− 工学と理学のはざまで −
材料工学専攻 志賀正幸
『三つ子の魂百まで』という言葉があります。私は昭和39年理学部化学の大学院を中退し本学工学部金属加工学教室に助手として奉職して以来いつも心の片隅にあり、また時には強く意識させられる言葉なのです。つまり、私の学問研究の原点は理学部にあり思考形式が『理学』的で、時々、工学部でこんなことをやっていていいのかな?と考えさせられることがあるわけです。そのようなときは当然『工学』とは何ぞや?という疑問が生じるわけで、正直なところ退官を迎える今になっても明確な解答を得ていないといわざるを得ません。それでは『理学』とは何ぞや?ということですが、これについても別に明確な定義を知らないのですが、要するに自然現象を対象として、面白い、不思議だと思ったことことについて、その原因・メカニズムを追求するとから始まり、うまくゆけばそこから一般論を導き出しさらに新たな現象を発見する、といったことではないかと思っており、それ以上深く追求する必要を感じません。で、『工学』ですが、若い頃は(私はそのころ設立された金属加工学科に教授として招かれた私の先生である中村陽二教授にまねかれて助手になったのですが)余り『工学』を意識せず、ただその頃興味をもち、研究対象としていた『インバー合金』が低熱膨張率をもつ実用合金であり、その当時まだわかっていなかった低熱膨張率の起因を明らかにすることは工学部で行う研究として『ふさわしい』かどうかはともかく、自分ではそれほど違和感を感じていませんでした。それともう一つ、私の属していた講座は『金属物理学講座』といい、これは私の勝手な想像なのですが、金属加工学教室の設立に大きく貢献された高村仁一先生の方針で金属学にも電子論的観点を導入する必要を感じられ磁性物理学を専門とする先代を呼ばれたのではないかと推察し、それなら、余り実用的なことを気にせず基礎的な問題をより深く研究し、それを教育に反映していけばいいと割り切っていたように思います。もっとも、それでいいかなと自問することもあました。特に、素人の方からおまえのやっている研究は世の中でどんな役に立つのか聞かれたとき明快に答えることが難しく忸怩たる思いをすることがあるわけです。今でいう説明責任の欠如ですね。最も素朴に考えて『工学』というからには『役に立つ』という概念と分かちがたく、そういう意味では私の研究の出発点はやはり『理学』的であると白状せざるを得ません。つまり、『三つ子の魂百まで』というわけです。
ところで、『三つ子の魂』は本当はいつ形成されるのでしょうか?文字通り三歳というわけでもなさそうですね。ここで、ちょっと私事にわたるのですが、私の父親は電気工学出身の技術者で、何を隠そう、先ほどの『何の役にたつ?』質問で私を悩ませた素人とはその父親なのです。つまり『三つ子の魂』は遺伝的に継承されるのではなさそうです。それでは大学での教育でしょうか? 確かにそれは大きいと思います。しかしその前に、そもそもどの学部へ入るかを決めるときにその志向はある程度決まっているのかもしれません。私の場合、小学校の中学年での担任の先生が理科教育に熱心で、その影響を受けたのかもしれません。元々『理学』的志向の強い学生とともに『理学部』の先生方の下で、大学院を合わせ、最も知的吸収力の大きい6年間を一緒に過ごしたわけですからその影響力はかなり決定的なものです。つまり『三つ子の魂』はここら辺で形成されるのではないでしょうか? では、具体的に何が違うのでしょうか? おそらく、材料科学に限っていえば大学で受ける知識としての教育は工学部でも理学部でも余り変わらないと思います。やはり、研究をするに当たっての目的意識の違いが本来の性向とあいまっていわば『工学的センス』や『理学的センス』(私の場合は具体的に『物質に対するセンス』、願望としては『物質の心』を直感できる能力)が形成されるのではないでしょうか。従って、我々工学部の教官として、は専門知識を講義する他、『工学的センス』を伝授することが要求されるわけです。ところが、この『センス』というのはどの世界でもそうだと思いますが、『三つ子の魂』なので、後から意識して獲得しようとしてもなかなか難しいもので、いろいろ考えさせられるわけです。
とりとめのない話になりそうなので、ここらで話を整理しましょう。この原稿を書いている少し前、工学研究科の自己評価に関連し膨大なアンケートがありましたが、その教育に関するアンケートの中に『工学』に関する定義が書いてありました。まだ案ということですが引用させていただきますと、工学とは『人間と社会にとって価値ある人工物の創成と、自然・社会システムの適切な制御を目的とする知と技術』とあります。広く定義するということでよく考えられていると思いますが、あえて材料工学を専攻しているものの立場から注文をつけさせていただきますと、我々が目指しているのは材料として新しい物質の創成なのですが、これが最初から『人間と社会にとって価値ある』物質かどうかきわめて不透明で、興味本位で物質値探査をやっている過程で偶然大変有用な物質が見つかるといったことが歴史的にも多々みられるわけです。逆に、当面役たちそうな物質を研究しても大きなブレークスルーが得られないように思われます。つまり、工学の研究は、アンケートの執筆者の言葉を借りますと、企業の開発研究に近い「近視眼的有用性」を追求する立場から理学部的な「純粋科学」に近い立場まで大変広いスペクトルのどこかに位置するわけで、どのへんをねらうかは、分野の性格、その研究者の背景(三つ子の魂?)によって様々な立場があっていいのではないかと思うわけです。私のとってきた立場を振り返りますと、そもそも大学の社会的使命の最大のものは『社会に大きな貢献をする可能性をもった卒業生を送り出す』ことにあると思いますので、研究によって得られる成果が直接役に立つことがあればもうけもので、それよりむしろ、京都大学の卒業生として恥ずかしくない学生を送り出すための高度でかつ基礎的な教育・研究指導を維持するため、最も効果的と考える研究分野を歩んできたような気がします。
今後、大学は社会とのつながりをより真剣に考える必要に迫られると思いますが、余り世間の風に惑わされず、自分の依って立つ位置をしっかり見定め『三つ子の魂』を大事にしながら、教育・研究に携わっていただきたいと思います。