朝鮮半島情勢と日本の戦後

 
日本経済の戦後の立ち直りには、朝鮮半島における朝鮮戦争を抜きに語ることはできないと思います。千九百五十年に勃発したアジアにおける冷戦構造の所産と思えるこの戦争によって、第二次大戦の敗北に伴うアメリカによる日本の占領政策の下で自動車の生産枠が限定されていた日本経済が、朝鮮特需と呼ばれるアメリカによる軍用トラックの購入によって、戦争で疲弊していた日本経済は息を吹き返す機会を得たのでした。この呼び水がなかったとしたら戦後の日本経済の混乱はもっと長引き立ち直りにはもっと時間がかかったことと思われますが、軍用トラックの生産をはじめとするアメリカの軍需物資調達によって日本経済は一息つくことができたのです。トヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎氏が存命の時代のことでした。この戦争によって南北朝鮮が分断され三十八度線の停戦ラインが敷かれることによって朝鮮半島における冷戦構造が形成され固定化されました。三十八度線はドイツのベルリンの壁のアジア版ともいえるものでしょう。

平成十二年版(二千年版)『経済白書』の記述では、敗戦後の疲弊した日本経済が戦前の経済水準に回帰したのは「図らずも朝鮮特需がきっかけになった」としています。そして『経済白書』が「もはや戦後ではない」と宣言したのは千九百五十六年のことでした。その翌年には有楽町SOGOが開店し「有楽町で会いましょう〜」というフランク永井の歌がヒットし、日本の大衆消費社会の幕が開き始めたといえるでしょう。千九百六十年代に入るとカー・クーラー・カラーテレビが「三種の神器」といわれ、日本が本格的な大衆消費社会を迎えたわけです。ちなみに『週刊新潮』二千年十一月二日号の[経済至上主義ホントに日本人を救ったか:前編]という櫻井よしこさんの記事の中に元大蔵事務次官の長岡実氏の話として「六十一年二月の統計をみると、冷蔵庫がある家庭は17%乗用車は2.8%、エアコンは0.4%にすぎない。」とあります。この数字からみれば、多くの日本人には「まだまだほしいものがたくさんありすぎる」といえる時代だったと思います。そして千九百九十八年に至るまでに、日本人の一人あたり実質国民所得は戦後すぐの四十五年の段階におけるかれこれ二十五万円という水準から三百二十五万円まで、ほぼ一貫して上昇してきていました。その成長の度合いは五十三年間で実に実質所得が十三倍にもなるというものでした。戦前の千八百八十五年から千九百四十五年までの実質国民所得の伸びは、十五万円ほどから五十万円くらいまでの伸びなので、六十年間で三・三倍ほどでしかなかったのです。しかしここまで急成長した日本経済はバブル経済の崩壊によって二千年九月二十四日には有楽町SOGOも四十四年の歴史に幕を閉じる事態を迎えています。

このような戦後の急速な日本経済の伸び方は、それまでの日本人の感覚ではとらえきれない意識の変化を日本人にもたらしたと言っていいと思います。かつての日本人の感覚からすれば自分の実質収入が十三倍にもなれば大金持ちになった感覚になると思います。あるいはバブル経済全盛期に多くの日本人が抱いたように中流意識にもなると思います。そのような日本経済の推移が起こっていたのは冷戦構造が世界を覆っている時代のことでした。その間、朝鮮半島は南北に分断されたまま二千年にまで至っています。世界の冷戦構造が崩壊した後まで、朝鮮半島には冷戦構造が尾を引いて残っていたのです。そのような状況に変化が生まれ始めたのは二千年になって南北首脳会談が行われ、シドニーオリンピックへ韓国と北朝鮮が統一チームを送ったりし始めて以降のことです。

