過去の日記 インデックス
いよいよニューヨークへ (生後738日)
2004,8,30
いよいよニューヨークに出発する。ちょうど最終競技であるマラソンが終わり、オリンピックが今朝終了した。行くタイミングとしてはちょうど良いと思う。ところが私は腰痛を患ってしまったため、楽しみにしていた気持ちが、やや憂鬱に変わってきてしまった。いろいろ見て回ろうと思っていたのだが、これでは少し厳しい状況だ。従って決まっている日程を見に行く以外は、ホテルでのんびりするか、ホテル周辺にあるセントラルパークをぶらついて、ニューヨークの空気を吸って帰ってこようと思う。
向こうの日付で31日に松井秀喜のいるヤンキース戦を見学する。また1日にはブロードウェイで「42ndストリート」を見学する。ニューヨークでは正味3日間しかいない。3泊5日である。ニューヨークではちょうど共和党大会があるという。テロの危険と、厳重な警備が予想される。それもちょっと不安な気持ちにさせる。
ただ、「オータム・イン・ニューヨーク」というジャズのスタンダードがあるが、初秋のニューヨークの空気を楽しんできたいと思う。何せ世界の都市の中ではまさにニューヨークが中心だと思う。近代の象徴たる都市のさらにその中心で、私の嗅覚は何を感じ取ることができるだろうか。楽しみである。
日記はノートパソコンを持って行くので、できたら現地で報告をしていきたいと思う。
金曜日に帰国する。
画像は秋明菊。雨に濡れた秋の花です。
腰痛とパソコン (生後737日)
2004,8,29
またまた腰痛が出てしまった。明日からニュ−ヨーク旅行へ行くところだというのにだ。飛行機は腰に悪い。なおかつ向こうで歩けないような痛みに襲われたらどうしようかと不安になってしまう。腰バンドと湿布を持って何とか凌ごうと考えている。
腰痛の原因は身から出たさびである。実は先週の日曜日にデスクトップのパソコンを買い換えて、今日でちょうど1週間になる。その間使い方がよくわからず、良くない姿勢でパソコンの前に座り続け、かちゃかちゃ長い時間やっていた。これでは腰に負担がかかるだろう。また、野球を見に行ったときも悪い姿勢で観戦していたし、昨日の研修会も1日座りっぱなしだった。そして気温が急に下がったことも1因にあげられるだろう。困ったことである。
今日は1日この時期にしては冷たい雨が降り続いた。夜知人たちと懇親会があるので出かけるが、それ以外は何もせず横になって腰をいたわった。カンの散歩だけはこれから行ってやろうと思う。
画像は雨の中小屋の中でじっとしているカン。
薬の善し悪し (生後736日)
2004,8,28
埼玉地方は今日は涼しい1日だった。このように気温の上下が激しいと、なんだか体調がおかしくなる。1日研修会があって出かけたのだがぼうっとして過ごしてしまった。オリンピック疲れもあるのだろうか。
ハンマー投げの優勝者であるハンガリーの選手がドーピング疑惑に包まれている。まだ決着までに時間がかかりそうだが、アスリートにとって禁止薬物の魅力というのはとてつもないのだろう。アメリカの陸上選手のマリオン・ジョーンズ選手も薬物疑惑がかけられているし、ギリシャの短距離走の選手二人も今大会の出場を辞退した。
ただ、人類にとってこの近代化した時代には薬は切っても切れない状態にある。インフルエンザの新薬タミフルは効き目抜群で、私もこの2月に初めて飲んだ。また、頭痛薬も時々飲む。さらに私はサプリメントに最近凝っている。眠れないときに飲む「快眠サポート」というファンケルから出されているサプリは結構な効き目だ。マルチビタミンや強力わかもと、エゾウコギもときどき飲んでいる。サプリなら安全と思いがちだが、飲み過ぎれば肝臓などの負担が増して危険を伴うだろう。
一般的に効く薬ほど副作用が強いと思っていい。安易に薬を飲むことはさけたいところだ。もっとも私はタバコという向精神薬を毎日多量に摂取していて、これがもっとも危険だということはいうまでもなかろう。
画像は那須サファリパークのサイ。
首位攻防 (生後735日)
2004,8,27
今日は友人のYさんと西武ドームに西武対ダイエーのパリーグ首位決戦を見に行った。球場周辺では1リーグ制反対の署名活動も行われていた。
試合はお粗末な内容。なんと西武はダイエーに20点も取られて完敗した。Yさんはダイエーファンなので(福岡県出身)大喜びしていた。私は大差がついて、途中から試合に興味を失っていた。そこで球場に大きな歓声が沸き起こった。何かと見ると、オリンピック出場のためアテネに行っていた城島選手がブルペンにいるではないか。さらに王監督は彼をピンチヒッターとして使った。レフトライナーで終わったが、球場は多いに盛り上がった。いつの間にかオリンピックの野球チームは帰国していたのだった。やはり銅メダルではこっそり帰ってくるほかなかったのかもしれない。これで、各球団戦力が回復し、明日からはレベルアップした戦いが見られることだろう。
画像は打撃練習を見守る王監督。
世界は広し (生後734日)
2004,8,26
午後からどんよりと曇り始めて、湿度も高くなんだか1日調子があがらなかった。
NHKのオリンピック放送を見ていると、昨日の日記にも登場したトライアスロンなど、普段見慣れない競技が多く登場しおもしろい。レスリングはその一つだ。相手のバックにつくと1ポイント。相手を1回転させれば2ポイント。今回浜口選手らが活躍したので少しルールを覚えた。今日は夕食後、カンと和室でレスリングをしてみた。なかなか組み合ってくれない。カンは上手に逃げながら私に絡んでくる。結局私が抱き上げてひっくり返して勝負ありだった。
