過去の日記 インデックス
元気なし (生後516日)
2004,4,30
今日で4月も終わり。明日からはいよいよゴールデンウイークである。
なのに私は体調が今ひとつ優れなくて困っている。早く良くなればいいなあと考えているところだ。せっかくの休みだから。
明日はカンのフィラリアの薬をもらってこよう。
ツツジの散歩道 (生後615日)
2004,4,29
夕方カンの散歩道を行くと、両サイドにツツジが植えてあるところがある。
私は、だいたい同じ散歩道を行ったとしても、その日の気分で少しだけルートを変更するのだが、今日はツツジの散歩道をたまたま選んだのだ。
おそらく農家の人が販売用に栽培しているかか、もしくはただ植えてあるだけなのかもしれないが、今が満開で、ちょうど西へ向かう道だったために、夕日がツツジに当たってとても美しく見えた。おまけに、夕方になると少し涼しい風が、ちょうど2〜3kmくらい歩いたり走ったりした後だったので、汗に染みたジャージに当たって、心地が良かった。こんな場所が、まだ私の家のそばにあるということが幸せだと感じた次第である。この辺りまで来ると、カンも排便を済ませ、私の歩調にあわせて歩いてくれるので、とても気分良く歩けるのだ。いい季候である。
今日はビデオを2本も見た。感想はまたいつか日記に書きたいと思う。
画像は我が家のツツジ。
ノーリード (生後614日)
2004,4,28
夕方、風が少し強い中、カンの散歩に行った。
土手沿いの道を行ったのだが、途中、ノーリードの犬がいた。確かに、この土手沿いの道は、車も来ないし、安全だから、ノーリードでも大丈夫なのだろう。しかし、他の犬とすれ違う時は少し気になってしまう。カンも前、どこかの公園でノーリードで放されている犬に随分しつこく追いかけられて嫌な思いをしたことがあった。今日のノーリードの2匹の犬はおとなしくて、カンにかかってくるようなことはなかったので良かったのだが、ノーリードにされているのを見ると少し不安になるものだ。
私の住んでいる辺りは、都市化が進んでなかなか犬を放し飼いにできる状態ではない。でも、私もカンを好きなように遊ばせてみたいと思うこともある。ただ、カンは首輪をはずしたら、どこへ行ってしまうか分からない元気者というか、躾られていない、というべきか、なので放し飼いは無理だが、そういう時はドッグランに行くしかないだろう。またはロングリードで遊ばせるかだ。
犬を飼うのも難しいご時世である。
画像はシラー・カンパニュラータ。
ビーフジャーキー (生後613日)
2004,4,27
今日は風が強くて、それに雨が混じるといった天候だった。
話は変わるが、最近、カンのためにビーフジャーキーを買ってあげた。今まではドッグフードに煮干しを3〜4個振りかけて食べさせていたのだが、ジャーキーを買ってからはそれにプラスしてジャーキーを5〜6本付けてあげるようにしている。
ここのところ暑い日もある。カンは暑い日は、朝食は食べないことが多い。ところが、ビーフジャーキーをあげるようになったら、ジャーキーだけを食べて、後は残すようになってしまう日があるようになってしまった。全くげんきんな犬である。やっぱりジャ−キーはおいしく感じられるんだなあと思った。
まあ、夜はしっかり入れ物が空になるだけ食べるので、そんなに心配しなくてもいいと思うのだが。これからますます暑くなると、カンの食欲は落ちて、ジャーキーだけを食べることが多くなるだろう。
画像はみやまおだまき。
役割分担 (生後612日)
2004,4,26
今日は、暑からず寒からずでとても良い季候だった。
夕方カンの散歩に行く時間が遅くなってしまったが、カンは元気一杯だった。あっちに行ったりこっちに行ったり、どの程度カンの好きなようにさせてやればよいのかが分からない。
生後1年半立っているので、もうしつけをするような年齢でもないだろうが、きちんと飼い主の横を寄り添って歩く姿は理想だ。現実はそうではないし、妻はカンの行きたいところに行かせてやっているという。
カンが家の中に入った時は、出すのが大変だ。素直に出る時もあるのだが、おやつで釣ってもなかなか出ないこともある。そういう時はどうやら、何かを食べたいというよりむしろ、飼い主と遊びたいらしいのだ。私はあんまりカンと遊んでやらずに、散歩がコミニュケーションだと思っているし、カンも私を遊びに誘うことはない。しかし妻はカンと遊ぶのが好きだ。だから、カンはいつも妻に手を出して、遊びをせがむ。役割分担というわけである。
まあ、1年半も一緒に暮らしていると、カンも空気のような存在になってきた気がする今日この頃である。
画像はツツジ。
時刻表 (生後611日)
2004,4,25
電車通勤になって、時刻表を買った。
私は少年時代から、旅行に行きもしないのに時刻表を見るのが大好きだった。なぜか、旅行に行った気になるからである。この特急列車はどんな形だろうか。どんな景色の中を走るのだろうか。雪国であれば、雪原の中を走り抜けていくローカル線。ストーブ列車。今の季節であれば新緑の山間を駆け抜けていく列車。まあ、そんな感じで想像をふくらませていたのだ。
私の母の実家が、松本にあったのだが、静岡から松本に行くのに、いろんなルートを試した。最も遠いルートは、東京から新潟方面をまわって長野から松本に入るルートだ。見たことのない景色の中を走る列車の車窓は、美しい絵画に匹敵するか、またはそれ以上じゃないかと思うくらいだった。
