私家版要約 『日本の無思想』 加藤典洋 著

 

 新潟の女性監禁事件について、新潟県警がまったくのウソを記者会見で平気でしゃべっていたというニュースに接し、たいへんけしからんことだと心底思いました。

  三段論法ではこうなります(byスポック副長兼科学主任)。

警察がウソを言う=うそつきはどろぼうの始まり=警察はどろぼうである

 

 これは灰色高官である佐藤孝行が大臣になったのと同じくらい、価値を転倒することだと思います。
 では、こんなウソがどうして罷り通るのか。これについては、昨年素晴らしい本を読みました。この本の中では、日本人の精神に染みついたうそつきの根っこについて解説しています。
 あんまり感動したので、私家版の要約を作りました。基本的に、本人のレトリックを変えないままに、要約しています。そのためやや意味の通りにくいところもありますが、ご興味のある方は原本をご覧いただければ幸いです。
 私は一読、得心しました。素晴らしい本です。(写真は万燈会の春日灯籠)

 


 

1 タテマエとホンネとは何か

 食言大臣(たいてい歴史認識をつかれて失脚する)が平気で前言を撤回するという傾向は、彼の本音は変わっていないことを示している。そのことを日本人であれば誰でも知っている=ホンネの共同性。

 従来、「建前」とは「原則、基本方針」という意味だったが、戦後になって「表向きのことであっていわばウソ」というニュアンスが入ってきた。その理由は、敗戦により従来の権威が嘘臭くなり、ホンネがまず先に出来て、そこからタテマエが逆措定されているからではないか(=増原説)。
 オモテとウラは入れ替わりが可能である(=土居)。タテマエとホンネの特質は、「一方がなければ他方もない」相補的な対概念であるところにある。

 つまるところ、タテマエとホンネの底には「どっちだっていいや」という強烈なニヒリズムがある。それはあまりにも強いので、僕たちには信念とか本心の感触が忘れられてしまっている。タテマエもホンネも真ではない。しかし自分たちは信念も本心も持っていると信じているだけ。
 戦前から戦後にかけて、こうしたものが根こそぎにされるような切断の契機があった。明治維新の時も、敗戦後も、思想のねじれや転向を問題にする人がいなかったのはなぜか、ここにはかつての敵に全面屈服するという切断があった。僕たちは敵との間に圧倒的な力の差があることがわかると敵対をやめてしまう。敵
が去ると、自分はあのときアメリカに絶対帰依したのではない、帰依した振りをして面従腹背していたのだと、自分の内部にそのときはなかった「本心」を新設したのだ。タテマエとホンネというのは、巧妙な自己欺瞞の思考装置だったのだ。

 


2 近代日本の嘘


 『日本人はなぜ無宗教なのか』(阿満利麿)=仏教は、高度な哲学大系を持った宗教というよりも、死穢をはらうための最新の呪術の体系として、古代日本人に受容された。創唱宗教である仏教が、古代日本には自然宗教として受け取られた。
 踏み絵について
 林羅山は儒者であったが、「聖人は俗に従う」と苦衷を述べつつ長男の法要を仏式で出した。ところがキリシタンの考えでは、信仰を「口に出し」「態度で示す」のが信仰することである。思想が思想であるのは、それが口に出され、相手に届き、相手を動かす限りにおいてである。「宣戦」とは、戦いを宣すること、つまり「戦いの意思」を「口に出」し、誰にも見える形にすることに他ならない。
 『罪と罰』の主人公の青年が老婆を殺したのは、ドストエフスキーが書いているように思想表現かもしれない。しかし「外」からの心理分析も可能である。でもはっきりしていることは、もし、これを思想表現だと考えるような視線がなかったら、そもそものところ、思想などというものは存在できない、ということだ。どんな思想も「外」からの説明が可能だ。しかし、そこに「外」からの説明を押しとどめる力のあることを認めるのでなければ、どこに思想があるだろう。
 「本心」は外からの視線によって判別される人間の「内」と「外」の貫通なしには成立できない。タテマエとホンネ(=欺瞞の装置)は、その「本心」がなくなると、はじめて、やってきて、その空隙を覆い、見えないものにする。タテマエとホンネは思想の解体があってはじめて生まれてくる考え方である。