朝鮮半島が南北に分断されている間に日本は世界の中で有数の経済大国になりました。冷戦構造の時代は日本にとっては女神がほほえんでくれていた時代だったといえるかもしれません。日本が韓国を植民地にしていた三十年間にわたる時代とその後の冷戦の時代には、必ずしも南北朝鮮は、幸福な時代だったとは言い難いところもあったといえます。それには日本にとって戦後賠償の問題としてまだまだ解決し切れていまい部分が存在していることは確かです。政府レベルでは決着済みだといってみても、個人レベルでそのような時代の中で翻弄されてきた人間には納得しきれない部分が残るのも確かだろうと思います。北朝鮮への戦後賠償はこれから始まる問題かとも思いますが、少なくともこれまでの歴史的推移の中で日本に定住した在日韓国人・朝鮮人の問題など、長期在住外国人の地方参政権にも国民が理解を示すべき時期であろうと思います。彼らは自ら望んで日本に在住したわけでもないのであり、日本の植民地政策と第二次大戦突入による日本側の都合で日本に定住せざるを得ない羽目にさせられた人々だからです。基本的な権利すら満足に与えられることなく何十年もの間生かされてくれば、まともな神経の人間でもうんざりさせられ憂さ晴らしでもしたくなります。そのような条件を作っている中で彼らがもし犯罪を引き起こしたとしても、それは彼らだけが悪いと言うことになるのでしょうか。犯罪を犯さないようにルールを守ることを彼らに求めるのであれば、彼らに対してそれ相応の権利も与えるべきだと思います。日本側がそれらの人々に地方参政権すら与えないと言うのであれば、日本が彼らに課してしまう運命はあまりにも理不尽なものに私には思えるからです。そして非常に不十分な権利の保障の中で犯罪さえも犯すことなく日本社会の中で日本の法律に従って税金を納めながら暮らしてきたそれらの人々は誉められるべきだとも思います。そして二千年十月八日の朝日新聞朝刊の紙上で櫻井よしこさんはそれらの人々達が「日本国籍を取得することが筋だ」と述べています。確かにどちらの国も独立国として対等な立場でその二つの国を行き来しているうちに自分の母国でない国の方に永住するようになったというのなら、その人達が母国でない方の国の選挙権を得ようとするときには母国でない方の国の国籍を取得することが当然の義務であろうと私も思います。しかし日本と韓国・朝鮮との関係はそのようなものではなく、全く違った歴史的な背景の下で在日韓国人・朝鮮人が存在しているわけです。すなわち韓国・北朝鮮は日本の植民地であり日本はそれらの国を独立国として対等なものには認めてはいなかったわけです。それにも関わらず「国籍を取得することが筋だ」というのであれば、これらの意見に対しては在日韓国・朝鮮人の一世・二世・三世など、世代によってその受け取り方が非常に異なることでもあるでしょうが異論もあることでしょう。一世の人たちからすれば「人の運命をいいようにもてあそんでおいて、なにが筋論か。これまでの歴史の中での日本の振る舞いには筋が通っているとでもいうのか。」と思われても仕方ないですし、それが原因で日本に定住している二世・三世の人々とても、心理的に割り切れない部分も残ると思います。

