勝ち組・負け組
写真のタイトル
 2000年を迎えた時点の日本では、産業界を初めとする多くの人々の口から「勝ち組・負け組」という言葉が口をついて出てきています。情報通信産業のように産業の動きが早い分野が台頭するにつれてこの言葉が使われ始めたようですが、先手必勝と言われる情報通信産業だけでない分野の人々にとってもこの言葉が何か重要な意味を持ってきているように思えます。戦前の日本は、明治維新によってアジアで初めて産業革命を達成し工業化に成功した国だとは言っても多くの低い生活状態の農民たちが存在していました。 明治以前の江戸時代においては百姓は国の礎でもありました。そして工業化が進む時点では鉄は国家なりとも言われるようにもなりました。第二次大戦後になって日本の農村部の豊富な労働力が都市や工業地域へと流入し、日本の経済成長を支える基礎を形成してきてい ました。1972年時点では、日本の製造業従事者人口は千三百万人で第二位の卸・小売りの千百五十万人を上回り、そして第三位のサービス業の五百五十万人ほどを大きく上回っていました。そして日本の工業製品の生産高は1985年にドイツを抜いて世界最大の生産量を誇るようになりました。明治維新以後アジアで唯一工業化に成功した日本はアジアで唯一の近代化を達成した帝国主義国であったために、日露戦争に勝利するというアジア諸国に「自分たちアジア人でもやればできる」と言う自信を与えはしましたが、第二次大戦においては西欧列強の帝国主義支配からアジア諸国を解放し、アジア人による王道楽土を作るという「大東亜共栄圏」の目標は結果的に日本帝国主義によるアジア諸国への植民地支配に転換してしまい、それは最終的に日本の敗北という事態で終焉していきました。アジア諸国にしてみれば西欧列強の帝国主義支配がいいか日本の帝国主義支配の方がよいのかと言うだけで、どちらにしても自国の独立は望むべくもなかったと言うことだったわけです。なぜならアジアで帝国主義を標榜している国は日本だけだったからです。それまでの日本は世界の主要五カ国の中の一国として勝ち組に属して いましたが、第二次大戦においては完皮無きまでの負け組に転じざるを得なかったのです。

  敗戦によって日本の工業基盤は大きな損傷を与えられて農業・工業両分野の復興が必須となりましたが、第二次大戦において、「その貧困が軍部の強行策を支持させしめた一因である」とされる農村部の豊富な労働力を活用しながら日本は戦後の工業の復興に成功したと言えます。1985年に工業生産高第一位になったのは日本の成功でもあり 、またその後の失敗の元でもあったといえると思います。工業製品の輸出で得られた収益の使い道が土地と株に向けられたバブル経済という事態を生み出し、その時点ではアメリカ経済をもしのぐ勢いのように思えた日本経済がバブル経済崩壊によって勝ち組から負け組へと変化したかに思えているのが2000年時点での状況だといえるでしょう。 日本経済が高度成長期からバブル経済の時期に至るまでの間でも、重厚長大の産業から軽薄短小の産業への比重の移り変わりがありました。また千九百年代後半の時点では日本のGDPはアメリカの二分の一でしたが、少子高齢化の段階に入った二千年代序盤においてはアメリカの人口は増加基調にありGDP は千五百兆円、日本のGDPは五百兆円とアメリカの三分の一に低下し、日本の個人資産の総額は千四百兆円あると言っても国・地方の財政赤字の総額が九百兆円にまで上っています。ドイツのエコノミストが「二千年代の最初の三十年間は日本経済の敗北がはっきりする時代」と指摘していますが、日本の大きな財政赤字の状態とその再建にかかるであろう年数などを考慮すればこの指摘があながち間違いではないように私には思えてきます。それでも日本はアジア諸国の中で唯一のG7のメンバーであり世界の中では経済面でドイツの経済研究所が発表した「二十世紀は日本の世紀だった」と言うことからすれば、少なくとも戦後の日本は経済的には勝ち組に属していたと言えるのです。そして日本国内の産業別でもっと細かく見れば、大正から昭和初期の時点での繊維産業の時代から製鉄産業・自動車産業・情報通信産業へと各産業の勝ち組も変遷してきていたと言えます。 二千年代序盤においては日本のコミック誌の外貨獲得額は鉄鋼製品の輸出額に匹敵するかそれを上回るとも言われます。バブル経済の時点では金融業が勝ち組であったともいえるかもしれませんが、勝ち組でいられた時代は非常に短い期間でもありました。そして金融部門が勝ち組であった時代があったと言っても金融・保険業の国内総生産額は三十兆円未満のものであり小売り業界と余り変わらないものでしかないのです。金融業界は全ての産業分野や個人から資金を得て全ての産業分野や個人に資金を供給する部門であるのでその影響力が大きいと言うだけであり、金融部門が取り立てて日本の主力産業分野であるというわけではないのです。そして金融・保険業の雇用人口は二百万人ほどであり運輸・通信産業以下の雇用人口しか有してはいません。1996年時点では、産業別従業員数が第一位だった製造業が千二百五十万人と第三位になり、卸・小売業が千八百万人と第一位に躍り出て、サービス業は千三百五十万人と第二位に順位をのばしています。国内総生産では1972年から1996年に至るまで製造業がずっと首位の地位を保っているものの第二位のサービス業との差はかつてほど大きなものではなくなっているのです。そして第三位が不動産業であり、従業員数がもっとも多い卸・小売りは両方あわせても不動産業に及ばないほどです。長い時間的なスパンで見たとき、『数字で見る日本の百年』によれば千九百二十年から千九百四十七年までの間は日本は第一次産業の従事者の割合が全体の五十五%から六十%でしたが、第二次産業はその間二十五%から三十%、第三次産業も三十%程でした。しかし二千五年時点では第一次産業は五%、第二次産業は二十七%、第三次産業は六十七%となっています。第三次産業の中では卸・小売りやサービスよりもその他が急激に増えています。

