日本人の個人主義

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石原慎太郎

東京都知事

石原発言

日本語ジャーナル

『日本人とユダヤ人』

イザヤ・ベンダサン

日本教

 日本の社会あるいは日本人は欧米人に比べて個人主義の色彩が薄いと言われます。個としての考えも希薄で自己主張も弱い国民性だと言うことですが、確かに自分志向と言うよりも他人志向のところはあると思います。「あの人がああだから、この人がこうだから、だから自分も」と言う、自分の判断の基準を他者において考える方法です。「みんながそういうのなら」と言う理由付けで自分の意見は何も言わないでおくという処世術にもなって行きます。

戦時中には自由主義者などは当時の軍部から弾圧されて惨憺たる運命をたどりました。そして国民の中にも当時の体制である軍部の力に従いたくはないが逆らったときに自分に降りかかるであろう制裁とそのことによる運命を考えて渋々体制に従った人たちもかなりいたことだろうと思います。当然の事ながら敗戦によって戦犯として軍事法廷で裁かれた人たちのように当時の体制に積極的に参加し官僚や軍属として出世していっていた人たちもいたわけです。

しかしその時点での日本が敗戦という事態を迎えて、日本人全体の生活状態は極度の貧困状態に陥りました。国民の大多数が経済的な苦況に陥ったのは戦時中の日本の敗北が濃厚になる頃からのものでしたが、アメリカ軍による空爆で日本の生産設備が壊滅的な状態になることによってさらにその状態は深刻度を加えたと思われます。

当時の多くの日本人にとっては軍部に逆らっても渋々軍部の方針に従っていっても、自分にはろくな運命が待っていなかったと言えます。現在すなわち2000年時点での日本の状況も大きな変動の中にありどちらに日本のこれからの進路を取ろうかと言う重要な時期を迎えています。その代表的なものが憲法の改正論議だろうと思います。どの方向を目指す改正になるのかは予断を許しませんが、少なくとも戦後憲法の長所をそぐようなものでない方向の議論になってほしいと思います。戦後憲法の長所とは大日本帝国憲法の時代にはなかった「人権」もその一つですし「平和主義」もその中に含まれます。「種々の自由の保障」もそうです。そしてこれから増えるであろう日本在住の外国人の権利の保障やあるいは日本への永住権・日本国籍の取得のしやすさ、そして日本に永住する人々への日本人と同等の権利の保障などが盛られるべきでしょう。石原慎太郎氏が自衛隊の閲兵式で「第三国人」発言をしたとして問題にされるような状態であるとするなら、到底日本の社会は世界に開かれたものになることはできないと思います。犯罪を犯す者は諸外国の人間だけで日本人には凶悪犯など一人もいないがごとき認識の仕方は事実と反しているからです。そのような状況の中で方向性を間違えた改憲がなされようとしたとき、かつての多くの日本人がしたように渋々公的な機関が決定した方針に従わざるを得ないと言う生き方を選んだなら、その先に自分の運命として何が待ちかまえているのかも考えるべき事のように思います。日本人が自分の意志表示を行うのは選挙の投票の時だけでしか無いという必要もないはずですから、インターネットなどの表現手段によって自己の意思表示をしても良いはずです。戦後という日本の趨勢が行き詰まりになり新たなる進路を見いだしかねている状況の中で、かつての日本で全盛を誇った国家主義や民族主義の考えに逆戻りしようとする動きも目に付きます。それは「いつか来た道」であり、新たなる進路を模索する労力を払わずにすみますが、そのような道の行き着いた先も我々日本人は経験済みのものです。我々日本人にとって未知の経験だったのは戦後の高度経済成長による世界で第二位の経済大国という日本の歴史上無かった豊かさを国民規模で広く享受したことの経験であり、そしてその趨勢の行き詰まりと人口の減少・高齢化社会の到来という世界のどの国も経験したこがない事を日本がこれから初めて経験すると言うことです。個人主義の考え方や自己主張が弱いと言われる日本人にとっても、自分たちがどのような選択をするのかによって引き起こされてくる運命は個々人にやってくるものです。そして個々人の運命は他の人と全く同じ形でやってくるものでもありません。そのようにして自分の選択の仕方に伴って自分にやってくる自分の運命と自分の選択の仕方を照らし合わせるなかで日本人は個人を初めて意識するのではないでしょうか。何かしら私にはそれが自己主張が弱いとされ個人の意識が希薄だと言われ集団主義的な行動様式を取りたがる日本人にとっての日本的な個人主義のように思えてなりません。みんなと同じ意志決定の道を選んだつもりでも自分に降りかかってくる運命のやってき方は個々人で異なると思うからです。それは社会の中に自分が存在している存在の仕方が、全て他の人と均一になっているわけでは無いという理由から生まれ出るものです。職業も異なり、年齢も性別も異なり、資産も異なり、教育水準や社会的な地位も異り、家族構成や住んでいる地域も異なっているのですから、みんなと同じ意志決定をしたつもりでも、その決定によって生まれてくる次の社会の中での自分の運命は他の人と異なるのも当然だろうと思います。それでも「日本人はみんな一緒で同じだ」と言うのであれば、それはイザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』にある「日本教」と言うべき宗教的な観念すなわち信仰に近いものであって社会科学的には到底扱いきれない問題だろうと思います。

 


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