柴犬カンの日記2004年7月 

過去の日記 インデックス

 


集中力   (生後708日) 2004,7,31
 大学が夏休みに入ったため、誰かから何かを教わるという機会がなくなり自習せざるを得なくなった。そこで今日は近くの公共施設が主催する市民講座を朝から受講した。いって最初に驚いたのは、講座の受講者がほとんど中年の女性だということだ。しかも講義の間、熱心にメモを取り、寝る人もなく(私は午後の最初少しうたた寝してしまった)、集中していた。確かに受講料が1回5千円だから、金額の面からも無駄にはできないだろうけれども、女性たちの向学心には敬服した。私の集中力は、彼女たちに及ばなかった。おかげで帰宅した私は随分疲れてしまった。
 見ていて疲れたのは今日のサッカーアジアカップ、日本対レバノン戦だ。まず、中国人の観衆の観戦マナーがひどく悪く、それだけでも不快になるのだが、暑そうで、後半や、同点で迎えた延長戦は両チームとも足が動かず、見ているだけで暑苦しかった。
 結局1対1で引き分け、PK戦にもつれ込んだ。ここからが日本の奇跡の舞台だった。最初中村とアレックスが立て続けにはずして、0−2とリードされたのだが、ゴールキーパー川口のスーパーセーブで同点に追いつき、最後サドンデスをものにして逆転勝ちした。久しぶりに根性と素晴らしい集中力を見た気がした。監督のジーコも興奮していた。
 ただ、試合内容は反省する点が多いように感じた。修正して準決勝に臨んで欲しい。
 また、オリンピックが始まる。きっとこんなハラハラドキドキが連続するのだと思うと、楽しみな反面、疲れそうな予感がする。
 画像は朝顔。

カン世界   (生後707日) 2004,7,30
 机の上にリンゴがあったとして、私が見る、というか感じるリンゴと、誰か他の人が見るそのリンゴが、本当に同じように見えているのか、という主観と客観の問題は、古来哲学の分野で大いに議論されてきた。
 私がこの暑い夏、カンと一緒に歩く川沿いの道は、アスファルトの上に比べると幾分かは涼しいのだけれども、それでも帰る頃には大汗をかく。カンはこの暑さをどう感じているのだろうか。
 フランスの分子生物学者ジャコブは次のように述べている。
「外部の世界、その『現実』を私たちは皆直感として知っているが、こうしてみてくるとそれは神経系が創造したもののように見える。ある意味で、外部世界とは、生物が大量のインフォメーションを処理し、日々の生活を送るために利用することのできる、一つのモデルであってよいのだ。ここから『生物学的現実』とは、動物のそれぞれの種の脳が作ることのできる特定の外部世界の表現である、とする定義が導き出される。こうした生物学的現実の質は、一般に神経系で、とりわけ脳とともに進展する。」
 客観的にあると思われる、芦原の風景も、私の神経系の中に存在し、同じようにきっとカンの神経系も私が感じているはずの風景を別の形で感じているのだろう。
 ユクスキュルという学者は、生物にとってのこのような現実を、「環世界」と呼んだ。我々は、自らの神経系の制限を受けた「環世界」に生きているというわけだ。
 まあ簡単に言えば、カンが見ている現実と、私が見ている現実は、違うかもしれないし、同じかもしれないということなのだ。
 世の中には記号がばらまかれていて、それをどのように知覚するかは、個々の生命体如何なのだ。
 画像は柴犬はな。

スコール  (生後706日) 2004,7,29
 スコールとはこういうものだと知らされる1日だった。ざあっと雨が降ったかと思えば、止んで、青空が顔を出す。雲は東から西へ流されていくのがよく分かる。しばらくすると、東南の方角にあった雲が私の頭上にやってくる。するとまたひとしきりの雨が降ってくる。
 まあ何はともあれ、久しぶりにまとまった雨が降ってくれて、庭に植えてある植物たちにとっては恵みの雨になったに違いない。これでまた晴れてくると、ひまわりなどはぐんぐんと背丈を伸ばすだろう。
 さて、その雨のせいかは知らないが、今日帰宅すると、インターネットが使えなくなっていた。私のパソコンや、接続の設定に故障が起こったかと思い、あれこれいじってみたが回復しない。結局OCNに電話をしてみると、プロバイダーの方の故障だと言うことが分かった。NHKのニュースでも取り上げられていた。
 今11時半なのだが、やっと復旧した。その間6時間あまり、ネットを使えない環境だったのだが、これが案外辛かった。ネットはもはやテレビや電話なみに体の一部になってしまっていたことを痛感させられた。ネット依存症になっていたということだろう。
 画像はランタナ。熱帯の花です。

夏草   (生後705日) 2004,7,28
 台風が近付いてきているせいか、真っ白な入道雲がモクモクと湧き上がっていた。また夏風が吹き渡って、家の前の空き地に生えている「猫じゃらし」・・・エノコログサ・・・が揺れている。本当にこれこそ夏の風景だ。
 この景色を見ていると、子どもの頃を思い出す。小学生の頃、自転車に乗って田んぼの間の道を、真夏の太陽を浴びながら走ると、暑いけれどもなぜか心地よかった。地元の静岡では少し走れば山にたどり着く。少し山の奥にはいると、渓流があって、石をひっくり返すと沢ガニが捕れた。
 母の実家である松本に里帰りした時は、井戸に浮かべたスイカは冷えて、とても美味かった。祖母の実家のある穂高町に行くと、トウモロコシ畑の間を流れる川にはニジマスが泳いでいた。養殖場から逃げ出したやつだ。私たち子どもはそれを捕まえようと、たも網を川に突っ込んだけれども、すばしこい魚に逃げられてしまう。仕方なく帰宅すると、穂高町の名物である、マスの甘露煮が食卓に上っていて、舌鼓を打つ。夜は蚊帳のある部屋で何の迷いもなくぐっすりと寝た。
 夏草を靡かせる風が吹く時、遠き記憶が脳裏をよぎるのだ。
 画像は猫じゃらし。

