2020年1月8日 謹賀新年
 
今年の初詣、おみくじは「凶」でした
「苦しく何をしてもうまくいかないとき今が底と思えば自然と気持ちが
前向きとなるはずめげずに這い上がる事のみ考えよ気持ちまで
腐れば風向きは変わらない。」
心に沁みます。


2019年1月1日 元旦
 
新年、あけましておめでとうございます。平成最後の年となりました。昭和から平成となった30年前には毎日何をしていたのか思い出そうとしましたが、これといって頭に浮かびません。
 今と同じく稽古はしていましたので、結局30年間基本的に代わり映えしない生活を続けてきたとも言えます・・・。
 昨年の道場の忘年会の写真です。平成となって新たな仲間に恵まれたことは間違いありません。
 今年が災害のない年でありますように。


2018年1月8日 謹賀新年
 
前回の更新からとうとう2年以上経過してしまいました。本当にダメですね−。 今年こそは、今年こそはと思いながら非情にも年月は過ぎていきます。孔子の論語には「私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった」とあります。私はこの言葉に40代、50代と全く実感するところがなく、55才となってしまいました。特に「40にして惑わず(不惑)」とは、55にして迷ってばかりです。ところが実は、不惑は不惑でなく、「不或」だったという説もあるのです.。不或とは、「区切らず」の意で、本当は「四十にしてくぎらず」と解釈すべきであるということです。要するに、「自分を限定せずもっと可能性を広げなさい」いうことです。私はこちらの方がいいな-。「自分で枠をつくるな!」と言うことでしょうか。それは50才でも60才でも同じだと思います「不或」いい言葉ですね-
 
昨年の忘年会の写真です。今年も元気に頑張っていきましょう!


2015年12月23日 新しい帯
 
新しい帯が届きました。いつも自分で道場生の氏名を書き入れるのですが、字が上手い訳でもなく神経を使います。しかしながら私にとって幸福な時間であります。「よく頑張ったな」「まだまだこれから」などの感想とともに入門当時を思い出しながら書いていきます。


2015年12月13日 忘年会
 
昇級審査後、一般部で恒例の忘年会を行いました。「あっと言う間に1年経ったな−」などと話をしていましたが、気がつけば昨年と同じ店で同じ顔ぶれで飲んでいたのでした(日付のみ1日違い)。新顔が入ってこなかったことは残念ですが、全員が1年続いたことに祝杯を挙げたのでした。何の因果か、こうして同じ道場で縁を結んだ仲間です。末永く稽古を続けて行きたいものです。なお、二次会も昨年と同じ所に行きました。最後は「新極真会の歌」ですね!




2015年5月3日 そう言えば
 ふと、思い出せば、正月に引いたおみくじ 「凶」でした.

肝に銘じて、がんばります.!

2014年2月23日 ソチオリンピック
 
熱戦続きだったソチオリンピックもうとう最終日となりました。観戦する者からすると今回の大敵はズバリ「時差」でした。なにしろ決勝など一番見たい場面が日本では午前3時4時にLIVE放送されるのですから大変です。最初は自制していたのですが、ついつい・・・・フラフラになりました。自分が勝手に頑張ってLIVEで見た競技で日本人のメダル獲得はジャンプのラージヒルの葛西選手のみでしたが、女子モーグル、女子カーリング、女子フィギア、男子スキーアルペン回転、男子スピードスケート500mなど、深夜に一人でその健闘に興奮していました。そのなかで特に女子フィギアスケートの浅田真央選手のフリーには感動しました。不本意な成績に終わった前日のショートプログラムは寝てしまい見れなかったのでフリーは是が非でもLIVEで応援しようと気合を入れて観戦しました。最初のトリプルアクセル「上手く跳んでくれ!」と自分も、そしてその時日本中で見ていた全ての人が祈ったのではないでしょうか?やった!見事成功!最後まで素晴らしい演技でした。演技終了直後の浅田選手の表情を見て目が潤んできました。やはりオリンピックには感激します。選手、オリンピックに携わった皆様、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
 新極真会の緑代表が理事長を務め、空手のオリンピック種目化を目指すJFKO(全日本フルコンタクト空手道連盟)は今年5月に第1回全日本大会を開催します。空手を志す少年少女がオリンピックという舞台を目標にすることが出来れば、こんなに素晴らしいことはないと思います。

2013年12月15日 昇級審査
 とうとう2013年の年末となってしまいました。岡山市北道場では12月15日に昇級審査を行いました。審査は空手道を修行し、どれくらい心技体が身についているかを確認する場であります。みんな審査を乗り越え、たくましくなったと思います。
 さて、同じように稽古しても、ひとりひとり上達には差があり、審査を受け昇級して行くスピードもそれぞれです。一般的には速く、うまくなれば、帯を取れば良いと考えるのですが本当にそうでしょうか。もちろん一生懸命稽古して上達を目指す気持ちがなければダメです。その上で1000回やって身についた技とその10倍、10000回で見についた技は同じでしょうか?数多く時間をかけてやり込んだ分そこには違いがあると思います。効率化社会では受け入れられないかも知れませんが、もともと修行は効率とは無関係にしっかりと自分のものにしていくものだと思います。その意味では時間が掛かった方が良いとも考えられます。速く上達して強くなって例えば試合に勝つ。それは競技スポーツ的には目的であり正しいのですが武道の修行としては、それだけではないと思います。もともと修行には速い遅いも勝ち負けもありません。ただ人間は弱いものですから目標(審査、試合など)がないとやはり一生懸命になかなかなれない。また、それを乗り越えることで普段の稽古以上に心技体の成長も望めます。「継続は力なり」を実践するためにも積極的に挑戦する必要があると思います。
 なにか、まとまりのない文章となってしまいました。
 2014年が皆様にとって晴らしい1年になりますように!

2012年8月15日 暑さと慣れ
 
前回の更新から1年8ヶ月が経ってしまいました。もちろん様々なことがあったのですが、過去は振り返らずということで・・・・。今年の夏、とうとう自宅にエアコンをつけてしまいました。今の家に移ってから扇風機で5度の夏を乗り切ったのですが、諸般の事情で導入ということになりました。考えてみれば遠い昔、大学の寮ではクーラーどころか扇風機の使用も不可でしたし、社会人となった後も部屋ではブンブンと羽が熱風?を送っておりました。忘れただけかもしれませんが、特段支障なく過ごせたものです。
 暑さについてもそうですが、人間の身体には慣れというか順応性があります。空手の稽古でも初心者は基本だけでも精一杯ですが、日々励んでいれば、だんだん平気になってきます。ミットの打ち込みなども同様です。また、とても耐えられないと感じた相手の攻撃をもらった時の痛みにも慣れてきます。もちろん技術的な向上もありますが、身体も与えられる負荷に耐えられるようになってきます。こつこつ地道に稽古を継続すればの話ですが・・・稽古をさぼれば、身体は逆に楽な環境に順応してしまいます。「水は低きに流れ、人は易きに流れる」と言います。良い意味で身体を慣らしながら心技体とも向上していきたいものです。
 なお、暑さに無理に耐える必要はありません。熱中症にはくれぐれも注意して下さい!

2010年12月26日 昇段審査
 
2010年も残りわずかとなった12月26日に久しぶりに愛媛三好道場に行ってきました。野本師範代の昇段審査(参段)が目的です。順調に行けば岡山〜松山は3時間もかかりません。しかし・・寒波が・・・冬の四国行きは近年雪にたたられます。今回も松山道の伊予小松〜松山間が雪で通行止めとなり山間部の国道通行を余儀なくされました。JRで行く方法もありましたが三好師範と相談の結果、前日スタッドレスタイヤに交換済みの自分の車で国道11号の桜三里越えで松山へ向かうことになりました。山など周りは真っ白でしたが路面の凍結等はなく無事愛媛三好道場本部へ到着しました。午後2時より審査開始です。昇段審査が厳しいのはもちろんですが今回は野本の審査に愛媛在住以外の三好道場黒帯も集まり共に基本・移動・型・補強で汗を流し気合いを入れました(顔色が悪い者もいましたが・・・)。そして自分も相手をしたのですが最後の10人組手は壮絶なものとなりました。頑強で実直な野本の組手で戦い抜きました。本人のこれまでの空手修行がにじみでてくるような組手だったと思います。三好師範より称賛の言葉と共に参段合格が発表されました。おめでとう!みんなで胴上げです!夕方からは三好道場の納会があり自分も参加させていただきました。ゲストの方も出席され、ご父兄、子供達も多数いて華やかでにぎやかに盛り上がりました(自分が愛媛にいたころはほとんど道場生のおじさんばかりだったので・・・)。居魚屋もびっくりするようなすごい店でした。しかし多忙だったり遠くにいたり普段はなかなか会えないけれど、こうして集まって汗を流して飲んで食べて楽しかったです。ありがとうございました。これからも共に頑張っていきましょう!    (追伸) 大晦日〜元旦は再び寒波が来襲する予想となっています。要注意!