そのほかにもカヌーとかアーチェリー、重量挙げなどおそらく4年に1度のオリンピックの時でないとテレビで見ることのない競技だ。よく見てみるとその競技によって強い地域がある。自転車はヨーロッパが強く、レスリングや重量挙げなどは東欧からイスラム圏が強いようだ。日本が強い競技はオリンピックの前半で終了してしまって、後はのんびり観戦といったところだが、世界はひろしという心持ちがした。
画像は那須サファリパークのシマウマ。
トライイヌロン (生後733日)
2004,8,25
アナウンサー「さあいよいよイヌリンピック、トライイヌロン競技の開始であります。解説は体操の解説でもおなじみのコニシさんです。よろしくお願いします。」
コニシ 「ううう・・・」
アナ「小西さん泣いてください。ああ、解説ができそうもないのでソフトボールの解説をやっていた方に解説をお願いします。よろしくお願いします。」
解説「いいですよ〜〜〜。」
アナ「さて、アテネのライバル都市スパルタで開かれたイヌリンピック注目のレース、トライイヌロンですが、最初に水泳、それから犬ぞり、最後にランです。世界中から約千頭の犬が出場します。今スタートしました。最初は300mの川を横切る水泳です。おお、早くもアメリカの犬、オエップス、オーストラリアのイヤーンソープ、日本のコースケが先頭に立った。自由形だがどの犬も犬かきだ〜〜〜。予想どおりの展開ですね。」
解説「そうですよ〜〜〜。」
アナ「先頭集団は泳ぎ切りました。おや!おぼれている犬がいます。ああ、日本犬の柴犬カンタロビッチ選手です。どうやら泳ぎは初めてのようです。かわいそうですね。」
解説「そうですよ〜〜〜。」
アナ「カンタロビッチ選手なんとか岸にたどり着きました。先頭はここでアラスカとロシアの選手に替わりました。無国籍の南極犬もいます。やっぱり北国の選手が強いですね。」
解説「いいですよ〜〜。」
アナ「さあ最後のランに入りました。ここで優勝候補のイギリスのゴールデンレドリバーのバスクリフ選手がトップに立ちました。さすがにランが得意です。お、ケニアの黒ラブ、ネテレバ選手も追い上げてくる。日本の小型犬ミズキ選手が先頭集団に入ってきた。この犬は高地トレーニングを飼い主とやっていますから強いです。さて、後続では途中でウンコをしている犬がいます。スパルタは40℃近くで暑いです。あああ!!!優勝候補のネテレバは名前の通り木陰で睡眠に入った!!!!金メダル争いから脱落!!さあここでなんと茶色い犬が猛スピードでトップに立った。先ほどおぼれかけたカンタロビッチ選手です。とばしすぎですよね。」
解説「そうですよ〜〜〜。」
アナ「ああ、トップにたったカンタロビッチ選手逆走を始めました!!!一瞬の天下でした。さあ最後だ。バスクリフここでダウン!!。優勝はよく訓練された日本のミズキ選手だ〜〜〜!!!。金メダル〜〜〜!!!優勝したミズキ選手には商品としてビーフジャーキー1年分が与えられます。良かったですね〜〜。」
解説「そうですよ〜〜。」
アナ「次々に各国の犬がゴール。ニッポンのカンタロビッチ選手今999位でゴール。参加賞のビーフジャーキー1日分を手にしました。これでスパルタのトライイヌロン会場からの中継を終了します。ありがとうございました。」
解説「いいですよ〜〜〜。」
画像は誕生日のケーキを食べるカン。
カン満2歳に (生後732日)
2004,8,24
女子バレー、野球と負けて私の心の中ではオリンピックはほぼ終戦を迎えた。今回ほど見ていて疲れた五輪はかつてなかった気がする。今までは日本選手を見ることよりも世界の1流選手のパフォーマンスを楽しむということが多かった。特に今行われている陸上などがそうだった。しかし今回は日本選手が様々な競技で上位進出を果たしたので、胸がどきどきしていた。おかげで頭の中は疲れ切ってしまい、少しほっとしている。明日からは今までのオリンピックと同じに、穏やかな気持ちで見てみたい。
さて、今日はカンの満2歳の誕生日である。ということで、妻がカンのためにケーキを買ってきて食べさせてあげることにした。カンは誕生日がなんたるものか理解してはいないだろう。何でケーキをたくさんもらえるのか不思議な気がしていたに違いない。
カンに出会ってほぼ2年。飼い始めて1年11ヶ月。時の流れが速く感じる。最近のカンは落ち着いて、大人の風格が漂っている。まだ6ヶ月、1年といった頃の幼さがなくなってきている。これから老年期に至るまで、もっとも充実した成犬時代を過ごすことになるであろう。
画像はカンとケーキ。
処暑 (生後731日)
2004,8,23
今日は暦どおり(二十四節気の処暑)、ひんやりとして1日中曇り空だった。6時半を過ぎると真っ暗になってきた。日が落ちるのがずいぶん早くなってきて、おまけにこの涼しさから秋になったように感じられた。
この涼しさに元気が回復したのは我が家の愛犬カンである。夕方の散歩では、私をぐいぐい引っ張り前へ進む。かと思えば急に反転して戻ろうとする。道の反対側にでようとしたり、あっちこっちへ行くのでコントロールが難しかった。えさも以前より多く口にするようになり、大便も多めに出た。今まで暑さ負けしていたんだとよくわかった。
それにしてもアテネは暑そうだ。その酷暑の中女子マラソンの野口みずき選手が金メダルを獲得した。本当にすごいと思う。野口選手もレース後に医務室に連れて行かれ、2位のヌデレバ選手も戻していた。私などは5kmがせいぜいで、しかものろのろでしか走れないだろう。日本女子のマラソンの強さを、シドニーからの2連覇で証明した。
私は調子に乗って、ハンマー投げの室伏選手の試合も見てしまった。残念ながら後一歩届かなかった。
おかげで今日は眠いし、自律神経が狂ってしまいそうだ。今日は女子のレスリング。浜口選手は負けてしまったが、3人の選手が決勝に残った。これまた夜遅いが、たぶん見てしまうだろう。
