| 教育基本法と旧日銀法 | |||
| 教育基本法 | ![]() How to live ! 戦後の教育基本法の理念の形成には七人の委員が関わったと言われています。「教育の基本理念に関する事項ー教育基本法構想の検討」と言われる部分は羽渓了諦、天野貞祐、務台理作、森戸辰男、関口鯉吉、芦田均だったそうです。戦後の教育基本法の理念の特徴をもっとも鮮明に示しているのは務台委員の以下の言葉だと私は思います。これは雑誌『論座』の'99年11月号の「教育基本法の成立過程に見る[公共]と[個人].と の関係構造」と言う佐藤秀夫氏の一文に引用されているものの孫引きですが、それは以下のようになっています。『公けに仕えると言うことは非常に大事なんです。.........近代的な意味で公けに仕えると言うことでなければならぬと思うのですが、本当に公けに仕える人間を作るには、やっぱり個人というものを一度確立できるような段階を経なければならない。......西洋なんかは、やはりルネッサンスで、......個人というものを発見して確立した。それでああいう革命なども起こっておる。そういうものを経て近代国家ができ、所謂近代的公けと言うものが成立したのですが、日本にはそういう西洋のような段階を歴史的に持っていない。遅ればせだけれどもやっぱり西洋のように、個人意識と言うものを確立するという順序を経ていかないと、又すぐ反動化する。公けに仕えると言うことで非常に個人が縛られてしまうと言うことが起こりはしないか。』 「個」の確立が教育の大前提の目標となると言う戦前・戦中の教育勅語とは対照的な考え方が示されている。戦後五十年以上を経て、このような教育の理想が実現したかどうかは疑問ではあるが、少なくとも戦後教育の出発点にはこのような考えが存在していたわけである。全ての国民が個人という場を捨てて自分の意識も財産をも国家のために捧げるという「滅私奉公」の時代の考えからすれば、少なくともこのような考えは画期的な部分も含んでいたと言えるのではないだろうか。そしてこのような議論を経て、戦後の教育基本法には「個人の尊重」と「個人の価値」が基本的なものとして取り入れられる事になった。 |
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![]() What to think ? しかしそのような理念の下で教育を受けても、それらの教育を受けた人たちが旅立って行く日本の実社会あるいは経済社会は戦後秩序とは違った戦時中のままの形だった。それをもっとも象徴的に語っているのが旧日銀法であった。'94年に制定されたこの法律は実に五十四年間の長きにわたって日本の社会を運営する上で根拠となってきたものである。それには以下のような条文がある。 第一条 日本銀行ハ国家経済総力ノ適切ナル発揮ヲ図ル為国家ノ政策ニ即シ通貨の調節、金融ノ調整及信用制度ノ保持育成ニ任ズルヲ以テ目的トス 第二条 日本銀行ハ専ラ国家目的ノ達成ヲ使命トシテ運営セラルベシ 先の教育基本法と比較したとき、この旧日銀法との落差は歴然としてくるのではなかろうか。上の旧日銀法のどこに個人の尊重や個人の価値が入り込む余地があるというのであろう。金融の全ては国家目的実現の為だけに運営されているわけである。諸個人の自己実現のために運営されているわけでもなく国家が個人を十全に認めない限り個人が入り込む余地はない。多くの個人が希望してもそれが国家目標とならないうちは個人は金融政策の範囲で何らの配慮をも受けられないのである。戦後の国家目標は経済発展が全てであり産業育成が主であったので、そこから生まれる産業の被害救済すなわち公害の犠牲者などは半ば切り捨てられざるを得なかった。国家がそれらの人々の救済を国家目的の中に組み入れない限り、このような法体系の下では産業育成という国家目標の外に追いやられた人々には救いの道が残らないのである。そしてこのような国家目標を完遂すること自体を目標にする形で編成されていた金融政策の下に日本の各銀行は位置し、その銀行の下には金融系列化された多くの企業が存在してきていたわけである。したがって金融部門でない企業だと言っても大なり小なり国家目標の達成のための行動する形態が日本の社会に存在していたと言える。