マイアミ午前5時   (生後704日) 2004,7,27
 昨晩は暑く寝苦しくて寝付きが悪かったので、音楽を聴いてから寝ようと考えた。取り出したアルバムは松田聖子のベスト版である。彼女の全盛時代は、私の青春時代と重なるので、思い出込みで懐かしく聞けた。彼女の歌声は暑い夏になぜだか涼しげに聞こえる。昨日聴いた中には、「赤いスイートピー」や、「制服」、「秘密の花園」などが含まれているが、中でも私のお気に入りは「マイアミ午前5時」である。夜更けの熱帯の砂浜の風景が目に浮かんでくる。なぜだか少し涼しい気分になった。
 夏といえばサザンだが、サザンの「バラッド」・・・1,2,3・・というアルバムも持っている。次の寝苦しい夜はこれを聴いてみようと思う。
 今日夕方、獣医さんにカンの目やにについて見てもらった。すると、結論から言えば特に問題はないとのことだった。目が赤くなっていないので、おそらくホコリなどが目に入って、涙や目やにの形で出ているのだという。逆に目やにが出ない方が良くないのだそうだ。1日3回目をティッシュなどで拭いてやりなさい、というアドバイスをもらった。しばらくそのようにして様子を見ることにした。
 台風が近付いてきている。少し天気の変わり目になってくれるのではと期待している。もちろん被害はない形で。
 画像は「はな」。行くといつも、耳を水平にして歓迎してくれます。

ホワイトガーデン  (生後703日) 2004,7,26
 朝から不安定な天気で、晴れて太陽が顔を出すかと思えば、急に曇ってきて、雨がパラパラと降り出したり、また午後になってもそんな状況が続いた。
 そんな天候にあわせるように、私も今日は腹痛やら、眠気やらで1日中だるかった。
 今年は、庭を白い色で覆ってみようと考え、白のペチュニアと、白のベゴニアの種を播いた。今それらの花が満開で、ホワイトガーデンが完成した。今年はこの色にして正解だった。何せこの暑さである。白は少し涼しげで清々しく見える。あと、白の桔梗も昨年から引き続いて咲いていて可憐だ。
 ただ、暑い時には暑さで制する、という考え方もある。燃えるような赤や、黄色をふんだんに使った庭もまた、夏らしさを演出する。どちらがよいかは判断が付かないが、今年に関しては白で良かったと考えている。
 画像は夏の花、カンナ。職場に植えてあります。赤っぽいオレンジで、夏を象徴しています。

目やに  (生後702日) 2004,7,25
 今日は陽光こそあまり降り注がなかったが、湿度は高く、気温も33℃くらいまで上がり、暑い1日だった。
 ここのところカンのことで気になることがある。「目やに」が出るのだ。おそらく、土を露出させていて、カンはそこに1日中伏せっているので、ホコリが目にはいるのだろう。今日は南風も強くて、雨が全く降っていないことから、余計に目にホコリが入って、目やにの原因になっているのではないかと思う。ただ、それ以外の原因も考えられるから、慎重に様子を見ていきたい。目やに以外は至って元気なので、それほど心配はしていない。
 カンにとっても人間にとっても、この暑さの方が辛い。体力が消耗する。私はついに、休みを取って避暑に出かける計画を立てた。那須辺りにする予定だ。8月にはいってしばらくしたら出かけようと思う。何せこの暑さは少なくともあと2週間は続くのだそうで、少し転地療養も必要かなと思う。
 それから今日、レッズ戦のチケットを3日分買った。Jリーグのセカンドステージだ。オリンピック代表は今夜オーストラリアに力負けしたが、本番では是非頑張って欲しい。
 画像は砂風呂に入っているカン。

静岡往復   (生後701日) 2004,7,24
 相変わらずの猛暑が続く中、今日は久しぶりに父の見舞いに、静岡まで行った。約1ヶ月ぶりだ。そして車で行くことにした。というのは、新車のシエンタが高速道路でいかに走るかを試してみたかったからだ。
 結果からいうと、やはり1500ccのためか、加速の点でややイプサムよりは劣っていたが、乗り心地はそう大きな差はないと感じた。しかし、車の運転があまり好きではない私は、行き帰りで7時間半かかった行程は長く辛かった。空いていれば、3時間以内で行ける行程なのだが、今日はまず首都高で捕まり、さらに東名高速に入ってからもだらだらと渋滞が続いた。結局行きで4時間かかってしまった。父の顔を見た時には、私の方がバテバテになっていた。
 父は相変わらずで、意識があるのかないのかはっきりしない。ただ、カンとボンの写真を見せると凝視していた。小1時間一緒に過ごして、2時半に病院をあとにした。帰りは首都高入口までは空いていた。しかしそこからが長かった。今日は一人旅だったので、ラジオが友達だった。佐野元春や、槇原敬之らがゲスト出演したFMを聞いて過ごした。佐野元春は、久しぶりのアルバムを出したそうで、聞いてみたくなった。私が青春を過ごした時代、彼はヒーローだった。年齢を増して、ますますカリスマ的になった感じだ。
 そうこうしているうちに、やっと6時に帰宅することができた。花に水をあげて、カンの散歩に出かけたが、まだまだ蒸し暑かった。
 画像はミニバラ。

