南フランス      表紙(地図)へ戻る

南フランスといえば何を思い浮かべますか? ゴッホやセザンヌの絵、ヴェルディーの歌劇「『椿姫』の中のアリア「プロバンスの海と陸」など、陽光にあふれるひまわり畑、輝く地中海といった所でしょうか?

ここでは、ぐっと視点を変え、以前、日仏共同研究事業でしばらく滞在したアルプスの西端に位置するグルノーブルを拠点に、合間を縫って訪問した、グルノーブルとその近郊、リヨンアヴィニョンニームといったローマの植民都市を起源とする町を訪れた時の記録を紹介する。 ローマの歴史についてはここを参照

グルノーブル Grenoble 学術とウインタースポーツのメッカ

グルノーブルはアルプス山脈の西端付近に位置する中都市(人口約17万)。フランス国内でのスキーのメッカで1968年に冬季オリンピックが開催された。

町の起源はアルプスを越えガリア(フランス)へ向かう街道のためローマ軍によりこの地に橋が架けられたことに始まるという。町が発展したのは近世になり豊富なアルプスの水を利用し、発電所が開発され電気機器などの産業が盛んになってからである。その産業を支えるためもあり科学技術の研究が盛んで、著名な数学者で県知事にもなったジョセフ・フーリエの名を冠する大学、国立科学研究センター(CNRS)に属する研究所群、ヨーロッパ諸国の共同研究施設である巨大な研究用原子炉を有するラオエ・ランジュバン研究所(ILL)、巨大な放射光発生施設(日本のSpring8が出来るまでは世界最大級)など、特に物性物理学研究のメッカとしてこの分野の研究者には有名である。また、小説『赤と黒』の作者スタンダールの生誕地であり生家は博物館となっている。その他あまり知られていない歴史上の1こまとして、ナポレオンがエルバ島を脱出し再起を図ったとき、アルプス越えの間道からこのグルノーブルに入り、ナポレオン党の兵を集めパリに向かって進軍し、百日天下を開いた。

グルノーブルと近郊の点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります
   

バスティーユ城塞
中世(16世紀)に築かれた要塞
市街が一望出来るだけでなく遠くアルプスの山々が望まれる
 
ラオエ・ランジュバン研究所 (ILL)
後方のドームは世界最大級の研究用原子炉

ルイ・ネール
磁気研究所
ネール教授は磁性物理学の分野でノーベル物理学賞を受けた
  
シャルトルーズ修道院
山間にある修道院
特製のリキュールが有名

  シャモニー
グルノーブルから列車で2時間ほ北東へ行くとモンブランの麓の避暑地シャモニーに入る

  モンブラン

麓のシャモニーからケーブルで中腹まで行ける

リヨン Lyon 商業とグルメの町

人口(約50万)はパリ、マルセーユに次いでフランスで3番目の都市。ソーヌ川(手前)とローヌ川(後方)の合流地点に位置し、その起源はローマの植民都市に始まる。ローマ時代はガリアの中心都市であり、第4代ローマ皇帝クラウディウス(在位41-54)はここリヨンの出身である。

中近世においても交通の要衝にあり商業や絹織物の産地として栄えた。 町は3つの地区に分けられる。この写真手前の丘陵地帯(フールヴィエールの丘)に広がる旧市街。ここにはローマ時代の遺跡や、中世のままの市街が残っており世界遺産に指定されている。2つの川に挟まれた地区(新市街)は近世、ローヌ川の向こうは現代になって広がった地区。屹立する高層ビルはクレディ・リオン銀行の本社ビル。

ベルクール広場

新市街の中心にあるある大きな広場。巨大な騎馬像は『太陽王』ルイ14世

後方遠方にあるのはフールヴィエールの丘。その頂上に見えるのがノートルダム・ド・フールヴィエール教会。


リヨン旧市街点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります

ローマ時代の劇場跡
良く保存されており現在も野外コンサートなどに使用されている。

ガロ・ローマ博物館
ローマ劇場跡に隣接してローマ時代の遺物を展示している博物館がある。
旧市街
中世さながらの建物が残っている。
遠方にクレディ・リヨン銀行が見える