2010年9月23日 全員集合
 
本当に久しぶりの日記更新となります。昨日の雷雨で異常に暑かった夏もようやく終りを告げ本来の秋が訪れそうです。先週の土曜日に現在稽古に来ている一般部(中高生以外)が全員揃いました。自分を入れて計5名なのですが、大会や行事は別にして全員一緒に稽古して汗を流すことは初めてです。活気があって道場らしくて良かったですね〜。がんがん身体を動かして、汗をかいて、やはりこれに勝る幸せはありませんね!(正直、きついときもありますよ・・・との声も)新極真会のマークを胸にがんばっていきましょう!!

第10回四国岡山合同強化稽古
 
平成21年11月29日 愛媛県西条市総合体育館
岡山市北道場からは2名の参加と少々さびしかったですが、型・テクニックセミナー・スパーリング・サーキットトレーニングとたいへん中身の濃い稽古ができました。次回は平成22年3月21日です。みなさん一緒に行きましょう!

参加者:井上、松田

第9回全四国交流空手道選手権大会 平成21年11月8日 愛媛県武道館
近江俊介 壮年35〜40歳の部 優勝  馬場健太 一般初級の部 第3位
近江選手は第6回大会の準優勝から3年、正直動きは良くなかったですが気力で優勝することができました!おめでとう!
馬場選手も重量級相手に戦い良い経験になりました。ふたりの今後に期待します。



秋季昇級審査会 平成21年10月18日
受審者17名、みな気合いを入れて頑張りました!
     

第41回全日本選手権大会
平成21年 10月3・4日 東京体育館
優勝 塚本 徳臣(世田谷・杉並支部)
準優勝   青柳 茂瑠(福岡支部)
3位 島本 一二三(広島支部)
4位 山田 一仁(兵庫山田道場)
5位 野本 尚裕(愛媛支部)
6位 阪本 晋冶(大阪東部支部)
7位 村山 努(京都南支部)
8位 前川 憲司(徳島北東あわじ支部)
※岡山市北道場出場選手 井上達二 
二回戦敗退  

徳島県空手道交流大会 9月6日徳島県つるぎ町貞光中学校体育館

96日に第5回徳島県空手道交流大会が徳島県つるぎ町で開催され4名が出場、一般初級の馬場健太選手は一回戦接戦となり延長に入って動きが止まってしまい敗退。小学5年男子の部、松田一志選手は一回戦で黄帯の相手に下段回し蹴りで攻めて勝利、続く2回戦では力強い相手の攻撃に押されてしまいました。小学6年初級の部、森下崇選手は一回戦粘って判定勝ち、決勝は相手の攻撃が効いてしまい準優勝(祝 初入賞)。小学56年女子の部の丹原朱里選手は試合初出場ながら、どんどん前に出る戦法で勝ち進み決勝進出、準優勝に輝きました。みんな良く頑張りました。貴重な経験を今後に生かしましょう!


全中国空手道選手権大会  8月30日広島県立総合体育館

 830日に第26回全中国空手道選手権大会が広島市で開催され当道場より2名が出場しました。中学23年の部に出場した井上康太選手は初戦積極的に技を繰り出し攻め込みますが、小柄ながら動きの良い相手選手の上段蹴りをもらい敗退、壮年A出場の松田多生選手は順調に勝ち進みましたが決勝でパワフルな対戦相手の攻撃に押され敗退、準優勝となりました。まだまだ両選手ともに十分力を発揮していません。今後の活躍に期待します。


第4回カラテワールドカップ 6月20・21日 ロシア サンクトペテルブルグ



<開会式>



2009年7月19日(日) ロシア
 いまさらという気もしますが、ロシア第二の都市サンクトペテルブルグで第4回空手ワールドカップが開催され、自分も6月18日〜24日にかけて行ってきました。日本代表選手をはじめ皆様本当にお疲れさまでした。ここではロシアへ行った感想などを書きます(とりあえず 、その@です)。
・ロシアの人は笑わない
  ロシアに行ってまず感じたのはロシアの人が笑顔を見せない事です。もちろんまったく笑わないわけではありませんが、日本人から見れば基本的にムスッとしています。これは接客業でも同じで店などに入っても日本の様に笑顔で「いらっしゃいませ」と迎えられることはまずありません。長く続いたソ連時代の影響かサービスという概念がないと言ってもよいぐらいで、愛想笑いに慣れている我々は戸惑いました。初対面の人にはとりあえず笑顔で警戒心を解いて等の考えはなくストレートなんですよねー大雑把に言うとロシアは様々な面で日本のようにソフトではなくハードな印象を受けました。ぶつかりあう社会とでもいいましょうか・・・日本と違う文化・・・私個人としてはロシアは非常に興味深い国でしたね・・・。  

「レーニン像の前で」

2009年4月25日(土) 髪
 
どうでもいいことですが、髪を切りました。昨年末から切ってなかったので結構伸びました。俗にいうスポーツ刈りにしたので一気に涼しくなりました。これからの稽古にはピッタリです。思い起こせば貧乏学生時代は半年〜1年に1回しか床屋に行かず(行けず)前髪だけを自分で適当にカットしていました。肩から背中まで伸びたザンバラ髪に髭と今から考えるとすさまじい風貌でした。それを一気にスポーツ刈り(角刈り)にするので長い間太陽にあたってなかった襟足が青白くなっていました・・・・昔話はこれぐらいにして、髪を短くすると本当に白髪は目立ちますね・・・・。

春季昇級審査 2009年3月15日

315日に逢坂支部長に来岡していただき、岡山市北道場で昇級審査を行いました。今回は14名が受け、いつもより長時間の審査となりました。心配していた幼稚園児白帯4名の型「大極T」もひとりひとりが号令をかけ行うことが出来ました。やはり「やればできる」ですね。みな、よくがんばったと思います。
 色帯の道場生で基本技などに「くせ」があるのが目につきました。「くせ」は個性とは違います。慣れてきたころに自己流となって「くせ」がつきやすいのです。正しい姿勢、正しい技があってこその個性です。それがなければただ崩れているだけです。「初心忘れるべからず」です。
 空手の目的は「心技体」の向上です。昇級した人はその帯にふさわしい「心技体」を身につけるようにがんばりましょう。


2009年全中国空手道交流大会
(2月15日宇部西部武道館:山口中央支部主催)
 

 国地方の支部・道場の交流及び選手のレベルアップを目的とした第一回の全中国交流大会が山口県宇部市で行われ、岡山市北道場からは4名が出場しました。
 中学生の部、井上選手は初戦開始早々に上段廻し蹴りで技ありを取られて敗退、後半は互角に打ち合えるものの最初の30秒が受身になって相手にペースになってしまいます。続いて壮年の部、松田選手は連続技でペースを握るものの長身の相手の上段をもらい敗退、惜しい試合となりました。一般初級に出場の馬場選手は一回戦では相手の顔面殴打で反則勝ち、準決勝では地力に勝る相手に突きを効かされガードが下がったところを上段廻し蹴りで技ありを取られて敗退しましたが、いい経験となりました。同じく一般初級の近江選手、初戦は粘り強い岡山東支部の青山選手が相手です。接戦となりましたが下段を中心に攻め3−0で判定勝ち、しかし決勝では手数が出ず準優勝となりました。
 負けには必ず理由があります。全員が課題に取り組み今後の稽古に活かしていきましょう。
 主催をされた御手洗支部長をはじめ山口中央支部のみなさん、お世話になりました。ありがとうございました。


第一回香川県空手道交流大会
(1月25日 高松市総合体育館:香川中央支部主催)
 
「表彰式」みなさん、お疲れ様でした
  
         中学生の部 入賞者
 
  健闘!選手と応援団     一般男子新人軽量優勝 馬場健太(右) 中学3位 井上康太

2009年1月1日(元旦) 寒稽古
 
「雪のため高知道一部通行止め」の電光表示を見たのは四国に入ってからでした。寒波の到来が予想され三好道場OBの現役気象台予報官より再三注意を呼びかけられていたのに・・・・・同じ情報を得て愛媛支部は出発時間を早め、通行止めになる直前に四国山地を通り抜けていました。「まあ、大丈夫だろう」と昨年の悪夢を忘れ、いつもどおりの新年午前1時に出発、2時前に豊浜SAに到着、この先は高知道の川之江東〜大豊が通行止めになっています。昨年は高知道の起点である川之江JCで通行止めになっていたので否応なしに高速を降りて魔の県道5号線へ突入していったのですが、今年は川之江東JCまで行けます。少々ややこしいですが川之江東JCは徳島道の起点ですので徳島道へ入れます。今年は徳島道を池田まで行き国道32号線を通って大豊から高知道に乗ることにしました。これがグッドチョイスで雪は降っていたものの路面は問題なく32号線を1時間半で通り抜け、その後も快調に飛ばし午前4時半に桂浜に到着しました。三好師範をはじめ皆様ご心配をかけてすいませんでした。
 200名以上が参加し寒稽古はランニング・基本・補強と進み、いよいよ海に入ります。今年はテレビ放送のため海に浸かっている時間が長くなりましたが生中継はなにかと大変です。腰まで海に入っての正拳突きを行い終了、その後竹澤、野本の両師範代と共になぜか全身ずぶぬれになって水から上がりました。焚き火にあたって豚汁をいただいてほっと一息です。しかし桂浜の初日の出は素晴らしいですね−心が洗われます。桂浜を後にし高知県本部で「新極真鍋」とともに楽しいひと時を過ごし昼前に高知を出発、高知三好道場の皆様お世話になりました。この時点で高知道の川之江東〜大豊は通行止めのままでしたが昨日と逆コースで行けると簡単に考えていました。しかし国道32号線が大雪と路面凍結で大渋滞・・・精根尽きはてました・・・。なんとかたどり着いた池田で愛媛支部の方々と別れ、岡山へ帰り着いたのは午後4時半でした。参加した皆さんお疲れさまでした。
 2009年の始まりはいろいろと波乱を乗り越えた寒稽古でした。この調子で?今年もがんばりましょう!