仕事を始めると、なかなか思った時間が取れなくて、余裕のある旅はできない。でもいつかはのんびりとローカル線の旅を計画して(計画がもしかしたら一番楽しい)、そして行ってみたいものだ。
画像はコデマリ。
連休計画 (生後610日)
2004,4,24
ゴールデンウイークが間近に迫ってきた。
今年は連続した休みが取れるので、結構遠くに行く人たちも多いらしいと聞く。私たちもどこかに行こうかと思うのだが、なかなか決まらない。もちろん海外などはもう時期的に予約をするのは無理だろうし、国内も遠くに行くのは混雑などを考えるとちょっとひいてしまう。
結局関東周辺あたりでどこか行けるところはないかと調べるのだが、夫婦の意見が一致しない。私はカンを連れてどこかに行きたいと思うのだが、妻は渋っている。確かにカンがいると食事などが摂りにくいだろう。
まあ関東周辺といっても、どこに行っても込んでいるのは仕方がないだろう。森林公園でドッグランに行くのが一番気ままで、楽かもしれない。それとも家でごろごろ何もしない休日を過ごすというのも一計だ。ヨーロッパ人のバカンスは、1日中何もしないという人が多いのだそうだ。家ではあまりバカンス気分にならないかもしれないけれども。
画像はタイツリソウ。
ターミネーター3 (生後609日)
2004,4,23
ターミネーター3をビデオで見た。なんだか最後の結末が、ハッピーエンドではなかったので、何となく後味がすっきりしなかったけれども、この映画の構造というか、設定には面白さを感じた。
それは何かというと、機械が人間に反逆を始めて、人間に攻撃を仕掛けるというのだ。しかし、ジョン・コナーという主人公を守る最強のロボットで未来からやって来たターミネーターは別である。ちなみにそれを現在カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツネッガーが演じるわけだ。敵のターミネーターらを統率するのはコンピューターで、高度な知能を持っているらしい。
人間が作ったものが、人間を苦しめるということは、よく考えればたくさんある。環境破壊がその一例だし、遺伝子操作や麻薬などもそうかもしれない。核戦争でも起きれば、当事者には何の関係もない大勢の人々が亡くなってしまう。
もし人間が、遺伝子の技術で、高度な知能の犬を作ったとしたら、その犬たちが人間に反乱を起こすかもしれないなどと考えると、おかしい話だ。でもカンは反乱軍には加えてもらえないだろう。我が家ではときどき「バカ犬君」などと呼ばれているくらいだし、飼い主も目一杯かわいがっているから、敵側にはつかないと思うんだけど。
モッコウバラ (生後608日)
2004,4,22
モッコウバラ(画像)は1季咲きである。つまり、この時期のみ花を付ける薔薇である。
この薔薇にはトゲがない。中国から来たという説がある。とにかく今が満開だ。我が家にあるモッコウバラは4年前に引っ越した時に、引っ越す前のアパートの隣家のご婦人に頂いたものである。このご婦人は、本当に植物を愛されて、家の庭のみならず、道路側にも家の縁沿いに植木鉢をたくさん並べていた。私たちとは、挨拶をするくらいの仲だったのだが、なぜか、引っ越す話をすると、これを持っていきなさいと、モッコウバラをくれたのである。
それが今や、どんどんふえて、フェンスを覆う面積が拡大してきている。今、あのご婦人は何をなされているのかと、満開のモッコウバラを見ると、思ってしまう。
1年に1回。ということは、70年生きても70回しか見られないわけである。一期一会ではないが、そんな花との出会いを大切にしたいなあと思う。
ロード・オブ・ザ・リング (生後607日)
2004,4,21
「ロード・オブ・ザ・リング」を見た。といってもアカデミー賞を総なめにした第三作の「王の帰還」の方ではなく、第2作の「2つの塔」の方だ。ビデオ屋さんで借りてきてみた。
私はこのドラマの構造がいまいちよく分からないのだが、とにかく人間の他に、「エルフ」だとか、「ホビット」といった人間と似て非なる人々が登場する。魔法使いも出てきて、良い魔法使いと、悪い方と両方出てくる。魔力を持った指輪をめぐっての冒険物語だが、それと同時に世界の支配をめぐっての争いも繰り広げられる。
CGを駆使しての映像はとても優れているし、戦いのシーンなどの迫力は圧倒的なのだが、私はそれ以外のことに興味を持った。何かというと、キリスト教の国、すなわち一神教の国で、このドラマのようなアニミズム(全てのものに霊魂が宿る、半神や妖精など、多神教的なこと)の世界が、受け入れられ、とても人気があるということである。ハリー・ポッターのシリーズもアニミズム的だ。いま、イラク戦争が行われている。イスラムとキリスト教と、ユダヤ教という一神教の世界における激しい戦いだ。
私はこういう時こそ、善悪2元論ではなく、多神教的な価値の多様さが必要になってくるべきと思うのである。もう少し寛容になることといっても良い。
映画の中に、木の妖精、の様なものが出てくる。これが私の一番のお気に入りになった。世界は多様である方がよいのだ。今「パッション」というキリスト処刑の場面を描いた映画も話題を集めている。何か関係があるのかもしれない。
