映画:パール・ハーバー

 

 真珠湾の奇襲攻撃六十周年記念で制作された映画である「パール・ハーバー」を見ました。真珠湾沖で米軍の潜水艦と日本の練習船「えひめ丸」との衝突事故が起こり「えひめ丸」が沈没して、その引き上げ作業が開始し始められているさなかの二千一年八月二十五日に見たのです。

 日本国内では扶桑社の「新しい歴史教科書」問題が出ていて韓国などから抗議の声が上がったりして国際問題化し、また小泉首相の靖国神社参拝なども中国・韓国から問題視される状況の中でかつての日本軍国主義時代に於ける太平洋戦争開戦の原因となった真珠湾奇襲攻撃を題材にした映画であるパール・ハーバーが上映されていたのです。日本国内の状況はバブル経済崩壊による長引く不況に伴い日本人自身の意識がイラついていてナショナリステイックな気分になりかかっているさなかに、かつて 日本が惨憺たる敗北に帰結した太平洋戦争の幕開きの史実を題材にした映画が上映されていたわけです。かつての日本とアメリカとの関係もこの時点での日本とアメリカとの状況も、何か私には類似している状態のところもあるように感じられます。映画の中で「我々は冷蔵庫も作っているが、彼らは兵器だけしか作っていない」とアメリカ政府の高官が述べる場面がありました。総力戦で軍需生産だけに絞った総力戦を行おうとしていた日本にとっては、民需品も軍需物資も生産できるアメリカ 経済のの底の厚さは十分には認識できていなかったのかもしれません。戦後の日本は民需一本槍で経済的に成功して行きましたが、その間にもアメリカは民需だけでなく軍需にも経済の部分を割かざるを得ない状態で自国を運営してきました。 すなわち冷戦構造の間、ソ連に対抗した軍事力を保持して世界を二分する上での負担をしてきていたからです。軍需・民需双方に力を割けるだけの経済的な厚みは日本にはなかった、あるいはアメリカほどの軍需への予算配分の割合を割かなかったからこそ日本は経済的な発展が可能であった 点もあるといえると思います。

 映画のストーリーそのものは戦時中にはよくあった話といえるものでした。戦闘機パイロット仲間の兄貴分と弟分の二人と一人の女性を主人公にしたものです。映画を配給するに当たってアメリカの製作者であるウオルト・デイズニーは、日本人への偏見を助長するという在米日系人たちの懸念に対して、「戦争を題材にしているが愛と友情を描いたラブロマンスだ」と答えていましたが、私にもそのように思えました。愛を誓い合った兄貴分のパイロットと女性とが、ナチスドイツのイギリス本土空襲によって引き裂かれたことからストーリーが展開されています。ナチスの攻撃に対処するために出兵された兄貴分のパイロットは戦闘機が撃墜されて海へ落ち、そのパイロットは戦死したという情報が女性と弟分のパイロットに知らされます。その後弟分のパイロットと女性とが恋に落ち女性は妊娠してしまうのですが、兄貴分のパイロットは生き延びていて帰還するのです。

 そこから以後、題名となっている真珠湾攻撃となります。ハリウッド映画史上過去最高の制作費をかけたといわれるだけあって、真珠湾攻撃の戦闘場面は圧巻といえるものでした。「日本円にして五十億円以上をかけなければこれだけの映画は作れないのかな?」と素人の私などには思えてしまうのですが、真珠湾に停泊している戦艦が日本軍によって撃沈されてゆく場面や空中戦の模様は非常に迫力があります。そして本題のラブストーリーは、気まずい関係になっていた二人のパイロットが 真珠湾攻撃に対する報復の東京の空爆任務に志願して、手はずどおり任務遂行を完了した後で中国大陸まで飛行した のち不時着し、中国大陸に侵攻していた日本軍と戦闘になって弟分のパイロットが撃たれて死んでしまうと言う展開になります。この部分は映画の最も感動的なところなので、これ以上は書きません。皆さんが実際に映画をご覧になって味わってください。

 死んだ弟分の残した子供の父親に兄貴分のパイロットがなったところでこの映画は終わります。しかし映画のような感動的なエンデイングではないにしても、日本でも出兵した兄が戦死したとの報があったので兄嫁を弟の嫁にしたところ、兄がひょっこり帰還してしまい家族関係が気まずいものになってしまったという話は現実に存在してもいました。戦争というようなどさくさの中では、家族も個人もさまざまな、また思わぬ運命を経験させられてしまうもののようです。日常が平坦な人々にとってはドラマチックな出来事が起きてほしいと思われるのかもしれませんが、いやでもドラマチックな運命を、すなわち望んでもいなかった あるいは予想もしていなかったドラマチックな運命をたどらされてしまう場合も時として人間にはあるといえます。ひところ日本のテレビコマーシャルには「映画生活」という言葉が流れていました 。しかし映画で見るようなドラマや感動が日常生活で頻繁に起きてでもいたら、私などはへとへとに疲れきってしまうだろうと思います。映画の中で見ていられるからこそドラマはドラマであり感動は感動であってくれるわけで、そうしょっちゅう私生活の中でおきてほしいものだとは私には思えません。戦時のような極限的な非日常の中では、平穏な時代における日常生活からはなかなか想像できないような出来事がたくさんあるだろう事は理解できますが、だからこそそのような時代を経験した人ほど平穏な生活のありがたさが実感としてわかるものなのかもしれません。 実際にベトナム戦争に従軍したアメリカ人ともメールのやりとりを私はさせてもらっています。そして彼もよき思い出などは戦争に対してはあまり持っていないようですし、当時の真珠湾攻撃を受けた乗組員も、この映画が上映されるに当たってはじめて過去のことにたいしてマスコミの前で口を開いた人もいるようです。不眠や悪夢や、様々な心理的な衝撃が残り過去のことだとは言ってもその心に残っている傷口は未だに深いものとして残っているので口に出さずに半世紀以上もの間心の中にしまい込んだままにしていた事もあるのだと思います。心に深い痛手を受けた人にとっては思い出したくもないことなのかもしれません。 そして忘れたくても忘れることのできないことなのでしょう。自分の人生の中で起きてしまった出来事は、その人が死ぬまでその人にとって人生の重要な一部であり単なる歴史的な出来事にはなってく れないからです。