  

2008年12月29日(月) 稽古納め
 前の更新から月日が経ってしまいました。熱気むんむんの徳島県交流大会、今年最後の四国岡山合同稽古、たいへん勉強になった山本健策師範のセミナー、少数精鋭の忘年会と行事があり、その都度日記を書くぞと思いながらとうとう年末になってしまいました・・・・。
稽古納めは今年は27日でした。少年部は予想外に出席が良く13名の子供達と稽古をしました。気合もだんだん出せるようになり、入門した時に比べて皆ずいぶんたくましくなったと思います。元気で来年もがんばりましょう!少年部が帰宅した後の一般部は自分を入れて総勢3名でした。道場が広々と使えて良かったです。ははは・・・冗談はさておき、来年早々の香川県交流大会に出場する2名とともに基本の後はスタミナ養成中心にミット・スパーリングとハードに行いました。よい稽古が出来たと思いますが来年の稽古納めは大人数で行いたいものです。今年を振り返ると反省ばかりですが心機一転来年は気合を入れていきます。
本年はありがとうございました。皆様の2009年が良い年でありますように、押忍


2008年11月30日 新極真会四国岡山合同稽古
今年最後の合同稽古、約120名が四国・岡山・和歌山より愛媛県西条市に集合
岡山市北道場からも5名が参加、最後まで頑張りました



2008年11月9日 第4回徳島県空手道交流大会
「徳島のみなさん、お世話になりました」 遠征した岡山市北道場生一同
 
今回、当道場より4名の選手が出場しました。入賞は中学軽量級の井上康太1名(優勝)でしたが、全員よく戦いました。
勝利をつかむためには勇気をふるって打ち合わなければならないこと、自分からいかなければならないことが必要と思いますが、ようやく試合で少しずつですが体現出来るようになってきました。「継続は力なり」です。がんばりましょう!


2008年10月5日(日) 岡山市北道場 秋季昇級審査 
 
 
型「大極T」!?                      「上段まわし蹴り」


「審査終了、全員集合」


2008年10月26日(日) 泣く子供
  
道場へ通う小さな子供のなかには、入口で泣く子がいます。いや、泣く子の方が多いと言ってもいいでしょう。おかあさん、おとうさんと別れるのがつらい、空手をするのが嫌、眠い・・・理由は様々なのですが、かなり強硬に駄々をこねることもあります。保護者の方も困惑しますが、こちらは慣れているのでどおってことはありません。体調が悪い場合を除いて保護者の方が帰ると大体泣き止んで、しばらくすると練習に参加するようになります。終わりの時間が来るころにはすっかり元気になっています。小さな子供は「今」しかないようです。過去が尾を引くこともなく、もちろん先のことなど考えません。現在の感情がストレートに現れます。そこが天真爛漫で子供の可愛いところとも言えます。しかし、成長のためには大人が子供の言うことばかり聞いていてはいけません。嫌がっても、泣いても、とにかく道場へ連れてきて下さい。なんとかなります。大丈夫ですよ。

2008年8月24日(日) 第25回全中国空手道選手権大会 広島県立総合体育館
(一般) 準優勝 井上達二     (壮年A) 優勝 松田多生

 
「岡山市北道場として初めて全中国大会に出場しました。
松田選手、こつこつ続けた稽古の成果がでました。おめでとうございます!

2008年8月17日(日) ドリームカップ
  
前回この日記を書いたのが、なんと5月ということ久しぶりの更新となります。何事も継続することがむずかしいというのは本当ですね。さて、先週は第一回となるカラテドリームカップが東京体育館で開催されました。記念すべきこの大会に当道場から近江選手が出場、初戦で敗れましたが来年に向けて良い経験になったと思います。残念だったのはセンターの試合場に立てなかったことでしょうか、極真の選手にとっては東京体育館のセンターコートは夢の舞台です。自分も20年前に初めて全日本に出場が叶い無我夢中で戦ったことを思い出しました。岡山市北の選手は来年こそ大舞台に立って試合が出来るようにがんばりましょう!また、野本をはじめ愛媛支部の山本、伊東、豊嶋にはいろいろと近江が世話になり、ありがとうございました。試合に出場された選手のみなさん、お疲れ様でした。故大山総裁が大会の閉会の挨拶の中でよく「勝って驕らず、負けて落ち込まず」と言っておられましたが、この言葉を噛み締め今後もともに精進しましょう。

カラテドリームカップ2008」で初登場!
新極真会のマスコットキャラクター「ドリー夢くん」
よろしく!









(試合終了後・・これから新宿へ・・・)

2008年5月25日(日) ケータイ・ネット時代
  
毎日のように電車に乗っていますが、車両にひとりで乗ってきた人が席について、まずすることは携帯電話をいじることです。さすがに電話で会話をする人はほとんどいませんが、画面を見て指を忙しそうに動かして没頭しています。ふと考えれば、ほんの?10数年前携帯電話が普及していない頃は皆何をしていたのでしょうか?思いつくのは本を読んだり、考えごとをしたり、景色を見ながらボーとしていたり・・・ですが、電車のなかに限らず日常生活に携帯電話やパソコンがなかった頃何をしていたのでしょうか?IT(情報技術:information technology)の進歩は確かに便利な社会を築きましたが失ったものも必ずあると思います。特に今の子供たちは我々と違って初めから俗に言うケータイ・ネット時代を生きています。本質的にはITとは関係がない空手道、空手道場の存在意義がここにもありそうです。道場HPなどもありますので全く無関係ではありませんが・・・

2008年3月9日(日) マラソン
 
今日、名古屋国際女子マラソンが行われました。北京オリンピックマラソン日本代表選手最終選考レースとなった大会で強豪選手が多数エントリーしましたが、最も注目されたのはやはりシドニーの金メダリスト高橋尚子選手でした。結果からみれば27位と惨敗、五輪は夢と消えました。マラソン競技のことはよくわかりませんが、いつも感心するのは高橋選手の態度の立派さです。日本中が注目するなか、自分の全てをかけたマラソンで身体は思うとおり動かなかった・・・落胆のなかで今回もレース後の記者会見では真摯な態度で明るく受け答えしていました。こんな時でも見ている人に勇気あたえてくれる高橋選手、本当に尊敬に値する、まだまだ応援させてほしい選手です。また、高橋選手のお父さんが「人生山あり谷あり、娘の人生にとって良い経験ができてよかった」とコメントされていましたが、自分も親として感銘を受けた言葉でした。

2008年2月24日(日) スポーツは「良い子」を育てるか
 
最近、印象に残る本を読みました。ちょっと刺激的な題名ですが「少年スポーツ ダメな指導者 バカな親」と「スポーツは良い子を育てるか」です。両方ともサッカー指導者でスポーツジャーナリストの永井洋一さんが書かれた本です。勝利至上主義のもと行われている理不尽な指導、子供が自分の思い通りにならないとイラつく親など、現代スポーツの弊害に毒される少年達の姿が描かれています。勝つことが全てに優先するスポーツ(競技とすれば武道も含む)では目的は当然「なにがなんでも勝つこと」であり、そこには本来あるべき少年少女の良き人格形成に役立つための指導は生まれてこないことを自覚していかねばと思います。なんのために勝利を目指すのかよく考え、もっと大事なことがあることも教えていかなければ子供がスポーツ・武道をする意味がないとも言えるでしょう。そのあたりのバランスがむずかしいことも確かですが・・・自分も指導者のはしくれとして非常に考えさせられる内容でした。
2008年2月10日(日) シーズン到来
 
プロ野球のキャンプも始まり、毎日スポーツニュースを賑わしています。いよいよ野球シーズン到来といったところですが、スポーツにはこのようなシーズンがあります。しかし武道には当然と言えば当然ですがありません。空手の世界にも、もちろんありません。それでも選手が試合を目標に考えるとそろそろといったところでしょうか?3〜4月から各地で始まる大会、5月の全日本ウェイト制に向けて稽古も激しさを増していくことでしょう。稽古前のブルーな気持ち?を振り払い、気力体力を振り絞る光景が日本全国の道場で増えていきます。やるか、やらないか、毎日さまざまな葛藤があると思いますがとにかく道場へいきましょう!仲間が待っています・・・

2008年1月27日(日) いい汗
 
ここしばらく一般部の出席率が高くなっています。高いと言っても元の人数が少ないので自分を入れて6〜7名(少年部を含む)といったところですが・・・人数と空手の稽古とは関係ありませんが、やはりみんなの顔が揃うと嬉しいものです。稽古は身体が温まってくると気も乗ってきますが、人が多いとそれも早いようです。外は寒風が吹いていても、道場内は、お互いの放出するやる気(情熱)が相乗効果となり、まさに熱い状況を生み出すことになります。様々な事情や誘惑?もあるでしょうが、とにかく道場にきて、いい汗流して共にがんばりましょう!