 「言葉の上では矛盾していても」「視点が異なるためで、ともに真である」と考える仕方で、この列島の人たちがそこそこうまくやっていけるのであればよい、という考え方を認めてしまうと、僕たちの世界で言葉が意味を持たなくなってしまう。考えていることを言わない、それでも考えていると認められるというのでは、発語することは工場で出来た製品を出荷するというほどの意味しかなくなり、たとえ出荷しなくても工場が動いていればよいというわけで、発語すること、「思っていることを言うこと」に誰もが尊敬を払わなくなり、最後、言葉は、意味を失い、死んでしまう。
 言葉が死ぬと、人間から公的領域というものが消える、生きることの意味が消える。その結果、人は、単純なものに対する対抗原理を失い、最終的にはある種の全体主義を呼び寄せてしまう(=ハンナ・アーレント)。

 

 

3 公的なものと私的なものの関係

         古代        中世       近代

 

政治的共同体  公的空間     公的空間      公的空間
        (ポリス)    (教会の世界)    (政治的な国家)

-------------------------------------------------------------------------------

         家      共同社会       市民社会
自然的共同体  私的空間    私的空間       私的空間
=経済      (オイコス)   (世俗の世界)      (市民社会)

 

 ギリシャ語で家はオイコス。家長は絶対権力を持っていた。そこから家長が出ていき、メンバーになって構成されたのが、これまでにない全く新しい空間、言葉が力を持つポリスという空間である。ポリスは人と人とが平等に参加し、協同してこれまでにない新しい価値、プラスアルファを作り出す空間である。オイコスは、地下にあってマイナスアルファを埋める「私的」領域であった。経済の領域として、人間普遍の共通の本性に根ざし、これなしには生きていけない不足分の充当(=解消)にあたる行為の領域を意味する。

 中世になるとポリスは消滅し、カトリック教会が、以前に都市政治の特権であった市民権の代替物=「公」なるものの座を占めたが、関心はあくまで来世にあったのでポリスの公的性格は失われていた。ギルドや城塞都市がオイコスを拡大した家的共同体世界をなした。ルネサンスは政治のポリス性を回復させた。ここが近代の起点になった。

 近代になると、このポリス=オイコスの関係が「縦」から「横」の関係に変わる。
 商業と産業が勃興し、家の中に仕事場と商取引のための応接室と、家族のための空間が出来てくる。家族関係は、利害を主とした疎遠な関係と、利害を度外視した親密な関係と二分化してくる。その結果、家の外の、かつての公的な空間に「社会的なもの」としての"社会"が生まれ、かつての家の空間に「親密なもの」としての"家庭"が生まれてくる。
 この「社会的なもの」とは、強い人が弱い人に向かって「ここまで上っておいで」という古代ギリシャの「公的」とは違って、強い人が弱い人のところまで助けるために降りていく、弱い人を基準とするあり方といえる。マイナスアルファを埋めるオイコス的なものが、そのまま家の外に出て公的なものに取って代わってしまった。

  ポリスの世界では、市民は平等なので、同情することは相手を侮辱することを意味したが、近代ではかつての公的領域全体がオイコス原理に覆われてしまい、「国民経済」「社会経済」「集団的家計」といった考え方が現れてくる。近代には、人間の本性の動態の力点がかつての「必要」から「欲望」に移ることによって、動態の単位を共同体から個人に替え、人をして利害によって動くようにさせ、産業を活発化させた結果、「公的なもの」はこの「社会的なもの」に駆逐されてしまう=「社会的なものの制覇」。

 他方、オイコス領域の肥大に対する防衛機制として現れるものが、「親密なもの」を作り出す。オイコスの構成要素のうち、生と死を作り出す暗がりの部分がそこだけ再凝結し、「親密なもの」を作り出す。
 これが、近代の公的なものと私的なものである。ここには、従来の縦軸の関係がなくなっている。従来の「公的なもの」は、人間の複数性に立脚して人を隔てつつ結合させるという原理があったが、この新しい「社会的なもの」の原理は、人間の本性が誰でも共通であるという点に立った"単一性"にある。それはオイコスの原理の一派生形に他ならない。ここでは称賛も徳とは関係なくなり、社会的な名声を得ることと区別できなくなる。