夏の終わりのハーモニー (生後730日)
2004,8,22
夏が終わりかかっている。昨晩は冬のソナタが最終回だった。今日の午後に夏の甲子園大会が終わった。すさまじい打撃戦の末、南北海道代表の駒大苫小牧高校が、選抜優勝の愛媛の済美高校を破り、北海道の地に初の優勝旗をもたらした。例年だと、甲子園が終わると、秋風が吹き始めて、なにやら晩夏の寂しさを覚えるのであるが、今年はオリンピックがまだ続いているので物寂しさはない。ただ、今日記を書きながら、外から虫の音が響いてくる。今日あたり一段と虫の声が大きく感じる。このコーラスは、夏の終わりのハーモニーだろうか。
さて、ソフトボールが3位以内を決めた。野球の長島ジャパンも予選1位通過。今日はこれから女子マラソンと室伏選手のハンマー投げ、そして体操の種目別も控えている。眠れない夜が続くが、今日がピークだ。私はオリンピック疲れが深刻な状態になっていて困っている。日本選手が負けそうになると胸がどきどきするのだ。早く夜ぐっすりと寝てみたいものだ。
スポーツ三昧 (生後729日)
2004,8,21
昨晩もついついオリンピックで夜更かしをしてしまった。柔道が2つの金メダルで有終の美を飾ったあと、競泳を見た。目的は背泳ぎ200mの中村礼子選手だ。私は彼女のファンになってしまったのだ。彼女は無事銅メダルを取り、続いて800m自由形に柴田選手が出てきた。当然よく知らないし、あまり期待もしていなかったのだが、見ていると、2位で泳ぎ続けている。そのうちあれよあれよという間にトップの選手を抜き去り見事金メダルを取った。快心で感動的なレースだった。
今日は浦和レッズの試合を埼玉スタジアムに見に行った。レッズ戦にしては客の入りが悪い。やはりオリンピックに注目が行っているためのようだ。試合は相手のヴェルディが弱すぎた。最初の5分で力の差を感じた。瞬く間に3点を取り、2点返されたものの、後半は4点を取って7対2。野球のようなスコアだ。私は試合終了を見届けると早々に帰宅した。
試合中に妻からメールが来て、長島ジャパンが延長サヨナラ勝ちしたという知らせが入った。こちらの方を見た方が手に汗を握ったかもしれない。
画像はレッズの応援風景。相変わらずレッズファンは熱狂的でした。
秋風とパソコン (生後728日)
2004,8,20
ついにデスクトップのパソコンにガタが来た。4年半前に購入以来、この日記も、ホームページもほとんど富士通のデスクトップパソコンで行ってきたが、最近フリーズしたり、インターネットにつながらなかったりと、故障がちだった。なにせCDに書き込むことさえできなく、ハードディスクも10ギガしか入らないものであったのだが、今日になっていよいよ不安定さが増してきた。富士通のサポートに電話してみたが、技術者は、そろそろ寿命かも知れません、のようなことを言っていた。私にとっては愛着のある、初めて買ったパソコンなので買い換えるのが惜しい気もするが、やむを得ないだろう。今年になって、やはり買い換えようかと、ちらと思ってはいたのだ。
ということで、今日は、仕事用に持ち歩きしているノートパソコンに、文書や画像をランケーブルで移した。このノートも展示品を格安で2年前に買ったもので、ハードは20ギガしか入らない。ただ仕事では文書を作ることがほとんどなので不自由はないのだが。
ということで今日はノートから日記を書いている。明日あたり休日なので新しいパソコンを見てこようかと思う。
さて、今日の夕方あたりから、北西の乾いた秋風が吹き始めた。比較的過ごしやすそうだ。しばらく酷暑はないという予報が出ている。一安心だ。
画像は那須岳の様子。8月の始めで、長袖のシャツがちょうどよかったのだが、、やっと平地でもそんな気候へ、少しずつ向かい始めたと言うところのようだ。
残暑雑感 (生後727日)
2004,8,19
昨晩も北島選手の金メダルを見ようと夜3時まで起きていたので、今日はこの暑さの中でとても辛い1日だった。とりあえず柔道は明日で終わり。あとは女子マラソンかなあと思うが、つい深夜まで見てしまうので、もうオリンピック終わってよ、夏の暑さも終わってよと願ってしまうのである。
井上選手が負けた。どうも1回戦から不調だったようだ。体調が悪いのか、メンタル面なのか、はたまたピークを過ぎた選手になってしまったのか分からないが、今日の井上選手は弱かった。弱ければ負けるのが当然だ。
カンは夕方の散歩が終わってからも、泥風呂に浸かって、涼んでいた。どんどん掘り進めてしまって、妻曰く、温泉が湧きだしてしまうのではということだ。
この暑さも明日までで、あさってから少し涼しくなるという予報が出ている。それを期待したい。
画像は那須温泉にある殺生石。数多く並べられたお地蔵さんが何となく不気味な感じです。
『介護入門』−モブ・ノリオ (生後726日)
2004,8,18
また夏が勢力を取り戻した。酷暑の復活だ。おまけに連日のオリンピック観戦で、私の脳は疲れきってしまっている。今日は長嶋ジャパンがオーストラリアに。サッカー日本代表がアルゼンチンに敗れてしまった。どちらを見ようか悩んで、リモコンをかちゃかちゃさせてばかりいた。
さて、今日は芥川賞を取った、モブ・ノリオ氏の『介護入門』を読んだので、その感想を書いておく。