2008年1月7日(月) 元旦 寒稽古
<どこまでも続く、細く曲がりくねった雪道・・・現在、元旦の朝4時、ここはどこだろう?>
 新年になってすぐの午前1時過ぎに岡山を出発、強い寒気による雪の影響で徳島道が通行止めになっているのが気がかりではあるが今のところ高知道は通行出来そうです。岡山県内は雪はなく瀬戸大橋も50km/hの速度規制がかかる強風で、車が左右に蛇行するものの無事通り抜け四国へ到着、しかし、香川県に入って快調に進んでいた午前2時過ぎに高知自動車道(川之江〜大豊 間)通行止めの情報が・・・豊浜を過ぎると雪が降り始め、高速を降ろされた川之江インタ−チェンジでは一面銀世界へと変わっていました。降りしきる雪の中を県道5号線へ入ります。最初の登り坂でチェ−ンを着けるため停車中の野本師範代率いる愛媛三好道場軍団4台と合流、さすが愛媛県人、チェ−ンの用意はしてきても装着するのは初めてという豪の者ばかりで悪戦苦闘するなか、北海道出身の道場生が大活躍中・・・。冬用タイヤのわが車は一足先に出発しました。雪はやんでいるものの路面は真っ白で山の中へ続いています。冬用タイヤとはいえ数年前のスタッドレスタイヤでのアップダウンは不安でしたが慎重になんとか車を進ませ、わずかな望みをかけて新宮インタ−チェンジへ到着しましたが、やはり通行止めのままでした。覚悟を決めて大豊へ向かいました。この道は高知道の高架下を縫うように走っている険しい山道で大半が一車線しかありません。漆黒の闇と真っ白な雪のなか気がめいるようなドライブが続き、気がつけば後部座席の子供達も黙り込んだままです。なんとか午前5時過ぎに大豊インタ−チェンジから高知道に戻れました!雪もなく本当に別世界の高速道路を再び合流した愛媛組とひたすら飛ばし高知市内へ、最後の試練か?桂浜へ向かう浦戸大橋が暴走族対策の交通規制ですんなり渡れなかった時には思わず天を仰ぎました・・・6時半ごろやっと寒稽古に参加することができました。さすがに今回は痛いほどの寒さでしたが気合で海に入り正拳突きを行います。新極真会ファイト!TBSの全国生中継も無事に終わり、雲の間から初日の出も現れました。新年の前途多難を思わせるような道中でしたが終わりよければ全て良し、2008年のいいスタートがきれました。今年もよろしくお願いします。みなさん頑張りましょう!中谷会長、三好師範、お疲れ様でした。高知支部の皆様、お世話になりました。ありがとうございました。押忍



2007年12月30日(日) 寒波と寒稽古
 
強い寒気の流入で、これから年末年始の天気は荒れそうです。中国四国地方の上空約5500メ ートルに氷点下30度以下の、この冬一番の強い寒気が流れ込み、強い冬型 の気圧配置となる見込みです。 山間部を中心に大雪、平野部でも積雪のおそれがあります。また強風と高波に注意が必要です。特に移動には最新の気象情報の確認、交通状況の把握、車ではチェーン等の準備が必須となります。自分も元旦の高知県桂浜の寒稽古に参加する予定なのですが、辿り着けるかどうか危惧しています。年が変わってすぐの夜中に岡山を出発しますが瀬戸大橋が通行出来るかどうかが第一関門です・・・。(昔話)そういえば二十数年前に高知大生の頃、第一回か第二回の寒稽古の時だったと思いますが、当時高知中央郵便局で年賀状の仕分けの夜間アルバイトをしていた自分は元旦の朝5時か6時くらいに勤務が終了し、桂浜に自転車をとばし向かったのですが(本当に若かったですねー)到着したのは寒稽古終了後で師範をはじめ皆のなんとなく冷たい視線をあびて再びとぼとぼと自転車を漕いで帰った記憶があります・・・。とにかく寒稽古参加される皆様無事に桂浜でお会いしましょう! 忘年会の写真を入手しましたので張っておきます↓

2007年12月23日(日) 忘年会
 
今日は道場初の忘年会を行いました。昨年は人数が少な過ぎて出来なかったのですが、道場生が倍増?した本年晴れて開催することになったのです。集まったのは岡山市北道場の精鋭5名、まずは鳥料理で飲んで食べて3時間、空手を愛する者同士話が弾みました。その後場所を変えてカラオケ大会!自分の懐メロはさておき、しっとりバラード系の浜口、乗りのいい曲を連発する近江、松田、尾崎豊なら全部OKと豪語する赤羽、おじさん軍団の歌で盛り上がりました。日付の変わったところで正拳10本突きで締めました。今年一年お疲れ様でした。来年は飛躍の年となるようにみんな頑張りましょう!まだ今年は26日に稽古納めがあるのでお忘れなく・・・



2007年12月8日(土) 修行
 
早いもので今年も残り三週間となりました。年末になると自分は何もなくとも慌ただしく感じて少しばかり気分が高揚するのですが、みなさんはいかがでしょうか?話は二週間前の中国四国交流試合に戻るのですが、今回は松山までの行きの車のなかで少年部4名が大はしゃぎ!緊張するよりはいいと思い放っておいたのですが試合前にエネルギーを使い果たしたようで全員初戦で負けてしまいました。試合直後は少々落ち込んでいたようですが、帰り道では元気を取り戻してわいわいやっていました。勝とうとすれば試合に向けて集中力を高めていくことも教えていかなければならないと思います。一生懸命やって楽しく良き思い出となればそれでいいのですが・・・帰りの車中で少年部のひとりが「一から修行をやり直す」と言い出したのには思わず笑みがこぼれました。道場生のみなさん頑張っていきましょう。

2007年11月23日(金・祝) 中国四国交流空手道選手権大会目前
 
いよいよ中国四国交流空手道選手権大会が明後日に迫って来ました。愛媛支部に在籍していた第5回大会まで運営に携わっていたため、自分はこの大会には格別な思いがあります。第一回大会は重信町(現:東温市)のツインドームで行われ、まだ大会も大きくなく今から考えるとのんびりした雰囲気があったと思います。第二回からは松山市内で行うことになり、なかなか会場がなく野本師範代と悩んだ末、坊っちゃんスタジアムのスポーツフロアに決まりました。大会終了後に選手が残り全日本大会前の四国強化練習を行った思い出もあります。第3回からは新たに完成した愛媛県武道館で開催、この時は副道場でしたので、第4回からはぜひ主道場で行いたいと考えていましたが、さすが愛媛県が世界に誇る武道館は予約がいっぱいで難しく正直無理かな〜と思っていました。しかし本当に運良く1日だけ日曜日が空いていて、それも早い者勝ちなのでインターネット予約が受付開始となる3ヵ月前(8月)の同日に日付が変わるのを待って必死にパソコンのキーボードを叩いて仮予約を取ることが出来てほっとしたことを憶えています。初めての主道場での開催で、交流試合とはいえ、このころから大会規模も大きくなり不安でしたが、愛媛三好道場みんなの力で乗り切ることが出来たと思います。自分は第5回大会を最後に愛媛支部を去り、第6回大会は岡山から参加させてもらいましたが、ますます盛大となり本当に嬉しく思いました。三好師範、各道場の先生方、スタッフのみなさん今回もお世話になります。出場選手、応援・保護者をはじめ大会に参加する全ての方々がいい思い出を作れますように・・・・・・押忍

2007年9月30日(日) 昇級審査
 
9月30日(日)に岡山市北道場において昇級審査を行いました。これまでは受審者も少なく愛媛支部三好道場の審査会で一緒に受けさせていただいていたのですが、開設から一周年を機に、当道場で初めて実施しました。緊張の色が隠せない9名の審査受審者(少年部5名、一般部4名)でしたが、普段の稽古の成果を発揮すべく最初の基本に臨みました。汗が流れると共に気合も増していきました。拳立ての後は型です。白帯の少年部はなんとか覚えた大極Tをこなしました。手技、足技の移動の最後は5本蹴りです。上段への蹴りをひたすら繰り返しました。次のジャンピングスクワットはさすがにきつそうでしたが、一般部50本は最低ラインです。がんばりましょう。小休止の後、最後に組手を行いました。ここまできたら大事なのは勇気、気迫です。怖さに立ち向かい全員戦い抜きました。審査終了!。技量はともかく道場生は皆やりとげたのは確かです。お疲れさまでした。心身ともに少しでも向上していけるように、これからも自分と一緒に稽古を続けていきましょう。よろしくお願いします。 最後になりましたが今回の審査に岡山まで来ていただいた逢坂師範、ありがとうございました。 写真はこちら   審査結果はこちら























