| 新世紀 | ||
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![]() 写真のタイトル いよいよ二十一世紀が始まってしまいました。十九世紀を生きてきていた人たちにとって二十世紀の幕開きの頃にはどんな感じがしたのだろうかなどとも考えてしまいますが、「今日の次の日が明日だというだけのことだった」のかもしれません。「人間のために地球は回っているわけではない」というのは厳粛な事実でもあります。人間にとって今日の次の日が明日だったとしても、明日がそのまま今日の延長であるかどうかは定かではありません。すなわち二十世紀の趨勢が二十一世紀へとすべて連続的に続いて行くものかどうかもはっきりとはしていません。二十世紀の延長線上にある二十一世紀という部分もあるのでしょうが、二十世紀の趨勢が大きく変化してしまっている部分も二十一世紀には生まれ出るのではないのでしょうか。 二十世紀の遺産の中には、「正の遺産」と「負の遺産」があると思います。科学技術の急速な発展が与えた物的に豊かな生活という面の裏側にはゴミ問題や化学物質による汚染の問題などが存在しています。人間が移動する手段も急速に発展しました。鉄道の高速化や航空機あるいは自動車などはそれまでの人間の移動距離を飛躍的に伸ばしてもくれましたが、騒音や排気ガスなどの問題を引き起こしてもいます。 二十一世紀は人類が本格的に宇宙へと進出する時代になるのかもしれません。そうなれば宇宙の惑星を人類の活動にとって資源として利用し始めるでしょう。農業を基本としていた農耕文明は基本的には自然の動きに従順な文明形態でしたが、その後の工業を主体とした近代文明は自然に逆らって、あるいはそれを人々は「自然を克服して」と表現もしますが、自然の動きに逆らってもある程度活動できる文明形態になりました。これまで人類は地球という惑星の天然資源の食いつぶしを行うことで文明を発展させてきました。ことにイギリスに始まる産業革命以来の工業化された社会というものは、地球の天然資源を消費することによって実現されていた部分が非常に大きい文明の形だったといえます。その背景には石炭や石油という化石エネルギーを利用することで、それまでの人間の能力を補助することによって移動や生産を飛躍的にのばすことができていた部分があります。この趨勢は宇宙へ人類が進出するようになっても変わることのない趨勢のように感じられます。しょせん人間というものは、資源を食いつぶしながらしか生き延びられない存在のように思えるからです。 地球上の天然資源には枯渇してしまう資源と再生可能な天然資源が存在しています。森林資源などは計画伐採を行いながら利用すれば枯渇はしない資源です。しかし人類に多大な恩恵を与えてくれている石油や石炭などの化石エネルギーと呼ばれるエネルギー資源は、人類がそれを利用する限りにおいてはいずれ枯渇してしまいます。それら地球に埋蔵されているエネルギーはストックエネルギーと呼ばれています。これに対して太陽から地球に常に供給されてくるエネルギーはフローのエネルギーと呼ばれています。太陽光発電などもその一つです。鹿児島大学だったかと思いますが、そこでの一人の教授は雑草や稲藁あるいは廃材など、火をつけると燃えるものを化学処理することでエタノールを抽出し、それを燃料とすることで自動車を動かす研究をしていました。これはNHKの衛星放送で知ったのですが、その教授の話では、現在人類が使っているエネルギーの総量をまかなうには、地球上に存在するの緑の五%を利用することで可能だそうです。太陽のエネルギーと水と大地が存在すればこのエネルギーを確保することは可能でエネルギー資源が枯渇することはないはずですが、そのためには地球の緑化を行って地球上の緑の量を五%増やした方がよいのかもしれません。雑草であれ何であれ乾燥させたときに火をつければ燃えるものなら何でもよいのだとすれば、この技術は注目してもよいもののように私には思えてきます。一種のバイオマスの考えによるエネルギーの確保方法だからです。バイオマスの研究は千九百七十年代に起きた二度にわたる石油危機の時点ですでに始まっており、二十世紀終盤にはアメリカではバイオマスによって作り出されたエネルギーがアメリカのエネルギー使用量の二割以上に達しているといわれます。エタノールを燃料として自動車を走らせる場合にはガソリンに比べてオイルタンクが大きくなるとはいっても、ガソリンの排気ガスに比べてエタノールの場合には排気ガスの臭いがないそうです。環境面から考えてもかなりの利点があるように思えます。 このようなエネルギー資源もあるいは鉱物資源も、元々は地球という惑星に存在していたストックを我々人間が発見して自分たちの生活に役立たせているわけです。そして地球という惑星には石炭や石油などが豊富に埋蔵されている地域とそうでない地域があり、地球という惑星を国境で人為的に分けているので、石油が存在しない国々は産油国といわれる国々から石油を輸入したりするわけですが、多くの国々が協力して行う宇宙開発などの場面では、個々の国々の経済事情がどのようなものであれ宇宙基地などで働く科学者たちは共有化された財産の中で仕事をするのではないのでしょうか。宇宙基地の中に商業化が芽生え始めるのはいつだろうかということにもなります。すなわち宇宙基地の中でオカネが必要になってくるのはいつの日のことかということです。スペースシャトルで資材を運んで作られる 現代科学の粋を集めた宇宙基地の中は、現在のところでは共産主義的な社会になっていると思います。 すなわち「必要なものを必要な人に必要なだけ」というカール・マルクス描くところの原始共産制の理想社会が宇宙基地の中に作られているのではと言うことです。 二十世紀が積み残してきた大きな問題としては、「南北問題」といわれる世界の貧富の格差の問題があります。二千一年九月十一日に起きたアメリカ・ニューヨークなどの同時多発テロによって、二十一世紀は本格的な幕が開いたといえるのかも知れません。このテロとそれに対する対テロ戦争で明らかになってきているのは、いかに貧困の国々が世界には多数存在しているのかと言うことです。テロ組織アルカイダの活動地域は五十数カ国に上ると言われますが、それらの活動地域の多くは非常に貧しい地域でもあります。アルカイダだけでなく左翼ゲリラ組織も世界には多数存在しています。それらの組織が活動している地域や活動の正当性を根拠付けているのも貧困という問題です。世界を見れば富める国の方が貧困の国よりもはるかに少ないのです。それは日本の社会の中でも、高額所得者の数よりもはるかに多くの中所得者以下の人々が存在しているのと同じです。しかし日本 の国内事情と比べた場合では、貧しさの度合いは比べものにならないのです。二十世紀が終わって「二十一世紀は戦争のない世紀になると思っていた」と何人かの人たちが新聞紙面などで述べていました。確かに二十世紀は二度の世界大戦を経験し、「戦争の世紀」とも呼ばれましたが、二十一世紀に解決できずにいた問題が背景となってテロは起こり、対テロ戦争を行わなければならない状況ともなりました。世界の貧困の解決は、環境問題や地球温暖化の問題と並んで、二十一世紀にかけて人類が解決策をだして行かなければならない問題でもあるでしょう。
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