まず、文体が硬くて読みづらい。意味を取らずに流して読んでしまった箇所が結構あった。内容は大麻を吸うプータローの主人公が、母とともに祖母の介護をするという内容だ。小説というと物語があるのだが、この小説にはほとんどそれがなく、介護に関わる者の善意と悪意の同居を哲学風に解説しているという感じだ。むき出しにされた介護に関する本音の中に、なぜ血のつながりのあるものが介護をするのかや、業者のヘルパーについて、また、介護に責任を持つ者の徒労感、虚無感を描き出そうとしているし、それは成功している。さらに介護されるものと介護ずるもの、その中には自堕落に生きながら介護することと大麻だけが生きるよすがになっている主人公が含まれるのだが、これらを通して、人の生きる意味を問おうとしている。
そして文体に戻るが、ラップ風の歯切れの良さと、短く、豊かな語彙によって構成された文章を、主題にぶつけることによって生まれるミスマッチが、この小説を成り立たせている。
全体を通してみて、私はすごく感動したと云うことはなかった。これからモブ氏がどのような作品を書くのかが少し余計な心配として残った。
画像は那須高原の花。名前は分からないですが、リンドウの種類かも。
夢の放物線 (生後725日)
2004,8,17
「しんしんの新月面宙返りが描く放物線は、栄光への架け橋だ!」
体操の日本チームは強かった。私はその勝利を目の当たりにして、落涙を禁じ得なかった。最後の鉄棒までに、ルーマニア、アメリカとほぼ得点が並んだ日本チーム。ライバルたちは次々とミスを犯して低い得点に甘んじなければならなかった。そして日本チームが最後に登場する。まず米田選手。途方もない重圧の中で安定した演技を披露。高得点をものにした。私はこのあたりから目頭が熱くなり始めた。続いて鹿島選手。これもまたしっかりした演技をする。最後に登場した富田選手は難しい離れ技「コールマン」をしっかり決めて、最後に着地を決めた。9,85の高得点で感動的な逆転勝ちを納めた。
私は何となく予感がして、目覚まし時計を深夜の3時半にセットした。起きることができれば見てみようと思った。幸い起きてTVを付けると、2種目目の鞍馬をやっていた。そして午前5時半過ぎ、あの感動のフィナーレを迎えたのだ。私は今日1日、あの場面を見るたびになぜか涙がこぼれ落ちてくる。妻に笑われるほどだ。本当に日本チームは強かった。だからこそ最後に自信を持って、あのプレッシャーが最大値の場面で、実力を発揮できたのだ。それは昨日の日記に書いたとおりである。
もう今回のオリンピックはこれでお腹いっぱいだ。私にとっておそらくこの体操競技がアテネ大会で最も印象に残ることになるだろう。
画像は優勝した日本体操チーム。画像はヤフーから頂いたのだが、今回は許してくださいね。
強き者 (生後724日)
2004,8,16
昨晩の北島選手の金メダルと、サッカー男子の敗北とをあわせて考えて、わずかながらスポーツ経験のある(バレーボール)私の考えを明らかにしてみたい。
一言で言うと、「強さ」である。北島選手は強かったから勝った。サッカーは弱かった。これは明白である。今、ソフトボール女子が優勝候補NO1のアメリカに延長戦の末に敗れた。これも、アメリカチームの強さ故である。日本の女子バレーはイタリアに完敗した。これも強さがないからである。柔道も強い選手は確実に勝っている。今日出場した選手ふたりはやはり力がなかった。
日本人はとかく精神力がどうこうという。私が思うに精神力の強さは、もともとの身体、技術の強さがあってからこそ備わるものだと思う。強ければ自信を持って望めるし、余裕が出る。精神力で勝てればこれほど楽なことはない。
100m男子のアメリカのグリーン選手は、今回のアテネでのレースについてこう述べている。「全てにおいて完璧なレースをしなければ勝てない。」
これは、混戦の今回の100mを象徴している言葉であるとともに、彼自身がレースというものをよく知り抜いているからこそ出てくる言葉だと思う。
私はバレーボールの選手としては、しょぼかった。だから試合前はミスを恐れ、緊張した。でも、私が得意な分野では、仮に大舞台であっても、多少の緊張感はあるにせよ、自分の力を出し切れた経験がある。オリンピックの試合とはそんなものではないだろうか。だから、強き者は、自信に満ちて、結果としても強いのだ。
それにしてもまだ4日目でもう金メダル4つである。あと、柔道の井上選手やハンマー投げの室伏選手。それから今晩の体操あたりが金メダル獲得のチャンスがあろう。彼らが真に強ければ必ず金メダルを手にするだろう。
画像は近くの神社で撮ったカン。
寝る暇なし! (生後723日)
2004,8,15
終戦記念日の今日、関東地方は早朝から雨が降り、急に気温が下がった。東京の真夏日の連続記録も今日でとぎれることとなった。
私は昨晩静岡に泊まったのだが、眠れずに、女子サッカーのナイジェリア戦を見たあと、冬のソナタを見て、寝たのは3時半頃だった。今朝は9時前に起床して、父の病院に見舞いに行った。相変わらずの様子だった。昼頃新幹線に乗った。お盆の混雑を予想していたのだが、こだま号の自由席はがらがらだった。東京に着くと、静岡に比べてさらに涼しくて、拍子抜けした。
私の家に着いたのは2時半頃で、久しぶりにカンと対面した。夕方の散歩も久しぶりだった。カンもは何度も「はな」の家に泊まったことがあるのだが、やはり人様のところだと云うことで、他人行儀で疲れるようなのだ。散歩したあと小屋の中に入ってぐっすり眠っていた。私が日記を書き始めると、バタバタガラス戸を叩き中に入れろとカンが言い始め、妻が入れたところ、一人で階段を登って私に会いに来た。こんなことは初めてだ。今まで花火が怖くて登ったり、無理にのぼらせたことはあったのだけれども。
私はこれから再び深夜までオリンピック観戦するつもりだ。卓球の愛ちゃんや、柔道の男女の選手。それから水泳の北島選手。最後にサッカー男子のイタリア戦。寝るのは午前4時半になる予定。完全に昼夜逆転だ。翌朝は目が覚めると、高校野球のベスト16が始まっている。
もう寝る暇がない!