2007年9月22日(土) ゲスト 
 
9月22日(土)に道場にゲストが訪れました。オーストラリアのケアンズで「秀武館」という空手道場を主宰しているマイケル先生とご家族、道場生のカイ君です。武道とビジネスのため来日され、当道場に立ち寄りました。 写真中央のカイ君は、フルコンタクトの空手は初めてということで戸惑いもありましたが長い手足を生かしスパーリングまで良くがんばりました(まだ小学5年生)。少年部の生徒も大きな相手に果敢に攻め、いい稽古となりました。世界に広がっている空手を道場で実感することが出来て、とても有意義な時間でした。ありがとうございました。 



















2007年9月9日(日) ようこそ
  
高知支部(中村)から当道場に浜口君が移籍してきました。仕事の関係で岡山へやってきたのですが元気に稽古をしています。自分も転居に伴い何回か支部を移りましたが同じ空手とはいえ基本や移動などに微妙な違いや道場独特の稽古があったりして、なかなか大変です。やはり汗を流して身につけたものは簡単には変更できないものです。しかし一番大事なのは道場の空気に慣れることです。なんとなくぎこちない感じも新しい仲間が出来ると共に解消され、居心地のいい空間へと変わっていきます。そうして道場の一員となればいっそう稽古にも熱が入ります。自分も移籍するたびにそれを繰り返してきました。今、振り返ると、とてもいい経験、いい出会いをしたと思います。彼にとって岡山市北道場がそうなるように稽古指導をしていきたいですね。

2007年8月11日(土) 夏祭り
  
暑い日が続きます。今日は道場のある大岩町内の夏祭り盆踊り大会があります。この地区では町内ごとに夏祭りが毎週のように行われています。祭の音楽が開催場所の公園から聞こえてきます。なんとなく心が浮かれ、子供たちも落ち着かない様子です。今も昔も祭は子供達の大きな楽しみのようです。いい思い出をつくってほしいですね。準備等をしてくださる方々に感謝したいと思います。今日の稽古は自分が全日本ジュニア大会で今夜上京するため及びこの祭りのため少年部の時間を繰り上げ、4時30分〜6時にしています。一般部は来週の徳島交流試合に備え自主稽古を行う予定です。

2007年8月5日(日) 若さ
  
土曜日の稽古は少年部5時30分〜7時まで、一般部は7時30分〜9時までですが、小学校4年生の崇君は両方に出席しています。中学校1年生の康太君は野球部の練習を早朝から夕方までしてから稽古に出ています。ふたりとも19日の徳島交流試合に出場しますので、一般部では試合に向けた稽古を大人と同じようにこなしています。この二人をみていると本当に若さのすばらしさを感じます。稽古での苦しさは当然あるのでしょうがその回復力には毎回驚かされます。バテバテで稽古を終えても掃除の雑巾がけではダッシュでおじさん達を抜いていきます。一晩眠れば疲れもとれるようです。大人になると苦しさ=疲れになってしまうのですが、彼らには通用しません。昔は俺も元気だったよなあ・・・などとつぶやきながら、なんとか今日も稽古を終えて道場を後にしました。

2007年7月29日(日) 盛夏
  
太平洋高気圧に覆われて、昨日西日本では各地で猛暑日(最高気温35℃以上)となりました。岡山市では最高気温が35.4℃でこの夏一番、ちなみに全国一は高知県のアメダス本山でなんと38.1℃でした。夕方からの稽古で道場内は蒸し風呂状態、夏本番を満喫しました。最近は空調がある道場が多くなりましたが(特に街中の道場では騒音防止のため窓を閉め切らなければならないためクーラーは必需品?です)郊外にある我らが岡山市北道場はさわやかな自然の風が身体を癒してくれます!扇風機もあります。余計なことですが我家にもクーラーはありません!!本日も岡山は猛暑日となりましたが、みなさん、へこたらず頑張っていきましょう。「空手でいい汗かきましょう」くれぐれも体調を崩さないように・・・

2007年7月5日(金) 唯歩めば至る
  
先日、所用があり帰りがすっかり遅くなりました。自転車で帰る友人と会話しながら自宅方面へ歩いていたのですが、その後友人が帰り、ひとりとなりました。バスはとっくに終わっており、タクシーも見当たらない状況で距離は数キロ?残っていました。その時なぜかはわからないですが「いっちょ歩いてやるか〜」と考え、深夜の道をとぼとぼ歩き始めました。しかしひとりで、ただ黙々と歩くのは結構きつかったですね・・・・・もう20数年前になりますが高知大学空手道部主催の行事で「室戸貫歩」というのがあり(今も続いています)、高知市朝倉にある大学から室戸岬まで100kmを一晩かけて歩きました。蓄積していく疲れとともに仲間との会話も途絶え、足を痛めた友人は置き去りにして最後はひとりで(歩くペースが合わないからだんだんこうなってしまう)真っ暗の道をひたすら歩くだけで、きつくてなんの楽しみも面白みもない行事だと、5年連続で歩きましたが当時は心底思っていました。しかし今考えるとなかなか味のある、いい経験をさせてくれたと感謝しています。おおげさに言うと「歩くという事は人生そのもの」なのです。このへんはお遍路さんにも共感していただけるのではないかと勝手に考えています・・・・・家に帰り着いたのは午前3時をまわっていました。

2007年6月27日(水) ラニーニャ 

  道場で汗まみれになる季節になってきました。稽古に汗はつきものとはいえ梅雨期から夏にかけての道場の暑さは格別です。
  さて、みなさんはラニ−ニャという言葉を聞いたことがあるでしょうか?ラニーニャとはスペイン語で女の子の意味ですが、ラニーニャ現象とは太平洋赤道域の中央部(日付変更線付近)から南米のペルー沿岸にかけての広い海域で海面水温が平年に比べて低い状態が続く現象のことです。(反対に高い状態が続くのがエルニーニョ)現在、そのラニーニャ現象が発生しているとみられ、秋まで続く可能性が高くなっています。はるか南の海がどうしたと思われるかもしれませんが、この現象が世界の天候にさまざまな影響を及ぼし、もちろん日本の気象にも大きな影響を与えるのです。例えばラニーニャ現象発生時の東日本・西日本の夏の天候の特徴として平均気温は平年並みから高くなる傾向があります。6月25日に発表された3か月予報でも、例年通り暑い夏となる確率が高く、猛暑の可能性も予想されています。
  考えただけでも汗がふきだしてきそうですが、暑くなりそうな今年の夏、くれぐれも体調を崩さないように稽古を頑張りましょう。稽古終了後の爽快感もまた格別です。

2007年6月17日(日) 少雨
   
関東甲信地方まで梅雨に入りましたが、西日本はあまり雨が降りません。西日本は春以降、降水量が少ない状況となっており、四国の水がめの早明浦ダムは昨日で貯水率が33パーセント(平年値は88パーセント)まで下がり、香川用水の50パーセント供給カットなど第3次取水制限が始まりました。愛媛県松山市の水源、石手川ダムも貯水率が下がり続け取水制限が強化されています。香川県内ではプールの使用中止が広がるなどの影響が出始め、このまま少雨状況が続けば深刻な水不足となりそうです。なお、しばらくはまとまった雨は降らない予報になっています。かつて「高松砂漠」と言われていた高松市、災害が起こるような大雨は困りますが、恵みの雨が降って欲しいものです。
  谷、大阪府大会優勝おめでとう!!これからも頑張りましょう!!


2007年6月4日(月) 澄んだ瞳
  
先週4才の男の子が入門しましたが、稽古中に「話をしている時はきちんと聞きなさい」と言うと頷いてまじまじとこちらを見詰めてきました。月並みですが本当に純で澄んだ瞳を見て、何か久し振りにきれいだなーと感じました。大人の目が濁っているとはいいませんが、様々な経験をして成長していくなかで失われてしまうのでしょうか?この輝きはやはり煩悩のない幼児特有のものだと思います。しかし、空手の稽古に一心不乱に取り組んでいる時は、誰でもその輝きを取り戻しているはずです。日常の心を悩ます欲望から自分を解き放つことができるのが道場です。

2007年5月27日(日) 雑草
  
4月の四国大会、5月の全日本ウェイト制と大会に出場しました。不甲斐ない自分を応援してくれたみなさんには感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。本当に心技体とも不十分でした。「日暮れて道なお遠し」の感を禁じえません。そんな自分を奮い立たせてくれるのはやはり道場です。道場生とともに汗を流すと厭世感も消えていきます。踏まれても踏まれても生えてくる雑草のようにたくましく生きてゆきたいと思います。