 勝ち組・負け組で言えば、同一産業内部における勝ち組・負け組ばかりでなく、産業部門間での勝ち組・負け組、地域間での勝ち組や負け組、また国際的な経済競争における国家同士の間での勝ち組・負け組も存在するといえます。2000年時点では個人間においても、リストラされなかった人とリストラされた人など勝ち組・負け組は存在すると言えるでしょう。戦後、日本経済全体のパイが膨らみ多くの人々が給与の上昇などの恩恵にあずかれていた時代にはこのような勝ち組・負け組という区分けは余り鮮明にならずにすんできてい ました。少なくとも日本の千九百六十年代の高度成長期においては日本人の給与や収入は日本全国どこの地域においても上昇していました。しかし日本経済のパイが増加せずあるいは縮小するような事態の中では勝ち組と負け組がはっきりとしてくるために、この言葉が多くの人によって口にされるようになったのではないでしょうか。個々の産業分野の入れ替わりと言う意味で言えば、戦後の時代においては第一次産業である農業や漁業あるいは林業は国際競争力がないと言うばかりでなく国内の他産業に対してもずっと負け組の経験をさせられてきていたと言えますが、バブル経済崩壊によって一般のサラリーマンの中からも帰農する人たちまでが出始めるという、一種、産業社会が負け組意識に陥ってしまっている状態であり、また確かに日本経済全体も世界の中でことにアメリカや中国を初めとするアジア諸国に比較すれば日本が負け組になっていることは明らかであるといえるでしょう。そして日本が負け組に転じたのは、日本が自分を勝ち組と思い自らを過信し傲慢になったが故のことだったのではないでしょうか。二十世紀は日本の世紀だったと言われるほどの急成長の中で、日本と見比べて負け組に属すると自分たちを考えていた国は何とかその状況を脱し巻き返すことを必死で模索していましたが、日本の方は「もはや諸外国から学ぶべきものは何もない」と豪語してもいました。これは完全に日本人の思い違いで、また日本の思い上がりだったことは、阪神大震災以来の日本の危機管理の有り様や金融制度改革、安全神話の崩壊などで明らかになってしまったといえます。その後は日本のハイテク産業、ことに情報通信社会への移行の立ち遅れに日本自身がやっと気が付き始めたという有様です。それまでの日本はNHKが『半導体王国日本の自叙伝』などと報道していたのですから、様変わりも甚だしいといえ ます。 しかし二千二年四月に起きたみずほ銀行の決済機能のシステムトラブルなど、本来なら合併して大銀行になったとはいえ負け組とされても良いような都市銀行の行員の給与水準は依然他産業の従業員よりも高額です。日本の勝ち組・負け組の議論も、果たして本当に勝っている人間は高い給料をもらえ負けた人間は安い給料に甘んじているのかと言うことになると、勝っている人間が負けと評価され負けている人間が勝っていると評価されてしまっているようにも思える給与配分が現実に存在しているといえます。