画像は松本のアイスキャンディー屋。今日はアイスを食べたくはならない、涼しい1日でしたが。
鉄路 (生後722日)
2004,8,14
朝8時に松本駅に着き、コーヒーショップで、コロンビアコーヒーを飲み、ホットドッグを食べた。さすがに松本の朝は涼しかった。
松本からは各駅停車で甲府に向かう。特急と時間的に大差がないという理由で選択した。元もと私は鉄道での旅が大好きだった。特に少年時代は鉄道小僧といってもよく、毎日時刻表とにらめっこをして空想の旅を楽しんだり、また、自分で時刻表を作ったこともあった。これも空想の鉄道だ。
鉄道がなぜ好きだったのか自分で分析すると、それはあたかも人生に類似しているからだと思う。来し方、行く末、そして今。鉄路の上を孤独に走る鉄道は、人生という鉄路を行く人間のあり方のようなのだ。車窓から見える風景は走馬燈のように刻々と変わりゆき、それは人生のエピソードのようだ。美しい八ヶ岳の山々が見える時もあれば、トンネルもある。
さて、アクシデントが起こった。私の乗った各駅停車が10分弱遅れて甲府駅に着いたのだ。私の乗る予定だった、身延線の特急富士川号はすでに出発したあとだった。JRに対して怒りが湧いてきたが、あきらめざろう得ず、甲府駅で途中下車をして早めの昼食を取り、次の各駅停車に乗って静岡に向かうことにした。身延線の各駅は長かった。富士駅で東海道線に乗り換えて、静岡まで3時間以上。さすがの鉄道好きな私も最後は飽きてきて、疲れてしまった。
静岡に着いた私は母校の高校のバレーボール部のOB会昼の部に出席して、現役の試合を見学した。20年以上前から変わらない光景がそこにあった。私は自分の人生の過去の一コマを思い出した。
一旦実家に帰り荷物をおいてOB会夜の部に参加。60歳以上の人から高校出たての大学生までいた。2次会の店でオリンピックの女子バレーの試合を見た。完敗。あれが日本チームの力だと思う。3次会の店ではやわらちゃんと野村選手の金メダルを見た。本当によかったと思う。彼らにとっては今日は記念すべき人生のエピソードを得たのだと思う。
画像は13日に乗った「あずさ号」。
墓参、松本で (生後721日)
2004,8,13
今日テレビを見ていたら、オリンピックのサッカーで、イラクが優勝候補のポルトガルを破ったという。戦乱の中混乱を極めるイラクチームがオリンピックの予選を勝ち残ったのが奇跡的ならば、この勝利はなんというべきだろうか。まあ、喜ばしいことばかりではなく、イラク人サポーターが物を投げたり、場内に侵入したりといったことがあったのだが、それでも私は何かうれしかった。
さて今晩オリンピックの開会式が行われる中、私は長野県の松本にいる。旅行と祖父母の墓参が目的だ。さすがに日中こそ暑いものの、夜になると埼玉に比べると格段に涼しい。ホテルの窓を開けると心地よい風がほほを撫でる。
今日は駅から墓地まで歩いていった。途中、アイスキャンディー屋があった。この店は30年前に私が母の里帰りでついて行った頃からあり、とてもおいしかった。今日も2本買って食べたが、昔そのままの味だった。
墓地には何人かの人たちが訪れていた。やはりお盆だからだろう。私は近くのスーパーで買った盆花を捧げ、墓の周りの草を取った。
私は母方の祖母にずいぶんかわいがられた。祖父は私が生まれる前遙か昔に亡くなっていた。最近の我々家族の近況を報告した。
画像は祖母と妹と幼いボンを抱く中学生の私。
零度の自然 (生後720日)
2004,8,12
昨晩は「なでしこジャパン」の初戦を遅くまで見た。内容的にとても素晴らしく、6対4くらいの割で、試合全体も優位に進めていた。何もなければ勝つだろうと思ってみていたら、気持ちよく勝ってくれた。
今朝は、早起きしてカンの散歩に行き、その後カンのシャンプーをした。久しぶりだった。洗ったあと乾くまで、泥風呂のところにスノコを敷いておいたら、カンが暑そうで、早くスノコを取ってくれと哀願していた。
それにしても暑い。東京では真夏日の連続記録が観測以来最長記録を達成したという。そういえば、平成7年の夏も暑かった。早く秋が来ないかと待ちわびていたのを思い出す。
このような自然の現象は人類にとって、または私にとって何か意味のあるものなのだろうか。実は自然が指し示すと云うより、我々がこれらの現象を解釈しようとしたり、意味を持たせようとする。自然自体は零度なのだ。寒く感じたり、暑く感じるのも私の意味付けなのだ。
画像はひまわりのもとのカン。
アテネの風 (生後719日)
2004,8,11
いよいよアテネオリンピックの競技が、今晩から始まる。開会式に先立って、日本チームでは女子サッカーがスタートする。また、これから眠れない夜が続きそうだ。前回のシドニーは時差があまりなくて良かったのだが、今回は、ギリシャのゴールデンタイムがちょうど日本の夜更けに当たるから、これはと思った競技のみ夜起きてみようと考えている。