柴犬の証明  (生後700日) 2004,7,23
 カンさん、僕のあのボール、どうしたでせうね
 夕べ、空き地で遊んだ時になくした、あのボールですよ。
 
 人間の証明がリメイクされて、現代バージョンで復活したので、楽しく見ている。木曜日の10時からフジテレビでやっている。映画化されたかつての作品は、私が小学生の頃作られたような記憶がある。私は当時それを見てえらくショックを受けたものだ。出てくる登場人物が、それぞれにトラウマを抱えており、自らのアイデンティティーを探して右往左往する。森村誠一氏の作品は、これとあと「野生の証明」が当時角川から映画化されてブームになったものだ。主人公の女性は、原作では、戦後の混乱の中で、米兵との間に子供をもうけたとされる。今回は、その設定が20年以上ずれて、70年安保の時代に変わっている。
 ただいずれにしても、良い作品はリメイクされても説得力がある。それに、私のどこかに懐かしい気持ちがあって、面白く感じるのかもしれない。竹野内豊のニヒルな刑事役もなかなかはまっている。今後も見続けてみようと思っている。
 さて、西条やその作品をパロディー化した冒頭部分の詩の一節であるが、カンが柴犬であることは、存在そのものを持って、柴犬であるので、特に証明は必要なさそうである。
 画像はうだるような暑さの中で、砂風呂に入っているカン。

カンと栗   (生後699日) 2004,7,22
 先日、小径風の田舎道をカンと散歩していた時、突然頭上から栗の実が落っこちてきた。カンはびっくりして脇へあわててよけた。その姿はコミカルで楽しかったのだが、一つ疑問が残る。どうしてこんないいタイミングで栗の実が落っこちてきたのだろうか?
 栗の実は周りがトゲで覆われている。長年の進化によってそうした姿に変異していった。自らの子孫を残すためだ。適当な時期が来たら枝から落っこちる。これも進化の中で培われた性質だ。カンが落っこちてきた栗に驚いて素早くよけたのも本能だ。これも長年の進化の中で育てられた性質なのだ。栗もカンもそして私も多細胞の生物である。1個1個独立した細胞によって構成される全体が、何か不思議な力によってバランスを保ち、述べたような偶然が引き起こされた。
 フランスの発生学者シャンデボワはこう述べている。
「細胞の分化が進行する間、細胞がある時点で保持している特性は、背後に消すことができない航跡とその時点での細胞の活動が一体となってさらに複雑な航跡を順次残していく。」
 栗が落ちたのもカンがよけたのも、私がコミカルに感じたのも、細胞に記憶されている航跡の為なのだ。
 ミツバチの群れは、あたかも多細胞生物のようだ。1匹1匹は本能的に動いて巣を作り密を集め子孫を残す。ローヤルゼリーも作る(今日私が飲んだスポーツドリンクに含まれていた)。
 生物とは、現在の出来事と、過去の記憶(歴史)の接点に立つものなのだと思うと、不思議な気がした。
 画像はホタルブクロ。

笹舟  (生後698日) 2004,7,21
 森の中に小さな水路が流れている。私はその傍らに座り、上流をぼんやり眺めていた。ふと見ると、小さな笹舟が流れてきた。水の流れに乗って、途中で立ち止まって、また動き出して、ゆっくりと下流に流れていく。
 幼い頃、信州松本で妹と笹舟を作って川に流したことを思い出した。松本ではお盆の頃の夜、「青山様」というお祭りがあった。近所の子どもたちが、神社への奉納金を求めてやってきた。異邦人の私は、影からそっと同年代の子どもたちの様子を眺めていた。
 しばらく待っていると、次々に笹舟が流れてきた。昔、日露戦争に繰り出した日本の艦隊のように。でもよく見ると、バラバラに流れている。決して隊列は組んでいない。その笹舟たちもやがて私の目の前を通り過ぎ、下流に向かって流れていった。やがて私の視界から消えていった。私は次の笹舟を待って、上流を眺め続けた。待てど暮らせど笹舟は流れてこない。
 誰がこの笹舟を流しているのだろう。何のために?笹舟を流している人の正体について空想してみた。ところが、どうも思い当たらない。
 どれだけ待ったのか分からないくらいの時間が流れた時、そう、もう半分あきらめかけていた時、1艘の笹舟が上流に見えた。しかし、その笹舟は、私の目の前にたどり着く前に消えてしまった。どうやら沈没してしまったようだ。また私に笹舟を待つ時が訪れる。
 画像は「みそはぎ」。