 経済のパイが増え続けているときには「みんなで頑張ればみんなが幸せになれる」とも思っていられます。しかしいったん経済のパイの増加が止まったり減少したりすると、「みんなで頑張っても得をするのは特定の人間だけ」という状況が生まれ出ます。そのことをアマルテイア・セン教授は『貧困の克服』の中で「経済が急成長している最中は様々な社会集団がすべて同時に利益の恩恵を享受しています。この意味で、様々な社会集団が得られる利益は一致しています。それでも、経済危機が発生したとき、どの社会集団に属するかによって、境遇にかなり激しい格差が生ずるのです。社会は、経済が上昇気流に乗り続けているときには連帯していても、下降時には、分裂しながら落ちて行きます。経済情勢が破綻をきたして転落をするときには、ニセモノの社会的調和の感覚は引き裂かれてバラバラになる可能性があります。」と述べています。日本の勝ち組・負け組の話しは、まさしく日本経済が大きな下降局面に直面した時点で出てきた話であることを考えれば、教授のこの言葉もよく理解できるというものでしょう。そしてこの本には民主主義がなぜ政治体制として重要と考えられるのかの記述があるのですが、それは、「物事が順調にうまく運び、すべてがいつものように滞りのない状態にある場合には、民主主義が手段として果たす役割が切望されることはあまりないかもしれません。しかし、何らかの理由で、物事の状況が一転してしまう場合には、民主的な統治が生み出す政治的インセンテイブ(誘因)が大変実際的な価値を獲得するのです。市場システムが生み出す経済的なインセンテイブだけに集中して、民主主義制度によって保護される政治的インセンテイブの方を無視すると、非常に不安定な基本原則を選択する事になります。」というものです。アマルテイア・セン教授のこの本は、必ずしも貧困を抱えている発展途上国においてのみ読まれるべきものではなく、先進国になった日本においても多くの示唆を含む内容のものと考えられるでしょう。 そして二千年代はじめの日本の問題点は、「負け組」と「勝ち組」という言葉がありながら、自分の不手際で問題を起こしていながら高収入を得ていられる産業が存在していることです。本来は負け組でありながら給与の面では勝ち組でいられると言う曖昧な状況は精算されてしかるべきだろうと思われます。 そして二千年代も二千六年にまでなった時点では、小泉内閣の猪口少子化担当大臣は「勝ち組・負け組という二項対立的なとらえ方は二十世紀的。・・・(負けるのが)怖くて待っている[待ち組]がいるのが残念」と記者会見で述べたと二千六年二月一日の朝日新聞朝刊にあります。負け組と言われる人はそれなりに戦って負けたのだから戦わない待ち組の人よりむしろ立派だと言うことだそうです。ニートやフリーターと言われる待ち組が戦いに参加するには企業側の対応も必要になるのかも知れませんが、負け組が敗者復活戦で成功する姿を見せることも必要なのかも知れません。また是非そのような人たちが多数生まれ出てくることを祈りたいとも思います。

 

 

 

 


勝ち組・負け組1

勝ち組・負け組2

経済指標

 

セクション 2
タイトル 1
タイトル 2
タイトル 3
タイトル 4

セクション 3
タイトル 1
タイトル 2
タイトル 3
タイトル 4
タイトル 5

セクション 4
タイトル 1
タイトル 2
タイトル 3
タイトル 4
タイトル 5

タイトル 6