バブル経済 |
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日本のバブル経済は地価と株価の急激な上昇として現れました。八十五年から九十年をピークにする地価の平均価格は商業地ではわずか五年の内に三倍になっていました。カール・マルクスは資本主義的生産の三要素を土地・労働・資本と考えました。マルクス主義者ならずともこの要素をそう簡単には否定はできないだろうと思います。古典派経済学においても常識的な考えでもありました。ただ、現在のようなコンピューター社会においては頭脳あるいは教育水準がこの生産の三要素に付け加えられるべきだとも私は思います。生産手段としての土地・労働は資本にとっても必要不可欠のものです。資本だけあってもモノやサービスの生産ができるわけではないからです。株価が上昇すれば企業は資金をたやすく市場から集めることができるようになりますが地価の上昇は企業の保有する土地の価格上昇によって銀行から資金を借り入れる場合の担保価値の上昇という部分がある反面、企業がモノやサービスを生産するための生産手段が値上がりするという側面があります。製造業の会社が製品を加工する為に使う工作機械の値段が五年ほどの内に三倍にも値上がりするとしたらその製造業の経営者は頭を抱えてしまうことでしょう。しかし日本のバブル経済のさなかには土地の値段の上昇を生産手段の価格上昇あるいは生産コストの上昇と考える人はほとんど皆無だったのではないでしょうか。地価が上昇すればオフィスビルの賃料なども上昇してしまいます。現在のように企業が国際的な競争を強いられる状態の中では、東京のオフィスで働いていると言ってもその人たちの競争相手はニューヨークやロンドンあるいはパリや香港あるいはシンガポールなどのオフィス労働者であるはずです。そのような状況の中で東京のオフィス賃料だけが急激に上がってしまえばそれだけコストが上がるわけですから東京のオフィス労働者はそれだけ過酷な働きぶりをしなければ他の都市のオフィス労働者と互角に競争できないと言うわけです。たとえ他の都市のオフィス労働者と東京のオフィス労働者の能力が同じだとしても、オフィス賃料が高ければそれだけ企業経営のコストが高いのでその分ハードに働かないと他の諸国の企業との競争の中で採算が合わなくなるからです。バブル全盛期には「皇居の土地でカナダが買える」との声も巷ではささやかれていましたが、では皇居の土地でカナダ一国分のGDPに匹敵する経済価値を生み出せていたとでも言うのでしょうか?もしそんなことが可能だったとしたら、日銀の超金融緩和により幾分バブル気味の二千十七年の日本において「バブリー」でブレイクした平野ノラさんの言葉を借りれば、それこそ「おったまげーーー!」です。ちなみに九十一〜九十二年頃の東京のオフィス賃料は新築・既存ともに八十六年の水準の二・八倍ほどになっていました。九十九年の段階になって再び八十六年の水準近くに戻ろうかと言うところです。 しかし日本のバブル経済さなかにはこのようなことを問題にする人はほとんどいませんでした。少なくとも企業経営者あるいは産業界の人でこのようなことを口にし問題にしていた人がいたことは報道されなかったと思います。日本の企業に週休二日制が導入され始めた頃には、休日が二日になることで他の五日間の一日あたりの労働密度が上がって働くのがきつくなると心配していたサラリーマンもいましたが、そのようなサラリーマンの人たちも日本のバブル経済の地価上昇によって自分たちの労働密度が上がってしまうとは考えなかったようです。日本のバブル経済では住宅地の値段も八十五年の水準と比べて九十年時点では二・五倍になっていました。しかし国内総生産すなわち名目GDPは一・五倍にしかなっていなかったのです。GDPすなわち国内総生産は国民総所得に近いものです。国民総生産=国民総所得となるのですが、総所得には企業所得の内に企業利益などが残され後は企業の従業員の賃金が払われそれが一般の企業マンたちの所得になるわけですから、国民総所得や国民の賃金の伸びよりも遙かに大きな伸びを地価がしましてしまえば、企業の利益にとってもまた住宅を購入しようとする一般の国民にとっても土地を購入するコストが大きくなり、とうていそれらの地価の上昇を吸収しきれないほどになったと思います。すなわち企業経営の上でも個人が暮らして行く上でも土地に関わるコストが非常に大きくなりすぎたのです。九十九年度の段階では商業地の地価は八十三年と同じ価格にまで下がりました。住宅地の地価は八十七年段階にまで下がっています。日本の名目GDPは九十九年には八十三年の一・八倍ほどになっているので土地の価格は非常に割安なったともいえます。しかし地価やオフィス賃料が急激に上昇してその後元に戻ったから何も問題が無くなったというわけではありませんでした。