私が覚えている最初のオリンピックはモントリオールオリンピックが最初だ。体操と女子バレーが金メダルを取ったことを覚えている。次のモスクワは、ボイコット。そしてもっとも印象に残っているのが、ロサンジェルスのオリンピックだ。ちょうど私が高校3年生の時で、夏場、受験勉強しなければならなかったにもかかわらず、ついついテレビを付けて、見てしまったのを思い出す。柔道の山下選手の金メダルが特に印象に残っている。
次が、ソウル。1988年の夏は私が大学4年で就職活動で精一杯だった。鈴木大地選手の金メダルがもっとも印象に残る。その次がバルセロナ。岩崎恭子ちゃんがメダルを取った。この夏は私の体調が不調で、昼夜逆転の生活だった。ちょうどオリンピックを見るのには良かったのだが。そして次がアトランタ。モハメッド・アリが聖火の最終点火者で、その姿を見て涙がこぼれそうになったのを思い出す。彼はかつて、金メダルを取ったのだが、帰国後差別にあい、メダルを川に捨てたのだそうだ。そして前回がシドニー。高橋尚子さんの快走が最も印象に残っている。
さて、今年はどんなドラマが待っているのだろうか。できたら日本チームは、金メダル10個を目指して欲しい。
画像は那須どうぶつ王国にいた、ミミズク。
馬の歴史 (生後718日)
2004,8,10
今日も、夕立もなく蒸し暑い1日だった。
さて、先日、亡くなられた中世日本史学者の網野善彦氏と考古学者の森浩一氏の対談集である、『馬・船・常民』を読んでいたら、タイトルにあるように「馬」についてと、「馬に関わる人々」の日本史の中で果たしてきた役割について論じられていた。古代より、特に古墳時代中期から、王権において馬の果たす役割が強まってきたこと。それは巨大な前方後円墳の副葬品としてこの時代から急に増えてきていることから分かるのだが、当時は主に軍馬としての役割が強かった。しかし時代が進むにつれ、交通の手段や、農耕馬として、庶民にも広く利用されるようになってきたことが記述されていた。
また、元来東日本や九州に馬の産地が多いと見られていたのだが、近年の研究によると、西日本、畿内でも馬の飼育が行われていたことが分かってきたのだそうだ。
馬を飼育する場所を古来「牧」と表現する。今でもこの名が地名として残っているところも多い。また、馬の飼育に当たってきた人々は、中世、鎌倉、室町時代にはいると、「馬借」・・ばしゃく・・と名乗り、陸上交通の担い手に変身していったという。彼らの大規模なスト、デモから、大きな反乱(正長の土一揆)が室町時代に起こっている。
先日、香取慎吾の番組を見ていたら、各地方の人たちが香取慎吾にメッセージを送っていた。その中で馬刺が夏ばてに効くのだといっていた。そういっていた地方は、確かに古来馬の生産が盛んな地方だった。宮崎、長野、岩手など。
もちろん那須高原も馬の生産がされていただろう。例の弓の名手で知られる那須与一はこの地方の出身だ。馬上から矢を放ったことだろう。
オフコース・秋の気配 (生後717日)
2004,8,9
昨晩12時過ぎに床についたものの、眠れなくて、仕方がないのでCDケースからオフコースのベスト版を取り出して聴いてみることにした。
まず最初に聴いたのは「眠れぬ夜」。
愛のない毎日は 自由な毎日 誰も僕を責めたり できはしないさ
続いて、「僕の贈り物」
冬と夏の間に 春をおきました
そして「秋の気配」
こんなことは今までなかった ぼくがあなたから離れていく
たそがれは風を止めて ちぎれた雲はまたひとつになる
次は「YESーNO」
今なんていったの?他のこと考えて 君のことぼんやり見てた
それから「YESーYES−YES」
君が思うよりきっと僕は君が好きで でも君はいつも そんな顔して
こんな暑い時には「夏の終わり」
夏は冬に憧れて 冬は夏に帰りたい あの頃のこと今でも すてきにみえる
ついに一番好きな歌がかかる。「I LOVE YOU」
流されて 流されて 僕のところへ 切ないね あなたの 白い肌
ああはやく 九月になれば I LOVE YOU I LOVE YOU
高校生の時にもっともブームだった。ちょっと昔を思い出した。部活帰りの暑い夏。特に夏の終わりが、小田和正も好きなのだろう。ちょっとセンチメンタルで。
画像はモネのひまわり。
心のよるべ (生後716日)
2004,8,8
昨晩のアジアカップ決勝戦は久しぶりに感動した。オリンピックが始まる前なのに、もうお腹いっぱいといた感じだ。何しろ反日的な中国サポーターの目の前で快勝。これほど気分のいいものはない。確かに2点目は少しハンドっぽかったが、それまでの中国よりの審判の判定を一気に挽回してくれた感じだった。日本選手の健闘をたたえたいと思う。
ただ、気になるのは中国人の反日感情だ。隣国がこのような感じだと、何やら気味が悪い。私は今年の中国旅行をやめることにしたくらいだ。このような中国人の感情を醸成したのは、反日教育だという。中国当局が、仮想敵国を日本に設定することによって中国人のアイデンティティーを確保し、政府への攻撃を押さえようというねらいなのだという。確かに中国は「中華」と言うくらい自尊心の強い民族だ。しかし、国家というものを個人を支える数少ないよるべにするということは、あまり良いこととは思わない。
