| 平成不況とオイルショック | ||||
| GNPとGDP
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’98年の日本の名目GDPが五十五年の統計開始以来初めてマイナスになったことが’99年十二月十七日に堺屋太一経済企画庁長官から発表されたと報道されました。六十年代のGNPがまだまだい伸び率を示していた頃には「くたばれGNP」と言う新聞の特集なども存在しましたが、’98年度は本当に日本経済がくたばりそうな状態だったといえそうです。ちょうど四十五年を経て日本経済はこれまでに経験したことのない事態に初めて遭遇していると言えます。’73年と’78年の第一次・第二次オイルショック(英語圏ではOil
Crisis:石油危機と呼ぶ)では日本経済は成長率がマイナスを記録した(第一次オイルショックで)事もありましたが、平成不況以後のこの統計結果は日本経済の深刻さがそれ以上のものであることを物語っているとも言えます。第一次オイルショックは私の学生生活の最終局面を飾った出来事だったのでよく覚えています。OPEC(石油輸出国機構)のオタイバ議長が「産油国に人々の目を向けさせるために石油価格を引き上げた」出来事でしたが、それはまるで直下型地震のように突然大規模な経済変動として日本を含め世界に衝撃を与えました。現在の海底油田の存在もこのオイルショックで可能になったものです。それまでは海底に石油が存在していることはわかっていても石油価格が安かったために掘削の費用などを考えると海底油田では採算がとれなかったのですがオイルショックで石油価格が上昇したため海底油田の掘削をしても利益が得られることになったのです。ベトナム沖の海底油田やサハリンの海底油田そして北海油田、あるいは南沙諸島の領有権を巡る中国や台湾・フィリピンなどの動きも結局はそこに眠る海底油田の利権が絡んだものであることはほぼ明らかです。オイルショックによって日本のエネルギーも石油一辺倒だった事からエネルギー源の多様化へと変化し、またこれは非常に重要なことですがオイルショックは日本の高度成長経済に終止符を打つ出来事でもありました。六十年代の長期安定政権と言われた佐藤内閣の時代には十%を越えていた日本のGDPの水準も第一次オイルショックを経験した時点では当時の首相である三木首相がゼロ成長と宣言せざるを得ない事態を迎えたのですが、平成不況以後の’98年度のGDPの落ち込みが前年度比マイナス二%を記録したと言うことはバブル経済崩壊以後の不況の方がオイルショックの時の景気の落ち込みをしのいだことを証明しています。オイルショックは日本経済にとっての外部要因から引き起こされた経済変動であったといえると思います。しかし平成不況からの日本経済の低迷は主に日本経済それ自体の内部要因から生み出されてきているものといえます。なぜなら平成不況の原因として考えられるバブル経済自体がその主要な要因が日本経済それ自体に起因するものだったからです。そしてオイルショックが直下型の縦揺れの地震だったとすれば平成不況以後の経済の低迷は横揺れの余震が長く継続する不況だとも言えると思います。
オイルショックの時には主に日本の製造業にその影響が大きく及び、製造業の分野で雇用の調整すなわち人員の削減が行われました。またオイルショックの時点では文化系の学生の採用が大幅に削減もされました。そして官民上げての省エネが叫ばれましたがその経済の落ち込みは比較的に短期間で済み回復軌道に戻ることができました。しかし平成不況以後の経済の落ち込みを回復させるためにはオイルショックの時のような「省エネ」という一つの合い言葉だけでは解決できないさまざまな複合的な要因が存在する状況だと思います。日本経済全体の構造と財政の構造を全て変更しないと平成不況以後の経済的な低迷を脱して行くことが難しくなってきたと言えるからです。製造業も影響を大きく受けている平成不況以後の経済状態ではあっても、その時点では金融の再編や財政の悪化などがクローズアップされてきた様相です。ある意味ではオイルショックが製造業あるいはブルーカラーの問題だったとすれば平成不況以後の状態はホワイトカラーに大きな衝撃が走るものでもあったといえるかも知れません。自動車産業の国際的な再編に伴う人員整理ばかりではなく日本では金融部門の国際的な再編が起こりホワイトカラーの大幅な人員整理が行われているからです。オイルショック以後の安定成長期からバブル経済までの時代にはホワイトカラー層が増加してきていましたしバブル経済の時点では専ら「綺麗なお仕事」以外には就職を希望する人がいないような状況でした。しかしそのようなバブル経済の時代だったとはいってもGDPの伸び率は六%程度のものでしかなかったのです。バブル経済崩壊後の日本の経済情勢の中においてはバブル経済の原因になった銀行がまずその改革を迫られる状況になりました。銀行員がブルーカラーだと思う人はいないでしょう。すなわちホワイトカラーの集団であるわけですがその部分に大きくメスを入れざるを得ない状況が生まれ出ました。オイルショックも平成不況も日銀が行う業況判断指数(DI)のがラフで見るとどちらも二段構えで景気が底割れしている様子が見て取れますが、第一次・第二次オイルショックの時点からの景気の立ち直りが比較的に短期間であったことに比べて平成不況以後はその立ち直りまでの時間的長さが非常に長いのが特徴です。日本経済がそれだけ成熟度を高めていた時点で起きた不況だからであるとも言えます。すなわち日本経済は以前のように若くはないと言えます。あるいはバブル経済というものが異常すぎてその余波があまりも大きいと言うことでもあるでしょう。戦後と言われる時期の日本の景気循環の長さは通常好景気から不況起訴して次の好景気までの一サイクルの長さが平均九年から十一年の範囲にあったのですが平成不況以後の景気の低迷状態は十年もの間低迷状態が継続していて業況判断指数はずっとマイナスの水面かで推移しているのです。 |
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