寺子屋
寺子屋は近代建築を多角的に検討する会です



第80回報告

《近代建築を多角的に検討;アメリカ建築の20世紀−16 》



新建・寺子屋(モダニズムの研究) 80
アメリカ建築の20世紀−16 2003.4.16 話:三沢浩

40.ポートランドのP・ベルスキー(再)

1)イタリアからオレゴン州ポートランドヘ(1927)
2)「エクィタブルピル」(1948)の先駆的建築
3)地方からSOM、MITへ
4)教会建築が地方色を示す

41.IITの全体計画

1)ミースの時代の到来(1938〜)
2)MITキャンパスプランを引き受ける
3)グリッドとモデュール
4)アメリカ建築界の驚き

42.シカゴの高層アパート

1)ミースヘの依頼が増える
2)「レークショア・ドライブ」860と900の4本
3)シカゴからデトロイトヘ
4)アパートから高層ビルへ

43.「シーグラム・ビル」への道程(1954−8)

1)「近代建築」のマスターピースと普遍化
2)「シーグラム・ビル」のマリオン
3)その他のミースの作品




● 寺子屋79は2003年4月16日(水)、参加10名で開催しました。


● ヨーロッパからアメリカへ、という建築家の流れは、かつてはボザールのようなアカデミズム的経歴を伴っての移入であり、権威の受容でした。しかし、戦前20〜30年代になると、アメリカの中で成長し新しい建築をつくるヨーロッパ人が現れてきます。
 ライトに師事したノイトラ、シンドラーもそうですが、そうした師弟関係もなく突然現れたようなピエトロ・ベルスキーは、オレゴン州ポートランドにほとんど限定しつつ、多くの建築をつくりました。それは、世界初とも言える「面一」カーテンウォールの「エクィタブルピル」であり、後のSOMやMIT建築に直接的につながっていきます。その一方、地域性豊かなもう一つの「モダニズム」を教会建築で実現しています。CIAMでの「国際主義」と「地域主義」の対立といった図式はなく、一つの都市、1人の建築家の中で併存しています。この時点では、そのどちらをも受け止める許容力が米国にあったのかもしれません。

● 30年代後半になると、ナチスからの亡命者として、グロピウスやミース.v.d.ローエが米国に来ます。ヨーロッパで確立した「国際主義」モダニズムというアカデミズムをもって、戦後の建築に非常に大きな影響をもたらします。では、なにをもたらしたのか。
 ミースは「フォルマリズムは否定するが、芸術的フォルムは肯定する」と語ったそうです。ミースの建築は抽象的グリッドのモニュメントのようであり、そこに「機能主義」や「人間スケール」は垣間見えません。世界一豊かな国になった米国は、もう一度、自らがつくり上げてきたコンテクストとは異なるヨーロッパからの「様式」を受入れていくことになったのです。そこから生まれてきたものは何だったのか…。



●次回<寺子屋81>は,

《近代建築を多角的に検討;アメリカ建築の20世紀−17 》


話:三沢浩

日時:2003年 5月21日(水)(第3水曜定例) PM 7:15〜

場所:東京都渋谷区代々木2-26-1第1桑野ビル5F-C 03-5351-2166(tel,fax)会費:400円


問合:大崎元 建築工房匠屋 03ー3716ー1743(tel)3716ー8459(fax)nifty-serve:VED03705



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