サイトウ・キネン・オーケストラin New York(2)

 

手塚 代表取締役名誉相談役

 話を2楽章に戻そう。このウィーンのレントラー舞曲は、諧謔的にぎこちなく始まるのであるが、中間部(261小節)からスピードを早めワルツが始まる。その後ほどなくレントラーに戻るのだが、再びアップテンポになり423小節に入って、狂人の踊りのようなワルツに突入する。バーンスタインはここで強烈なアッチェランドをかけて、オケがついて来れないほどの加速をするのだが(その際のオケの混乱によるカオス的な響きが世紀末的でいい、と彼のファンは魅了される)、今回の小澤の場合、のっけからこれ以上では踊りにならない程の超スピードでここを演奏した。それでもオケは一糸乱れずに付いてきて、全く破綻を見せなかった。
 バーンスタイン的な自己破滅の世界を期待していたとしたら余りにも整然とした狂気のワルツだったといえようが、すさまじい集中力である。筆者個人の趣味ではややテンポが早すぎてワルツの域を突き抜けていたのではと納得しかねるものではあったが・・・。しかしその後再度レントラー舞曲にもどり、終結部でファゴットとフルートが際弱音の上昇音階で締めくくる響きの透明感と羽毛のような軽さは見事としか言いようがなかった。これが続く第三楽章の狂暴な開始への周到な準備となっているのは言うまでもない。

 続く第3楽章であるが、これも難曲である。筆者はこの大曲に初めて親しんだとき、美しい弦楽合奏のコラールが続く終楽章を最も好んだのであるが、最近になってこの第三楽章も非常に気に入っている。狂暴かつ粗野な(副題のロンド・ブレスケは狂暴なロンドの意味?)ブラスと打楽器の咆哮の間にはさまった、優美極まりない中間部(いうまでもなくここに現われる半音階の回転音形は終楽章のモチーフの先取りである)の、野辺に咲いた花のようないじらしいまでの美しさとのコントラストが、なんともいえず感動的と気づいたからである。今回の小澤の演奏は、その点、期待に違わない素晴らしいものだった。第一楽章で若干緊張しているかに見えた弦楽セクションが、この3楽章からパワー全開となり、驚異的な合奏力を見せてくれたのであるが、粗野と優美のコントラストがそれは見事であった。352小節からトランペットソロが最弱音で奏で始めるとまどうような美しいズレーズは、次第に引き伸ばされ、ついに375小節目(練習番号37番)でヴァイオリンのモルト・エスプレッシーヴォとなるのだが、ここでの弦楽の合奏力は何だろう。すべての弦楽器が美しいヴィブラートを伴うゆったりとしたフレージングで歌を奏でている。極上の赤ワインのシルキーな舌触りを思わせる豊かな響きである。

 斉藤秀雄は生前、桐朋音大における弦楽合奏の授業でチャイコフスキーの弦楽セレナーデたった1曲を用いて、何週間もかけて徹底的にボーイング、フレージングのトレーニングを行ったという。奏者たちの息が合わなかったり、フレージングを間違えたりすると、椅子を叩き付けて烈火のごとく怒りつけたので、練習には常に異常な緊張が走っていたという。そうしたトレーニングを重ねるうちに奏者たちは息遣いや感情の起伏まで同調させる唐丹なり、一心同体の合奏が完成するのである。サイトウ・キネン・オーケストラの弦楽セクションは全員、この恩師、斉藤秀雄による徹底した基礎トレーニングを受け、弦楽合奏の神髄に迫ろうとする恩師の薫陶を共有したメンバーが揃っているのである。この事実が、今まさに現実の音となってカーネギーホールに体現しているのである。古今東西の弦楽合奏の中でも最も感動的な美しさを持つこの交響曲の第四楽章への、大いなる期待を喚起させるものであった。