東京40℃  (生後697日)  2004,7,20
 どこかの週刊誌が予言していたのを読んだ。「東京40℃」。いよいよこれは現実のものになりそうな気温だった。都心で39.5℃だったそうだ。都市ではヒートアイランド現象が起こるから、40℃まで上がるというのだ。まさに東京砂漠になりそうな勢いである。私の住んでいる埼玉県の街も38℃はいっただろう。午後6時過ぎにカンお散歩をしている時にアスファルトを触ってみたら、日は陰りつつあるにもかかわらず、かなりの熱を持っていた。カンの足の裏もさぞ暑かろう。この日記を書いている午後9時過ぎでも、32℃である。これでは夜、クーラーなしでは眠れるはずもなかろう。
 サッカーのアジアカップ日本対オマーン戦を見ていたら、試合会場である中国の重慶は35℃だという。あんな中で試合をするのは選手たちにとって酷な話だ。案の定、日本は運動量が少なく、苦戦を強いられたが、かろうじて勝った。
 人間が地球上にはびこりすぎたのかもしれない。人間は石油などを燃やし、二酸化炭素を大気中に放出し続けている。前に日記に書いたように、地球にも恒常性維持機能が働く。各地で異常気象が起こる。地球が怒り始めたのだ。今まで地球を制覇していた植物や動物たちは、火山の噴火や、隕石の落下(恐竜はそう)などによる気象の変動によって滅びた。しかし自らの手で自らの種を滅ぼした生物はいない。もしかしたら人間が初めて、目先の実利のために、結果として自らの種を滅ぼすにいたる最初の生物になるかもしれない。
 そんなことを考えたくもなる酷暑だった。
 画像は白花のグラジオラス。熱風に吹かれて咲いています。

ヒグラシ、カナし  (生後696日) 2004,7,19
 思えば、昨年の昨日、カンの大脱走があった。思い出してみると、昨年は案外涼しくて、カンも脱走するほどの元気があった。ところが今年は、うだるような暑さでカンもぐったりだ。
 それでも今日、夕方の散歩は3km以上行った。川沿いの道から右に曲がっていくと、田んぼの中に小さな森がある。夕方6時半を過ぎてもまだ陽が残っている。気温は30℃を超えている。その小さな森から、カナカナカナ、とヒグラシの声が聞こえてくる。少しだけ涼しい心持ちにさせてくれる。田んぼの上にはトンボたちが舞っている。よく見ると、稲は青い実を付けている。斜めに差す陽の光はいずれ訪れる秋を予感させていた。
 きっと夏の中に、秋が紛れ込んでいるのだ。高校野球は今まさに地方大会が真っ盛りだ。やがて各地区の選ばれたものたちが甲子園で汗を飛ばす。そのころが真夏の盛りだろう。でも、季節はうつろって、秋の気配が静かに、夏を浸食し始めている。
 春の中にすでに夏があり、夏の中にすでに秋があり、秋の中にもう冬が忍び寄っている。そして、「冬来たりなば春遠からじ」なのだ。
 昨日私の住んでいる地区は夏祭りがあった。浴衣姿の女性たちが街の中心部を目指していた。この暑さの中で、先祖の霊が里に戻ってきている。それは本当のことなのだと、ヒグラシの声が教えてくれた。旧暦では8月にお盆がある。暦の上では今日から夏土用だ。
 今、一番目立つのは、夏の花のサルスベリである。(画像)

恒常性維持  (生後695日) 2004,7,18
 暑い。どこに行く気にならない。1日中テレビを見て過ごした。ただ午後2時間ばかり昼寝をした。冷房をゆるめにかけて。ところが目が覚めた5時半頃、異様に体がだるい。頭がぼんやりして、何やら気分が悪い。これは冷房病だろうか。はたまた、夏ばてなのだろうか。カンの散歩に、この後行って、汗を流したのだが、それでもなかなか回復しなかった。
 いずれにせよ自律神経のバランスが崩れているのだと思う。私は季節の変動、気候によって体調がめまぐるしく変わるタイプだ。夏ばて防止に効くということで、カンの散歩のあと、「エゾウコギ」というサプリメントを買ってきて、夕食後試しに飲んでみた。サプリメントに頼るのもどうかと思うが、今はこうでもしないとなかなか気分が優れない。
 宇宙にも、人間にも、その他の生物にも、もちろん柴犬にも、恒常性の維持という力が働く。自然治癒力というのは、この恒常性維持に期待する力なのだ。
 ところが、宇宙には、恒常性維持の力と反対に、秩序や調和を破壊する力が存在するのだという。エントロピー増大の法則というのはその一例だ。調和と破壊、この繰り返しが宇宙なのだ。私の体も、ストレスにさらされると恒常性維持機能に狂いが生じる。そうなると闇が訪れる。
 中世のドイツ人のキリスト教神秘主義者のマイスター・エックハルトは「人が光を見いだすのは暗闇の中であり、したがって悲しみの中にある時こそ、光はなにより私たちの近くにある。」と述べている。光は近付いてきていると信じたい。
 画像は夕暮れのカン。