2007年4月30日(月) ランニング
  
空手の稽古の一環としてランニングをしている方は多いと思います。全身の持久力をつけるのに欠かせないので自分も出来るだけ走ろうと考えてはいます。20代の頃は岡山市の県総合グラウンド、津山にいた時はグリーンヒルズ津山でランニングやダッシュをしていました。今は手頃なところがないので走るのはもっぱら道路です。ここに問題があります。なにぶんジョギングをするのではなく、時間もないので、とにかく息のあがるダッシュや中距離走(1分〜5分)をするので、ちょっとまわりの目が気になります。いい歳したおっさん?が顔を歪めヒーヒー走っていいるのですから・・・また、走るのは夜ですが、とくに今住んでいる所は郊外で暗いのです。先日も坂道をあえぎながら登っていくと突然、自転車が現れ衝突する寸前でした。先方(女性)も暗闇から汗まみれの男が息を切らせ出現したのでもっと驚いたでしょうが・・・物騒な世の中ですのでランニングするのにも不審者と間違われないように気をつけなければいけません。

2007年3月11日(日) 昇級審査
  
3月9日の金曜日に愛媛県松山市で行われた愛媛支部三好道場の昇級審査に参加させていただきました。当道場より4名が受審(一般2名・少年2名)しました。いつもどおりの厳しい審査でした。近江・松田の一般部(壮年部)2名は基礎体力が難関で、今後の課題となりました。スパーリングでは三好道場(チームシルバー)のきびしい洗礼を受け、特に白帯の松田にはきつかったと思いますがなんとか乗り切りました。少年部の白帯、崇の型を心配していたのですがなんとか間違えずに出来ました。スパーリングでは女子の強豪、大出早璃衣ちゃんといきなりあたりました・・・いい経験になったと思います。康太、崇ともに普段は同じくらいの学年の少年部がいないので今回スパーリングが出来て良かったです。4名とも全力を出して頑張れたと思います。審査後の食事会に参加したあと帰路に着きました。往路で初めて瀬戸大橋を渡ったということで帰りにもう一度見ると言っていた崇ですが、夢の中でした。岡山に帰り着いたのは午前3時前でしたが、みな元気(ダメージは別として)に土曜日の稽古に参加しました。次の目標は四国大会です。気合を入れていきましょう。三好師範、愛媛支部のみなさんお世話になりました。ありがとうございました。

2007年2月18日(日) 挑戦
  
3月9日(金)に昇級審査(愛媛支部の昇級審査に参加させていただきます)、4月15日(日)に全四国大会と行事が続きます。道場生のみなさんには積極的な参加をお願いします。もちろん、帯や試合は空手道の一部分でしかありませんが、かけがえのない大事な要素でもあります。普段の稽古でたくわえた技量を発表する場であり、緊迫した場面を乗り切る精神力を養うことができます。挑戦する気持ちで参加してほしいと思います。井上まで気軽に相談してください。

2007年2月4日(日) 備中高松城
  
本日、夕方前に時間があいたので、高松城に行ってきました。通勤途中で毎日見ている香川県の高松城(玉藻城)ではなく、岡山市にある高松城(備中高松城)です。歴史好きの方ならご存知でしょうが、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)の水攻めで有名な城です。以下、解説文より『織田信長の命を受けた秀吉は、3万の大軍をもって、備中に侵入し毛利方の諸城を次々に攻略するとともに、備中高松城を攻撃。秀吉は、高松城主の清水宗治に利をもって降伏するように勧めたが、義を重んじる宗治はこれに応じなかった。高松城は深田や沼沢の中に囲まれた平城で水面との比高がわずかに4mしかなく、人馬の進み難い要害の城であった。秀吉は参謀・黒田官兵衛の献策に戦史にも稀な水攻めを断行し、兵糧攻めにした。秀吉は、備前国主宇喜多氏の家臣・千原九衛門勝則を奉行とし、約3kmにおよぶ堤もわずか12日間で完成させた。時あたかも梅雨の頃で、増水した足守川の水を流し込み、たちまちにして188haの大湖水ができ城は孤立した。6月2日の未明、京都本能寺で信長は明智光秀に討たれた。秀吉はこれをかたく秘めて「今日中に和を結べば毛利から領土はとらない。宗治の首級だけで城兵の命は助ける」という条件で宗治を説かした。宗治は「主家(毛利氏)の安泰と部下5千の命が助かるなら明日4日切腹する」と自刃を承諾。清水宗治辞世の句は、浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して秀吉の中国大返しから始まる全国制覇の出発点でもあったのです。城といっても現在は城跡公園で、本丸跡に清水宗治の首塚がありますが、当時の遺構等は、ほとんど何も残ってはいません(資料館は時間外で閉まっていた)。ほんとうに静かでのどかな落日の風景、のんびり散歩する人々・・・。生死を賭けたぎりぎりのドラマが繰り広げられた舞台とは信じられません。諸行無常というか、人の一生というのは本当に夢のようなものだと感じました。

2007年1月22日(月) 神田川
  
今月初め総本部の鏡開きに上京しましたが、最寄の駅に着いたのが少々早く、ウロウロしていると駅の周辺地図に「神田川」の文字がありました。そうです♪あなたはもう忘れたかしら♪の神田川です。このフォークソングの名曲の題名になった川には自分なりのイメージというか思い込みがありました。その川が突然自分の目の前に現れたのです・・・高架の下に汚い水が溜まっていました。コンクリートで固められ、水が澱んでいる水路が神田川でした。このように思いと現実が違っていることはよくあることなのですが、少し寂しく感じその場を離れました。空手についても実際やったことのない人々は様々なイメージをもっていると思いますが、良いイメージがあるからこそ実際に道場に見学にきたり、入門したりするのではないでしょうか。それを裏切らないようにがっかりさせないようにきもに銘じて稽古・指導していきます。

2007年1月2日(火) 寒稽古
  
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいします。2007年は高知県桂浜での寒稽古で始まりました。元旦の早朝5時半から行われる新極真会三好道場の寒稽古は今年で23回目という伝統があり、200名以上の参加者があります。「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」も終わり新年早々の午前1時に岡山市の道場を出発、メンバーは自分、近江、康太の3名です。道中は非常にスムーズ、年末につけたETCの効果もあり3時半頃に到着しました。桂浜には一番乗りでした。その後、高知本部より、三好師範をはじめ続々と参加者が到着、愛媛支部は20名が松山から参加です。いつものとおり焚き火をおこし準備開始、あたりはまだ真っ暗です。5時半整列、師範訓示のあと、基本、ランニング、帯別の稽古、ダッシュと進んでいきます。なお、三好道場会長の中谷 元先生も道場生とともに同じメニューをこなし、三好師範を背負いダッシュをされていました。いよいよ海に入ります。今年は天気は良かったのですが、波があって、みな足をとられながら正拳突きを続けます。その途中、初日の出となりました。何度経験しても美しく、心を洗われる瞬間です。海から上がり稽古は終了です。二人だけ頭から海に浸かってずぶ濡れになって(喜んで)いたのは高知のT師範代と愛媛のN師範代でした。焚き火にあたり豚汁をいただきました。冷えた身体には最高の味です。大晦日より準備していただいた高知支部の方々、ありがとうございました。すがすがしい気持ちで新年のスタートを迎えることが出来ました。

2006年12月28日(木) 感謝
  
今年の道場稽古はすべて終了しました。2006年を振り返ると、今年ほど自分の無力さを感じた年はありませんでした。何をしてもうまくいかず、また何も出来ず、自分自身なんて弱い人間なんだといつも思っていました。こんな自分がなんとか今年も空手を続けることが出来たのも、今まで知り合った方々、新たに知り合えた方々のお陰です。ありがとうございました。来年もご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

2006年12月19日(火) 昇段昇級審査
  
先週の金曜日に愛媛支部の昇段昇級審査があり、岡山市北道場からも2名受審させていただきました。今回の審査では山本、沖の両氏が初段を受けるということで自分も少々緊張して松山へ向かいました。7時より審査が開始され基本、型、移動と進み普段は大人数で稽古することがない当道場の近江、康太も愛媛支部のみなさんの気迫に引っ張られ、頑張っていました。いよいよ、昇段10人組手、最初は山本一級です。(山本の一人目の相手を近江がつとめ、いきなり山本の上段回し蹴りをもらいヒヤっとしましたがアグレッシブに戦い抜きました)2・3・4・5・6・・・・人目と進むに連れて、組手は激しさを増していきました。彼はもともと技が切れるタイプでどちらかというと叩き合いは苦手だったと記憶していたのですが、疲れても最後まで崩れることがなく相手と打ち合っていく姿は、これまでしっかり稽古を積んできた証でした。次は沖一級です。46歳での挑戦ですが一般部と全く同じ条件で行います。途中相手の突きが効いて動きが止まりかけましたが身体からにじみでるような気迫で耐え戦い抜きました。ふたりとも立派にやり遂げました。三好師範より初段合格を告げられました。おめでとうございます。当道場の2名も本当に勉強になったと思います。もちろん、自分も学ぶことが多かったです。その後、忘年会にも出席して楽しい時を過ごさせてもらいました。岡山に到着したのは午前3時前でした。強行軍でしたが、とても収穫が多い審査でした。三好師範、野本師範代、愛媛支部のみなさん、ありがとうございました。「厳しさと優しさ」をもって岡山でがんばっていきます。押忍

2006年12月14日(木) 脳内麻薬
  
近年、プロ野球はシーズン中ほとんど見ない為、知らない選手が増えているのですが、先程ニュース番組のなかで「命がけのプレー」特集をやっていて引き込まれました。華やかな世界(松坂投手のレッドソックス入団が決まったようです。内容は6年契約で61億円だとか)ではありますが、プロとして生き残る為の本当に身体を張ったプレーを見せてもらいました。違う世界ではありますが自分自身必死さを忘れず稽古していきたいと思います。さて、ボールを取る代償として壁に激突し大怪我を負ってしまった選手のプレーを見て精神学者が説明していましたが、危険に飛び込んでいく時は脳内麻薬様物質が分泌され普段ではとても出来ないことが出来る(いわゆる火事場の馬鹿力)状態になるということです。つまり自分ではない自分になれ、むしろ快感を覚えるらしいのです。さらに調べるとそれを心身が求める習慣性もあるとのことです。なにか、空手の試合にあてはまるような気がするのですが・・・みなさんはどう思いますか?

