過去の日記 インデックス
もの寂し (生後586日)
2004,3,31
私は4月、つまり明日から、職場の好意で大学の方に1年間研修に出かけることになっている。先日その指令書の交付式があった。
今日は職場の通常の勤務の最後の日となった。これから1年勤務先を離れると思うと少し物寂しい思いになった。他にも転勤される人たちからもらい物をしたり、お別れの挨拶をしたりと、3月4月は別れと出会いの季節であることを痛感させられる。
妻の職場でも去る人、来る人で忙しかったらしい。引き継ぎやらでここのところ残業が多い。
ここのところそのせいかわからないが、胃がしくしく痛んでいたので午後病院に行って胃薬を出してもらった。早速飲んでみると、しくしくが少しおさまってきた。
そうなるとげんきんなもので、4月から気分を新たに頑張ろうというやる気が起きてきた。大学での研修は、指導者である教授から教えてもらうだけでなく、自ら学ぶ姿勢を見せないと意味がないだろう。最終的にはなにがしかの形で論文にまとめることになると思う。楽しみ半分不安半分である。
画像はスノーフレーク。
老賢者 (生後585日)
2004,3,30
今日は夕方、ふたりの初老の男性とお酒を飲む機会があった。とても愉快で話もやはり年輪が厚いせいか、含蓄があった。
ユング心理学に「元形」という概念がある。これは人間が共通して持つ、無意識の中にある、一つのモデルとなる形のことである。そしてその中に「老賢者」がある。無意識が形となってあらわれたものに昔話や神話がある。だから「老賢者」は昔話によく出てくる。例えば「杜子春」に出てくる仙人などがよい例だろう。新しくはハリーポッターに出てくる校長先生や、ロードオブザリングにも「老賢者」のイメージを背負った登場人物が出てくる。
今、情報化社会で、新しい知識を持っている人ほど珍重がられる傾向があるが、生きていく上で岐路に立つ時ほど、「老賢者」の声に耳を傾けるべき必要があるのではないかと思う。「老賢者」は決して男だけではなく女性の場合もあろう。
別れ間際にそのうちのひとりの方は、私のような若輩者にも礼を尽くしてくれた。私は感動した。時の流れは人に厚みを持たせる、と今夜は強く感じた。
カンも年を取るほどに重厚な犬になっていくのであろうか。
夜桜おカン (生後584日)
2004,3,29
今日の夕方の散歩は、辺りがもう真っ暗になってからだった。それでもつい最近までの寒さはなかった。ウインドブレーカーを着なくても十分行って来れる気候で、ちょっと走ると汗がしたたり落ちてきた。
今日も桜が多く咲いているところを選んでみた。まず、川沿いに植えてある桜を見物。ここはあまり本数がなかった上に、3分咲きだ。次に大きな幼稚園の園庭に植えてある桜。これは大きくて見事。夜桜で照明が今ひとつ当たっていなかったのが残念。最後にその名もズバリ「桜公園」。そんなに広い公園ではないが、周囲に桜が植えてあり、ほぼ8分咲き。ここが一番きれいな夜桜だった。実は昨日の日記の画像はその桜公園で撮ったものだ。
カンは相変わらず桜には興味がないようで、くんくん匂いを嗅いだり、別の犬が来たら、それに向かって突進して、あわてて止めるといった感じだった。
それにしても、薄ぼんやりした空気は、なま暖かく感じられて、春の宵の穏やかさを満喫することができた散歩だった。
画像は、我が家の裏庭に植えてある椿。名前は忘れてしまいました。今が満開です。
カンはサッカー好き (生後583日)
2004,3,28
今日は1日春本番の陽気だった。桜の花も一段と咲いてきて、ところによってはほぼ満開のところも出てきた。
私といえば、午前中からぼうっとしてこれといって何もしなかったが、液肥をやったり、新聞を読んだりして過ごした。高校野球も見た。
最近カンの散歩のとき、必ず家の前の空き地でサッカーをする。近所の子どもがおいていった小さなサッカーボールがあるので、散歩に行く前と帰ってきたあとに、私や妻がボールを蹴って、カンがそれを追いかけるのだ。ただそれだけなのにカンは随分喜ぶ。だから、小屋を出発するとまず前の空き地に向かおうとする。時間がない日はそれをしないで行くのだが、カンは少し不服そうだ。今日は行く前と帰ってきたあとに少しだけボールを蹴ってあげた。近所の奥さんは、
「やっぱりカン君はカーンだからサッカーが好きだね。」
などと言って笑っている。
ボール遊びはカンにとっては楽しいのだが、我々にとっては退屈なときもある。そんな時はちょっとだけで勘弁してくれよなカン!
