スピーチ 退社記念パーティー スピーチ(3)
   

 

退社記念パーティー スピーチ(3)


 

 


 本日は私の多くの恩人の方々にお越しいただいております。ここで最後に、12年半の間曲がりなりにも編集者としてやってこれた大恩人の方々に、ほんの少しですが謝辞を申し上げたいと思います。
 まず最大の大恩人は、元内閣安全保障室長の佐々先生であります。佐々先生には入社した年の秋に初めて総理府でお目にかかりまして、本当に強く感銘を受けました。先生のお導きで私は非常に多くのことを知ることができましたし、その後の勉強会活動も先生のお力がなければ続かなかったと思います。言葉に尽くせぬほどありがたく思っております。
 そして佐々先生にご紹介いただいた粕谷先生。わたしのようなしょうもない人間にも目をかけていただき本当に感謝いたしております。粕谷先生に「誰かいい人はいないでしょうか」とひつこくすがってご紹介いただいた水木先生。当時は日経新聞の論説主幹でいらっしゃったのですが、「いえ、本業は作家です」と言い張っておられました。
 それからローマにいらっしゃる塩野さん。塩野さんは粕谷先生が発掘された才能のうちの一人です。この場にいらっしゃる友人の中でも、塩野さんがご帰国中にご紹介申し上げた方が多くいらっしゃいます。私が編集した今年の1月「新潮45」の塩野別冊に登場していただいた過激派のうち、本日は防衛大学校助教授の神谷先生と電通総研の鈴木さんにお越しいただいております。ありがとうございました。塩野さんのお気に入りのSさんは、今国会で一番忙しい某経済官庁の大臣秘書官を仰せつかっており、本日はお越しいただいておりません。
 それから、長田渚左さんには、仕事に対する姿勢を学ばせていただきました。みなさんにとってはスーバータイムのスポーツコーナーのお姉さんだったかも知れませんが、その取材者魂には私は何度脱帽したかわかりません。だいたい会社というところは何も教えてくれませんでしたから、取材は取材者の人に教えてもらい、物の見方書き方は作家の先生に教えてもらい、写真はカメラマンに教えていただき、デザインはデザイナーから学ぶという、いったい出版社のコア・コンビタンスというのは何なのかと思いますね。
 水木さんにご紹介いただいたエコノミストの伊藤洋一さんにもお世話になっております。学ぶところばかりです。

 入社2年目の時に「会社が何もしてくれない」とこぼしていたら、「社外勉強会というものがあるから、それに参加したらどうだ」と教えてくれたのがプレジデント社の○○さんです。そして大学の先輩の幸田さんが「勉強会を作ろうと思うんだけどいっしょにやらないか」と声をかけてくれました。ここから昭成会という勉強会がスタートしました。次に私はB&Bという勉強会の設立に参加し、これが1990年から1998年までの活動の中心になりました。この会を構想したのが、ブロッコリー社長の木谷さんです。彼は人のコーディネートについての天才的なセンスを持っている人です。いまでは立派な会社の社長さんになってしまいました。人のコーディネートに関しては、私はすべて彼に学ばせていただきました。そして私と一緒に会の設立者となり、代表を務められた弁護士の赤坂先生。
 木谷さんの元に、素晴らしい人々が集まり、仕事が終わってから赤坂先生の事務所に集まって侃々諤々の議論をしていたのが、今日お越しの日本ビデオニュース社長の神保さん。京都から駆けつけてくださった京都大学助教授の○○さん。○○さんは厳しい人ですが、本当にいろいろなことを教えてくださいました。感謝してます。それから日銀を飛び出してKPMGファイナンシャル・コンサルティングを設立し大車輪の活躍をしている木村剛さん、日経新聞の敏腕記者○○さん、モスクワ大使館にいる○○さん。財部誠一さんもそうでした。これほどの才能が集まったのは、奇跡としか形容ができないと思います。そして私はこのみなさんからも多くのことを学ぶことができました。
 木谷さんが幹事を外れてからB&Bを共に支えたのが、プライスウォーターハウスクーパースの白畑さん、鈴木苑ちゃん、住友銀行の○○さん、そして留学から戻って再合流したATカーニーの織田さん。それにナショナル・スチールで本場のアメリカ流経営を身につけつつある手塚さんでした。これらの人たちには、私については迷惑以外の何の印象もないと思います。交通事故にでも遭ったと思ってあきらめてください。大場さんや遠藤さんには、他の勉強会でたいへんお世話になりました。
 それから、メディアの友人たちとの交流の核としてお世話になっているのが文春の田中さん。それからフライデー次長の○○さんです。
 最後に、プレジデント社のなかでは浮きまくっていた私ですが、一番お世話になったのは○○さんです。私が自分で一番のびのびと仕事をすることができたのは、彼が編集長の時でした。○○さんが編集長でなくなったので、私も編集部の外に出てしまったわけです。それから○○さん。酔っぱらうといつも大言壮語してご迷惑をおかけしました。一言お詫び申し上げたく。
 そしてほとんど一緒に仕事をすることはなかった○○さん。彼がプレジデント編集長として、来年2月からのプレジデント隔週化を乗り切り、プレジデント社を新しいステージに先導するリーダーです。みなさんのお力添えを頂きたく、私からも申し添えさせていただきます。

 時間が限られているのでご紹介は以上にとどめますが、みなさんには本当に感謝申し上げております。
 私が大学に入るために四国から上京してきたとき、この広い東京には知り合いは一人としていませんでした。東京砂漠の中にぽつねんと一人いたわけです。それで、上京したその足で秋葉原に行ってテレビを買ったのを覚えています。入学した4月いっぱいは下宿でテレビを唯一の友として過ごしていました。私の実体はそういうオタクなんです。でもそれから十数年経って、これだけ多くの方に助けていただけるようになったというのは、われながら感慨無量です。私もまた微力ではございますが、少しでもご恩返しができればと切望しております。ありがとうございました。

 

(この項終わり)


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