少子化とデフレ経済
少子化1

少子化2

少子化3

人口動態

人口動態統計

人口波動で未来を読む

人口の減少と教育

日本の成長力


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日本のバブル経済は日本経済に大きな資産インフレを引き起こしその崩壊によって日本経済は極度のデフレ経済へと変化しました。バブル経済のさなかには一般物価は安定していてそれほどのインフレではなかったにもかかわらずバブル経済が崩壊した以後には価格破壊から始まった卸売物価の下落などに見られる一般物価のデフレ傾向も生まれています。このデフレ状態もバブル経済の原因と同様その主因は金融部門から生み出されてきたものです。二十世紀終盤の十年間を彩る日本経済の様相はデフレ経済であったと言っても良いでしょう。四十年代から五十年代には日本の勤労者の二割でしかなかった給与所得者すなわちサラリーマンと言われる人々も九十年代終盤には日本の全世帯の九割がサラリーマン家庭であると言うまでに変質してきていました。サラリーマン全盛の時代を迎えてその最終局面で引き起こされたのがバブル経済の崩壊に伴う企業によるサラリーマンの合理化すなわちリストラであろうかと思います。これが二十世紀中盤から最終局面までの日本の大まかな時代の推移だとすれば、二十一世紀には人口減少によるデフレ圧力がかかった経済に日本が変化して行くものと思われます。2000年一月十二日には国連が発表したこととして「千九百九十五年の労働人口を維持するには日本は毎年六十万人の移民を行う必要があり、最終的にその数は三千万人になる」と報道されました。日本がこれほどの移民を受け入れるのか受け入れないのかは日本自身の意志決定にゆだねられることだとしても、この数字は重要なのではないでしょうか。後に国連が発表した日本の人口減少に伴う予測では、五十年後において二千年時点と同じ労働人口を日本人だけで賄おうとした場合、日本人は七十七歳まで現役として働き続けなければならないことになると報じられました。二千年時点で二十代の人にとっては憂鬱な予測なのではないでしょうか。       

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日本の総人口は二千七年くらいにピークを迎えその後かれこれ百年ほどで半減すると予測されています。その予測はあくまで現在の出生率が継続された場合のことだとしても、出生率が上昇して人口が増える傾向は今のところ見えてきていません。これから出生率がさらに低下すると五十年後には日本の総人口が二千年時点の水準から半減するという予測もあります。出生率の低下の影響をまず最初に受けるのは産婦人科であり、次ぎに保育園・幼稚園、学習塾、予備校、そして大学などと順に波及して行きますが最終的には日本の産業や社会全体がその影響を被るものと考えられます。人口が半減すればマンションや住宅も需要が落ち込み、車の需要も低下すれば駐車場の需要もそれにつれて下がります。人口が半分になっている社会でも現在の需要の水準を維持しようとすれば一人あたりでは現在食べている食事の量を倍にしたり二倍の住宅を購入し、現在の倍の車を所有し、現在の倍のテレビや冷蔵庫あるいは洗濯機を買い、携帯電話やコンピューターなどは普及が一巡した後でもその倍の製品を持たなければならなくなります。そして半分の人口でこれらの需要を生産するには一人あたりの生産性を二倍にしなければ間に合いません。これではかなり重労働になってしまいます。 たとえ一人あたりの生産性を上げてみても人口が半減してしまうことの影響をゼロには出来ません。従ってこのような社会状況を想定することはかなり非現実的だと思われます。そして人口減少の一方で高齢者の増加が加わり高齢者介護にも人手を割かなければならなくなります。九十七年には日本の産業競争力は世界比較で前年の四位から九位に低下しています。一位アメリカ、二位シンガポール、三位香港、四位フィンランド、五位ノルエー、六位オランダですが、日本はそれよりももっと下というわけです。確かに経済規模では依然日本は世界第二位だとは言っても、二十一世紀においてもその地位を保っていられるかどうかは定かではありません。若年人口が減少して行く中で産業競争力を維持し高齢者介護にも人手を割きしかも財政赤字の解消も行うという役目を若い世代だけに全て背負わせることが可能なのかどうなのかと言うことです。そして日本政府は「男女雇用機会均等法」などの女性の労働力活用によってこの問題を当面は乗り切れると考えているようですが、全ての女性が働いたとしてもこの人口の減少の穴埋めはでききらないだろうと思います。そして女性を労働力として活用したいと望めば女性の晩婚化や非婚化など独身傾向を強め出生率にはマイナスに作用するのかも知れません。
労働力人口