カンの抜け毛はだいぶん落ちて来て、スリムに見えるようになってきました。
画像は別の公園でのカンとボール。
犬に桜 (生後582日)
2004,3,27
1日風もなく穏やかに晴れて、この季節としては最高の日和に恵まれた。父の病院に行った際の車中は暑くてエアコンを入れようか迷うほどだった。今日はエアコンを入れずに窓の開け閉めで対応してみた。なにせバイパスを通るもので、排気ガスがひどいため、あまり窓を開けておけないのだ。
帰ってきてからカンの散歩に出かけた。いよいよ桜が見頃になってきたので、桜の木が植えてある数が多い道を選んでいってみた。今現在埼玉県地方は3分咲きから5分咲きといったところで、日当たりによっては満開に近い木もある。途中、歩行者だけが通れて、両サイドに桜が植えてある100m位の道がある。ここはたまにカンと散歩に来るのだが、今日はこの道を選択してみた。
この道沿いの桜はもう8分咲きほど開いて、今や見頃だ。するとビニールシートを敷いてお花見をしている家族が1つだけいた。桜の木には、町内会が提灯をぶら下げてあり、夜桜見物も可能なようになっている。私はカンとこの道をゆっくり歩いた。私は上ばかり見ていた。やはり桜は美しいものだと見とれながら歩いた。カンはお構いなしに桜の根元に植えてあるツツジにおしっこを引っかけていた。
その後も桜が多いところを選んで家に向かった。カンは「猫に小判」ならぬ「犬に桜」とか、「花より団子」というようだった。
画像は雑草みたいに強い「花ニラ」。
春の花々 (生後581日)
2004,3,26
日中風が強い1日だった。ただ、久しぶりに太陽が顔を出して、外は明るい様子だった。
ただ、私の心は、昨日の母との諍いによって沈んだままだった。時が解決してくれるだろう。
今日は昔使っていたワープロ2台とテレビを廃棄した。ワープロの方は、市のゴミ集積場で預かってくれたのだが、テレビは家電リサイクル法によって捨てることができなくて、近くの電気店で回収してもらったのだが、これが高価で驚いた。随分昔の小さなテレビだったので、買ったときの価格の5分の1くらいの値段を取られた。
やれやれ、モノを持つということはお金がかかるということだと、改めて実感した。
外には菜の花畑があちらこちらに散見されて、黄色い絨毯のようだった。我が家の庭にも、紫色の独特の花を持つムスカリや、白い花びらの真ん中に黄色いが美しい水仙が咲いた。(画像)
他にもハナニラやローンデージー、スノーフレーク、紫花菜などが花を付けている。日に日に庭が色鮮やかで華やかになっていくのが分かる。強風にあおられて、花々も少し辛そうだったが、陽光を浴びて栄養を取り込んでいる。薔薇やブルーベリーといった花木は、葉が枝から吹きだしてきていて、まもなく花のシーズンであることを告げている様だ。
明日は風もおさまって、さらに春らしい陽気になってくれることだろう。そうしたら庭に出て、ぼんやりと春の爽快を感じられることだと願っている。
靴とカッパを新調 (生後580日)
2004,3,25
なかなか人生思うようにならないものである。今日病院で母と大げんかをしてしまった。きっかけはつまらないことだった。お互いに気疲れているせいもあるだろう。
父はもはや半分昏睡状態にあり、さらに母とも絶縁状態ともなれば、私は両親を失ったも同然だ。どうしようもない悲しみが襲った。
妻にこのことを話すと、肉親ならいくらケンカしても大丈夫なはずだよと、元気づけてくれた。そうなればいいのだが。
病院から帰ってくる道は気分がおさまらなくて、いらいらしたが、カンの散歩に行くと、いくらか平静を取り戻してきた。
今日は曇り空だったが、昨日までのように肌寒い感じはなくて、少し春のぼんやりした空気が漂っていた。川沿いの道を選んでいくと、先日に比べて桜がまた少し花開いていた。ここのところ寒かったので一気に満開とは行かないようだが、それでも少しずつ花数が増えている。陽光はなくとも、春を実感する1日だった。ぼろぼろになっていたカンの散歩用の靴と雨合羽を新調した。靴はナイキの5000円弱のものに。雨合羽は、前回700円くらいのものを買ったらすぐに破けてしまったので、今度は3000円弱の反射材付きのものにしてみた。長持ちしてくれればいいなと思う。
この靴とカッパで、また毎日毎日カンとのコミュニケーションが取れて、楽しい散歩に出かけたいと願う。
画像はサイネリア。
カンのえさ (生後579日)
2004,3,24
今日は夕方父の見舞いに行った後、カンの散歩に出かけた。
そういえばここのところカンの食欲が大変旺盛だ。今までの食欲を、気候と関連付けてみてみると、寒くて晴れている日には食べる量が多いようだ。多い日には朝晩2回、カップ2杯ずつ、さらに3〜4本の煮干しも一緒に食べる。そういうときには当然出る物も多い。朝晩の散歩で、これまた2回ずつすることもある。「カンウン2」である。
