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私は、20世紀も半分が経過した頃、埼玉県東部の町に生まれました。 こどもの頃の遊び場は、古利根川や、現在は暗渠と化した用水路、当時芝居小屋や闘犬などの興行が行なわれた原っぱなどでした。 町営の上水道が引かれたのが小学校1年の時、わが家にテレビがやってきたのが2年生の時、風呂の燃料が石炭から石油にかわったのと、冷蔵庫を買ったのが中学1年、自家用車が中学2年の時と、日本中が豊かになっていく過程の中で育ちました。 私の属する世代は、古くからの文化が残っていた幼年時代から、現在にいたるまでの変動を目の当たりにしながら育った世代といえるのではないかと思います。その人生観は、それ以前の世代、それ以後の世代のいずれとも一線を画するものであるのかもしれません。
◆色覚異常について
私は、赤の感度が鈍い1型2色覚強度(赤色盲)です。しかし他の色覚異常者と同じく、日常生活の中で本当に不便だと感じることはあまりありません。
既に結婚もしていますし、就職のときにも色覚異常者を除外する職種ではなかったので、自分自身が色覚のことで直接的な差別を受ける可能性は殆どなくなっています。しかし、娘には間違いなくこの色覚特性の遺伝子が伝わっているはずなので、孫の代以降に私の色覚特性が発現する可能性があります。
以前から色盲・色弱・色覚異常などの「盲」「弱」「異常」などの語感から派生する偏見や差別を嫌って「色覚特性」や「色覚偏位」などの呼称に変更しようという提案がされていますが、なかなか定着するまでにはなっていません。ところで、あなたは色覚異常についてどこまでご存知でしょうか?
詳しいことは、「色弱について考える」をご覧になっていただくとして、色盲色弱者は世界が白黒写真のように見えているとか、赤緑色盲などの言葉から、赤と緑が逆に見えているとか、事実とは全くかけ離れた認識をお持ちの方が沢山います。そのことが、日本人で約300万人程度といわれている少数派の色覚特性を持っているものが、実際の不便以上の不当な偏見や差別に晒されているという現実につながっているのです。
少数派の色覚特性について、より多くの人に本当のことを知ってもらいたい。それが、私たちへの差別や偏見の解消につながる、そんな気持ちから「色弱について考える」のサイトを開設しました。
◆同和問題について
私が同和問題にめぐり合ったのは、「同和問題の解決をめざして」にも書いているとおり中学校の学区に同和地区が含まれていたということからでした。
最近は、同和地区の出身だからということで差別意識を持ったりするのは年配の人がほとんどになり、かつての過酷な差別の記憶はいずれ自然消滅ということになっていくのではないかと思います。だからといって同和問題は、そっとしておけば自然になくなるというものではありません。差別は形を変えて残ってきているからです。
同和問題と色覚異常者に対する偏見と差別には、いろいろと共通するものがあるようです。というよりも様々な差別に共通する普遍的な構造といったものがあるのかもしれません。
例えば、「私は差別意識など持っていない」「被害妄想じゃないのか」という人が多いのですが、差別意識が表面化するのは結婚や就職などで、そのことが自分の身近な問題になったり利害が絡んできたときがほとんどであるということもそのひとつです。
また、差別を受けた人がそれを糾弾しようとした場合に、多くの人は自らの差別行為を反省する前に、自分の方が被害者ではないかという意識を持つことが多いのではないかと思います。確信犯ならばともかくとして、差別者の多くは自分が差別や偏見で相手を貶めているという意識自体がないために、自分がどうして抗議されているのかがわからないのではないかということです。
この「同和問題の解決をめざして」というサイトをたち上げた理由は、様々な差別事象をそれぞれ単独で解決していくという方法には限界があると思ったからです。いろいろな差別問題が複雑に絡み合っているためにそれぞれの差別問題を個々に解決しようとすると、他の差別問題とぶつかり合う可能性があるからです。
そのためには、それぞれの差別問題の相関関係を把握し、個別の事象ごとのおかれている位置を知って、総体的に解決していかなければならないと思います。
そのための足がかりとして色覚以外の差別問題について少し掘り下げて考えてみたいと思ったとき私の身近にあったのがこの同和問題でした。
1999/12/16 |
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