 これは18世紀ヨーロッパにおける公私観の地殻変動である。「社会的なもの」は発語の意味を金銭に換算できるものに下落させている。これに対抗するには、「何も語らない」という自意識への立てこもり(=ヴァレリー、石川啄木)しかない。しかしこの立てこもりは無力である。ここにあるのは、それ自体空疎な「社会的なもの」と、それ自体どんなに内部的に充実していようと決して外に現れない「親密なもの」の対照である。これがヨーロッパ近代が生み出した近代の嘘の来歴である。この一対に対する対抗原理がなければ、タテマエとホンネの跳梁をいくら苦々しく思っても、これにうちかつことは出来ない。
 啓蒙思想家たちは、近代的人間の本質を、私利私欲で動くところに見る。その上で私利私欲の上にどう公共性を築くかが課題となった。
 「何が正義かを、私に教えてくれることが問題ではない。正しく振る舞うことで私にどんな利益があるのかを、私に示してくれることが問題なのだ」=ルソー。

 公的なものの光が消えるのは、「社会的なもの」のせいではなく「公的なもの」が自分を「私利私欲」の上に基礎づけられなかったからだ。ロペスピエールの廉潔=「社会的なもの」はダントンの「私利私欲」を絞首台に送ったが、今度は「社会的なもの」の暴走を止められなくなってしまう。これに対抗するために「親密なもの」が生まれてくる。
 もし現代の社会に、もう一度「公的なもの」が作り出されうるとしたら、その足場は疑いもなく私利私欲である。私利私欲を否定する公共性は、必ず「社会的なもの」に転換する。

 日本においては、勝海舟の江戸開城のように、より高次の「公」が出てくると、それまでの公は「私」になる。文献に「私」とかかれているものの中身は、ほとんどが「公」である=田原。
 日本の伝統的な「公私の重層構造」の中では、「公私とは言っても実は『私』は実質では『公』なのであり、さればこそ社会的に容認されていた。それは、もしここに「公」がありうるとしたら、それはこの「私」にこそ基礎づけられなければならないという足場を指し示している。ヨーロッパの私利私欲と同じ意味で、相対的な「公」の狭さを浮かび上がらせる、ある意味で「公」よりも深い、「私」である。
 どんな場合でも、「公的なもの」の底にあるのは「私的なもの」だ、そしてその「私的なもの」は「公的なもの」より広くて深い。国が出来れば「忠君愛国」という公的なものが出来るが、その親は私情であるということ。

 マルクスは、人権宣言による「人間の権利」を、「人に迷惑をかけない限り、自分のやりたいことをやってよい自由」「その自由が誰にも等しく与えられている平等」「そのことが警察によって保証される安全」など、「他人と共同体から切り離された」、「利己的な人間」にとっての宣言、私利私欲に駆られた人間の権利にすぎないと明らかにする。
 「封建社会は、その基礎へ、すなわち利己的な人間へと解消されたのである」(=マルクス)
 マルクスは、政治的革命によって得られる「所有の自由」について、公共的人間はここにこれ以上遡れない自分の土台があると考える。私利私欲を公共性の立場から否定するわけでも、別の立場から肯定するのでもなく、両者が対立する立場に立ち、これを公共性へと、止揚するべきであるという。

 カント 「自分自身の悟性を使用する勇気を持て!」--これがすなわち啓蒙の標語である。
 啓蒙の成就に必要なのは、「自分の理性をあらゆる点で公的に使用する自由」だ。公的な立場にある人間が、公的な立場に立って理性を使用するのは、理性の使用として、公的ではない。実は私的である。最も彼を拘束しない公的な枠組みは、彼が同時代的には全公共体、それどころか世界公民的社会の一員と自分を見なし、さらにこの世界公民的社会の未来までを視野に収める場合に限られることがわかる。このように公共性がその上限にまで達したとき、はじめて公共性は公共性と言いうるものになる。そうでない場合の、つまり中途半端に行使された場合の公共性は、必ず非公共的であるという意味で「私的な」側面を露わにせざるを得ない。