逆に暖かくて、日中少し暑いくらいの日は、朝あげたドッグフードが余り減らないで夕方まで残っていることがある。寒いとカロリーの消費量が多いからよく食べ、暑いと消費量が少ないのであまり食べないのかもしれない。
先日、ドッグフードを買い換えた。「日本犬」という物にしてみた。柴犬の子犬がパッケージに印刷されていて、かわいらしい。今のところカンはこの餌も、以前のものと変わらずよく食べていて、下痢やアレルギーを起こしている様子はない。大丈夫だろう。餌を変えるときは、体質に合わないのではないかと少し気になるものだ。
以前あげていた「サイエンス・ダイエット」は、ここしばらく与えていない。ユニチャームや日清食品、ペディグリーのものにしている。なぜなら、恥ずかしいことに、安いからである。カンは値段のことはあまり気にせず、パクパクとおいしそうに食べるから、余計にかわいらしく思えるのである。
今日は、夕方、雨にもかかわらず、3回も大をしたカン君なのでした。
恋に落ちたシェークスピア (生後578日)
2004,3,23
最近、レンタルビデオ屋にビデオを返すと、どうしても別の物を1本借りて帰らないと気が済まなくて、ビデオレンタルの連鎖反応が起こっている。
先日は「許されざる者」を返す際に「恋に落ちたシェークスピア」を借りてきた。レンタルの期間は1週間なので、週1本見るという感じだ。週1本といってもなかなか見る時間がとれなくて、「恋に落ちたシェークスピア」は返却期限ぎりぎりに見て、あわてて夜10時前に返しに行った。
今は、過去のアカデミー賞受賞作品を集めたコーナーから、まだ見ていない物を借りてみている。今日は「恋に落ちたシェークスピア」について簡単に感想を述べてみたい。
この映画は全体にテンポが速く、飽きさせなかった。脚本家兼役者のシェークスピアが、お金持ちの商家の令嬢と恋に落ちていくストーリーだ。ただ、障害も多くて、シェークスピアは妻子がいるし、令嬢はエリザベス女王の命令別の男と結婚しなければならない。そしてこの恋と並行して彼は「ロミオとジュリエット」を、自分たちの経験を元に書いていくのだ。だから脚本が現実と交叉して台詞などに真実味があるのだ。そこが面白い。
劇が本当の恋を描けるか?という賭に、最後はシェークスピアが勝つのである。ただ、その裁定をするのがエリザベス女王であるところが、ちょっと水戸黄門っぽい感じだった。少しコミカルなところもあって飽きさせることがなかった。時代が16世紀の後半ということで、当時の風俗なども興味を引いた。もちろん少し現代的にアレンジされているのだと思うが。
1月に「タイタス・アンドロニカス」を劇で見た。8月には「お気に召すまま」を見たいと考えている。いずれも蜷川演出だ。シェークスピアは飽きさせなくて、ハズレがない。本当によく人間の心を細かく描写する。時間があれば本でも読んでみたいと思う。
今日は1日肌寒かった。夕方になってようやく陽が差してきた。
冷たい雨 (生後577日)
2004,3,22
今年の冬は雨が少なくて乾燥した毎日だったから、カンの散歩道も砂ぼこりが風に舞って目が痛い日もあったし、植物にとっては春の芽吹きのためにも、雨が欲しいとずっと念じてきた。
ここへ来て急に雨や雪が降り出した。これから先の週間予報を見てみると、曇りや雨が多いようだ。反動というものは必ず来る。それが天気であってもだ。きっとここしばらく、4月いっぱいくらいは雨が多いのではないかと予想する。
しかし今日の雨は冷たかった。この寒さでは雨はかえってありがたくなく感じてしまう。
帰宅して頃、辺りは暗くなっていて、雨の音だけが辺りを覆う。こんな日のカンの散歩は億劫だ。カンときたら、連れて行ってくれると思ってか、戸をばたばた叩いたり、くんくんと鳴いたりしている。私はぐずぐず支度をして、重い腰を上げてカンを外に連れだした。カンは雨もなんのその、ぐいぐい引っぱる。私はついていくのが精一杯だ。今日は20分くらいで上げよう、と思いながら歩きつつ、よく行く公園でカンが大便をして、それを拾って袋にしまうと(雨が降っているとこういうこともいちいち面倒だ)、さあ帰ろうという気になって少し嬉しい。しかし、心に余裕が出てくると少しだけ遠回りしてやろうかなと言う気が起きてくるから不思議なものだ。結局30分くらい歩いた。それからカンをバスタオルで拭いて、底をつきかけていた灯油を買いに車を出した。
帰ってきて食事をして、やっと落ち着けるのがこの日記を書いている時間である。今日は少し喉がいがらっぽくて、風邪の徴候かなと心配だ。
雨を待ちわびていたのだが、外に出るのは億劫だ、といった1日だった。
画像は先日の雪の日のカン。毛がまだらになっています。
桜一輪 (生後576日)
2004,3,21
生まれたときには4本足で、途中2本足になり、最後に3本足になる生き物は何?