このような動きの中で生まれ出てしまった銀行の不良債権のために、金融がネックとなって経済の動きが非常に低位の水準で動くという状況が出てしまったのです。それが平成不況というものであり、そのような経済状態を迎えてしまったために、日本政府は経済戦略会議を開かざるを得ないところにまで立ち至りました。バブル経済の崩壊に伴って日本の国際的な産業競争力が急激に低下してしまったからです。この経済戦略会議はアメリカがレーガン大統領の時期に日本がアメリカのアイデアを利用して製造した製品を輸出しアメリカ経済にとって脅威となりアメリカの経済戦略を練り直さなければならなくなった時期の産業競争力戦略会議の日本版とも言えるかも知れません。レーガン大統領の時期と九十年代末の日本とでは全く立場が入れ替わってしまっていると言えます。 世界のバブル経済の歴史を見ると、十六世紀末に独立戦争でスペインに勝利したオランダは1600年に東インド会社を設立し重商主義をとったのですが、世界で初めて産まれた資本主義と言われるこの市民社会は東インド会社から入る利益によって潤った資金がチューリップの投機に向かい1660年にはチューリップバブルを起こし、バブル経済を経験した後で崩壊したことは有名です。NHKの放送の中で司馬遼太郎さんが日本のバブル経済について「日本は与えられた自らの財産である土地を崩壊させようとしている。それに比較してオランダは自分の土地を自らの労力で干拓して国土を作り上げた」と述べたと伝えられましたが、そのオランダもバブル経済を引き起こしていたのです。そして戦後の日本も新重商主義といえる経済の末にバブルを生み出しそれが崩壊しました。オランダは経済力で一時は世界の支配的な国の座を占めていましたが、チューリップのバブル経済が崩壊したが為にその後は支配的な国の座からは後退していったわけです。日本もバブル経済崩壊後の平成不況克服のための度重なる財政支出によって財政の状態は危機的な水準にあると思います。それは一つの国が大きな戦争を行って挙げ句の果てに敗北したくらいの衝撃が日本経済に起こったと言っても過言ではないと思います。その後に残された財政赤字をどうするのかがこれからの日本にとっては大きな問題です。ベトナム戦争以後アメリカは財政赤字を解消して財政を均衡状態にするまでに何年の年月を必要としたでしょうか?ベトナム戦争が終結してからアメリカのGDPはマイナスを記録したり消費者物価が急上昇したり、それに伴って失業率も高水準を記録するという時期がかれこれ四半世紀もの長きにわたって続いたのです。そしてクリントン政権も末期の'98年にアメリカの財政は均衡し黒字に転換しました。アメリカの双子の赤字と言われる貿易赤字と財政赤字の内の財政赤字は解決されていったわけです。しかし日本はそれまで順調だった貿易と財政の内で貿易黒字は依然存在するものの、バブル経済崩壊後には財政は大幅な赤字となりそれは先進国の中でも際だって大きな赤字額となってしまいました。 日本のバブル経済崩壊以後もアジア経済はアジア通貨危機まで順調に成長を続けていましたが、その時点でも香港ではバブル経済の状態が生まれていたと言えます。香港の場合は日本と同様株価と不動産価格の急上昇が二つながらに起こるバブル経済でした。しかしこのバブルもタイの通貨危機に端を発した変動に対して香港が自国通貨防衛のために公定歩合を引き上げたので株価が急落し、その後バブルは崩壊して行きました。北朝鮮が戦時中の日本の国家形態の色彩を色濃く引き継いでいる体制であるとすれば、戦後の日本経済が飛躍して行く姿を目の当たりにしてその後を追うかのように行動してきたのがマファテイール率いるマレーシアや開発独裁と言われるスハルト率いるインドネシアなどでした。台湾・香港・韓国など三匹の虎と言われるNIESの国々もある程度戦後の日本経済の影を見て進んだともいえます。W・W・ロストウの『経済発展の諸段階』のように、アジアには発展段階がそれぞれ異なる国々が混在しているという状況があります。そしてそれらの国々に大きな影響力と見本を提供していたのが他ならぬ日本であった部分が存在します。戦時中の日本が引き起こしたそれらの国々に対する惨禍への償いの意味もあって日本からのそれらの国々への政府開発援助は多額なものでもありました。しかしその日本はバブル経済が崩壊し長きに渡って経済的な苦況を迎えました。その間アメリカの株価は一路上昇局面をたどり、'87年のブラックマンデー以来長期間の株価の上昇が生まれ出てことに九十五年以降は株価が急上昇してバブル経済の状態とも言える状況になっています。ただアメリカの場合は株式市場の動きが活発であると言うだけで不動産バブルまで起きているわけではないところが日本や香港の場合と異なる点です。アメリカの株式市場のバブルがはじけて日本のバブル経済崩壊時のようにニューヨーク・ダウが三分の一の値段にまで急落したりすればそれこそ大変な余波が世界中に及ぶと思われますが、一割くらいの下落で下げ止まってアメリカ経済のバブル状態が軟着陸に成功するとしたなら、逆にアメリカ経済に対する安定的な評価の方が定着するのではないでしょうか。