戦後賠償の問題で言えば、第二次大戦時に強制収容されたアメリカ在住の日本人達に対してアメリカ政府は謝罪した上で賠償を行ってきています。これに対して日本政府の方は従軍慰安婦といわれる人々に対しても政府として公式に謝罪の意志を示しているわけではありません。わたしはそれらのことを謝ることが国の恥だとは思いません。むしろ過ちを認めようとしないこと、過ちをごまかそうとすること、そしてそのような態度をいつまでもごり押しすることの方が遙かに恥だと思っています。櫻井よしこさんは『週刊新潮』二千年十一月九日号の[経済至上主義はホントに日本人を救ったか:後編]の中で、池田勇人氏が戦後の日本人は「去勢されて宦官にされてしまっている」と、日本が再び軍事的に優位な国になることを願っていた言葉を評価しているようですが、戦時中と戦後を眺めたとき、「どこに行っても相手かまわず強姦ばかりをして手に負えない輩は去勢した方が早い」と国際社会から思われてしまってのではないでしょうか。強姦などをするから宦官にされてしまったのであって、通常のセックスならば誰も咎め立てなどはしなかったことでしょう。なぜ日本は愛情を媒体としたセックスではなく強姦を好むのかと言うことでもあると思います。日本にとっては北方領土の返還が戦後に残っている日本が清算を求めたい大きな問題なのかもしれませんが、アジア諸国からすれば「日本が清算し切れていない問題はまだある」という指摘が出されてくるのは当然だろうと思います。日本側が清算を求めたい戦後に残る問題があるのも確かですが日本側が清算を求められる二十世紀の問題が存在していることも確かです。戦後の清算は相手を非難することよりも、まず自分がその清算に着手する姿勢を示してみせることの方が実りのあるものだろうと思います。日本は確かに戦後経済的には豊かになりましたが、長期在住外国人の地方参政権の問題などは日本の経済力ではなく日本の民主主義の質とレベルが問われる問題だとも思います。民主主義の問題で言えば、韓国の民主化を長年望み、そのために数奇な運命をもたどらされて最後には韓国大統領となった金大中大統領が二千年の十月十四日にはノーベル平和賞を授与されると言う報道がなされました。自ら犠牲を払った韓国の民主化というものは、韓国社会の中で確実に自分達のものとして骨肉化されたものでもあるでしょう。民主化を求めて様々な苦難の運命を強いられてきた人々にとっては、民主化された社会が軍部支配の社会よりもどれほどましなものかが骨身にしみてわかっているはずだからです。しかし日本の戦後民主主義は国民が長年の苦難の末に自分たちで作り上げ勝ち取ってきたと言うよりも、敗戦によって突如としてアメリカから与えられた感が否めません。私自身は民主主義が現在の社会システムとしては最良のもので、それを越える社会システムを人間はまだ考え出してはいないと思っています。ただ日本の民主主義は、国民が自らの犠牲を払って勝ち取ってきた民主主義と違い、戦争に負けた結果として急遽導入されてしまったがために、なぜ民主主義の方がよいのかが国民自身に十分身をもって感じられていないのではないかとも思えます。戦時中のような経済的な生産の場面を含めてがんじがらめに統制されていて、軍部の方針に異論を持てば憲兵に徹底的にマークされるような時代と現代とを比較すれば当然戦後の民主主義社会の方が多くの人々にも住み易い社会であると思いますが、「そのような社会にして行こうじゃないか」と日本人自身が考えるだけの準備期間もないままに戦後の日本の民主主義は始まってしまったと私は思います。すなわち日本人は戦争の敗北によって大きな犠牲は払いましたが民主的な社会を自分たちで作り上げると言うことにおいてはほとんどなにも自らの犠牲を払うことなく民主主義国家へと変身したといえると思います。日本の戦後民主主義は内発的なものではなかったということです。軍部支配に対抗して多くの国民が犠牲を払って初めて自分たちの力で民主主義社会を達成したというわけではないはずです。中江兆民に始まる自由民権の思想的系譜も日本にはあるにはありますが、自由民主党という党名を掲げていてもその所属議員達が自由民権を唱えたその遺徳を偲んで彼の墓参りするわけでもなく(とはいっても兆民の墓は存在しないそうです。リンクされている中江兆民のページによるのですが、だから日本の民主化は途中でとん挫していたのかもしれません。)、むしろ靖国神社の方に参拝に出かけているのが現実の姿だといえます。二千年時点では野党に甘んじている自由党や民主党が将来もし連立ながら与党になるときがあったとして、そのときには中江兆民の記念碑を建立してお参りするでしょうか。もしそんなことが起きたとしたら、それは日本の政治史の上で画期的な出来事といえるでしょう。戦後日本の民主主義の中において日本社会の一層の民主化を求める動きがこれまでにもあったのは事実です。しかしそのような動きの芽の多くはつぶされてきていたともいえます。そして「戦後民主主義はアメリカが日本に押しつけたものだ」といってみたところで押しつけられた民主主義の方が日本人自身が作っていた軍部独裁の社会よりもましなものだったとすれば日本人は民主主義の方を選ぶのではないでしょうか。確かに軍国主義の時代に軍属として高い地位にあったからこそいい目をみられていた人々も少なからず存在していたことは確かでしょう。そのような人々にとっては「世が世であれば」という感もなきにしもあらずかもしれませんが、より多くの人々にとってどちらがましな社会であるかという点からすれば、戦後の日本社会の方が遙かにましなものであろうと思います。長期在住外国人の問題にしても、日本人自身が彼らとともに暮らす自分の社会をどうしたらましなものにして行くことができるのかを考えない限り解決しない問題でもあろうと思います。外国人の登録に指紋押捺という方法をつい最近まで採用していた日本がそのような法制面や法の運用方法の上で諸外国に比べ立ち後れていることは自覚すべきなのではないでしょうか。そのためにも日本人は自らの歴史過程に対する考え方をはっきり自分でまとめてみるべきだろうと思います。それとも在日韓国・朝鮮人の人数は全体でも五十三万人ほどでしかないので、「権利を制限することで少々恨まれても、またたとえ参政権を与えても大して選挙の時の票にはならないから放っておいてもいいのだ」と政治家達は考えているのでしょうか。

 

 

 

 

 


トピック 1

 

櫻井よしこ

 

従軍慰安婦問題への櫻井さんの発言

 

歴史修正主義など

 

金大中(キム・デジュン)

 

e-デモクラシー

 

中江兆民


トピック 2


トピック 3


トピック 4

トピック 5