という、なぞなぞがあるが、答えは「人間」である。
今日、父の病気のためフランスから帰国した妹が、昨年9月に生まれた娘、父にとっては孫にあたる子供を連れてきた。 まだ生まれて半年で、私も初めて姪に対面した。とてもかわいらしい。特に笑顔が素敵だった。私と血のつながりがあるので、余計にそう感じるのかもしれないのだが。
病院の談話室でおしめを替えていた。実は父もおしめをしている。父は生まれた頃に帰ってきたのだろう。私も、最初のなぞなぞのように、いずれ赤ちゃんに戻り、彼岸へと帰還していくのだろうなと、父とその孫の姿を見て感じた。
父の入院している病院で母と妹と別れて、帰宅してカンの散歩に行った。思えばカンは生まれてから死ぬまで4本足だ。私たち飼い主にとってはいつまでたっても赤ん坊だ。でも、朝晩の散歩以外あまり手のかからない赤ん坊である。
今日、夕方の散歩の時、中学校の周りに植えられている桜が一輪二輪と咲いているのを見つけた。また桜の季節が来たのだなあと感じた。
西行が歌った。
「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃」
画像はデンドロビュームの花。今年は少ししか花を付けませんでした。
彼岸の淡雪 (生後575日)
2004,3,20
遅く起きて、窓の外を見ると、冷たい雨が降っていた。妻は習い事に出かけ、私はカンとともに残されて、コーヒーを入れて飲みながら、雑誌を読んだり、インターネットをのぞいたりしていた。
しばらくするとそれに飽きてきて、部屋の荷物の整理をすることにした。私は4月から仕事の部署が変わるので、職場から荷物を家に持ち帰ってきたのである。
段ボールに乱雑に詰め込まれた、10年分くらいの大小の思い出達を、床に座り込んで一つ一つ取り出して見ては、当時を思い浮かべながら、ひとりでにやにやしたり、当時の辛いことが胸に去来したりしながら、いらないものをビニール袋に捨てていった。私は捨てられない性分なのだが、よく見ると本当につまらないものが多くて、捨てる分のビニール袋はいつの間にか一杯になっていった。
ふと窓の外を見ると、白いものが舞っている。雪だ。もう、彼岸に入ったというのに。ちょうど昼過ぎが一番強く降っていて少しだけ積もった。
私は、彼岸の淡雪を見ながら、不思議な高揚感にとらわれた。流れた季節の思い出と、彼岸から連想させる、この世と、あの世との交錯。雪はそんな感覚をより強めていった。雪が舞っている風景は、あの世が随分近付いて、少し違う、白い世界に導いてくれた。
午後2時頃には雪は雨に変わり、雪は溶け始めた。夕方にはほとんど消えてしまった。
この冬最後の雪の風景は、あっという間に終わってしまい、私を現実の世界に引き戻していった。
20年の月日 (生後574日)
2004,3,19
自分で作った「黒柴ボン」のページを見直してみると、今から20年以上前の父の姿が出ている。20年前は私は高校生で、ボンもまだ3,4歳だった。いくら長生きをしても、犬は20年経てば大概その一生を終えてしまう。それくらいの年月が過ぎ去っていったのだ。その間20回の冬が来て、20回の春の訪れがあったのだ。
今日、父の見舞いに行った。胃に直接穴を開けて、そこに流動食を流し込むという栄養補給の方法にするための、簡単な手術が行われた。喉からだと、痰がひどくて、この方がいいのだそうだ。
若き日の元気な父を思い出すと、今の寝たきりの姿は悲しみを誘う。しかしそれは、私の心の中で受け入れて、乗り越えていく必要がある。くよくよしても何事も前へ進んでいかないからだ。
お釈迦様は、人間全てに4つの苦しみが与えられるといった。生老病死である。20年の月日と、ここのところの父の姿は、その苦しみを強く感じさせた。それはやがて私にも訪れるのである。
病院から帰ってきたら、カンの散歩に行った。風もなく穏やかだった。帰ってくるまでに少しずつ辺りが暗くなっていった。
今、カンは毛がものすごい勢いで抜けている。綿毛が抜けたところと、まだ残っているところがまだらになって、何ともみっともない姿だ。去年より1ヶ月以上早く抜けて来ている感じだ。やはり暖かいためだろうか。妻は毎日せっせとカンの毛をブラシで落としている。
U23サッカー日本代表おめでとう。最後にいい勝ち方ができました。
イーハトーブの残雪 (生後573日)
2004,3,18
昨日、今日と1泊2日で岩手県花巻市の大沢温泉に行って来た。職場の同僚とプロジェクト解散旅行である。7名参加であった。
花巻は、宮沢賢治の故郷である。彼にまつわる施設がいくつかあって見て回った。新花巻の駅に着くと、岩手らしくない暖かさ。20℃を超えたという。早速駅の近くの宮沢賢治記念館に入った。私は彼が好きで、前も『銀河鉄道の夜』についての感想を日記に載せたことがあるし、この童話からヒントを得て、柴犬カンの大冒険の第1部を書いた。だからとても関心があった。何より感動したのは賢治自筆の原稿が見れたことだ。字は正直下手だったが、私も字は下手で共感した。彼の水彩画があるということは知らなかった。それが載っている絵はがきを1枚買った。