共感する能力  (生後694日) 2004,7,17
 今日は曇りがちの1日だったが、それでも33℃を超え、暑かった。
 さて話は変わって、チンパンジーは、自分の母親が亡くなった時にはそのショック(ストレス)で、本人のチンパンジーが死んでしまったという例があるそうである。しかしこのことが書かれていた本によると、チンパンジーが、別のチンパンジーの母親が亡くなった時に、そのチンパンジーを「慰めた」という例はないそうである。筆者によると、他人に「共感」するという能力は、今のところ人間にのみ存在するのだという。私はこの記述に少し疑問がある。
 カンは私が父の病気発生の直後、おろおろしてどうしようもない時に、私のあとをずっと追いかけて、心配そうなそぶりだった。また、妻が気分が悪くてトイレで吐いていた時にも、トイレまで行って、同じく心配そうに見守っていた。
 私はカンが幼い時に、ブリーダーさんのところで、カンがぴーぴー鳴いた時、母犬のあやめが猛烈な勢いでカンの元に駆けつけたのを見たことがある。母犬には自分の子どもが泣いた時に反応する本能があるといってしまえばそれまでだが、飼い主に対しても、そういった本能があるのではないかと思う。だから私がおろおろしていた時に、カンは私を心配してついて歩いてきたのだ。
 最近「予知犬」なるものも注目されている。様々なパニック発作に対して、飼い犬がそれを予知するというのだ。飼い主が発するホルモンとか発汗などの前兆現象に反応しているのかもしれないが、それにしても驚くべき能力である。飼い主はこれで救われるのだ。
 確かに人間をのぞく動物は、自己の生存のために、外界の記号を自己の生存とリンクさせて解釈して、そのように行動するのかもしれない。そのように考えれば、人間とて同じである。「情けは人のためならず」だからである。人間だけが共感する能力を持つというよりも、犬やチンパンジーにも、程度の差はあれ、「共感」する能力があるのではないかというのが私の考えである。
 画像は「ホウセンカ」にそそうするカン。

週末の予定   (生後693日) 2004,7,16
 今日も、午後から2回夕立が来た。雨が上がってからカンの散歩に出かけたが、むっとするほど湿度が高かった。
 明日から3連休。何もする予定がない。家で引きこもり生活をしようと考えている。ただ、日中は暑くて、冷房を入れて過ごさないと辛い。ところが私は冷房に弱い。自律神経が狂ってしまって、腹痛やら頭痛が起こってしまう。どの程度の温度設定にするかが微妙なところだ。本当は避暑地に逃げてしまうのが一番かもしれないのだが、もちろんそんな余裕はない。夏に強い人がうらやましい。
 ただ今週末は、全英オープンゴルフがある。これは毎年楽しみにしているので、特に土曜日と日曜日は深夜まで見てみようかと考えている。海の日は、壊れてしまいつつある腕時計を購入しようと思っている。最近は電波時計という正確に時刻を示すものが出ている。これに少し興味がある。なおかつデジタルでタイマーなどの機能が付いているものを探してみようと思う。
 画像は夕暮れ、散歩前のカン。

夕立   (生後692日) 2004,7,15
 久しぶりに夕立が来た。大学で授業を受けていると、ピカピカ、ゴロゴロ始まって、そのうちザーと雨が降った。本当に久しぶりで、念願の雨だった。帰宅してカンの散歩に行っている最中に、またぽつぽつと降り始めた。私はカンに急がせて、早く帰ろうとした所、程なくこの雨は止んでしまった。それでも乾ききった大地に雨が降ったことで、植物たちは少し生気を取り戻すだろう。
 ところが、新潟の方では大雨で大きな被害が出ているようだ。堤防が決壊している映像を見ると、生々しく、恐ろしい。昔静岡に住んでいた頃、大雨が降ると、近くを流れる巴川の推移を見に行ったものだ。あと1mで冠水なんてときもあった。中学生くらいだった私は、それを見てドキドキしたものだ。
 梅雨末期の雨は大雨になりやすい。まだ新潟の方では雨が続くようなので、是非気を付けて欲しいと思う。
 こちら埼玉では、雨上がりで少し涼しくなるかと思いきや、湿度が高くてむっとする。蚊も湧いて出てきて刺されてしまった。カンの囲いにも蚊取り線香を付けたところだ。(画像)

魔法を使う人類  (生後691日) 2004,7,14
 「ハリーポッターとアズカバンの囚人」を先日見た。さすがに3作目となると、前回、前々回のインパクトが薄れ、ああ、こんなものか、という感じで見てしまった。途中、冷房が心地よくて、うとうとしてしまった場面もあった。もちろん今回から登場したキャラクターや、新しい魔法(時間をさかのぼる)などがあったが。
 それよりも興味をひいたのが『5万年前に人類に何が起きたか〜意識のビッグバン』という本だ。この本は、人類がチンパンジーから別れて、様々な亜種を生みながら、最終的に現世人類が繁栄するまでを、化石などの根拠を元に丹念に描き出したものだ。その中の記述に、「アフリカン・イブ」といわれる女性が、約15万年前に登場し、今の人類の全ての人々はこの女性の子孫であるという部分があった。現世人類はアフリカから生まれて、世界各地に広がっていったのだ。その間、ヨーロッパなどでは「ネアンデルタール人」と共存していた時期の可能性にも言及している。ただ筆者は、約5万年前後前に、急に人類の知能が上がり、今の我々とほぼ同じ知能を持つにいたったのだという。そして1万年前には農耕社会を作り上げていった。
 ヒマラヤの雪男などはネアンデルタール人の様な現世人類と違う種の人類である、というのが私の仮説だ。我々の記憶に大昔のことが伝えられてきているのだろう。
 では次の新しい人類はというと、きっと「魔法使い」のような能力を持った人たちかもしれない。もうすでに存在していて、ハリーたちのようにこっそり生きているのかもしれない。
 画像はギボウシ。