アメリカも国の求心力を強めるためにイラクとの戦争に乗り出した。戦前の日本も同様だしナチスドイツも同様だ。
個人には家族とか、母校とか、郷土とか、勤めている会社とか、国家とか自らの所属する集団をよるべとする。ただ、それがあまり強すぎるとき、特にそれが集団ヒステリーと結びつくと、より危険なものになる。
私自身を振り返ってみてみると、私も日本という国家や天皇陛下に対して自己同一化し、自らの心の安定を図っていることは否めない。ただ、それが偏らないように、無意識に注意を払っている。それも、そこそこ食べていけるからだろうか。
まあなにより、バランスが大切なのだ。今、日本でもネットの世界に於いて、右傾化が進んでいる。「2ちゃんねる」という巨大掲示板群を見ればそれはよく分かる。若者たちが、自らのよるべを見失っていることが見て取れる。注視したい。
画像は那須サファリパークのキリン。
立秋 (生後715日)
2004,8,7
暦の上では今日から秋。立秋だ。上空に寒気が流入してきたらしく、午後から空が急に暗くなり、夕方には雨がぽつぽつと落ちてきた。次第にそれは大粒になり、乾ききった大地に潤いを与えるかのように、ひとしきり降り続いた。カンは、雨の中の散歩を、珍しく渋って、あまり遠くに行こうとせず、大便もしないで帰ってきた。雨が降り始めて急に涼しくなった。上空の冷気が雨とともに降りてきたのだろう。それとともに天然の打ち水となった。
秋を感じるものと言えば、早朝カンの散歩に行った時、体育館に付属する公園の木々の間から、ツクツクホウシの声がすること。この声を聴くと、夏もいよいよ終盤にさしかかってきたという思いがする。夏の甲子園大会が始まった。15日間熱戦が繰り広げられる予定だ。これが終われば急速に秋が近付くだろう。今日から帰省ラッシュだそうだ。各地の高速道路は渋滞した。私も13日くらいに父の見舞いを兼ねて静岡に帰る予定だ。
NHKで思い出のメロディーが放映されている。夏の紅白ともいわれる番組で、これを見るといよいよ夏も盛りで、これからは秋へ向かって進んでいくことが感じられる。私のあまり知らない古い曲ばかりかかっているが、これがまた懐古的で、お盆の風情を醸し出す(まだ旧暦の盆ではないのだが)。
今日、市民講座を受講したあと、近くの旅行代理店で、ニューヨーク旅行を正式に決めてきた。8月の末から9月の頭に行く。今日、松井秀喜が2本ホームランを打った。私もヤンキース戦を見る予定なので、その時にも打って欲しい。
画像は那須高原の「お花の城」の庭園。色鮮やかで美しい。
付いて歩き犬 (生後714日)
2004,8,6
今日は1段と蒸し暑くて、不快指数が高い1日だった。
先日面白いことがあった。隣家の一家が花火を始めたのだ。ひゅるるるるる・・・パン!シャーシャー・・・。かれこれ2時間以上続いただろうか。翌朝、その家の奥さんが、昨日はうるさくてすいませんでしたと、詫びを入れてきたぐらいだった。
当然、カンはその音と光におびえる。まず中に入れてくれと騒ぎ、中にはいると、いつものように床に伏せをしてゆったりできない。うろうろうろうろ家の中を行ったり来たりする。その最中、私は借りていたビデオを店に返しに行った。すると、妻の話によれば、私が帰ってくる直前までぴーぴーぴーぴー鳴いていたのだそうだ。さらに、私が2階で日記を書きに上がると、カンは今まで怖くて一人で登ったことのない階段を駆け上がり、私の書斎のドアの前でずっと座って待っていたようなのだ。妻が大笑いして2階に上がってきて、カンが待ってるよー、と教えてくれた。私が驚いたのは、カンが階段を自分から登ったことだ。火事場のばか力とはこのことなのだろう。
カンは花火が終わるまで、私の後を追いかけて、付いて歩き犬、だった。
そういえば、ボンも花火が嫌いだった。
画像は朝、近くの神社でのカン。
秋は山から (生後713日)
2004,8,5
今、日記を書いていると、窓の外から、スイーチョン、スイーチョンとキリギリス?の鳴く声がする。東京では真夏日が連続30日以上続いているさなかに、虫たちは静かに秋の気配を感じながら、活動しているのだ。そういえば明日7日は立秋である。
今日まで3日間、那須高原に一人で旅行に行ってきた。涼を求めてである。確かに、日中でも冷房が必要なく、朝方は少し寒いくらいだった。温泉旅館の女将に言わせると、7月に少し暑い時期があったけれども、ここのところ急に涼しくなって、こちらはもう秋の気配ですよ、と言っていた。もう那須高原では季節は元に戻らないのだろう。
