三原 順先生


プロフィール
1973年 「ぼくらのお見合い」で別冊マーガレット3月号でデビュー
代表作は「われらはみだしっ子」のシリーズのほか、「ルーとソロモン」「Sons」など

1995年に42歳の若すぎる死で「ビリーの森ジョディの樹」は未完のまま終わりました。

名作「われらはみだしっ子」のシリーズなどは、白泉社文庫として復刊し、読むことができます。

初期の頃、 「セリフの隙間に絵がある」とか「難解」と評されたこともありますが、その漫画の魅力は多くの人をとりこにしました。
「はみだしっ子」が雑誌掲載当時、読者ページの「好きなキャラクター人気投票」の男性部門で グレアムが1位に輝いたこともあります。(ちなみにそのときの女性部門1位は「ガラスの仮面」のマヤです)

(↑これについては 資料があるはずなので、後日見つかったらUPしますね)

  ここだけの話・・・私と三原順先生

三原順先生とは 残念ながらお会いしたことはありません。

ただ、ひょんなところで偶然に 三原順先生のためにアシスタントさんたちが作ったという同人誌を手に入れたことがあります。
とても愛にあふれた同人誌でした。

ここで公開はできませんが 見た人はきっと アシスタントさんたちと三原先生がとても仲良しでいいなあとほのぼのするのではないかと思います。
三原先生のお人柄もしのばれます。


そして・・・実は私は 三原先生のアシスタントをしていた方からお電話をいただいたことがあります。

ずいぶん昔のことで、まだ私が怖いもの知らずのずうずうしいお子ちゃまだった頃・・・当時 「はみだしっ子ファンクラブ」というのがあって、はみだしっ子が大好きだった私はさっそく入会しました。
その会のとある会合で「ぜひ 三原順先生を囲んでお話がしたい!」ともりあがり・・・私が先生にお手紙を書く役をおおせつかってしまったのです。

忙しい先生に向かって、ずいぶんずうずうしいお願いだということはその当時もわかっていて、お返事がいただけなくても仕方ないという気持ちではあったのですが・・・思いがけずお電話がありました。

「私は三原先生のアシスタントをしているものですが・・・」とお電話をくださったその方は三原先生が私の手紙を無視しているのではなく、「せっかく手紙をくれたのに、返事ができなくて申し訳ない」と とても気にしていたということを伝えてくださったのです。


心やさしい三原先生と 名前も知らないアシスタントの方・・・
ごめんなさい、そして どうもありがとうございました。

今でも、作品 大好きです。

2006年7月31日記