画像は「ロードデンドロン」。ロード・オブ・ザ・リングに似ていますが、西洋シャクナゲのことです。
父の転院 (生後606日)
2004,4,20
今朝、父が埼玉の病院から静岡の病院に転院した。
私もそうなるとしばらく会えなくなるので、見送りに行った。病室を出る時に、「隣のベッドの人と別れを惜しんでいますよ」と看護婦さんが笑っていた。本当にそう思っているのかは分からないが、動く左手で手を振っていたのは確かなようだった。それから、父は担架に移し替えられ、3階から、下に止めてあった搬送用の特別な車に乗せられた。点滴も付けたままである。移送中に何かあってはいけないので、看護婦さんが1人同乗した。また母も車に乗った。出発したのは9時20分くらいだったと思う。
静岡に着くまでは、私も何かあったらと心配だったが、その後連絡が来て、12時半頃に静岡の病院に着いたとの知らせを受け、ホッとした。父も特に変わりはないようだった。
さて、画像は「しらねあおい」という山野草である。これは3年くらい前にサカタのタネで購入したものなのだが、植えた場所が日陰で良くなかったのか、花を見ることが去年までできなかった。ところが今年突然咲いたのである。実際に咲いているのを見ると、とても可憐である。植えていたのも忘れてしまうくらいだったので嬉しかった。
電車通勤 (生後605日)
2004,4,19
今まで車で通勤していた私は、今年から、自転車、電車(1回乗り換え)、バス、という通勤形態に変わった。およそ1時間と少しである。
車の頃は、ああ車は危険だなあ、電車の方が楽なんじゃないかな。なんて思ったこともあった。私はそれほど車の運転が好きではないし、うまくもないからだ。
しかし電車、バス通勤を始めて見ると、これが案外面倒なことが多い。まず、仕事場に持っていくノートパソコンや書籍類が重くて、階段の上り下りが大変なのだ。また、そんなに長い時間バス、電車に乗るわけではないが、立っていると疲れることもある。また、階段を駆け上ったところで電車に行かれてしまうと、15分くらいホームで待たねばならないことになる。時折待ちくたびれてしまう。そんな時は私は人間観察をする。あんまりじろじろと見るのは、相手に失礼だから、ちらっと他人様の衣服や靴、何をしているかなどを観察して、その人の人となりを想像してみる。チャップリンは幼い頃に母親に人間観察の方法を教わったそうだ。人間観察は面白いけれど、それしかやることがないのもどうかと思う。新聞や雑誌でも持っていけば、少しは間が持つかもしれないとは思うが。
まあ、久しぶりの電車通勤も楽しみ方を見つけていきたいと思うこのごろである。
画像はドイツスズラン。スズランのほとんどはヨーロッパからきたものだそうです。
チューリップ (生後604日)
2004,4,18
何のことを日記に書こうかなと考えると、今は、花盛りの風景のことしか思い浮かばない。
画像は我が家の西側の花壇なのだが、チューリップを中心にして、パンジーやナデシコが色鮮やかである。チューリップは球根植物の王様みたいなものだろう。存在感は抜群である。
球根植物にはほかに、ムスカリ、シラー・カンパニュラータ、カラー、アマリリス、アネモネ、グラジオラス、ダリアと、うちにあるものだけでも様々なものがある。
それでもやっぱりチューリップが一番だ。歌にまでなっているほどである。
球根以外で花の王様と言ったらなんだろうか。やっぱり薔薇だろうか。うちではモッコウバラが咲き出した。後、つるバラのカクテルやアンジェラがある。この二つは今、つぼみを付け始めた。咲き出すのももうすぐだろう。
今日も私は2回カンの散歩に行った。他の家々に咲く花を見て回るのもまた楽しいものだし、道ばたの雑草ですら、こじんまりと花を付けているのを見ると、かわいいものである。
暑かった (生後603日)
2004,4,17
今日は、今年に入って一番の暑さだった。
午前中、外の空気を吸おうとカンを近くの公園まで連れて行くと、さすがのカンも、日陰を選んで歩いたり、口を開けてハアハア舌を出していた。
午後は、父の入院している病院に見舞いに行った。今日は病室の窓も開け放たれていて、外の風が吹き抜けていた。それでも暑い。父も、寝ているだけだが、暑そうにしていた。
我々夫婦は、爪切りとタオルを持っていき、父の体を拭いたり、爪を切った。いよいよ来週の火曜日に父の本拠である静岡の病院に転院することが決まったので、体をきれいにしておいた方が良いという母の依頼を受けてのことだった。私としてみれば今の病院は車で45分程度で行けるので、父の見舞いには都合がいいのだが、逆に母は静岡に住んでいるので今の状態では大変なのだ。結局母の近くにいるのが一番だし、主治医の先生もいる病院だから安心でもある。父も静岡が一番馴染んだ土地だから安心してくれると思う。私は新幹線を使って、月2回程度見舞いに行くことになるのだろう。
帰宅してからカンの夕方の散歩に出かけた。5時半を過ぎると急に涼しくなってきて、気分良く行ってくることができた。
ちなみにカンの食欲は、やはり暑さのためか、かなり落ちてきている。
画像は10日前のカン。まだ桜が咲いていた頃。
花々 (生後602日)
2004,4,16
