連載小説 カンパニー・1985 第12回
2000年
あれから長い月日が流れた。僕とデコさんは翌年タヒチに行き、ハレー彗星を見て、その次の年にゴールインした。今では中学生を頭に子供が3人いる。
プルードー湾への熱交換モジュール積み出しは、1986年の暮れに行われた。プロジェクトとしての採算はかつかつになったけれど、日下課長が精魂を傾けた仕事は立派に形になった。精緻なスケジュールは計画通りに実行され、四谷重工の機械はアラスカの大地にしっかりと根を下ろした。爾後、プルードー湾で生産される天然ガスは、カリフォルニアに運び込まれて発電や工業用原料など、さまざまな用途に使われているはずだ。
チリのメタノールプラントは、プロジェクト自体は成功した。しかしその後の円高ドル安の進行により、当社にとっては苦いプロジェクト・ファイナンスの初経験となった。藤原部長は責任を取らされて関係会社に飛ばされた。石神課長代理は、その前にコンサルティング会社に転職してしまった。つい最近の日経金融新聞では、外資系金融のトップについたという記事が出ていた。
新入社員だった僕は、、まったくお咎めなしに終わった。釈然としない気もしたが、責任がない立場というのは、それはそれで気楽なものだと知った。
秋元さんは去年で四谷重工を退任した。先日、自宅を訪ねたら、
「取締役もさせてもらったし、文句を言ったら罰が当たるわな」
などと言っていた。
「IT革命なんて信じちゃいかんよ」
とも言っていた。そのくせ、自前のホームページを立ち上げたりして、やっぱりただ者ではないようだ。
日下さんのお墓は四谷にある。便利な場所なので、ついでのときに立ち寄ることができる。先日も墓参りをして、「阪神タイガース、今年も駄目みたいですよ」と報告しておいた。なんだか面白くないことがあると、なんとなく四谷に行きたくなる。
僕は昨年、ようやく課長になった。日下さんには遠く及ばないが、斜陽産業といわれる総合商社業界に今も席を置いている。商社というビジネスモデルが、どこまで有効なのかは正直なところ自信がない。でもうちにいるデコさんと3人の子供を見たら、そんなことは言っていられない。
あれから15年。古き良き時代は日々遠くなっていく。
END