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旧日銀法 | ||
| 日銀法 | ![]() It's difficult ! ! 日本の戦後教育を受けた第一世代は「団塊の世代」と言われる人たちである。戦後のどさくさの中で幼年期を過ごし日本の高度成長を目の当たりにしながら学生時代を送り、教育基本法と旧日銀法との間の大きな落差を自分自身の心の中で何とか調整しながら生きてきた初めの世代だともいえる。 教育を受けている間での価値観と実社会での価値観との落差を彼らがどのようにして埋め合わせていていたのかは同世代の私にもあまり良くはわからない。しかし学生時代をどこかの時点で切り捨てるか大きな迷いの中で実社会を生きてきていた人たちも少なからずいたことと思う。そこに何らの迷いもなかったとすれば戦後教育があまり彼らに影響を与えることができなかったと言うことに他ならないともいえる。すなわち教育が人間に与える影響力などというものは高々その程度のものでしかなかったと言うことの証明でもある。確かに教育年齢にある学生は一日の大半を学校で過ごしているとは言っても、人間の形成がすべて教育の場でだけなされると言うわけのものではない。家庭や地域社会の人々との間でおきること、テレビやラジオ・新聞などのマスメデイア、書籍・雑誌・週刊誌・コミック誌のたぐいなど、ありとあらゆるこの社会にあるものや出来事が一人の人間の形成に関わってくるものだと思う。団塊の世代の人にとっては戦争で破壊された建物の残骸の光景なども、幾分か人間形成に影響を与えている部分もあるかも知れない。教育は人間形成の上で重要な役割を果たす部分とも言えるが その全てを教育がまかなえるというものでもないであろう。 自分を取り巻く外部環境はその人間が幼ければ幼いほど自分自身ではどうにもならないものでもあるし、そのような中で人は育って来ざるを得ないからでもある。外部環境の中には学校も含まれはするが、外部環境の全てが学校でもないことは明らかである。そして与えられた外部環境の中で育って行かなければならないそのような子供も個人として尊重されるべきもののはずである。戦中世代の両親に育てられ戦後教育を受け戦時中から続く日銀法の下での金融政策がなされる日本の実社会で生きてきていた団塊の世代及びそれ以後の世代がどのように自分の子供たちに教育を施したのかは非常に興味深いテーマでもある。そして教育が社会の要請に応えるためだけに行われ個人の幸福や自己実現という部分をおろそかにするという方向に動くことが果たして多くの人々に幸福をもたらすものなのかどうかと言うことも重要な問題であろうと思う。親の期待に添うこと、社会の期待に添うこと、組織の意向に答えることばかりだけが重視されれば、人は必ずしも自分の人生に十分に満足できたかあるいは果たしてそれで良かったかどうかと後になって思うのではなかろうか。 |
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![]() To the future ! 戦後の価値と戦時中の価値観とがない交ぜになって存在してきた日本の社会は、バブル経済の崩壊で大きな揺らぎを見せた。国家目標遂行の体制に編成されていた日本の金融部門が大きな破局の局面に立たされたからである。中央集権的に編成されてきた日本社会にも変化して行かなければならない必然性が生まれ出てきたと言える。日本の明治維新の近代化は黒船来航による外圧から生まれ出た部分が大きい。日本の近代国家成立は内発的な出来事と言うより外部からの刺激によって触発されたともいえるのである。江戸時代の参勤交代が各藩が独自の経済力を拡大しないように江戸詰めで財政的支出をさせるという江戸幕府の巧みな方策によって江戸時代には日本国内では大きな内発的な変革はなされないままに推移してきていた。すなわち近代市民革命が自律的に起きてはこなかったのである。 バブル経済崩壊後の日本は明治維新にも匹敵する大きな変革期を迎えているとも言えるが、この変革は外部圧力から生み出されたと言うよりも日本自身がしでかしたバブル経済とその破綻によって引き起こされた変革である。日本人が初めて自分の力で自分の国や社会あるいは自分が所属する組織をどこまで変えうるのかが問われる状況となった。