カンの散歩に行くと目につくのは、八重桜だ。他にハナミズキの花もそろそろ開いてきている。我が家のモッコウバラも一輪二輪と花を開きはじめた。
スズランが庭の片隅でそろそろ咲き始めようとしている。西洋シャクナゲや、シャクヤクもつぼみがふくらんで、そろそろ花開く頃合いを見計らっているように見える。パンジーはまさに今が一番花数が増えて、ボリューム感たっぷりで見応えがある。同様なのはクリサンセマム・ノースポールだ。
ギボウシが葉っぱを出し始めた。冬の間地中で眠っていたはずなのに季節を感じたのだろう。同じように、桔梗やリンドウも芽を出した。
キャラという庭木も、新芽の黄緑色が美しい。ツツジの類も咲き出した。カエデも緑の葉を吹き出した。
画像はツルニチニチソウの花だ。地味で、ガーデニングでは葉物として使われるのであるが、花もちゃんと咲くのである。
カンとともに歩く川べりの道では菜の花の黄色が美しい。
春本番だと思う。1年のうちで一番良い季節かもしれない。
最近カンは1日3回散歩に出かけている。朝に妻と私が1回ずつ。夕方私が行っている。恵まれた犬だ。カンも清々しい気候が気持ちよいに違いない。
葉桜の日 (生後601日)
2004,4,15
もうすっかり桜の花びらは落ちて、葉だけになった。こういうのを葉桜というのだろうか。画像はカンが花の散った下にたたずんでいる姿である。・・・1週間くらい前に撮影した・・・
『葉桜の日』という小説をご存じだろうか。鷺沢萌さんという人が書いた小説だ。私はこの季節になると、いつも彼女のこの小説のタイトルだけを想念する。
ところが、残念なことに、彼女は自ら命を絶ってしまったというニュースが入ってきた。私は呆然とした。
確かに私は熱心な読者ではなかったが、この『葉桜の日』が収録されている新潮文庫の本だけは持っており、読んだことがある。彼女がまだ22歳くらいの頃に書いた作品だという。芥川賞の候補にもなった作品だ。他に『川べりの道』などが有名だ。
今日、私は『葉桜の日』を書棚から引っ張り出して、パラパラと読み返してみたのだが、その時の印象としては、若くして書いたという印象が無くて、中年の、もしかしたら私や鷺沢さんくらいの年齢の人が書いたというと、ちょうど当てはまるような文章やテーマだった。主人公の19歳のジョージは自らのアイデンティティーを求めてさまようといった内容だ。その心象風景を、実際の葉桜の日の風景に当てはめていく感性が、私は好きだった。だから、今年は桜にすごく惹かれたのだけれども、まさか葉桜の季節に彼女が亡くなるなんて、あまりにも悲しすぎる。
最近の彼女は、自分の作品をプロデュースした演劇などに携わっていたそうだ。また、在日朝鮮人の問題にも興味を持っていたようだ。35歳。
私も最近、鬱々として、何か生きるエネルギーが欠乏しているように感じている。ただ、いまのわたしはまだ、死ぬよりは生きていた方が、これから何か良いことがあるかもしれないと、つたない願を胸にもがきながら生きている。
彼女は鬱の病に冒されていたのだろうか。それとも何か別の原因が?我々には知る由もない。
合掌。
不安 (生後600日)
2004,4,14
いつもならだいたい午後6時には我々夫婦のどちらかが帰宅するので、カンはそのころまで待てば散歩に連れて行ってもらえると思っているはずだ。散歩じゃなくても、飼い主が帰ってきてくれるのはカンにとって他ならない安心材料だと思う。
ところが、今日は雨がしとしと降りしきる中、私が帰ってきたのが午後8時前。妻は8時半頃だった。きっとカンは不安だったに違いない。その証拠に、私が帰ってきた時の、あの、鼻から抜けるような「ふい〜ん」という声が、いつもより悲しげに聞こえたからだ(気のせいかもしれないが)。私はあわててカッパに着替えてカンを外に連れだしてやった。雨の中だからそんなに遠くまでは行かなかったが、大便を1回したところで家に向かった。帰ってからのカンは落ち着いたようだった。
私も、今日、自分のことで不安になったことがあった。それでいろいろな人にアドバイスをもらおうと、車を走らせてあっちこっちに行っていたので、それで遅れてしまったのだ。
だからカンの不安な気持ちがよく分かる1日だった。私の不安は全て消え去ったわけではなかったが、私なりにそれを払拭できるようにしたつもりの1日だった。
画像はブルーベリーの花。
グループ (生後599日)
2004,4,13
大学にはサークルというものがある。それ以外にも体育系の部やクラブ、教授を中心としたゼミ、など、人が集まって何かをするというものが多々ある。
私も学生時代、バレーボールのサークルと、アウトドアのサークルに入っていた。そんなに熱心に活動したわけではないが、それなりに仲間ができ、有意義な生活を送ることができたし、今でも懐かしいよい思い出が残った。
今、大学ではサークルの勧誘も終盤にさしかかっているようだ。4年間の生活をどのように過ごすかは、サークル選びも重要なことの一つだ。
人間群れていないと生きていけないのか。なんかそういうのって格好悪いんじゃないかって、綿矢りささんの『蹴りたい背中』のテーマの一つにもなっていたけれど、人間って、群れたい気持ちと、そこから離れて傍観者でいたいという気持ちの、両方がアンビバレントに存在するのだと思う。