外国人労働者1

外国人労働者2

失業率

 


写真のタイトル
五十年代から始まった日本の高度経済成長は日本の農村部の豊富な人口が都市や工業部門へと流れ込んで支えてきたと言えます。人口構成もその当時はピラミッド型であり年功序列の賃金体系でもそれを維持できる条件がありました。そして日本人の多くがサラリーマンとして働く形が一般的なものとなり、大学への進学率が上昇するのに伴って、それらの人はサラリーマンの内でもホワイトカラーの職種に就くのが当然のことのように考える傾向があると思います。二千年時点では大学進学率は男子を女子が上回っています。バブル経済が崩壊してリストラによって失業状態の人が増えている一方で、漁業や農業部門などでの単純労働が必要とされる部分には人手不足が続いています。「そんな仕事をするくらいなら失業していた方が増し」と考える人の方が失業者の中にも多いのかもしれず、労働力の需要と供給の職種によるミスマッチが起きていると言った状況です。戦後の日本経済がたどった道は多くの人たちが上昇志向を持つことができた経済でしたが、バブル経済崩壊によってその道が狭まったにもかかわらず人々の頭の中には上昇志向の時代の夢が残ってしまって下降志向に切り替えられずにいるのかも知れません。3k(きつい、汚い、危険)の職場は日本の失業率が高水準にあるにも関わらず人手不足を補うために外国人労働者に依存しなければならないのです。

写真のタイト

   このようにホワイトカラー化して行く日本人の勤労者の趨勢に少子化が加わってきたとき日本経済には大きな問題が起きてくることは必然だろうと思われます。現在ですら3kの職場や単純労働の部門は不況の中でも人手が足らない状況を外国人労働者の労働で補わざるを得ないのですから少子化の時代にそれが改善されるだろうとは思えません。少子化になれば親は教育費を少ない数の自分の子供にかけて高学歴化をさらに押し進めるであろうとも考えることができます。現在の日本では単純労働をする外国人が入国することを法律で禁じているので単純労働の人手は日系の海外在住者だけに限られています。外国人が日本で働く場合には専門職に限られていて単純労働の分野は日系人のみに限定されているのです。しかし専門職にしても外国人が日本に働きにきてその後日本に永住しようとする場合には非常に多くの障害があります。かつて日本は日本の優秀な研究者が海外へと出て行くことすなわち「頭脳流出」を懸念していた時期がありました。そんな日本でありながら海外の頭脳が日本に流入しやすいように国内制度を改善することに熱心だったかというと決してそうではなく、日本の法制度は彼らが日本で長年暮らしていき易いようにはなっていないのが実状です。私はこれからの日本は日本人だけで運営したり働いたりするだけでやってはいけない時代に突入するだろうと思っています。そしてその時代に対処するためには日本という国を海外の人にもオープンにして外部から人が入り込みやすいように日本の対外的な垣根を低くすべきだろうと思っています。留学生が日本に定住してくれるようにするには文部省が努力しなければならないのかも知れません。ビザの発給は外務省、ビザの更新や永住権の許可は法務省、彼らの働く職種を規定しているのは労働省と言った具合に各省が横の連携をとらなければ日本への外国人の流入促進を実現はできまないことでしょう。そして外国人が日本国内に増えれば当然人種・民族・宗教・言語・風俗・習慣の違いなどでのトラブルやカネが絡んだ事件なども生まれ出ることでしょう。しかしそれらの厄介な問題を抱えることをいやがる余り、またそのやっかいさの解決に労力を割く手間を省こうとして日本国内を海外の人に開かずにおいたとき日本経済は将来的にどうなるのかを考えるなら、その将来像は非常に悲観的なものになるのではないかと私は思います。