記念館の近くには童話村がある。ここはファンタジーの世界が構築されていた。広い敷地の日陰のところには、残雪が長かった冬の面影を残していた。花巻は宮沢賢治にとって、ファンタジーの世界である「イーハトーブ」そのものだったのだと思う。静かで、穏やかな地であった。
夕方、大沢温泉に着いた。混浴露天風呂に早速入ってみた。川べりで情緒があった。この温泉は、湯治客用の自炊の施設もあって、なかなか面白い構造だった。いろいろなお風呂が楽しめる。私は計5回風呂に入った。夕食は、やはり岩手の内陸にあるためか、山菜を中心とした山の幸が多く出された。あっさりした感じで胃にもたれずいい感じだった。
ゆっくりした日程で、翌朝も10時ホテル出発。至極のんびり過ごせた。ただ2日目は雪が舞うほど寒かった。
その後レンタカーで盛岡に向かい、県立美術館を見て、盛岡市内の海の幸のお店で昼食を取って帰宅した。
盛岡では雄大な岩手山が素晴らしかった。
私にとっての「イーハトーブ」は何であろうか。それは心の内にあるものなのか。それとも永遠に手の届かないものなのか。宮沢賢治に聞いてみたいものであると感じた。
2004,3,17
岩手県花巻市の童話村にあった置物。賢治の夢を乗せて走ります。
白木蓮 (生後571日)
2004,3,16
夕方のカンの散歩の途中に、赤紫から青紫に変わろうとする空に、白木蓮の木が不思議な紫色の光を浴びていた。3月の中旬は木蓮の美しい時期だ。木蓮の後はいよいよ桜が咲き出して、春も本番となる。
先日レンタルビデオ店で借りて観たクリント・イーストウッドの『許されざる者』にも、アメリカ西部の大平原の夕暮れのシーンが美しかった。この映画はクリント・イーストウッドが監督、主演をしてアカデミー賞を4部門取った1992年の映画だ。今まで観たかったのだが、ようやくそのチャンスが訪れた。
新しいウエスタン(西部劇)と当時言われたらしい。悪役のインディアンは登場しない。かつて大悪党だったウイリアム・マニーが、結婚して更生し真面目に暮らしていたのだが、妻に3年前先立たれて小さな子どもを抱えて生活に苦しかった。そこへ、売春婦を切り刻んだという男を殺すという賞金稼ぎの話が舞い込んできた。マニーは金のため友人のネッドと話を持ち込んだキッドとともにその街に乗り込んでいく。その街をしきる保安官は友人のネッドを殺してしまう。マニーはかつての悪党魂が甦り、保安官他多数を射殺して賞金をもらってどこかへ消え去るというストーリーだ。マニーはだいぶん老いている感じで、その年老いた感じと、更生していたのに再び悪事に手を染めていくという、人間の愚かさ、悲哀がテーマとなっている映画だ。西部の広大な平原の風景がまた物寂しさを誘う。
クリント・イーストウッドはこの映画の後に『マディソン郡の橋』にも主演している。
春の夕暮れは少し物寂しさを感じさせる。去年の今頃は沖縄だったなあとか、その後行ったフランスにも白木蓮があったなあ、などと、少し思い出に浸ってしまった。
画像は日曜日に近くの神社で撮った白木蓮。
弥生の夕暮れ (生後570日)
2004,3,15
春は曙、というが夕暮れもまた味がある。
仕事から帰路にある時は陽が沈みかかっていて、辺りは明るかった。地平線に近付くと大きく見える橙色の太陽は、1日の仕事を終えて休まんとしていた。
私がカンを連れて外へ出る頃にはもう暗くなって、残照すら消えていた。ただ、全くの闇ではない。ぼんやりとにじんだ光が残されているような感じだった。
空気は全く動かない。風というものが存在していなかった。だから空気は少し濁っていた。霞がかかって遠くの星々を鮮やかには見ることができない。暖かく、まだむせるほどではないのだが、何かの匂いを感じる。ここのところ急に、あちらこちらで開きはじめた花の匂いだろうか。
私は「赤いスイートピー」を胸の内で流してみた。こんな早春の夕暮れが好きだ。ぽつぽつと民家に灯りが灯っていく。夕食の香りが窓の隙間や、換気扇から漏れてくる。様々な家族がそこにいるのだ。今日1日の出来事を持ち寄りながら、食卓に集まってくる。
今日の食卓の話題は、高橋尚子選手のアテネオリンピック代表落選のニュースだろうか。スペインの政権交代のことだろうか。そんな遠くの出来事よりも、自分の身に起こった小さくて、大切な出来事なのだろうか。
私はぼんやりとしながら、いつの間にかカンの散歩も終わりに近付いて、我が家が近付いてきたことに気付いた。
画像は昨日、公園でのカン。
U23日本敗れる。 (生後569日)
2004,3,14
今日、父の見舞いに行った後、直接埼玉スタジアムに向かった。U23日本代表戦を見に行くためだ。