江戸時代後期など、今、新撰組でやっているが、特に薩摩などでは、「若衆組」なるものが存在し、10代後半から30代くらいまでの男性が、先輩が後輩にいろんなことを教えたり、互いに学びあったりしたのだという。その後そのグループから一人、二人と卒業して、大人社会の一員になっていくのだそうだ。今、田舎などに存在する青年団もその一つかもしれないし、不良グループもそのうちの一つかもしれない。
グループができれば、グループ同士で対立が起こる。よく政治家の中に派閥というものが存在するわけだが、それもその一つだろう。
私は現在特段のグループには属していないが、グループに入るメリット、デメリットがあるのは確かで、それを考えながら、グループの規律を守ることを覚悟して、加入を決断すべきなんだろうなあと思う。
画像は公園のカン
キャンパスライフ (生後598日)
2004,4,12
私の大学での研修は、本日からが本格的な始動となった。というのも授業が今日からスタートだからだ。
それにしても今日は暑かった。さいたま市でも25℃を軽く超えていたようだ。
大学は、新入生を迎えて人でごった返していた。食堂も満員。暑さと人いきれで、むっとする。
私はこの大学食堂の陳腐な定食を口にしながら、自分が大学生だった16年前を思い出した。やはり人でごった返していて、食事を受け取るのに列を作っていた。授業が空くと、友人と紙コップのコーヒーを片手に他愛もないことを話した。ひとりでいることも多かった。授業から授業へと転々と教室を渡り歩きながら、休み時間には中庭のベンチに腰を下ろして、ぼうっとしていたものだ。今日も、知り合いのいない私は、そんな落ち着ける木陰のベンチを探してみた。座って辺りを見回すと、今時風の髪型やファッションに身を包んだ男女の大学生のグループ。私と同じようなひとりの学生。いかにも真面目そうな女学生。みんな少し暑さにやられてうんざりしているように見える。
結局16年前とキャンパスはそんなに変わらないものだと思った。新入生らしき人たちは、時間割表とにらめっこしているグループもある。
私は担当してもらっている教授の講義に出た。こうやって、16年ぶりに授業を聞くと、自分でも信じられないくらい新鮮だった。当時、寝ぼけまなこで、あまり真剣に聞いていなかったのが残念に思うくらいだ。本当に今年1年だけだというのが惜しい。もう一度学生生活をやり直してみたくなってしまった。
ちょっとおじさんになった学生だが、1年間キャンパスライフを楽しんでみようと思った。
画像はムスカリ。
親戚たち (生後597日)
2004,4,11
今日の午後は、父が入院している病院に妻と行き、そこで母と合流した。
父の具合は、もちろん意識ははっきりしないが、まあ、それなりによい方向に向かっていると、医者が言っているそうである。まずは一安心というところだろうか。
帰宅して、あまりに眠かったので一眠りすると、あっという間に17時である。こんな陽気の日は、窓を開けて、自然の空気を入れると本当に心地よい。妻も眠くて仕方がなかったそうだ。
さて、その後私はカンを連れて、妻の実家に行った。食事を一緒にいただくためである。妻の兄夫婦も来ており、娘さんも来ていた。
私は道を間違えてしまって、妻の実家に着くのに随分と時間がかかってしまったが、みんな私とカンを待っていてくれたようだ。早速食事をみんなで食べた。こうやって、大人数で食べるのも楽しくて良いものだった。ヒロインは私の義理の姪に当たるお嬢さんで、生後8ヶ月くらいのお子さんである。この赤ちゃんが泣くと、外で待たされているカンとはながワンワン吠える。面白い現象だった。私が赤ちゃんを抱くと泣かれてしまった。やれやれ、なじみがないとやはりダメらしい。
私にはカンが今のところ一番だと再認識した。
画像は神社の前のカン。
春のソナタ (生後596日)
2004,4,10
「冬のソナタ」の余韻が、まだ我が家では残っていて、妻は「冬のソナタ」のガイドブックを購入し、他の本もさらに本屋で立ち読みもしてきたそうだ。私も、ぼうっとすると、TVドラマのシーンや歌が頭の中をめぐってしまう。それだけインパクトのあったドラマだったのだろう。
今日は日中の気温が20℃を超えて春本番の気候になった。カンの散歩に行って気が付いたのだが、はやくも、ドウダンツツジや、ハナミズキが花を開きはじめている。我が家の庭ではブルーベリーの、釣り鐘型をした花が咲き始め、風に揺られていた。まだ、葉桜にはソメイヨシノの花が残っているにもかかわらずなのに。季節の移り変わりの早さについていけないくらいである。
今日は、サカタのタネから送られてきた「ネメシア」という花を植えるために、近くのホームセンターで、高坏型の植木鉢を購入して植え込んだ。それから、シクラメンを外に出したのだが、二つのうち一つが病気にかかって弱ってしまっていたので、残念だったけれども捨てることにした。もう一つのピンクのものはまた夏を越して欲しいと願う。
明日もこんな陽気になればいいと思った。
画像は黄色い水仙。
冬のソナタ〜後編〜 (生後595日)
2004,4,9
こんなにせつない気持ちになったのは久しぶりである。純愛、というものは人の心の琴線に響いてやまないのだろうか。「冬のソナタ」にはそれがあった。日本のTV番組では久しくお目にかかれなかったものだった。
