自民執行部・主流派が加藤派を切り崩し、加藤紘一は敗北しました。
とても数の論理だけで負けたのだとは思えません。
ま、それは置いておいて、しかし、それで森政権が内閣改造を経て続こうと、主流派が彼の首をすげ替えようと、状況は何も変わっていないのです。
むしろ、自民党は自分たちをますます窮地に追い込んでしまったと言えるのではないでしょうか。彼らは「われわれは構造改革などせず、従来通りの公共事業に頼った景気対策を続けることが最善の方法だと信ずる」という立場をますますはっきりさせたわけです。
補正予算や少年法改正は、今や大事の前の小事なのです。そんなものにこだわる必然性など、今や露ほども感じられません。
「予算措置による景気対策が景気を回復させるなど幻想以外の何物でもない。むしろこのままでは国家財政は破綻する。その結果、たいへんな経済的混乱が日本を襲い、世界に波及するだろう、それをくい止めるため痛みを伴う構造改革を行い、財政再建を断行して、カンフル剤の打ちすぎで脱線した経済をまともな成長軌道に戻す」という強い決意が、加藤・山崎両派の行動を支えていたわけですから、そこに異を唱えることで自民党主流派はますますやっかいな道に踏み入ってしまったわけです。
ですが自民の採っている政策が誤っていることはもはや自明ですし、それは負担者である多くの国民が感じていることです。
ここにおいて加藤の敗因は、国民にわかりやすい明確な理念とそれに基づく政策をうち立てて、その旗の下に参集する代議員と支持者の力を糾合するというオープンな道を採らなかったからだと分析することができると思います。彼は国民を信用しなかったのでしょうか。もしくは、理念を明示知化する力を持たなかったのか。いずれにせよ彼の指導力は大幅に後退し、また一時は彼が代表しかけた新たな理念も行き場を失って消えてしまったのです。
彼は、単純に自公保の連立の枠組み中での政権取りを想定したのでしょう。なぜなら、もっと理念を明確化しなければ、政党再編はおろか、連立の枠組みを組み替えることもできないだろうと思うからです。
彼ほど優秀な政治家でも、概念を形成し、それを多くの人に訴えかけていく能力に欠けているのであるとすると、政治的変革によって日本が再生の道を選択することは不可能に近いといわざるを得ません。
残念ながら、今回の小さな叛乱は破滅に向かう日本経済に本質的な影響は与えませんでした。ただ、ゴールに到達するまでの時間を短縮しただけです。
本当に改革を望むのなら、まず現状を否定する新たな理念と、それに基づいたシステムをつくるための政策をはっきりさせなければなりません。そのためには政治的決断以外にも、理性的で時間を消費する、おおいなる努力が必要であることは確かです。