ちょうど着いた頃、UAEとレバノンの試合が後半の後半だった。中東のチームの試合を見るのは、ワールドカップのカメルーン対サウジアラビア戦以来だ。結果、引き分けだった。UAEにとっては痛い引き分けだっただろう。その痛みが、まさか我らが日本に来るとは思わなかった。
試合開始から、引き気味に守るバーレーン。日本はUAEラウンドでの首位をキープしたいためか、守備的な選手起用だった。これといった攻めができない。もどかしい前半が終わった。
後半最初はは日本がやや優勢だった。しかし後半の後半に入った頃、一瞬の隙をつかれて、カウンター攻撃を受けた。相手のFWは確かに切れ味がよかった。その切り込みからゴール前のこぼれ球を蹴りこまれて、痛恨の敗戦となった。
後からどうこう言うのは何だが、UAEラウンドはできすぎだったのではないか。今日は高松は機能していなかった。根本もいまいちだった。攻撃的な石川や山瀬、平山などを使ってみたらよかったと、後悔の念が湧く。トゥーリオの故障退場も痛かった。
これからの2試合は全て勝たねばならない。大変なプレッシャーがかかるだろう。
今日は、高い入場料を払って(6千円)、寒々しい思いをした。帰り道が少し辛かった。
でも、頑張って欲しい。2試合はTVで応援したい。
穏やかな早春の1日 (生後568日)
2004,3,13
スペインのマドリードではテロ事件が発生して大変なことになっているが、今日の私は穏やかな静かな気分で1日を過ごすことができた。
気候も暖かく、午前中は腰にコルセットを巻いて、庭仕事をした。液肥を与えたり、まだポットに入っている種から育てた植物などを庭に直接植えたりした。枯れてしまった薔薇の枝を整理もした。その間、カンを囲いの外に出して、木にくくりつけておいた。なんだか土を掘っていた。
午後は、今日開幕したJリーグの浦和レッズ対横浜マリノスの試合をTVで観戦した。オリンピック代表組が抜けているレッズは、アウェーで、エメルソンの同点ゴールで何とか引き分けた。まずまずのスタートだろう。今年のレッズは、アレックスやトゥーリオなど、大型の補強をしてやる気十分。大変楽しみだ。5月の鹿島戦と、6月のFC東京戦のチケットを取ってある。1stステージの優勝を埼玉スタジアムで見たいものだ。
ところで明日はU23オリンピック代表のバーレーン戦のチケットを取ってある。これも楽しみである。
夕方カンとのんびり50分かけてゆっくり歩いた。少し風が強くて、かなり砂ぼこりが舞っていた。一雨欲しいところである。
長嶋家の家族 (生後567日)
2004,3,12
昨日とうって変わって今日はどんよりと曇って少し寒い1日だった。
今日は仕事を少し早めに上がって、父の入院している病院に見舞いに行った。父は起きていて(目を開けていて)、私の動きを目で追うが、やはり反応は鈍い感じだった。ただ、看護婦さんの話によると、今日から、切開した喉のところにあてていた酸素をやめたことと、病後はじめて車いすに乗せたのだそうだ。約15分くらいだったそうだ。これから少しずつこういったリハビリをすることになるのだろう。それと平行して意識の方もはっきりしていってもらいたいと期待している。
父に、長嶋茂雄氏が脳梗塞になった話をしてみた。理解できていたのかは分からないが、その話をしているときは私の目を凝視していた。長嶋氏も68歳。父と同年齢である。なにがしか共感するところがあるのだろう。私の方も、息子一茂さんの気持ちが理解できる。アテネオリンピックの野球の監督として行ってもらいたいというのが野球関係者やファンの心理だと思うが、家族は、絶対に無理をして欲しくない、と考えるのが当然だと思う。
帰宅して、暗くなってからカンの散歩に出かけた。まだ腰の方が痛くて、ゆっくり歩いていった。ところが、散歩の途中で道が分からなくなって、10分くらい余計に歩いてしまった。結局50分近く歩いた。
画像は、左側のピンクの花が「エリカ」。右側の青い花はパンジー。
南風 (生後566日)
2004,3,11
今日は、室内よりも外の方が気温が高く感じるほど、一気に春本番の気候だった。
南西の風が強く、土埃とともに、花粉もかなり飛んでいるようだった。
それにしても、今年は春の訪れが早いようだ。梅はもう終わり始めたし、モクレンは今が盛りだ。今日あたり我が家の庭を見ると、水仙があっという間にぐんぐん伸びてきて、つぼみを付け始めたものもある。暖かいと、敏感に植物は感じて、成長し始めるのだろう。
2月が暖かかったせいか、カンの毛が昨年より1ヶ月早く大量に抜け始めた。お尻の辺りや、胸のあたりの密集した毛を引っぱると、ごそっと抜ける。妻が、昨年同様にブラシでカンの毛を取って丸めると、テニスボール1個分くらい抜ける。また、室内にあげて部屋の中を一回りすると、カンが歩いた後には毛がかなり落ちている。かわいい、かわいいと抱きしめると、服に毛がたくさん付いてしまう。粘着テープのようなものでそれをいちいち取らないとならない。