昨日の続きだが、チュンサンが2度目の交通事故にあった後、ユジンは献身的な看病をする。ふたりは再び結ばれていくのだろうかと思うのだが、ここでまた障害が出てくる。ユジンの父とチュンサンの父が同じ、すなわちふたりは兄弟ではないかという疑惑が湧いてくるのだ。なぜなら、チュンサンの母親(高名なピアニスト)と、ユジンの父とサンヒョクの父は高校時代に親友だったのだ。チュンサンの母は父親が誰かを隠し続けていた。しかし、チュンサンの父はサンヒョクの父であることが病院の検査によって分かる。しかし、チュンサンは事故の後遺症で失明や命の危機まで迫ってくるのであった。
結局最後にユジンにも真実が語られ、チュンサンはアメリカで手術をするため韓国を去ることになる。ユジンは迷った末に追いかけることをせず、自分の勉強のためパリに留学するのだ。そしてさらに3年後、ユジンと失明したチュンサンは感動的な再会を果たすところでドラマは終わっていくのである。
いまだにこのドラマの余韻に私は引きずられてしまっている。人は、誰かに巡り会うために生きているのではないだろうか。特に異性に。そしてそのかけがえのない瞬間は永遠に心の中に残っていくのではないか。そう思えた。みな、このドラマのような出会いを待っている。でも、ドラマみたいな出会いはほとんどの人には訪れないのだろう。だからこそ憧れる。
このようなドラマがあることが私にとって幸いだった。でも見るのに少し疲れた。虚脱感が今ある。「未来少年コナン」や、「アリー・マイ・ラブ」も同じように楽しい時間を提供してくれた。ただこのドラマが少し違うのは、人が何のために生きるのか、を考えさせてくれたことだろう。
画像は桜の花びらの下のカン。
冬のソナタ〜前編〜 (生後594日)
2004,4,8
「冬のソナタ」を昨晩全て見終わった。全10巻、計20時間だから、見るのも疲れたが、それに見合う感動も得た。途中少しばかり飽きてしまったところもあったが、ラストも感動的で、胸にしみいるどきどきした気持ちになることができ、今もその余韻に浸っているところである。
今日はその前半についての感想を述べてみたい。
主演は、今来日中の、ペ・ヨンジュン(男優)と、チェ・ジウ(女優)である。ふたりとも美男美女で、このツーショットが作品中随分多かったのだが、違和感なく見ることができた。私は男性なので、チェ・ジウさん(役名ユジン)がほんとにかわいらしく見え、こんな人が近くにいたら一発で恋をしてしまうのではないかと思うほど清楚で美人だ。妻は男優のペ・ヨンジュン(役名チュンサン)にぞっこんのようだ。
ストーリーはチュンサンがユジンのいる高校に転校してくるところから始まる。学園ドラマ風に、最初は反目しあっていたりするのだが、徐々に恋に落ちていく。
私は、高校時代に同じように初恋を経験しているので、そんな場面がフラッシュバックして胸が痛い思いだった。ただ、私は声をかけることすらできなかったので、役中のふたりがうらやましくもあったのだ。
ところが大晦日の日にチュンサンは交通事故で死んでしまう。そしてここでドラマは一挙に10年後に時を移す。
ある時ユジンは好きだったチュンサンそっくりの人に出会う。この人物は後に分かるのだがチュンサン本人で、彼は死んではいなくて、記憶を失っていたのだった。不思議な運命で、ふたりはともに仕事をするようになっていくのである。そして、ユジンは婚約者サンヒョクがいるにもかかわらず、チュンサンそっくりなイ・ミニョンを好きになっていくのだ。
この辺りが運命の不思議さを感じさせる。私の人生は平凡でそんな運命の絆のようなものは普段感じたこともないが、平凡であることはそれでいいのかもしれない。なぜならこれだけ強烈な運命は、このふたりも、そして周囲の人間をも、激動の嵐の中に巻き込んでしまうのだから。
やがてイ・ミニョンは、ユジンをかばって2度目の交通事故に遭う。そして、自分がチュンサンであることに気が付いていくのである。
画像はイベリス。
ムーランルージュ (生後593日)
2004,4,7
今朝カンの散歩に出かけた後、大学に向かった。諸手続があったためだ。図書館や食堂、事務局などを転々として、その後、父の病院まで歩いてみた。1時間弱かかる。それでも近い方だ。大学帰りにまた寄ろうと思う。
父は薄ぼんやりだが、我々の言っていることが分かっているようだ。1〜2歳児くらいの知能かもしれないけれども。
「○○さ〜ん」と看護婦さんが言うと、父は動く左手を軽く上に上げる。看護婦さんは、「分かっているのよね。」と言ってくれた。
父は病に倒れる前に、妹の娘、つまり孫に会いにパリに行った。ちょうど12月の末で倒れる1ヶ月前のことだった。その時はツアーで行ったので、そのコースに「ムーランルージュ」の見学が含まれていたようだった。
私は先日、映画の「ムーランルージュ」を観た。少しあらすじと感想を述べてみたい。
舞台は1900年のパリにあるムーランルージュで、今の観光用のムーランルージュとは性格はかなり異なっている。赤い風車のキャバレー、ムーラン・ルージュは、退廃に満ちた世の中の象徴だった。何でもありの世界--愛以外は"、そんなムーラン・ルージュで、作家志望の純朴な若者クリスチャンは、花形ダンサーであり高級娼婦でもあるサティーンと恋に落ちる。本物の女優になることを夢見るサティーンは、パトロンの公爵に隠れて逢い引きを続けるが、ふたりの仲は支配人のジドラーに知られてしまう。一方、サティーンは結核に冒されていて、最後の舞台が終わった後、息絶えてしまう。作家志望のクリスチャンに抱かれて。という悲恋話だ。