文明病   (生後690日) 2004,7,13
 関東地方は今日梅雨が明けた。それにふさわしい猛暑が、日中埼玉県地方を覆った。最近あんまり雨が降っていない。庭の水やりも面倒だし、カンの散歩道もからからに乾いて風が吹くと砂ぼこりが舞う。ただ、今日は夕方から少し東風が吹いてきて、クーラーなしで過ごせるような気温になってきた。夜の気温が下がってくれることは体のためにはありがたい。やっぱり冷房を付けて寝ることは体に良くないからだ。
 そういえば今日の報道ステーションで、「化学物質過敏症」に悩んで自殺した妻を助けた罪で裁判にかけられた男性の話をやっていた。ほんのわずかな潜在の匂いですら、ダメで、激痛が走り、夜眠れないのだそうだ。科学文明の進歩は人々の生活を楽にしたが、こんな風に苦しむ人がいるという逆説的な現実を生むにいたったのは悲劇である。もっとも私も花粉症がひどい方で、あれは杉の花粉だけれど、人間がどんどん植えたおかげで杉が増えすぎたためだから、文明病といってもいい。ルソー以来、「自然に帰れ」というスローガンは良く耳にするけれど、一体今の世界のどこに、本当の自然が残った場所があるのか考えてみると、極めて限られているのではないかと思う。
 画像はグラジオラス。植えっぱなしで毎年咲きます。

韓流  (生後689日) 2004,7,12
 今回は選挙の予報はずしてしまいました。もう少し大風が吹くと思ったんですが。はずしたのは、大阪、東京などです。まあ終わった話はもうやめて、別の話題に変えたいと思う。
 今日、月曜日にフジテレビで『東京湾景』というドラマがある。このドラマは在日朝鮮人の主人公(仲間由紀恵)と、日本人の男性の恋物語だ。私はこのフジテレビが力を入れている月曜日の9時の時間帯に、こういった政治的に複雑な問題を扱ったドラマをよく投入したと感心してしまった。今までは、この問題についてはややタブー視されてきていた。本腰を入れてこの問題を扱うことで、この時間帯にテレビをよく見る若い女性層の理解が深まるのではないかと思う。まだ未解決の問題がもう一つあるが、これは次第に人々の中で忘れられて行くであろう。
 確かにこのドラマは「韓流」と呼ばれる、「冬ソナ」以来の流れを受けて、フジテレビが視聴率獲得を狙い投入してきたものと思われる。その証拠に、『東京湾景』の第何話かに、「冬ソナ」に出ていたサンヒョク役の俳優が登場するらしい。
 でもそれにしても、こういったドラマが作られたことが、日韓友好につながることになればいいと感じた。
 画像はギボウシの花。

「揺らぎ」から「違い」 (生後688日) 2004,7,11
 カンを飼い始めて、他の柴犬をよく見るようになった。もちろん柴犬はなもそうだし、散歩で柴犬とすれ違う時など、つい見てしまう。そこで気が付くのが、柴犬もそれぞれ違うものなのだなあと言うことだ。大きい犬、小さい犬。キツネ顔、タヌキ顔。毛色の濃い犬、薄い犬。野性的な性格な犬、臆病な犬。吠える犬、吠えない犬。おとなしい犬、活発な犬。・・・まああげていけばきりがない。前は、柴犬なんて、どれも似たようなものだと思っていた。カンを基準に「違い」ということに気が付いたわけだ。
 考えてみれば、参議院選挙にも様々な個性の政党や候補者が出馬しているし、その支持者も多種多様だ。選挙区と比例で違う党に入れる人もいるだろうし、そうでない人もいるだろう。
 ちょっと極端な話だが、世の中に「赤」という色しか存在しなかったら、「赤」という色は存在しない。ちょっと逆説的なのであるが。つまり、「青」「黒」「白」・・・があるから「赤」が存在するのである。
 世の中、宇宙というものはそうした「違い」の積み重なりで成立している。先日読んだ『生命記号論』という本に、「違い」の起源が記されていた。それはどこからはじまるかというと、宇宙が生まれた時、すなわち「ビッグバン」のときに、宇宙全体のエネルギーに微妙な「揺らぎ」が生じたというのである。その「揺らぎ」が「違い」を生んだのだそうだ。
 カンとはなの違いも、ビッグバンからはじまると思うと、なんだか不思議な気がする。 

1リーグ制  (生後687日) 2004,7,10
 今日の埼玉地方はさすがに機能までの猛暑が一段落したが、湿度は高い1日だった。しかし、太陽が顔を出さないと言うことは地面の温度が上がらないので、輻射熱がない。だから夕方のカンの散歩も少し早めに出ても、さほどの暑さを感じることがなかった。それでもカンは、1日中囲いの中の土の部分に穴を掘り、まるで泥の風呂に浸かっているかのごとく過ごしていた。
 曽我さんがインドネシアで家族に再会したというニュースが流れた。そのインドネシアも大統領選挙の真っ最中だという。また、プロ野球が1リーグになるという。思うに、その流れは止めようもないのだろうと思うが、サッカーのように多くのチームがあってもうまくいっている所もあるのだから、工夫次第でどうにかなるのではと思ってしまう。確かにプロ野球は読売新聞が作ったという過去があるが、読売新聞の私物ではない。国民の財産と思って欲しい。
 ただ、先日野球を見に行って感じたのだが、試合時間が長すぎる。3時間半かかる。サッカーは2時間で終わる。私は最近サッカーの方が面白く感じるようになっている。
 ただ、1リーグになれば今まで見たことのないチームとライオンズの試合が見られる。ライオンズが吸収合併しない限り。それは1リーグの唯一の私にとってもメリットだ。
今日は奇しくもオールスター戦。
画像はカラー。

