達の手助けをした。それで十分だとは思わなかったのか?」
















「私は、知らず知らずのうちに、犯した罪から逃れようとしていたのです。あまりに大き過ぎた罪。重過ぎた罪。いつまでもいつまでも過去がついてくる… 忘れたくてもこびりついてる…」







 暫く、じっと男の瞳を見つめていた。この男は自分を試していると、ベアトリクスは思った。存在を肯定するに値するか否か…

だから、誰一人、問おうとしなかったその問いに。
誰にも言うまいと心に決めた、重い扉を開け放った。

「その罪悪に染まった闇の心に耐え切れず、独り、故郷を出ようとしたとき。沈みゆく私の心に手を差し伸べた者がいました。全てを忘れさせてくれる、あたたかな手でした…。周りの皆も、いつしかその事を口にすることが無くなりました。私は、幸せに浸っていました…

しかし、そんな浮ついた私の心を真っ直ぐに貫いた――ブルメシア人の少年がいたのです。あなたのような強い瞳で。『何故、のうのうと生きているのか!』と…。その言葉がいつまでも私の心に貼り付いて離れませんでした。朝も昼も夜も、寝ている時でさえも…
多くの罪無き命を奪った命は、真に生きる価値があるのか?私は、ずっと考えました。
そして、誰からも見捨てられ、全てを失ったこのクレイラを緑の地に戻せたとき改めて問おう。そう、思いました。
だけど…」
「だけど?」
「だけど、クレイラの砂漠で皆と一緒に仕事をするようになって思い直したのです。これは決して罪悪感のためにやるものではないと…。罪を償うというのはもちろんですが、何ていうか、その… おこがましいことかもしれませんが『ブルメシアの、クレイラの民の幸せのために…』という願いに… 変わっていったのです。」


「…………。」




 長く重い沈黙が、辺りを巻き込んで流れていった。男はそれを跳ね除けると、ようやく口を開いた。
「そうか…。あんたの気持ちは良く分かった。」
 言いながら懐から古い紙の束のような物を取り出してベアトリクスに差し出した。真新しい麻紐で綴じられていたが、それ自体はかなりボロボロに朽ち果てていた。
「あんたが自分のためにやっているのであれば、こいつは必要ねぇと思った。だが、皆のためというのなら話は別だ。」
「これは?」
「あんたらが血眼になって探していた、クレイラの樹についての記述書だ。」
「!!」
「俺の一族はな。その昔、クレイラに住んでいたそうだ。詳しいことは知らんが、クレイラを作ったときに関わっていたらしい。で、何かの事情でまたブルメシアに舞い戻っちまった。その時これを持って来たようだ。『どんなことがあっても守れ。』という、子孫にとってはた迷惑な家訓を残してくれたおかげで、こいつだけは瓦礫の山から掘り出したんだ。ボロボロになっちまったが中身は無事のはずだ。」
「これを、私に?どうして…?」
「…言っただろ。あんたが皆のためにしているからなのさ。」
「……。」
「罪を犯して悔いない奴なんていやしねぇ。しない奴は普通じゃないが…。誰でもその心の痛みから逃れようと必死だ。罪の償いってヤツも、その殆どが自分を救いたいがため、心の安らぎを求めるためにするのが常だ。後悔で苦悩する日々は地獄だからな…。あんただってそうだっただろ?だが、それを乗り越えて… 純粋に相手のために何かをしようとすることは、何もかも捨てないとできやしねぇ。あんたのその瞳も、強い光があった。だからこそこれを渡せるのさ。」
 受け取ったその紙を、ベアトリクスはそっと撫でてみた。手の平は探し求めていた物の永き時間の営みを――感じ取った。
「ありがとうございます…。あの…?」
「俺はザーンだ。」
「本当にありがとう、ザーン。」
「いや、礼なんていいさ。これはこんな時のために今まで受け継がれてきたもんで、今の俺にはまったく関係ねぇもんだ。宝の持ち腐れってヤツさ。それにな。昔のブルメシア文字で書かれているんで、俺にはさっぱり読めねぇんだよ。はははっ!!
そういや、俺がガキのときに俺のじいさんが少し読めてな。何だかさっぱりなことしか書かれていねぇってボヤいていたっけ。でも、あんたなら何とかするだろう。」
 



「なぁ、あんたは、ブルメシアが何故、青の王都と呼ばれるか知ってるか?」
「いえ…」
「そうか…」

ザーンは視線を落とし、床の木目を何気なく眺めやった。



「あの日も、やっぱり青い雨が降っていた…
身体の痛みに耐えながら、冷たい雨に打たれ続けたときほど、自分がブルメシア人であることを誇りに思ったことはねぇ…

ブルメシアに降る雨はな。自ら降り注いで流れを作り、他者を動かし、汚れを洗い、いろんな物を溶かし込んで大きく一つになっていく。そしてまた、元の青い雨に戻るんだ…
青い雨が、ブルメシアの基を作ったんだよ。