 カントは、だからどこまでも公の公なるあり方に場所をとっておかなければ(権利を認めなければ)公共的なものはこの世に存在しなくなると考える。カントが僕たちに教えるのは、僕たちがものごとを一生懸命考えるという時、僕たちは気づいていないかもしれないけれども、考え得る未来にこのような極点があり得ることを信じて、ようやく何ごとかを一生懸命考えているということ。何ごとかを一心に考えることの中に、現実的な観点から見たら理想的な、現実離れしたものがすでに入っている。何ごとかを現実的に考えるということが、理想的なものにむしろ支えられている。
 人間は啓蒙的存在として、自分の力で未成年状態から脱するような存在であり、心のどこかに「世界公民的社会」の可能性を信じているからこそ、僕たちは今も考えることをやめようとしないのだということは、どんなにバカげたものと聞こえようと、覚えておかなければならない。

 

 

4 戦後思想風土の再生のために


 公的なものは、決して「気持ちのよいこと」に敵対しない。
カントは「社会的なもの」の「弱い人は助けましょう」を「弱い人は強くなれ」と言い換えている。これではじめて、「弱い人」と呼ばれるその人の境遇に、彼の責任になる部分と彼の力を超えた部分を区分けする理由が生まれるだろう。
 以上のようなヨーロッパの社会の二元論的構成は、二つの異質な原理の対立という側面が強いが、日本のそれは、同質なそれの相対的対位関係を本質としている。

 漫才芸能の形が出来たのは、日本に中央政府が作られた時代のこと(鶴見)。圧倒的な文化の波を受ける場所では、この文化をよく吸収し、効率的に使いこなせる人間が力を持ち、それに通じない人間が劣位におかれる。このような優劣二者の、対立しながらもそれが明示されない緊張した関係の原型は、中央からやってきた官僚と地方の人の関係である。構成要素の両者が同質なこと、にもかかわらずその同質なもの同士の間に優劣関係がある。日本の同質なもの同士の相対的な二重構造が、実はその底に圧倒的な優位文化に対するいわば完全脱帽の経験を前提に成立している。それは敗戦時の全面屈服の経験に似ている。これが日本の古代以来のあり方の底にあって、これを規定していた始原の経験ではないか。これが最後に僕たちがぶつかる「日本の嘘」ということになるのではないか。
 弱者は沈黙し、口に出して言わない抵抗を試みる。これには権利がある。

 問題は、どうすれば公共性=言葉を持つ側が自分の原権力を解体できるか、劣位の側=言葉を持たない全面屈服者の側は、どうすればその経験を克服できるかだ。
 実は、全面屈服した人間も、もしその事実を直視する勇気を持つなら自分に立脚する「正当な言葉と論理」を持たないという事実、自分に「正当」だと思われる 「言葉と論理」はむしろ相手方のものだという事実を足場にして、その相手方よりも深い洞察に到達しうる。
 公共性の原権力解体については、公共性が私利私欲の上に立つことによって可能になる。ルソーは、もし私利私欲がなかったら、人間は無垢なよき存在だったかもしれないが、複数の人間間に結合は生まれなかったろうと書いている。このやっかいなものがあるために、人は外に出てゆき、対立を生み、そうであればこそ、この対立を調停することなしに生きていけないというところまで追い込まれたところで、はじめて公共性の必要にぶつかる、というのが人々が社会を作らざるを得ない普遍的な理由だった。善悪の観念は、この人間の結合、人間の関係に基礎をおいている。
 アー
ントは、この結合はルールに基づいたポリス的な人々の「決意」の現れだと考えたが、僕はその力の源泉こそ「私利私欲」であり人間の本性であると思う。私利私欲に立脚する公共性の強みは、これが人間の本性を自分の「それ以上基礎づけられない前提」(マルクス)とすることで、けっしてバルバロイを排除しない、考え方としての原権力から自由であり、普遍的である。こうでなければ公共性という概念は、タテマエとホンネを批判しうるものとはならない。またそれは考え方として、ヒトとしての起点への復帰をも意味している。

1999.8.18




 
日本のカイシャ、いかがなものか! copyright(c) by Shinya Okamoto, all rights reserved.