まさに人生は愛こそ全てであるという深いテーマが心にしみ込んでくる。また、この作品はセリフのほとんどを歌で表現するミュージカル仕立てだ。ビートルズ、マドンナ、エルトン・ジョン、クイーン、ポリスといったロックやポップスの名曲がふんだんに使われ、それを主演のニコール・キッドマンやユアン・マクレガーが実際に歌っているのも見所の一つになっている。映像は幻想的なパリの街を舞台に繰り広げられ、ピエロや様々な役に扮した役者達が、不思議な世界を我々に見せてくれる。
今のパリは近代化し(ちょうど1年前に行った)、100年前とは随分違うのだろうけれど、愛が生きるための強い力になるということは、この映画から強く伝わってきたのである。
夕方カンの散歩に行くと、桜吹雪が舞っていた。今年の桜は良く持った方だ。
画像は桜に似ているが、「花カイドウ」。
ほのぼのした春 (生後592日)
2004,4,6
夕方カンの散歩に出かけて、今日選んだコースで家から最も遠いゴルフ練習場の脇の草原でカンの用足しをさせていると、細めの道にこ洒落たサイクリング用の自転車に、スポーツメーカーの華やかな色彩のウエアーを着た人がかなりのスピードで通り過ぎていこうとしていた。
するとその人は「はまじゃんか。」と声をかけて、そのまま通り過ぎていった。私はとっさに仕事で知り合いのMサンだと分かったので「こんちわ〜」と声をかけた。通勤に自転車で颯爽と帰っていくなんて、なかなかかっこいいものだと感心した。私と言えば、2000円の犬の模様の付いたトレーナーに、かなり古いジャージの下を履いて、ボケーとしていたので、なんか対照的に思えてならなかった。Mさんは仕事でもやり手の方で、結構責任のある役職について日々奔走しているが、一方で家庭を愛する理想的な男性だ。40半ばだろう。
さて、帰宅するともう薄暗かったが、カンの屋敷の屋根が少しぐらついていたので、先日ホームセンターで買って置いた木材やら金具で補強工事をした。これで多少の風くらいならカンの屋根は崩壊することはないだろう。カンはカンカンカンという金槌の音に少しびっくりしていたようだ。
というわけで、今日は胃もあまり痛くなく、気分もまずまずで、春のほのぼのした1日が暮れていったのでした。
恋愛小説家 (生後591日)
2004,4,5
夕方カンの散歩に行った時、辺りは幾分薄暗くなってきていたのだが、桜が植えてある小さな公園を歩いた。風が吹くと、桜の花びらがハラハラと舞い落ちて、地面は桜で白くなっていた。カンは相変わらず鼻を地面にこすりつけて匂いを嗅ぎながら歩くものだから、鼻に花びらがしばらくくっついていた。私はおかしくってつい笑ってしまった。
さて、今日は3日ほど前に見た「恋愛小説家」という映画について感想を述べてみたい。コミカルで少し泣かせて、ほどよく楽しめた。ジャックニコルソンは相変わらずだった。
あらすじは、偏屈で嫌われ者のベストセラー作家と、バツイチで子持ちのウェイトレスが織りなす不器用な恋を、さりげないユーモアを交えて描く恋愛ドラマで、ジャック・ニコルソンとヘレン・ハントが、ゴールデングローブ並びにアカデミー賞の主演男優賞と主演女優賞をあわせて獲得したヒューマンコメディだ。
ニコルソン演じるのは、恋愛小説で名を馳せた作家、だが素顔は病的なまでに潔癖症で、自己中心的な偏屈、毒舌の持ち主だ。この憎まれ役が、ぜん息もちの息子と暮らすシングルマザー、ハント扮するなじみのウエイトレスとの恋を通じて、人間性を回復してゆく。隣りに住むゲイの画家とその愛犬との交流も、私のような犬飼にはとても愉快だった。で、3人(+1匹)のセッションが豊かなハーモニーを作りだしている。最後はバツイチの子持ちの婦人と、偏屈な小説家が結ばれるという結末だ。
こういった映画は、昨日紹介した「チョコレート」の様なヘビーなものも時にはいいが、清々しく笑える映画もいいなと痛感した次第だ。実は今、悲恋ものの「冬のソナタ」に挑戦しているのであるが。
画像は紫花菜。雑草みたいで強い花です 。
チョコレート (生後590日)
2004,4,4
今日は24節気の清明なのだが、明るい晴天とはならず、1日中冷たい雨が降り続いた。私はレンタルビデオ店で借りてきた映画や、高校野球などで1日を過ごした。
昨晩、NHKで夜遅く放映された韓国のTVドラマ「冬のソナタ」を妻とともに見た。職場の同僚に、面白いから見てご覧よ、といわれていたので見たのだが、私も面白いと思ったが、妻の方がぞっこんに入れあげてしまった。早速今日ビデオ屋に行って続きを借りて見ている。私は、他の映画を見た。その感想はまたということにして、今日は1週間前に見た『チョコレート』という映画の感想を述べてみたい。
この映画は、黒人女優のハル・ベリーが史上初めてアカデミー賞の主演女優賞を取った作品だ。しかし華やかな賞と対照的に、中身は大変シリアスで重たいものだった。