シエンタ、バカンタ (生後686日) 2004,7,9
 今日も猛暑が続いた。そんな中、ついに新車のシエンタがやって来た。3列シートだが最後列はほとんど補助席状態。したがって私はそれをたたんで2列目の座席の下にしまっておいた。そうすれば荷物スペースが広くなって、カンをゲージに入れて運ぶことが可能になる。カンのためにこの車にしたといってもよいくらいだ。だから、「シエンタ」ではなく「バカンタ」号なのかもしれない。
 私は車の運転があまり得意ではないので、以前乗っていたイプサムは少し大きすぎたし、燃費も悪かった。でも、7年乗った愛車と別れるのは少し寂しい物がある。(画像)買った当時はまだ若く、スキーなどで使うつもりであった。また仕事の内容も、多めの人間を乗せることができた方が良かったので、イプサムにしたのだ。今日ディーラーに下取りに出した姿は、傷だらけだった。よくこんなにこすったものだ。それでも大きな事故がなくよかったし、故障もなかった。
 今度のシエンタもそうあって欲しかったので、地元の神社にお祓いをしてもらった。事故ほど家加害者や被害者を苦しめるものはないのだから。

灼熱  (生後685日) 2004,7,8
 暑くて、もう・・・何もする気が起きない。明日やっと新車が来ることになった。それだけが唯一の楽しみ。あと参議院選挙かな。
 柴犬はなの飼い主さんに話を聞いたら、朝の5時半に散歩に出かけているのだという。当然暑さ対策だ。ところがはなは、用が済むと帰ろうとするのだという。さらに進もうとすると、嫌だポーズを取るのだという。はなはカンよりも元気がいいのに、散歩は暑いと嫌がるなんて不思議に思った。カンは朝晩たして6〜7kmは歩いている。暑い日は走りこそしないが、散歩を嫌がったりはしない。やはりオスは広い範囲におしっこを引っかけておきたいのだろうか。ただ、カンはあまりに暑いと、ゲーをしてしまうことがある。食欲も落ちる。胃腸が弱い。はなは食欲だけはあるのだそうだ。
 かつて黒柴ボンを、真夏の昼間の灼熱の中、10km以上歩かせたら、ウルトラマンスタイルで道路に倒れ伏したことがあった。歩いて海まで連れて行こうとした時だ。今思えばよく熱中症にならなかったと思う。結構タフな犬だった。
 画像は黒柴ボン

7月7日晴れ  (生後684日) 2004,7,7
 暑い暑い・・・今年の梅雨はどこに行ったのであろうか。暑さにも寒さにも弱い私は、できるだけクーラーのある場所にいたのだが、このクーラーが食わせ物で、どうにも体調が狂う。気分がよくならない。しばらく暑いそうなので、ひたすら耐えるしかない。
 カンの囲いのスノコを1枚取って、土を露出させてやった。その瞬間にカンは穴を掘り始めて、そこに1日中横たわっていた。カンは寒さには強いが、暑さと風雨には弱いようだ。あと、雷も。
 今日は七夕。ドリーム・カムズ・トゥルーの曲にたしか、「7月7日晴れ」というものがあったように思う。この日は離ればなれの織り姫と彦星が出会う貴重な1日である。そういえば最近純愛をテーマにしたドラマや小説が人気がある。「冬ソナ」「世界の中心で愛をさけぶ」など。月曜日に始まった、フジテレビの「東京湾景」などもぞの路線を踏襲しているようだ。
 ただ、私が思うに、ただ純粋に愛するだけでは、続かない。打算や、妥協もなければ生活は成り立たない。ただ、心の内に、そっとしまっておく、ただ一人の人、というのを持っている人は案外多いのではないかと思う。皆さんはどうだろうか。
 画像は「アガパンサス」

選挙予報  (生後683日) 2004,7,6
 今日は今年もっとも暑い1日になったそうである。クーラーなしではとてもやっていけなかった。
 さて、参議院選挙が目前に迫ってきているので、予想を立ててみたい。前回昨年の11月に行われた衆議院選挙でも予想を立てたのだが、ZI党とM党の議席がほぼ当たったので、私は調子に乗って今回もやってみようと思った次第なのである。
 前回は、私の住む街に小泉首相が来たので、見に行ったのだが、今回は先日の土曜日に0市のデパートにバーゲンセールを見に行った時に、駅前でM党の枝野氏を見た。若いがオーラを感じた。ゆくゆくは埼玉出身の首相候補になる予感を感じた。
 さて肝心の予想なのだが、ZI党45 M党55 KO党9 KYO党4 SYA党2 無所属6(青島氏、辻本氏は当選、宗男氏は惜しくも次点)全て野党系。
 以上のように予想を立ててみましたが、いかがでしょうか。参議院は政権選択ではなく、選挙区が広い。したがって風に左右されやすい。また、今回は生活に密着する年金の問題が大きな争点になっているので、M党有利になるのではないかと思う。
 さて、日曜日、月曜日が楽しみである。
画像はガーデン・アルストロメリア 