個人のレベルで言えば、どこまで自分の意識改革ができるのかと言うことでもある。これまでの日本では、教育分野では個の確立が重視されてはいたが、実社会の社会人が組織内で個人意識の確立を求められてはきていなかったし、又むしろ個の意識の確立した個人は組織にとっては厄介者と映っていたはずである。しかしバブル経済崩壊の課程であらわになったのは、日本の組織や個人がいかに相互にもたれあっていて各々が自立していないのかと言うことである。自立していない組織の構成員は個が確立もしていないと言う状況である。戦後教育の理念がある種否定されてしまうような戦時中から続く日本の経済運営の理念の持っている欠陥は、バブル経済の崩壊でひときわ明らかになったともいえる。 |
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| バブル経済崩壊後の日本にとってあるいは二十一世紀にかけての日本人にとって重要になってくるのは社会人になっても自分なりに個を確立することであり、自分のスタンスやポリシーを作り出すことではないだろうか。日本の企業社会では人を誰かに紹介するときにその人を役職名をつけて呼ぶが、海外の人間はむしろ役職名ではなくその人個人をフルネームで紹介された方がその人に対する信用度が高くなると言われる。人を役職名で呼ぶ場合その人が所属する組織に対する社会的な評価までもがその個人に影響してくるわけだが、必ずしも組織と個人が同じ評価で受け取られるかどうかは別のことであるはずである。組織という笠をかぶっていない個人というものはあり得るわけであり、個人がまず存在してその人が組織の中で何であるのかと言うことは副次的なものであってもよいはずである。組織を離れたら全く信用のできない個人であったら、そのような個人が属する組織の評判も当然落ちるはずでもある。組織の中で何たるかと言うことで外の社会にまでその影響力を与えようとする人間は結局個の確立が不十分であるとも言える。一市民としては対等であるはずの人間同士の中で自分が組織の中で何たるかを持ち出すのは無粋でもあり個としての確立ができていないことを湖塗する方便に受け取られても仕方ないとも思う。確かにこれまで団塊の世代を初めとして、食べて行くために自分を殺さざるを得なかった部分は日本の社会の中に多々存在してきたのも事実だろうと思うが、自分を押し殺さなくても生きていける社会へと変えて行く努力をしてもいい時期にきていると私は考えている。そのためにも個々人が自分の考えをある程度しっかりしたものにすること、そのためには少々の勉強もしなければならないと言うことなのではないだろうか。自分を押し殺しても生活の糧を得なければならなっかった世代だったとしてもそれらの人たちの労働があったからこそ日本の経済がこれまで伸びてきていたあるいはそれらの人たちの力で日本の社会が支えられてきていたことは疑いのないことではある。ただそのような労働の場のありようにも何かしら変更を加えても良い時期だろうと思うだけである。 | |||
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このような慣行であった終身雇用も揺らごうとしている。そして若い世代の転職率はかつて無いほど高いものにもなっている。企業の寿命よりも一人の人間が生産年齢でありつ続ける時間の方が長いとすれば、まるまる全て自分の人生を一つの会社に預けていられると考日本のバブル経済崩壊によってこれまでの日本的えることの方が不合理であり、労働力は流動化していくことの方が合理的なことだともいえる。二十一世紀を目前にしている時期に不況期で就職難であるにも関わらずあえて就職が決まった優良企業を自分の意志でわずかな就業年数のうちに退職して行く大学卒の割合が全体の三割にも上るというデーターを見て、かなり日本も変わり始めているのではないかというのが私の実感でもある。私は何も若い世代にへつらう気持ちはないが、ある程度の意識を持った人たちが半ば自分探しのように職業を転々としながら自分の居場所を選んで行く姿は、幾分かこれまでの日本の企業社会を変える力になって行きはしないかとも思うのである。