日本の証券市場における外国人の取引額が一月当たりで初めて六兆円を超えたと報道されています。東京証券取引所の総額は四百兆円と言われていますから外国人投資家の動きはその一%以上になっているわけです。アメリカの株式市場の動きに日本が影響されないわけはないのは当然とも言えるでしょう。 日本がバブル経済を経験している時点では日本企業はバブルの資金でアメリカの不動産ばかりではなくアメリカのシンボル的な企業までをも買収したりしていました。アメリカを象徴する部分が日本企業などの手に次々に落ちて行く様相をアメリカ人自身がどのように感じていたかはピーター・バイダが書いた『豊かさの伝説』という本に書かれています。「彼らの懐は深いのだ。アメリカ人はいつになったら気が付くのか、自由の女神が買い取られても気が付かないのか」と書かれています。アメリカ人自身にとっても自分たちの資産が次々に日本に切り売りされて行かざるを得ないアメリカの状況を目の当たりにしたとき自分たちの姿になにがしかの感情を抱いていたと言うことです。その後日本経済のバブルは崩壊し平成不況を迎えたわけですがそのさなかに行われた東京都知事選で都知事になった石原慎太郎氏は、そのときの選挙戦での他の候補との討論において議論の的となった東京都の財政赤字を減らす為に東京都庁を売却すべきだという議題に対して「東京都庁をいま売っても買えるのは日本企業ではなく外資なので、そんなことは悔しいじゃないか」と述べたりしていました。東京都庁という日本のシンボル的なものが外国企業に買収されれば日本人とてもなにがしかの感情がわいてくることでしょう。日本版『豊かさの伝説』を誰かが書かなければならないような事態が日本国内には現実に存在しているというわけです。「日本人はいつになったら気が付くのか、東京都庁が買い取られても気が付かないのか」ともいえると思います。それは日本人のナショナリズム的な感情を煽るのではなく日本経済にとってバブル経済が何でありその結果自分たちはどのような状況に置かれているのかを自覚すべきだと言う意味です。日本人はバブル経済とその崩壊と言う自らの不名誉な記憶を消し去りたいと考えるでしょうが、本当に名誉を回復するには大胆でかつ地道な努力がこれから必要とされてくるだろうと思います。そしてそうすることを怠れば低下した日本の経済競争力を回復させることができないことになり結果的に国や地方の悪化した財政状態を立て直すことも不可能になるからです。 日本がバブル経済を経験していた時期には他の先進国でも幾分バブル経済の状態が存在していましたが日本のバブルがもっとも極端なものでした。'87年に日本の経済状態が幾分落ち込みを示した時点で日本政府はNTTの株式を放出してその収入もあってか'88年には公共投資を大幅に増額しました。当時は景気に幾分低下傾向が伺われると言ってもNTTの株式は百万円の売り出し価格であり短期間にそれは二百万円になるほど日本国内はカネ余りと言う状況でした。そこに大幅な公共投資が行われて政府部門から多額な資金が投下されたために'89年にはバブルが頂点に向かおうとする勢いになった訳です。日本経済のバブルは日本政府のマクロ経済政策の失敗とその失敗に便乗して多くの企業が悪のりした結果生み出された部分が大きいと私は思っています。大蔵省主導の経済政策とそれに密着した日本の銀行の行動またその銀行との関係で動いた民間企業の行動などが全て総合された結果が日本の極端なバブル経済を生み出したわけです。戦時経済体制で運営されてきた日本の戦後経済の最終局面を飾る出来事であったのもバブル経済だっただろうとも思います。バブル経済までの戦後の日本の経済社会においては一流高校・一流大学・一流企業と自分の人生を過ごして行く生き方が理想的な生き方と思われていた部分が多いと思いますが、それらのことに疑問がもたれ始めたのはほかならぬバブル経済崩壊後の日本の経済状態の中で起きてきている事態です。大学を卒業して企業に入社しても入社後三年以内に転職して行く人が三分の一にも上るという状況はかつての日本経済の中においては考えられない行動です。一度就職したら定年まで同じ会社で過ごすというライフスタイルが主流だったからですが、ベンチャー企業を興したりする人材は従来型のライフスタイルの人たちの中からは生まれ出ようがありません。バブル経済が破綻したるが故の動きとも言えますし、新しい変化の芽生えとも言えると思います。またそのような動きが加速されて行かないと日本経済にとっても困るわけです。なぜならこれまでの日本では九割の家庭がサラリーマン世帯だからです。企業に従事する人がいなければ困ることは困りますがそれよりもまず企業を興す人が重要になるわけです。 