ついに妻は、カンの入室禁止令を発令した。カンは相変わらず、我々の夕食が終わった頃からガラス戸をバタバタ叩いて入れろ入れろと訴えるが、ぐっと我慢である。私の方がつい入れてしまうので、私は妻にいつも怒られる。
「誰が掃除してんのよ!!!」
というわけでカンを入室させてしまったときは私が部屋に落ちた毛の掃除をしているというわけである。
家族の肖像 (生後565日)
2004,3,10
先日、レンタルビデオで借りてきた、『アメリカン・ビューティー』という映画作品を見た。サム・メンデス監督、ケビン・スペーシー主演である。アカデミー賞もいくつか取った。ケビン・スペーシーの出ているものは面白いものが多い。『セブン』、『LA・コンフィデンシャル』、特に私のお気に入りは『ユージャル・サスペクツ』だ。これらはみなサスペンスものだ。
さて、今回の『アメリカン・ビューティー』は、家族が崩壊していく様を描いた話で、サスペンスとは少し主題が違う。主人公の一家は夫妻と女子高生1人だ。今まで、良き家族を演じてきた中流家庭が、それぞれの欲望をむき出しにしていった結果、壊れていく。この一家に、同じく崩壊過程にある隣家の家族もからんで、結末は主人公が隣家の主人に殺されてしまうというストーリーだ。
個人主義の国アメリカ。この国でいかに家族という共同体を維持していくかが難しいかをこの映画は教えてくれる。家族の中心には何も存在せず、家族という幻想よってかろうじて保たれた微妙なバランスの上に、人々は生きている。それでは家族なしで生きていけばいいじゃないかというが、ひとりで生きていくのは辛いものだ。だから家族を作る。
日本でも急速に進んだ核家族、個人主義。家族を維持していくことが難しい時代に入ってきている。例えば、私の父が倒れたことによって、親族を含めて微妙にさざ波が立つケースがこの1ヶ月半であった。微妙なバランスに傾きが生じたからである。それぞれが考えることが、少しずつ違うのだ。
そんな経験からも今回の『アメリカン・ビューティー』は身につまされるところが少し感じられた。
カンも家族の一員である。カンにも微妙な変化が訪れたはずだ。カンはどう感じているのだろうか。
画像は球根から育てたアネモネ。
プロジェクト完成 (生後564日)
2004,3,9
私は極力仕事のことを日記に書くことは避けてきた。なぜならこのホームページはあくまで私の趣味、徒然のよしなしごとでまとめていきたいからだ。仕事のことを書くと、私の仕事の中身を知っている人しかそれについて理解しづらくて、普遍性を獲得できないと思うからだ。もし仕事の中身について書くならば、別のホームページや日記を開こうと思う。
しかし、今日は仕事の上で大きな区切りとなった1日だった。3年前に始めたプロジェクトが今日一応の完成を見たのだ。午前中それについての儀式があった。その後、クライアントからポール・スミスのネクタイを頂いた。好きなブランドだったので余計に感動した。私の趣味を知っていたのかもしれない。この突然のサプライズは本当に嬉しかった。この仕事をやっていて良かったと思う瞬間だった。
夜はそれについての祝賀の宴席があった。ここでも花束などの頂き物をした。
1日長く、疲れてしまったが、徒労感と言うよりも、ある種の清々しいだるさの残る疲れだった。また、来年度から新しいプロジェクトが始まる。
妻の熱も下がってきたようだ。しかしまだ安静が必要だろう。明日の朝もまた、腰を気にしながらカンの散歩に出かけよう。今日の日中くらいから、随分春めいて、明朝は暖かく散歩日和となっていることを期待したい。
沈丁花 (生後563日)
2004,3,8
私のぎっくり腰は、癖になっていて半年に1度くらい起こるのだが、今回はなかなか良くなってくれない。相変わらず身体がくの字になったままである。今日明日と結構ハードな仕事が続くので本当に参ったものである。
さらに、妻がついに38℃の熱を出してダウンしてしまった。私の代わりに父の見舞いやら、いろいろやってくれて疲れが出たのだろう。できる限りのことはしてあげたいので、ポカリスエットやプリンを買ってきた。
そうなると、カンの散歩はくの字の私が行かざろう得ない。意を決してペンギンのように歩きながら、カンの急な飛び出しを手で強く引っぱりつつ、いつもの半分くらいの距離を歩いた。こういうときはカンにも我慢してもらわないといけない。これじゃあカンもストレスがたまるかなあと、と思いつつ、カンまで倒れたら一家総倒れになってしまうよと、ちょっと悲しくなった。明日の朝は、先日ぎっくり腰の原因となった自転車散歩を決行しようと思っている。それで悪化したら仕方がない。今日ほどカンの散歩が重荷に感じたことはなかった。
それにしても母は元気だ。父の入院から早1ヶ月半経とうとしている。そろそろ蓄積した疲労が身体に出てきそうな時期なのにだ。母が元気なのは唯一の救いである。