またインターネットなど職探しの手段も就職情報誌以外の分野として生まれ出てきて、これらの動きを加速する上で力を発揮していることも事実であろう。旧世代にとっては思いも寄らなかった情報通信分野の飛躍的な展開が日本の社会全体をある程度変える力になってくる日もそう遠くはないのかもしれないし、すでにその動きは始まっているとも言えるのかも知れない。戦後という半世紀を越える年月での動きの中で生み出されてくるさまざまな変化のうちでも二千年代を迎えようとしている二十世紀の最終局面の日本の動きは大きな変化を遂げようとしているのではないだろうか。そのような中で教育も大きな問題を抱えていると言える状況だが、多くの政治家が口にするような教育分野をいじるだけでは実際には個人の自立にも個の確立にもはたまた日本の国の中で多くの人たちが個人の意志において公というものを考えようとし始めるとは思えない。それは教育に対する過大評価と買いかぶりであると思うからである。実際に現在社会人になっている人に、「あなたが受けた教育というものは現在のあなたにどれだけの影響力を与えていると思うか?」と聞いてみればそれはわかるはずのことでもある。そうだったからこそ戦後教育を受けた世代でありながらも戦時中から戦後にかけてまで長らく続いてきた旧日銀法の下の日本の経済社会を生きてこれた部分もあるからである。もし戦後教育が額面通り戦後世代に受け入れられそれが十分な影響力を持っていたとするなら、戦時中から続く体制の経済社会や生産部門にいること自体が自己の過去を否定されるものであり耐え難かったはずでもあろう事である。二十世紀終盤の時点で戦後の教育基本法を見直そうという話も持ち上がっているが、戦後の二重構造の社会でどれだけ戦後の教育基本法の理念が日本の社会の中で尊重されていたのかは疑問である。また戦前の教育を受けていた人たちは戦後世界を生きて行く中で不祥事一つ起こさずに生きてきたとでも言うのだろうか。戦後の教育基本法を以前の教育理念の方向に改変したとしても、それで問題は起きなくなると言うものでもないと言うことは戦時中の教育を受けた世代も数々の問題をしでかしていたという事実で証明されていると思う。なぜなら個が公に貢献したり公のことを考える個になってほしいと思っても、公の立場に立っている人間がこれまで公の立場にあることを悪用して、公の立場を自分に都合良く利用することで多くの不祥事を引き起こしてきていた事実は存在するのであるから、公の立場にはない人間に対してだけ公に貢献することを求めてばかりはいられないはずである。公の間違った方針に貢献することはそれもまた間違いになるはずでもある。公の方針に対して十分な自己判断を行える能力を身につけることもある意味では公にとっての貢献といえるのではないだろうか。戦前の教育勅語の中にも人間形成の面である程度聞くべきものがあったとしても、教育勅語自体が神格化され形式化されて教育現場に影響を及ぼしていたのは事実のようであるし、また戦後教育の理念の下での教育も、実体は受験競争に明け暮れて偏差値で序列化されて行くシステムになり、本来の教育法の理念が実現されていたと言うにはほど遠いものであったといえる。どのようにすばらしい教育理念を作ったとしても現場の教育と社会が教育に何を望んでいるのかと言うこととの間で教育が単なる形式的なものになれば、理念も形骸化していってしまうのは当然といえるのではないんだろうか。これまで政治家に疑惑がもたれてその秘書が何人自殺したことだろうか。しかしこのようなときに「命の大切さ」などという言葉は述べられはしなかった。二千年時点で不況の影響などで日本では三万人の自殺者が出、その内の三分の一は四十代〜五十代だと言われているが、この場合にも「命の大切さ」などという言葉は述べられたりはしない。しかし学生がいじめで自殺したりすると、即座に文部省は「命の大切さ」と言う言葉を唱えている。文部省が「命の大切さ」と言う言葉を形式的に何度使えばいじめはなくなると言うのだろうか。「命の大切さ」という言葉を形式的に使っている間に何人の人間の命が失われていっていたのだろうか。すでに文部相自身が形式的なものでしか無いものになっているようでもある。
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