ノートルダム・ド・フールヴィエール教会
19世紀建立の新しい教会
サンジャン大司教座教会

12-15世紀に建立されたロマネスク様式の教会

プロヴァンス

プロヴァンスとはラテン語の「プロヴィンキア(属州)」 から来ており、ローマがまだ帝政に入る前(西暦前1世紀頃)から属州化したガリアの地域である。従って、この地方のほとんどの都市はローマ時代の都市に起源をもつ。ローマ時代この地の住民の大多数はケルト人(ガリア人)であったがローマ帝国の高い文化に触れほとんどローマ化した。これをガロ・ローマ文化といい、ニームはその中心都市の一つであった。

リオンからニームへ至る車窓。典型的なプロヴァンスの風景

フランスの国鉄は良く整備されており小さな駅にも、タッチパネル方式の案内端末が設置されており行き先を入力すると、どの列車に乗ればいいか教えてくれる。ユーレイルパスを持っていれば切符を買う必要がないのでフランス語が分からなくても苦労しない。


アヴィニョン Avignon 法王庁のあった町 

町の起源はごたぶんにもれずローマ時代に遡るが、大きくなったのは14世紀になって、この地にローマ法王庁が置かれたことによる(アヴィニョンの捕囚 1309-1417)。

右手に見える城壁に囲まれた建物群が旧法王庁(世界遺産)。川は豊かな水量のローヌ川。左手の橋は童謡で有名なサン・ベネゼ橋(アヴィニョンの橋)

アヴィニョン点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


旧法王庁

法王庁内部

法王庁内部

サン・ヴェネゼ橋
「橋の上で踊ろよ、踊ろよ・・・」

ニーム Nimes ガリア(フランス)のローマ

ニームは初代皇帝アウグストスがクレオパトラ・アントニウス連合軍に勝利しエジプト遠征から凱旋する途中、この地に豊富な泉が湧き出ることを見つけ兵士の宿営地を築いたのが始まりという。その後闘技場なども作られ、5賢帝の時代に大いに栄えた。ハドリアヌス帝はこの地に好んで滞在した。アントニヌス・ピウス帝はこの町の出身である。

現在も円形闘技場などローマ時代の遺跡が非常に良く保存されている。

人口約15万、ガール県の県都

円形闘技場

市の中心部にあるローマ時代の円形闘技場。大きさはそれほどではないが、保存状態は世界でも最高クラスであり、現在も野外コンサート、オペラなどに使われており、またフランスでは珍しく闘牛も行われている。

ニーム市内点描   下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


円形闘技場の内部
野外コンサートのための客席が設けられている

円形闘技場の内壁
大変よく原形をとどめている

メゾン・カレ(小神殿)
アウグストス帝の2人の孫のために作られた神殿。よく原形をとどめている

メゾン・カレの内部
博物館として使われている。

中央はアポロ像
右はニームのヴィーナス像

メゾン・カレの内部
鮮やかな壁画やモザイクも展示されている

フォンテーヌ公園

ローマ時代に泉があった場所は現在も公園として整備されている。

手前はカヴァリエの丘




フォンテーヌ(泉)公園付近点描 下のサムネイル(小さい絵)をクリックすると大きくなります


フォンテーヌ公園

上の写真のもう少し下側

花壇

 ディアナ神殿
アウグストスの時代に建てられた神殿。図書館だったという説もある

マーニュ(大)の塔
ローマ時代の砦跡
丘の頂上にある

取水場
ポンデュ・ガールから送られてくる生活用水の取水場

泉とは別

ポン・デュ・ガール


アウグストス帝の時代に作られた水道橋。ニームの取水場に通じている。

かなり破損していたがナポレオンによって修復された。

世界遺産となっているが残念ながら時間が無く行けなかった。

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