1日目は、那須どうぶつ王国に行ってきた。家畜が多かった。犬もかなりいたが柴犬はいなかった。日光わんにゃん村と同じように、貸し出し犬の制度があったが、当然私は借りなかった。イワナのつかみ取りなどのアトラクションがあったが、私はトイプードルの部屋にお金を払って入った。実はこのトイプードルを少し気に入っている。とてもかわいかった。
2日目は、霧と風の中、ロープウェイを使って那須岳に登った。途中で断念して降りてくる人が多い中、私は頂上にたどり着いたが、ガスっていて何も見えなかった。20年くらい前にこの山で10針縫うケガをしていたので、少し慎重に歩いた。午後は花の館に行って、庭園を見物した。うちの庭にも使ってある植物がほとんどだったが、きれいにまとめられていて、さすがプロの仕事だと思った。
3日目は那須サファリパークで動物たちと戯れた。それから立ち寄り温泉に行ってゆっくり浸かって帰宅した。風呂は合計7回入った。帰ると妻に硫黄臭いと責められた。
とまあ、なんてことのない旅であったが、埼玉の暑さには辟易する。これがまだ20日くらい続くと思うと、さすがにうんざりする。
画像はサファリパークのライオン。
ざわわ ざわわ (生後711日)
2004,8,3
南風が日中強く吹く。暑い中カンの散歩に行くと、トウモロコシ畑に風が吹き付けて、ざわざわと音を立てる。乾いた風だ。森山良子の『サトウキビ畑』の唄がどこからか聞こえてくる。
8月になると、経験もしていないのに、なぜか昔日の戦争の音が聞こえてくる。沖縄戦は6月に終結した。本土が降伏したのは8月15日だ。
私は沖縄が好きで、何度も足を運んでいる。あのサトウキビ畑の風景が、こちらのトウモロコシ畑の風景とだぶって見える。
いつの間にかツクツクボウシが鳴き始めた。7日は立秋である。秋の気配が忍び寄ってくる。
ざわわ、ざわわ、と南風が吹き付ける。ほんの少しだけ朝晩涼しくなってきた。日差しも少しだけ斜めに差し込むようになってきた。その加減が、なぜか寂しさを誘う。
それでも暑い。というわけで私は休暇を取って、今日から那須高原に2泊3日で避暑に行く。高原の風景は秋を感じさせてくれるのだろうか。もっと寂しい気持ちになるのだろうか。
小説家を見つけたら (生後710日)
2004,8,2
ロードオブザリングと一緒に『小説家を見つけたら』という映画を借りてきてみた。アメリカ映画で、ショーン・コネリーが出演している。
内容は、アメリカ人の夢を体現する黒人少年が主人公で、ブルックリンの貧しい母子家庭に育った少年が、バスケットの才能と学業優秀のため名門高校に引っぱられる。ちょうど時期を同じくして彼は1作のみ世に出して評価された、隠遁生活を送る作家にであう(ショーン・コネリー)。彼はこの作家の元で文才を磨くが、名門校の作文教師の嫉妬を受けいじめに遭う。そこで隠遁していた作家が彼を救うために高校に現れて、万事うまくいく、という筋書きだ。ただそのあと旅に出た作家は、程なく亡くなってしまう。遺産は黒人の少年に残される、というところでストーリーは終わる。
私も日々日記を書いて、なおかつ、研修論文も書かなければならない中で、文章を書くということに時折行き詰まることもある。もちろん基本的には好きなのだけれども。この映画の中で作家が少年に文章を書く時のアドバイスをしていた。とにかく情熱を持って書き始めろと。書いているうちに書きたいことが見つかるのだと。なるほど、確かにそういう側面があるかもしれない。最初の1行がかければ、あとは何とかなることが多いのは確かだ。
ただ、映画に出てきた作家や黒人の少年のような才能が私にあるかどうかは、私には分からない。
画像は白いペチュニア。花車に植えてあります。
王の帰還 (生後709日)
2004,8,1
早いもので、もう8月だ。夏もラスト1ヶ月になった。でも、まだ30日も暑い日が続くと思うとうんざりする。今、日記を書いていると少し涼しい風が入ってきた。久しぶりに今日はクーラーを入れずに夜を過ごせそうだ。
8月はカンの生まれ月である。もう2歳だ。私の脳裏にはまだ、幼いカンお姿が焼き付いていて(画像)、人間の年齢にして、23歳だというカンが信じられない気がする。
さて、今年のアカデミー賞を総なめにした『ロードオブザリング・・・王の帰還』がビデオレンタルを始めたので早速見てみた。3時間以上の大作で、CGを駆使しお金をかけた立派な作品だと感じた。ハリーポッターが3作目にして少し飽きてきたのに比べて、こちらの方はますます面白くなってきたような気がする。まあファンタジーの世界なのでいかようにも話を持っていけるのだが、最後は小人のホビットの主人公が魔力を持つ指輪を滅びの山に捨てて、無事めでたしめでたしとなった。とにかくうち続く戦闘シーンや、危機一髪の連続は飽きさせなかったけれども見ている方はくたびれた。
そういえば、カンの冒険ストーリーを書きかけて、1月の日記までは書いたのだけれども、父の病気やらで中断している。私もこの先どう続けていこうか考えているうちに、ストーリーを考えるのが面倒になってしまったので、もう少し涼しくなって、頭が冴えてきたら、日記にアップしてみようと思う。