「 自分が自分でなくなる。まるで
  もうひとりの自分が自分から分離して
  自分に指令をだしているような感覚。
  まったく別個の自我、資質をもった
  もうひとりの自分が明らかにそこに存在している」

この症状が激化すれば、精神科では
まちがいなく解離性同一障害、
いわゆる多重人格と診断される。
軽度で離人症、分裂症との診断であろうか。
私はこれをあえて、多重感覚とよびたい。
感覚は病でも、心の病気でもない。
人間に本来備わっている本能、
鋭敏にとぎすまされた感覚脳、生物脳なのである。
動物的であればあるほど、この感覚はとぎすまされていく。
とぎすまされた感覚は五感以上の超力を発揮していく。

  
多重感覚者は、別個の感覚をもった人格者が幾重にも
潜在下にはいりこみ共存している。
ふとした瞬間、ささいなきっかけや、何かの衝撃と共に
主格を通りこして全面に現れてくる。
自分にはなかった才能、能力を発揮することも多々ある。 
潜在下の自分が出現しているときには主格の自我の存在が
潜在下にはいるため、多重感覚者には混乱も迷いも存在しない。
これを精神の病と思えば人は悩む。迷う。
排除しようと抵抗すればするほど、こころがむしばまれていく。

多重感覚は病気ではない。
普通の感覚の人にはどんなに願っても手にいれることができない、
特殊な才能の一種なのである。
思考にまどわされることなく、感覚だけが異様に発達してしまう
多重感覚者。
本能的感覚が強すぎて、人間社会にはなかなか適応できにくい
かもしれないが、がんばって生をまっとうしていただきたい。
本能に自滅行為はけっしてないのであるから。
その才能をふるに発揮して社会に役立てるよう
努めていただきたいと思う。


                       記:内田 多美子
多重感覚