2006年12月12日(火) マンツーマン
  
岡山市北道場は道場生が少なく、自分と一対一の稽古がままあります。道場生ひとりと稽古する時、必ず思い出すのが遠い昔の高知支部でのひとコマです。20数年前、自分が三好道場に入門してしばらくの頃だったと思います。当時、高知県武道館では週2回稽古があり、生徒は少なかった(入門者は結構いたと記憶しているのですが・・・)ですが気合の入った(入りすぎた?)稽古が行われていました。ちなみにその頃は他に県民体育館で1回、民間の剣道場で2回と計週5回稽古がありました。自分も極真空手にひかれ、時間も有り余っていたので毎日のように通っていました。大雨が降ったある日、時間ぎりぎりにあわてて武道館2階の主道場に上がっていった自分が「押忍」と挨拶して中に入ると、がらんとした主道場で師範がひとり窓から空を見ていたのです。自分に気づくと「おう、下に誰かいたか?」と聞かれました。1階の更衣室には誰もいなかったので「押忍、いませんでした」と答えると「しかたがないな。始めるか」と言われて稽古が開始されたのです。いままで少数が多かったとはいえ、師範とマンツーマンで稽古をするのは初めてでした。稽古は普段と全く同じく体操から基本へ進んでいったのですが、自分は本当に必死でした。広い武道館で数メートル隔てて師範と向かい合い、返事をするのも気合を入れるのも自分ひとりなのですから・・・大学の寮や空手道部で慣れていたので大きな声を出したり気合を入れる事はあまり苦労はしなかったのですが、さすがにこの時はまいりました。2時間の稽古はいつものとおりだったと思うのですが内容はあまり憶えていません。なんとか終わってほっとしたことは記憶にあります。なお、ひとりだけの経験は高知では後にも先にもこの一回だけでした。それから月日は流れ、今度は指導するほうで道場生がひとりという場面がありました。場所は愛媛三好道場です。高知を思い出し同じように稽古を行ったのですが、とにかくテンションを上げるのがたいへんです。お互いに必死になって気合を入れましたが本当に疲れました。(自分とマンツーマンで稽古した愛媛三好道場の方々!お疲れさまでした)そして岡山、豊富な経験?で乗り越えていますが、やはり道場生は多いほうがいいです。

2006年12月11日(月) 身体の使い方
  
スポ−ツ・武道または日常生活での身体の使い方についてのブ−ムなのでしょうか?本屋ではその手の本が大量に並び、ビデオやDVDもあるようです。特に武術の観点から書かれているものが多いようです。自分も興味があり結構、読んでみました。たいてい、なるほどと思う点が多く理論には納得させられます。しかし、実際に身体を動かしてみるとうまくいきません。もちろん、自分の技量不足が原因で、また、すぐに出来るほど簡単ではないことはわかるのですが・・・。あれやこれや空想して考えることは自分でも楽しいのですが、試合や組手のように相手がどうくるかわからず、全力で戦う状況では、まず使うことは難しいと思います。頭の中と違い実際は理屈どうりにはいきません。しかし、そのなかでも「これは」と感じるものもあり、自分なりに研究することがあります。使いこなせればレベルアップ出来ると思うのですが、力不足でなかなかうまくいきません。なんとかあきらめずに続けていきたいと考えています。

2006年12月10日(日) 高知城(大学時代その2)
  
NHK大河ドラマ「功名が辻」は終盤をむかえていますが、物語の舞台で高知城がよく現れます。この城は自分にとってはたいへん印象が強い城です。高知大学の空手道部は自分が1回生の頃は毎週土曜日の稽古で朝倉キャンパスから高知城まで(5kmぐらいかな)一列に並び気合をかけ裸足でランニングをし、到着後、天守閣まで石段をうさぎ跳びで登っていたからです。帰りは競争で大学まで走るのですが、最初はひとりになると道がわからず電車通りを空手衣姿でウロウロしたことを思い出しました。また、高知城の広場では花見等で飲み会もよくしました。これは極真入門後の話ですが、なにか行事があって昼間に三好師範と高知大の門下生(自分を含め3〜4名)が集まったのですが、行事終了後、師範から花見でもするかと言われ、近くの高知城で昼過ぎから飲み始めました。主に焼酎を飲んだように記憶しているのですが、夕方まで飲み大学生は特にできあがってしまいました。その日は土曜日で稽古があったのですが、みな忘れていたのか、忘れたふりをしていたのか、その話題にはふれませんでした。しかし、さすが師範、少年部が始まる時間がちかづくと「少年部の指導があるから先に帰るぞ」と言われ、自分らは「押忍」と答え見送ろうとしましたが、最後に「稽古には来いよ」と言われ去っていかれました。残った者たちは赤い顔を見合わせ、しばし無言となりました。その後は各自、自転車で寮や下宿に戻り道衣をもって全員一般部の稽古に出席しました。アルコールの影響でフラフラしながらもなんとか稽古をしていましたが、移動の最後の後ろ回し蹴りで転倒する大学生が続出、回転すると上も下もわからなくなって気がついたら床に這っていたのです。どうにかこうにか稽古は終わり、みな安堵したのですが、師範は「いや-酒くさくてなあ、少年部の父兄の人にわかるんじゃないかと心配したよ」と言われましたが、普段と外見は全然変わらずアルコールも筋金入りだなあと思ったことを憶えています。まだ、師範も自分も20代の頃の話です。

2006年12月8日(金) パソコン
  
今、仕事でも家庭でもなくてはならないものがパソコンでしょう。自分でも平日は一日の1/3〜1/4はパソコンの前に座っていると思います。便利な反面、パソコンがあるために費やす時間もあり、そんな時はパソコンを使っているのか使われているのかわからなくなります。そういえば、今からほんの10年前は(最近昔話が多いような気がしますが・・・)仕事でも今のようにパソコンが主役を占めてはいませんでした。連絡はメールではなく電話やFAXもしくは郵便でした。また、携帯電話もまだ普及していませんでした。今では当たり前のパソコンや携帯ですが歴史は本当に新しいのです。こう考えると今、パソコンや携帯に費やしている時間は昔、何をしていたのでしょうか?まあとにかく世の中はどんどんかわっていきますね。そんななか大事な事を時代を越えて受け継いで行くということは至難です。努力して継承していかないとなくなってしまいます。目に見えないものは特にそうだと思います。道場というのはそれが出来る場所でありたい。それが存在意義だと自分は思います。

2006年12月7日(木) 大学時代
  
今月発売の「月刊フルコンタクト空手」に城西大学空手道部のことが載っていました。1960年代後半から70年代にかけて大学で唯一の極真の空手道部だった頃の話ですが、昔の体育会そのもので、たいへん興味深く読みました。実は自分も高知大学入学後は空手道部に入部し(当時、高知に極真はなかった)南溟寮という学寮に入って、まあ、かなり後の時代ですので城西大と同じではないですが似たような経験もしたからです。今から考えると信じられないことですが、一回生の時は寮の先輩を見つけると、どこであろうと精一杯の大声で「おはようございます」「こんにちは」{こんばんは」とあいさつをさせられていました。空手部の先輩にはもちろん「押忍」のあいさつです。一日中気の休まる時はありませんでした。また、空手道部の合宿の飲み会で先輩から鯉をとってこいと言われ大学の図書館前の池に網を持って行ったこともあります。アルコールでフラフラしていてなかなかとれなかったのですが農学部の同期生がうまくすくって合宿所まで持って帰りました。さすがにその錦鯉は食べなかったのですが、数日間水をためた流しで元気に泳いでいました。そんな毎日が続き大学生活が嫌で嫌でたまりませんでしたが、不思議と自分が寮生であることや空手道部の部員であることに誇りをもっていました。途中でやめずに最後までいた連中はみなそうだったのではないかと思います。今となってはいい経験をしたなあと感謝しています。みんな元気にしているか!! その後、4回生の時に三好師範と出会うことになるのですが・・・それは次の機会に。
 
2006年12月6日(水) 食事の時間
  
空手の稽古が終わると道場を出るのが夜10時にはなります。それから夕食というのが、みなさんもパターンではないでしょうか。自分は20代の頃は夜遅く大食いしても平気だったのですが最近は翌日気分がすぐれないことが多くなりました。とくに腹いっぱい食べてはダメです。体調が悪くなります。夜遅く大量の食事をするのは良くないとわかってはいるのですが、昔からの習慣はなかなかなおりませんね。それとも意志が弱いのでしょうか?とにかく身体が覚えてしまったことはなかなか治りません。しかしこれを良い意味で言えば正しい動作などを身に付ければ意識しなくてもそれが出せると言う事になります。反復練習の意味もここにあるのではないでしょうか。意識しなくても出せる技が自分の身体が覚えている技と言う事になります。そこまで稽古をやりこまなければならないということだと思います。今夜も12時頃食事が終わりました。少し食べ過ぎたようです。胃が重い朝を迎えることになりそうです・・・・・。


2006年12月5日(火) 地デジ?
  