多民族の国はアメリカ・オーストラリア・カナダ・ドイツ・フランスなど以外にもありますが、日本もそれらの国をまねるべきだと言うことで日本をオープンにすべきだと私は言っているわけではありません。オープンにしなければ日本は現在の水準を経済面で維持できなくなるだろうと言う理由で述べているのです。 二千三年版『経済財政白書』では、総人口維持のために必要な移民数はフランスが百四十七万三千人、ドイツが千七百十八万七千人、イタリアが千二百五十六万九千人、韓国は百五十万九千人、ロシアは二千四百十九万六千人、イギリスは二百六十三万四千人、アメリカは六百三十八万四千人ですが、日本は千七百十四万千人です。しかし生産年齢維持のために必要な移民数は日本はロシアに次いで第二位の三千二百三十三万二千人だとされています。日本の団塊の世代と呼ばれる年代でも総数で約一千万人に過ぎません。日本にとってまた日本経済にとって必要となる移民数はその数を遙かに上回ります。従って少子化の問題を解決するには、日本の選択肢として 移民の受け入れ以外にはなく、その道を選択しないと言うなら長期的には日本経済も日本という国も非常に国際社会では小さな比重しか持たない国になって行かざるを得ないだろうと考え られるからです。日本人が自らの純血主義を貫こうとするならばたぶん日本自身にとって重大な問題が生まれ出るだろうと言うことです。 純血主義を望めば経済がじり貧になることも受け入れざるを得ないだろうと言うことです。自分自身が抱え込んでいる問題を解決する方法を考えようとした時日本が多民族国家の道を選ぶと言うことは非常に現実味を帯びてこざるを得ないテーマだと思います。自分の殻に閉じこもれば閉じこもるほど日本は世界の中で地盤沈下して行かざるを得ない からです。せっかくアジアには豊富な人口あるいはその国では養いきれないほどの人口が存在し日本との経済格差があるが故に日本に来たがる人が後を絶たない状態です。すなわちもっと広く世界のあるいは地球上の人口動態を見ればマクロでは人口は急激に増えつつありますが、日本だけを取ってみるとミクロ的には減少が激しいと言うことなのです。しかも日本の方はと言えば少子高齢化の波がひたひたと押し寄せてきています。ならばなぜ日本に来たい人、日本で働きたい人、日本に永住したい人に門戸を閉ざしておく必要があるのでしょうか。外国人だから、アジアの留学生だからと言う理由によって不動産屋から入居を拒否されてしまうような日本の状況を是非改善してほしいとも思います。法的な不備が存在するが故に不法滞在者になってしまうような環境も変えて行くべきだと思います。彼らが犯罪者であると言うよりも日本の法律の方が時代に合わなくなっているので犯罪者にさせられてしまう 部分もあるのだと思うのです。なぜなら合法的に日本に永住するまでにはあまりにも制度的な障壁が多すぎるからです。彼らにとっては、日本文化という彼らとは異質の文化に適応しなければならないと言う以外に、さらにもっと違う問題が存在しているというわけです。                    
 以上のようなことは経済企画庁の日本への提言にも私は書き込んだのですが、それが取り上げられたわけでもなにしても経済企画庁長官の堺屋太一さんも日本の少子化対策に外国人労働者の受け入れと日本の多民族化を考えるべきだと問題提起したと伝えられます。多分この問題は二十一世紀のいずれの時期においてか日本は自分自身で自分の態度決定をせざるを得ない問題になってくるだろうと思います。意志決定を先送りにすればするほど日本経済はじり貧の状態になって行くことでしょう。アジアには非常に多くの人口が存在しています。そして日本と比べて経済的には低い水準にあってもその地域の人々の頭脳が日本人よりも劣っているかというと、発展途上国にも非常に優秀な頭脳の人が存在していることは確かです。コンピューターソフトのエンジニアとしての人材もアジア人の中から豊富な人材が生まれ出てきそうな情勢です。 私自身タイの中学生と手紙のやりとりを英語でしていましたが、中学生の英語力はタイの中学生と日本の中学生を比べた場合、ほとんど遜色はありません。それらをふまえて日本は決断をすべきであろうと思うのです。これまで在日韓国人の人々などには選挙権すら与えられていませんでした。それらの人々は日本で暮らし税金も払って自分たちの義務は果たしているにもかかわらず権利は大きく制限されてきたと言わざるを得ません。また日本に新たに来て永住権を取得しようにもその許可がなかなか下りず、またそのような人たちが日本で子供をもうけても外国人同士の結婚の場合にはその子供には日本国籍がなかなか与えられないと言う不利な立場に置かれていました。これらの諸制度を改善して日本人同士の血のつながりだけに頼るのではなくもっと広く世界の人間と日本人が向き合う社会に 日本を変えて行くべきだと思うのです。海外の人とのつきあいは、あるいは海外から日本へやってきた人たちとのつきあいは日本人だけに都合の良い「いいとこ取り」はできないことを覚悟の上で対外的に日本をオープンな社会にすべきだろうと言うことです。