だから、あのときも… この雨が、元のように戻してくれると… 信じていた…

あんたには人を惹きつける想いがあった。自らが動く、流れがあった。まるであの雨のようにな…

なぁ、人というもんはそういう想いに集まると思わねぇか?何もしねぇ奴のトコなんか絶対に来やしねぇ。路を作るからこそ、一緒になって行く者が現れるんだ。後から追いかけて来る奴がいるんだ。そうじゃないか?」

俺も遅れ馳せながら、あんたの作った路を選んでみたのさ…

ガラにもなく熱くなった自身にザーンは苦笑いを浮かべ、立て掛けてあった杖を手に取った。
「どうやらしゃべり過ぎちまったようだ。じゃぁ、じゃましたな。
樹が育つように俺も祈ってるぞ!がんばれよっ!」
 豪快な笑い声を発し杖を振って挨拶すると、堂々とした足取りで小屋を後にした。

ベアトリクスは、そんな彼の姿が見えなくなるまで、いつまでもいつまでも見送り続けた。






すぐさまこれを、現場に残っていたウィランに見せに行く。

「凄い!本当に書物が現存するとは!!」
 受け取った紙の束を見てウィランは珍しく大きな叫び声をあげた。日暮れの砂漠にその声がこだましていく。それほど興奮してしまったのだ。
「ウィラン。あなたこの文字が読める?これを渡してくれたザーンは昔のブルメシアの文字だと言っていたけど。」
「ええ、これはブルメシアの旧文字ですね。かなり昔の、祭事にしか使われなくなった文字なのです。ですが私には…。そうだ!たしかドネガンが読めたはずだ!今から私が持っていきますよ。ベアトリクスさん。」
「ホントに!お願いできるかしら?ウィラン?」
「なるべく早く訳してもらいます。彼は夜の神官ですから、徹夜くらい平気でしょう。」
 冗談めいた口調で笑うと、ウィランはそのまま走ってドネガンの家へと向かっていった。

次の日、ドネガンは訳を携えてベアトリクスの元へとやって来た。
「あの書物に書かれていたことを全て書き出してみました。」
 本当に徹夜で調べてくれたようだった。ドネガンは腫れぼったいまぶたをしばたいて、原本と訳を差し出した。
「こんなに早くやってくれて…。本当にありがとう。ドネガン」
 ベアトリクスはそれを受けとり、パラパラとめくってみる。細部までびっしりと書き出された訳に、ドネガン苦労が見てとれた。
「確かにこれは、クレイラに関する書物でした。なぜ、同じ血を分けた民がブルメシアとクレイラという二つの地に別れねばならなかったか?どうして樹を作ったのか?私達でさえ伝えらなかったその歴史について、克明に書かれていました。本当に、よくぞ現存していたと思ってしまいましたよ…」
 ドネガンは眠気を覚ますように深い深呼吸をして、いきさつを語りだした。

「今から約500年の昔に遡ります。
アレクサンドリア王国において、召還獣を呼び起こす儀式が行われました。その儀式を取り仕切ったある一族がいたのですが、その者達はガイアを巡り、さまざまな召喚獣が眠る地脈を探してはそれらを呼び覚ますという召喚士の一族でした。彼らは強大な魔力を秘めた特殊な宝珠を用い、召喚獣と交感したのですが…。その地に眠っていた召喚獣は彼らの手に負えないほどの強大な力の持ち主だったのです。呼び起こした真っ白い翼を持つ召喚獣は暴走し、辺り一帯を壊滅させてしまいました。その光景は「『この世の終わりを告げる、最後の審判のようだった…』と記されております。その召喚獣を何とか元の所へと封じこめ騒ぎを静めた召喚士達は、この過ちを再びと起こさぬように――と、宝珠を4つに割り、かけらを一つづつ、力ある者に託しました。その一つがブルメシアへと渡ってきたのです。」
「宝珠の… あのかけらのことですか?!」
「はい、その通りです。
しかし、宝珠のかけらを巡って今度はブルメシアで争いが… 宝珠のかけらを祭っていた神官の一族は、かけらを守るためにブルメシアを出て、そして、クレイラを作ったというのです。」
「ザーンはきっと、その一族の末裔なのね。」
「そのようですね。これらの話が我々に全く伝えられなかったのは…。すべて、宝珠のかけらを守るためだったようです。」
「アレクサンドリアでも、リンドブルムでも、宝珠のかけらを王位継承の証として門外不出にしたのは、そんな歴史背景のせいかしら。」
「恐らくそうでしょう。そして、樹が作られた時のことも書かれていたのですが、私にはどうも……?」
 ベアトリクスは訳をめくって目を通してみた。重要なのがクレイラの樹がどうやってできたかという所だが…