12月1日より岡山・香川県でも地上デジタル放送というものが始まりました。正直言ってよくわかりません。アナログとでチャンネルが2倍になったのか?アンテナが違うのか?画質がいいらしいがNHKが以前よく宣伝していたハイビジョン放送(最近聞きませんが)との関係は?などなど頭の中が?でいっぱいになるのであまり考えないようにしています。今のところアナログテレビにVHSビデオの組み合わせ(アナログのNHK衛星放送もついている!)でいくつもりですがどうなるでしょうか。しかし複雑ですね・・・めったに家電売場にも行かなくなりましたが・・・自分らが子供のころは白黒テレビでチャンネルを手で廻していました。番組放送後は再放送がなければ二度と見る事は叶わなかった。そういえばビデオが出たころはベータというものもありました・・・昔話をしても仕方ありませんが。なんとか新しいことにも挑戦したいとは思います。古い殻に閉じこもってはいけないとも思います。これは空手にもあてはまるのではないでしょうか。何事も好奇心を大事にしていきたいものですね。

2006年12月4日(月) 冬の訪れ

  寒くなってきました。青森市では今日58cmの積雪を観測しました。北国とは較べようもありませんが自分の住んでいる岡山市の郊外でも早朝、氷点下になったらしく車のフロントガラスが初めて凍りつきました。寒くなると何をするにも億劫になりがちです。特に寒いとき、体調が悪いときは道場へ行くまでにいろいろと葛藤があると思います。しかし、道場に行ってしまえば何とかなるものです。また、なにかあっても、とにかく引きつけられる磁力のようなものが、自分がいままで通っていた道場にはありました。それが何かはうまく言えませんが、道場とはそんな場でなければならない。そんな道場をめざしたいと冷たい風に吹かれながら思いました。

2006年12月3日(日) フルメンバー
  昨日の稽古は岡山市北道場の全員が出席しました。5時半からの少年部は8名が参加、ほとんどが初心者なので技などは当然まだまだなのですが、それでも道衣も身体になじんできて、だんだんさまになってきました。みんなそれぞれ個性があって十人十色ですが、一生懸命稽古する姿を見ると本当にかわいいものです。7時半からの一般部は3名が参加、基本を20本づつにして気合を入れました。無理のないようにレベルアップしていこうと思います。
  空手は自分自身の身体のみで技を覚え造り、次に相手に対して使っていかなければなりません。地味で時間がかかります。山あり谷ありの修業になりますが「継続は力なり」で共にがんばりましょう。

2006年11月7日(火) 和歌山県大会
  11月5日(日)の和歌山県大会は試合のレベルが高いすばらしい大会でした。
  少し感想といいますか思ったことを書きたいと思います。なお、的外れな部分もあるかと思いますが勘弁してください。
  この大会で自分が以前から知っている高知三好道場の2選手が決勝に進出しました。まず、小学2年生の部の山本海斗選手はちょうど自分が審判をしたコートで予選があったのですが、安定した戦いぶりで勝ち上がりました。接近戦での突きと膝蹴りの連打が冴えていました。決勝の相手は小原瑞生選手(海野道場)小柄ですが抜群に蹴りのバランスがよく、間合いの取り方もうまい選手です。この試合10センチ背の低い小原選手が常に間合いをリードしました。山本選手は接近戦に持ち込みたいのですが、うまく間合いをはずされ上体のぶれがない小原選手の前蹴りに阻まれました。攻め込まれる場面はあまりなかったのですが小原選手のペースで試合は進み、延長で判定負けとなりました。そして小学校3年生の部の中平栄人選手は決勝で平川アマウリ選手(広島)と対戦しました。この試合も接近戦でこまかく攻撃する戦法の中平選手に対し、平川選手は前にも出てくるのですが間合いが詰まると左右に動き距離をつくり威力のある突き蹴りをヒットさせます。最終延長に持ち込まれましたが有効打の差で平川選手が優勝しました。
  高知の2選手が間合いをつぶす戦い方をしたのに対し優勝した相手はそれにつき合わず自分の間合いで自分の戦い方で勝利したように感じました。山中、中平選手も決勝の相手が前に出てくるタイプなら結果も違っていたかもしれません。
  本当に少年部のレベルが高くなっているのには驚きです。自分も勉強になりました。山本、中平選手は、ますますこれから稽古し進歩していくと思います。次の試合が楽しみです。
  出場した選手、応援の方々、お疲れ様でした。次は松山でお会いしましょう。
  黒岡師範、和歌山支部の皆様、お世話になりました。ありがとうございました。

2006年8月17日(木) 禍福はあざなえるなわのごとし
  13日は野本師範代の祝勝会+三好道場大懇親会出席のため、松山に行ってきました。
みんなに会って、とても楽しい時間を過ごせました。なお、飲む前には川野選手強化コーチによる稽古があり、ヘロヘロになりました。気力も体力がないと生まれてきませんね。稽古不足を反省しました。
  そして、つらい別れがありました。愛媛重信支部出身で大阪堺道場所属の北川修が水難事故で帰らぬ人となってしまいました。数年前、地元のNTTをやめ、教職の夢をかなえる為大阪に旅立っていった彼の情熱には、ずいぶん刺激されました。小学校教員になるとともに堺道場でも良き師、良き仲間に恵まれ楽しく空手も続けていたと聞きました。葬儀に参列して、皆に慕われた北川の人生がしのばれ、涙があふれました。北川の情熱を少しでも受け継ぎ頑張っていきたいと思います。、安らかに眠ってください。押忍

2006年7月21日(金) うどんと空手について
  4月より、自分は昼間香川県高松市におります。といっても高松の街もほとんど知りませんが、これだけは声を大にして言いたい。「讃岐のうどんはうまい!」 行った事があるのはたった6軒ですが、どの店も美味でした。よく名物にうまいものなしと言われ、そのとおりのことも多く、また地元の人とあまり縁の無い名物もあります。例えば、岡山のマスカットや桃は高級品で、一般にそんなに親しまれているわけではありません。しかし、讃岐のうどんは毎日のように香川県民に食べられているのです(と思います)。うどんが主食になるという理由もありますが、このような名物はめずらしいと思います。すばらしいことではないでしょうか。
  うどん道があればまだ白帯の自分ですが、強引に空手に結びつけると、毎日当たり前のようにうどんを食べる。同じく毎日当たり前のように稽古をする。と言う事でしょうか。空手の稽古を食事のように生活の一部にすることが継続するにあたって大事な事だと思います。

2006年7月6日(木) 徳島県空手道交流大会について

  7月2日鳴門武道館にて第2回徳島県空手道交流大会が行われ、自分も審判として参加しました。 大 会は徳島新極真の熱い思いが伝わる素晴らしい大会となり、盛り上がりました。主催した前川、逢坂支部 長及び支部のスタッフの皆様お世話になりました。ありがとうございます。また、審判の先生方、選手のみ なさん、応援に駆けつけた方々、本当にお疲れ様でした。
  さて、熱戦が続いた今大会、なかでも一般初級の部は激戦でした。そのなかで、決勝に進出したのは徳 島西南の小原選手と高知の米田選手でした。この試合は体重判定でも決着がつかず最終延長3−2 の 僅差で小原選手が優勝しました。上段も蹴れて、動きのいい米田選手と強靭な身体と強力な突きの小原 選手、自分は若干の米田選手の崩れをポイントとし小原選手の勝ちとしましたが、本当に接戦でした。
  実は以前から感じていたのですが、高知と徳島の選手のカラーというか特徴の違いがこの試合でもはっ きりと出ていました。つまり、うまさ・テクニックの高知と強さ・フィジカルの徳島ということです。少年部をはじ めとして高知対徳島の試合が多かったのですが、このパターンの対戦が多かったと思います。
 なぜなんでしょうか?いろいろと理由はあって、自分も考えるところはありますが(ここでは書きませんが) みなさんどう思いますか?意見・感想とかあったら愛媛支部の掲示板に書き込んで下さい。(愛媛支部の みなさん、すいません) もちろんあくまでも、未熟な自分の感じ方なので、「俺は違う」とか「そうは思わん」 とか思われる方も おられると思います。
  勝手なことを書きましたが、次は、松山の中四国交流試合です。みなさん、頑張りましょう。(自分が一番 がんばらんといけないのですが・・・)









  
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