日本のバブル経済の原因はケインズの経済理論が述べている事ともマネタリストのフリードマンが指摘していることとも異なるマクロ経済運営が行われたことから生まれ出たともいえます。アダムスミスは「神の見えざる手」によって市場が均衡するという予定調和のような経済理論ですが、資本主義社会は好況と不況を繰り返し変動するものでありなぜ変動するのかという原因を二部門分割した社会の不均衡発展に求めて経済社会の動態学を形成したのがマルクスでした。アダムスミスの静態的な経済理論から動態理論にしたのです。ケインズも経済が動態的なものであることを認めていたが故に「不況の経済学」と言われる公共投資による景気浮揚の処方箋を理論化して見せました。市場経済はアダムスミスの言うように均衡状態をとるのも確かですが、不況の時にも経済は均衡してしまうのです。社会の中には大勢の失業者が存在していても経済的には均衡状態が保たれている場合があります。それはケインズが指摘する低位均衡と呼ばれる状態であり、市場の力だけでは振り子が止まった状態の経済を再び動かし始めて行くことができないのでケインズは公共投資で止まってしまった振り子を再び動かし始めることを勧告したわけです。それはデリバテイブ取引の専門家であるジョージ・ソロス氏も「市場の振り子が自動的に戻ると考えるのは幻想だ」と 連邦議会で述べているように、社会全体の経済においては市場が万能でないことは実際に多額の資金を動かした経験がある人も認めざるを得ないところなわけです。資本主義社会が景気変動を繰り返すのはなぜかについてはマルクスとは違った観点からシュンペーターが解明に挑みました。彼は技術革新の群が景気変動を生み出す原動力であるとして、イノベーションを唱えました。しかし日本のバブル経済は極度の不況といえる状態でもないのに大幅な公共投資をしたりマネーサプライの状態もフリードマンが指摘する8%の状態よりもかなり高い水準でした。そしてケインズ政策はカウンター・サイクリカル・バランス・オブ・ペイメントすなわち景気循環対抗的支出という不況の時に公共部門の支出を増やし好況の時には公共部門の支出を減らすという行動をとるべきなのですが、日本のバブル経済の時点では行政に税収が十分にもたらされたが為に行政が不況でもないのに財政支出を拡大してしまったことです。しかも平成不況が完全には終わっていないにも関わらず橋本内閣の時点では財政再建のために行政の支出を絞り消費税を3%から5%へ引き上げたり所得減税をうち切ったりで公的部門に 九兆円の資金が移動してしまうような政策を採ってしまったのです。収入が増えたので支出を増やしたり収入が減ったので支出を減らしたりする行動は家計や民間企業が行えばよい行動様式であって行政などの公共部門は反対に行動しないと景気変動を緩和するどころか景気変動の波の振幅をより一層大きなものにしてしまうのです。すなわち公共部門が市場の動きと同じ行動をとれば景気変動を緩和するどころか景気の変動を加速させてしまうと言うことです。日本のバブル経済とその崩壊の過程は日本の金融が大きく関わって引き起こされてきたものであり確かに大きな景気循環の波だったわけですが、それはシュンペーターが指摘するような技術革新の群によって生まれ出たものでもなく、またマルクスの言うように利潤の唯一の源泉が生存費賃金に甘んじさせられている労働者であって、その労働者たちを窮乏化させたが故にバブル経済が破綻したというわけでもなかったのです。少なくとも八十五年まで日本の企業収益の中から勤労者に給与の形で支払われる割合を示す労働分配率はかなり高水準に上昇してきていたからです。それは八十五年以降も続いていたことだろうと推測されます。なぜならばブル経済絶頂期には大手証券会社に入社後三年くらいの女子社員でもボーナスが百万円にもなっていたからです。しかし労働分配率の上昇以上に地価や株価の上昇速度の方が遙かに大きかったと言うことです。それはひとえに日本の金融と財政の運営上の間違いから引き起こされたという以外にはないと思います。シュンペーターが言う技術革新の群の中には企業の管理運営のイノベーションも含まれていますが、資金の運用のノウハウであるポートフォリオ理論や金融工学が日本で注目を集め始めたのはバブル経済さなかではなくバブル経済崩壊後であったことは皮肉な限りと言わざるを得ません。資金の管理運営の理論はバブル経済以後になってからその重要性が日本人に認識されたからです。しかしそのような資金運用のノウハウを持つアメリカ経済も二千八年九月にはサブプライム問題に端を発した金融恐慌とも言えるリーマンショックに至りました。どんなに経済学を高度化させても一度勢いを得た金融の部分のマネーは暴走することを教えるものだったとも言えるでしょう。ましてや理論的な裏付けもない純粋に欲望だけで突っ走れば経済は非常に危険な動き方をするものでもあるというわけです。 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