 ―砂漠の地に街を作る。侵を拒む聖なる樹。二の六の夜毎に成長。珠と流とで守る―

「ここの部分ね、樹の成長について書かれているのは…。『珠と流とで守る』は、宝珠かけらと… 流れ?砂流… そうか、砂嵐のことね!でもこの『二の六の夜』って…?」
「そうです。この数字が何なのかサッパリなんです。26日とか、2月6日とか、足して8とか、掛けて12とか。恐らく樹が成長するための魔力が最大になる日とかだと思いますが。」
「そうね。毎っていうことは、この夜だけ樹が枯れずに何かの魔力によって成長するってことね。それが分かっただけでも凄い収穫だわ!後はどうやってこの日を特定するかだけど…」
「実はあと5つですよね?これでは、毎晩試すことはできませんが…」
「ヴァルド先生に、クレイラの実の性質の似た植物がないか調べてもらっているわ。まだ見つかってはないけれど、あったら何かが分かると思うの。」
「その植物が見つかるまで、ずっと待っているのですか?」
「実を2つだけ残して、残りは目星を付けた日に試してみようと思うの。仮にその日が2月6日だったとしたらまた一年、待たなければならない。これは私の推測だけど、クレイラの民はあまり長い時間は待たなかったと思うわ。彼らは宝珠のかけらを守る所ために樹を作ったのだから、何年も待つということはなかったはずよ。」
「そうですね。試せる機会にやってみましょう。」
 話し合い、皆の意見を踏まえた上で植える日を慎重に選んだ。


10月26日の夜に、植えてみることにした。しかし苗木は育たなかった。

翌年の2月6日に2回目を試してみた。やはり苗木は育つことなく枯れ果てた。










――1806年4月


クレイラに来て、6つ目のバラがやってきた。


その日は朝から砂が吹き荒れて、空を黄白く染め上げていた。冬が終わり、夏へと向かう狭間の季節は特に気流が乱れる。しかし、ベアトリクスには、この砂塵の季節がアレクサンドリアからバラを届けてくれる知らせと思っていた。


そのバラの未だ蕾だったが、花びらが砂嵐が収まった後の空のように淡い青色をしていた。青いバラは存在しないことを知っていたベアトリクスは、傍らにいた花の巫女シャロンに鉢植えを見せながら尋ねた。
「ねえ、シャロン。このバラの色って… 青よね?たしか青いバラってないんじゃなかったかしら?」
 問われてシャロンは、屈みながら蕾や葉の形などを丹念に調べてみた。
「これは…『ブルーリバー』ですね。」
「ブルーリバー?じゃぁ、やっぱり青いバラなの?」
「いいえ…。たしかに花は一見、青く見えるのですが実際は極薄い紫なんです。このバラは、ほらっ!ここの花びらの先端が赤紫色に縁取られていますよね?これがブルーリバーの特徴なんですよ。」
「ホントだわ。でも、こんなに綺麗な青色をしているのに、青じゃないなんて何だか不思議ね。」
「ええ。青のバラは、いろんな方が挑戦していますが、今でもできていないんです。みんな、このバラのように薄い紫の花しか咲かなくて…。」
「自然の花だからこそ難しいのね。それにしても、育てる苦労は花にしても樹にしても同じなのね…」
 ベアトリクスは来たばかりのバラに向かって、苦い笑みを漏らした。
「完全な青色ではないのですが、殆ど青に近い花を咲かせるバラがあります。『ブルーリバー』に良く似たバラで『ブルームーン』というのがあるのですが、こちらの方は縁の部分まで同じ色なので、より青く見えるのです…け…ど…」
 話の途中でシャロンは口を噤んでしまった。ベアトリクスの表情が見る見るうちに強張っていくのが分かったからだった。
「あの、ベアトリクスさん…?どうかしましたか…?」
 だが、ベアトリクスにはそんな声が全く届かなかった。口が微かに動いていたが、何を言ってるのかシャロンには分からない。視線もどこか遠くをさ迷っているようでいて、どこも見てはいなかった。ただただ、呆然と立ち尽くしているだけだった。

突然、それは頭の中で閃いたのだ。その考えを整理しようと手を口元に持っていき、今度は頻りにうつむいている。頭の中では目まぐるしく計算をしていた。ようやく答えを見つけた瞬間、ベアトリクスは擦れた声で呻いた。





「うかつだったわ… こんな簡単なことなのに、数字にこだわりすぎていて… 
二の六の夜… ちゃんと書いてあったじゃない……」