2万ヒット  (生後682日) 2004,7,5
 今日は熱風が吹く蒸し暑い1日だった。帰宅してインターネットを開いたら、何と私のホームページである「子犬と花のワルツ」がジャスト2万ヒットだった。ついでに20001回目も私が踏んだ。それにしても2年弱で、よくこんなに大勢の人に見てもらったものだ。もちろん私はネットを開くと自分のページが開かれるようにしてあるし、毎日掲示板などをチェックしているから、私が稼いだカウントが多いと思う。それでも、たしか朝見た時は、2万ヒットまであと12くらいだったので、今日2万を超えるとは思ってもいなかった。
 近代社会になると。、核家族化や一人暮らしの増大など、人とのコミュニケーションが難しくなってきていると思う。特に私は今年大学で社会人留学生として生活していると、孤独を感じることが多い。ネットは、自分から発信できるツールとしては、大変便利だ。もちろん危険性も多い。(ウイルス付きメールが頻繁に送られてくる等)。私のとってはささやかな自己主張の場なのだ。ただ、匿名性やプライバシーの問題などで、本音を押さえて日記を書くことがときにある。これはある面で仕方がないと思う。それでもこのような場があることが救いになっていることもあるのだ。
 ペットとのコミュニケーションも孤独を癒す一つの手段だ。私も妻との会話の中でカンのことが出てくることがかなりある。もちろん朝晩の散歩など面倒なこともある。それはネットも同じである。
 とにかく、今まで見てくださった皆さん、ありがとうございました。今後も、あまり更新はできそうもないし、カウントプレゼントもやらないけれど、よろしくお願いします。
 画像は百合。「カサブランカ」。

ライオンズファンクラブ  (生後681日) 2004,7,4
 昨日は夕方から旧友たちとの懇親会で楽しいひとときを送った。2次会では、私の好きなカラオケに行き、私の青春時代にはやった歌を何曲か歌った。帰宅するとちょうど「冬ソナ」が始まっていて、1時間ばかり見た。寝たのは2ちゃんねるの選挙のレスをのぞいてからで、2時をまわっていた。
 と言うわけで、今日も7時に起きたが寝不足で、1日ぼおっとしていた。しかし事前の計画通り、久しぶりに西武ドームに野球観戦をしに行った。結構人が入っていて、満席に近かった。ドームになってからは、今日のように強烈な日差しの日も、中は風が吹き抜けて結構涼しい。
 試合内容は一方的なライオンズの勝ち。8対1だった。後藤投手がよく投げた。日本ハムについては、新庄選手が見れたことだけがよかった。
 私はライオンズのファンクラブに入っているのだが、年会費3000円で4試合が無料で観戦できる。おまけにプレゼント付き。今年はナイキのDパックだった。球団の客寄せの努力も大変なものだと思う。私は今日行ったのにはプレゼントを受け取りに行く意味もあったのだ。
 結構お得だと思うので、近所で野球が好きな方はファンクラブに入ってみるのも一興だと思う。
 画像は白い桔梗の花。

カンの訓練  (生後679日) 2004,7,2
 今日も、夕方から涼しくなって、カンの散歩にはまずまず快適な陽気だった。
 今、カンの訓練を再開している。しつけ用のえさなしに「おすわり」「おて」「伏せ」「出る」「おいで」をできるようにすることだ。お手とお座りはほぼできるようになった。しかし、残りの3つは、気分次第でできたり、できなかったりだ。「伏せ」は、最近確率がかなり上がった。それでも訓練の成果だと思う。
 今日は階段を登らせる練習に挑戦させてみた。カンは大の階段嫌いなのだ。お尻を押してあげると登ることは登る。しかし自発的には登らない。だから、階段の4段目にえさを置いて、自発的に登らせてみようとした。すると1回だけできた。次は5段目に置いてみた。しかしできない。なかなか嫌いなものは克服できないのだろう。私もそうだからだ。カンの場合、幼い頃、家の中に飼っていて、柵を乗り越えようとして宙づりになって(ヤジロベエのように)ワンワン鳴いたことがある。そのトラウマが、今まで高所恐怖症にさせているのではないかと思っている。
 しかし、1段1段クリアして欲しい。サッカーのユーロ2004では弱いと言われていたギリシャが、着実に勝ち上がって決勝まで言ったのだから。
 画像は「くちなしの花」。

将門の乱  (生後678日) 2004,7,1
 今日は、夕方から少しだけ涼しくなってきた。カンにフィラリアの薬をやった。
 さて、昨日NHKで、「その時歴史は動いた」という番組で、平将門について扱っていた。将門の若い頃この事柄、すなわち父親を叔父に殺されたことなどのエピソードは省かれて、将門が都の貴族たちに搾取される東国の農民のリーダーとして立ち上がったのだ、と言う視点から番組が作られていた。結局、将門が仕返しに殺した叔父の子ども、つまり平貞盛らに将門の蜂起が鎮圧されて、将門の首が都に送られるというところで終わった。
 ただ、将門の乱は、地方の豪族(軍事貴族、後の武士)が朝廷に入り込んでいくきっかけを与えて、約200年後の平清盛(貞盛の子孫)の武士政権につながっていくということを、童門冬二氏は語っていた。つまり、将門の蜂起は200年早かったのだ。そのころ朝廷は、延喜天暦の治と呼ばれ、善政が行われていたと、教科書には載っている。藤原道長ら、藤原氏の全盛期はこの乱のあとだ。
 時代の変わり目というのは、よく革命や維新といった言葉で表現される。しかしそういった動乱のあとには必ず反動が来る。12年前の細川内閣はある意味では早すぎた。しかし日本の社会は確実に変わってきている。今度の参議院選挙がそれを表すであろう。
 画像はクレマチス(テッセン)。