あらすじは、ジョージア州で州立刑務所に勤めているハンク(ビリー・ボブ・ソーントン)は、黒人嫌いの保守的な父親から、偏見と、看守という仕事の両方を受け継いだ男。ハンクの一人息子ソニーも看守になったばかりだが、黒人の死刑囚マスグローヴの刑執行の日、任務を満足にこなせないソニーにハンクは積もり積もった怒りを爆発させた。だがその翌日、ソニーはハンクの目の前で命を断ってしまう。また、マスグローヴの妻レティシア(ハル・ベリー)は、夫が服役していた11年間、女手ひとつで息子タイレルを育ててきた。しかし死刑囚の夫が処刑された後、息子タイレルがひき逃げ事故であっけなくこの世を去ってしまったのだ。車にひかれた息子を病院に運んでくれたのは、たまたま通りがかったハンクだった。肉親を失った悲しみの底で、ふたりはやがて、喪失感を埋めるように互いを必要としていく。黒い肌をしたレティシアをいたわることに、もはやハンクは何の疑問も感じなかった。やがてレティシアは、彼が夫の刑を執行した男であることを知ってしまうが、ふたりはそれを乗り越えて寄り添って生きていくことを決意するのだ。それぞれの家族の死をきっかけに、交わるはずのない二人が心を通じ合わせていき、深い喪失の淵から、愛を知ることによって人生を取り戻す男と女の新たな出発を描いた作品である。チョコレートという題名は、ハンクとタイレルがいずれもチョコレートが好きと言うところから来ている。ハル・ベリーの体を張った演技は見事だった。
私はこれを見た時、胃の調子も悪く、気分もふさいでしまったが、不幸のどん底にあってもやがてかすかな希望が見えてくるのだというメッセージは確かに伝わってきた。
かならず、明日は来る。良い時も来るのだと信じて生きていきたいと思ったのである。
画像はチューリップ。
カンの屋敷広くなる (生後589日)
2004,4,3
今まで、カンの囲いの中にエアコンの室外機があったのでそれを囲いの外に出す工事を、今日行ってもらった。妻の親戚の方でこういった工事を仕事にされている方がいたので、ご厚意で午前中なおしてもらった。
さすが手際よくあっという間に室外機は外に出された。カンの囲いの中のスペースは格段に広くなった。下手をすると4畳半くらいあるのではないかと思うくらいだ。あんなちび柴犬にこんな広大な土地を与えているのはここいらではきっと我が家だけだろう。散歩に連れださなくっても十分な運動ができそうだ。近所の小学生が、「僕にもこれくらいのスペースを与えて欲しい」と言っていたのを思い出す。妻はカンの豪邸完成と呼んだ。
私も広すぎるなあと思ったが、今さら囲いを小さくするのは大変な労力が必要になりそうなので、カンが生きている間はカンには豪邸に住んでもらうことにした。
まだ、囲いは一部不安定なところがあったり、脱走できそうなところがあるので、そこら辺は、雨が降っていなければ、明日修理しようと思う。今日は午後父の見舞いに行ったのでその時間が取れなかったからだ。
夕方カンの散歩に行くと、18時頃、小学校の校庭の周りに咲く桜の間に、まん丸い橙色の太陽がゆっくりと沈まんとして、春の夕べの豊かさを感じさせ、私は少しだけ陶酔した。
画像は広くなった豪邸。
梅より桜 (生後588日)
2004,4,2
「さくら」を歌った歌は数多い。宇多田ヒカルの曲や、森山直太郎のものも有名だ。桜は散るから美しいのだろうか?そういえば今日、高校野球で、ダルビッシュ投手擁する東北高校が逆転サヨナラホームランによって敗退した。東北以北の学校に優勝して欲しかったので残念だった。まさにあっぱれな散り方だったわけだけれども。
夕方、最近胃がしくしく痛かったので胃腸科に行って薬をもらってきた後、カンの散歩を1時間ほど行った。ずいぶん暖かかった。カンも歩きながら舌を出してハアハアしていた。モクレンやら桃などの庭木が美しく、各家のハンギングバスケットなどをぼんやり見ながら歩いた。かなり陽が延びて、6時をまわってもまだ十分に明るい。せかせかと焦らずに行って来れるのが嬉しい。
途中桜があったが、案の定、昨夜来の雨でだいぶん散ってしまっていた木もあった。カンは散った花びらの上を、関心を払うことなくスタスタと歩いた。葉が顔を出して、まもなく葉桜になるものもあった。
私は以前より、花は桜より梅だと思っていたのだが、今年はなぜか桜に惹かれた4月になった。
ということで今日の画像もまた桜です。
始まりの桜 (生後587日)
2004,4,1
今日はエイプリルフール。でもあるし、年度が改まって様々なことが新しくなったり、人それぞれ新しい立場に立つことになった日である。
スーパーに行けば、消費税が含まれた総額表示に変わっているし、営団地下鉄はメトロと改称されたようだ。成田空港も民営化されたらしい。
きっと新しい立場になった人たちは緊張して、これからのスタートを切ったのだろう。私と言えば、まだ大学がスタートしていないので、今日は1日自宅での研修と言うことになった。早速読み続けていた本を読んだ。しかし何か改まった儀式があるわけではなかったので、何となく宙ぶらりんな感じである。できるだけ早く大学に行って、まず図書館が使えるようにして、そこで研究を進めたい。
さて、夕方カンの散歩に行くと、桜が満開である。少し散り始めて路面が白くなっているところもあった。残念なことに今夜から雨だそうで、花散らしと言うことになりそうである。何とか週末までもって欲しい。そして、4月からスタートを切った人々を華やかに迎えて欲しいものである。
画像は近くの神社の桜。