 さて第三楽章であるが、その後再びアレグロに戻り、次第に熱気をおびてきて617小節からはオケのパワー全開となり、さらに641小節でプレストに突入して狂気の加速を加え、合奏技術の限界のスピードで最後の3音を叩き付けるようにして突然締めくくられる。バーンスタインは常にここでオケの能力を超える加速を要求し、最後の21小節は、なにがなんだか訳が分からない大混乱の中で突っ走って、最後のシンバルとティンパニの強打で全てを終わらせるというパターンで熱狂を呼び起こす(これはイスラエルフィルを振った実演でも、ベルリンフィルと共演した伝説の演奏でも共通)。フルトヴェングラーのベートーヴェン第九のエンディングと同じアプローチである。
 小澤・サイトウ・キネンの今回の演奏は、スピードといい盛り上がりといい、バーンスタインの演奏に優るとも劣らない強烈なものだったが、一つ異なったのは、オケが最後まで混乱せずに見事な合奏を維持し、音楽としての体裁を維持しながら大団円まで到達したことである。これは驚異的な技術と合奏力と言わざるをえない。最後まで音程、リズムを一致団結で乱さずに弾き切り、最後の八分音符3連発の強打に至った。しかも終結のAとEの和音が確実に八分音符の長さで切られたため、打楽器を含むすべての楽器の響きとその余韻が突如止まった。その結果客席は大音響の爆発の瞬間、絶望的な静寂に一気に突き落とされたのである。しばらく息を呑んでいた聴衆からため息が漏れたのは、それから5秒ほどの静寂をおいた後であった。筆者の隣の席にいた老齢の夫人が小さな声で“Oh! My God!モとつぶやくのが聞こえた。

 この交響曲の白眉である第四楽章アダージョである。ここまで書いてくれば、最早これ以上言葉で説明する必要はないだろうが、これこそ当夜のクライマックスであった。三楽章中間部で見せた弦楽セクションの大河の流れのような、とうとうとした合奏が、美しい転調を繰り返しながらいつ果てるともなく続き、そこに5本のホルンの豊潤な響きが重なって、19世紀交響楽へのレクイエムを奏でる。カーネギーホールの三階席から見ると、弦楽セクションのすべての奏者が一糸乱れぬボーイングで大きく体をゆすらせながら歌っていく様はまさに大河のうねりを思い起こさせるもので、会場中を巻き込む異常なオーラを発散していた。100人の演奏者全員がこの感動を共有し、音楽の喜びを全身から発散させている。小澤征爾はその中心に立つ司祭のように見えた。

 バーンスタインの演奏の強烈なソステヌートで有名なこの楽章のクライマックス、122―125小節の、全ヴァイオリンのフォルテッシモによる下降音形は、筆者の知るいかなる演奏よりも音価を引き延ばしてぎりぎりの緊張を維持した感動的なものであり、そこで蓄積・凝集したエネルギーが、続く126小節目のテンポ・プリモから5本のホルンにより大空に開放されていく恍惚は、エクスタシーともいうべき体験だった。

 その後、音楽は次第に力を弱めて告別の歌を奏でるようになり、異常な静寂の世界に入っていくのだが、158小節目で、これ以上では聞き取れないかすかな空気の振動のようなチェロの下降音形の後、永遠に続くかのようなフェルマータで停止する。その後、音楽は彼岸の世界ともいうべき終結の合奏に入り、感動と金縛りの大団円を迎えることは冒頭で記述した通りである。遠く会場の外からニューヨーク7番街を疾走するパトカーのサイレンの音が漏れ入ってくるのだが、最早そうした世俗の世界を超えた天国の合奏に立ち会っている奏者と聴衆の緊張を妨げるものではない。むしろ現世の雑音が遠くかすかに混入するなか、ホールの空気はそれを惜しむかのように彼岸の彼方へと静かに昇華していき、最後の宇宙的絶対静寂の中に吸い込まれていったのである。

 終演後、小澤はすべての団員と感動を分かち合うかのように握手してまわり、その間3―4分間、会場は総立ちで割れるような拍手を続けた。普段は音楽を生業としている第一級の演奏者たち自身が、自発的に自らの喜びのために年に数回集い、斉藤秀雄という共通の音楽体験ルーツをベースに感動を共有しながら音楽する場に立ち会う。これは素晴らしい体験である。職業音楽家が、日常のルーチンワークではなく、自分たちが感動するために集まって演奏するという贅沢は、今日の音楽業界の事情ではなかなか許されない。サイトウ・キネン・オーケストラというプロジェクトは、斉藤秀雄、小澤征爾という扇の要を求心力として、そうした奇跡を実現しようという壮大な実験なのだろう。ここには、最高のプロがアマチュアの心をもって音楽に取り組む喜びが溢れているように思われた。

 






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