画像は沈丁花(じんちょうげ)。春を告げる良い香りを発するのだが、我々家族にはまだ春の匂いは届いてきそうもない。
戦場のピアニスト (生後562日)
2004,3,7
昨晩、日記を書いた後、借りてあったビデオの『戦場のピアニスト』を見た。昨年のアカデミー賞監督賞や、カンヌのパルムドール(最高賞)を受賞した作品だ。監督は巨匠ロマン・ポランスキー。主演はエイドリアン・ブロディである。内容はナチス占領下のポーランドワルシャワのユダヤ人たちがナチスによって差別され、殺され、強制収容所に送られていくという時代の中、主人公のピアニストであるシュピルマンが生き延びていくありさまを描いたものである。シュピルマンの家族はみな収容所に送られていった。彼だけが生き残っていくのである。最後にはドイツ将兵によって救われるという場面もあった。この話は実話で、戦後彼はピアニストに復帰するが助けたドイツ将兵はソ連の収容所でなくなったという。この実話は、シュピルマン自身が戦後すぐ本にしたのだが、こうして映画になったのはそれから50年以上たってからのことであった。
2時間半の上映時間、ほとんどが痛々しい戦時下の場面で、見ていて辛くなる。こんなことがほんの60年前にあったのだということが想像もできないありさまだった。しかし映像や音楽はそのような中でも美しく使われていた。確かに名画の一つに数えられてしかるべき内容だと思った。
これから余裕があれば、またビデオを借りたり、映画館で映画を見てみたいと思う。
外は1日真冬の寒さだった。私は今日も腰痛がひどく、1日ほとんど外へ出られなかった。カンの散歩も父の見舞いも妻に行ってもらった。感謝する一方、自分が情けなくて、かなり落ち込んでいる。明日からは仕事の内容もハードである。何とか少しでも痛みが引いてきて1日持ってくれればと思う。
花車 (生後561日)
2004,3,6
春3月は例年風が強い。今日もそんな1日だった。
私といえば、昨日発症したぎっくり腰が思いの外良くならないので1日安静にしていた。今日あたりいろいろ動きたかったので、じっとしていなければならないのは辛いことだ。カンの散歩も、父の見舞いも、灯油を買いに行くのも、みんな妻にやってもらい申し訳ない気持ちになった。
仕方がないので午前中は本を読んでいた。午後はゼロックススーパーサッカー、ジュビロ磐田対横浜マリノスの試合を見た。昨晩のオリンピック予選の代表戦に引き続きだ。昨日のUAE戦は感動した。前半見た限りはUAEが押し気味で、これは勝てないかなァと思ったが、後半の後半になって相手選手の疲労が際だってきて、日本にチャンスが生まれ、確実に2点取って勝利をものにした。日本ラウンドでも頑張ってもらいたい。
サッカーが終わると、久しぶりに園芸の本を引っ張り出してきて、パラパラと読んでみた。美しい写真を眺めているだけで楽しい気分になる。
3月に入るといろいろな植物が急に成長を始める。花盛りで心が華やかになる。
昨秋に2台目の花車を買ってパンジーを植え付けた(画像)。1台目は4年前に購入したもので、木が腐ってしまったからだ。遊び心でこんな寄せ植えをするのも楽しみの一つである。腰が治ったら、少し園芸作業に本「腰」を入れてみようかと思う。
どこまで自由に (生後560日)
2004,3,5
本当に私の腰は脆い。ちょっとしたことで腰椎をねんざしてしまう。毎日腹筋を欠かさないにもかかわらずだ。
今日、朝のカンの散歩は私の当番だった。朝は走れないので自転車で行く。しかも時間の制約があるので何となくあわてて出発した。ストレッチもせずにである。おまけに今日は寒かった。さいたま市の朝の気温は−3℃だった。こんな条件ではちょっとしたことで腰をひねってしまうことがありそうだった。
途中、カンが大便を済ませると、今度はあっちこっちの匂いを嗅ぎに左右に動く。私は、自転車を動かせる範囲までは連れて行くが、そうではないところは、手とリードを一杯一杯伸ばして、できるだけカンの行きたいところまで行かせてあげた。それは、朝の短時間の散歩の中でもできるだけカンを満足させてあげたいと思うからだ。その中には半分のんびりさせてやれない負い目もあったと思う。
ところがこれがあだとなった。私は腰をひねってしまったのだ。おかげで今日1日腰痛に苦しむことになってしまった。
私は犬の散歩をする人たちに訊いてみたい。どれぐらい犬の行きたいところへ行かせてやるのか。それともほとんど自由にさせないのか。それで障害はないのか。自由にさせる方が本当は良くないのか。
これから自転車で行くときは、まずストレッチを軽く行い、カンには少し我慢してもらって、自転車の周辺の手が届く余裕のある範囲だけをうろつかせようかと思う。そうしないと、飼い主が動けなくなって困るのはカンだからだ。
勘弁してくれ!カン!
画像は「はな」。はなの場合はどうしているか後で聞いてみよう。
夕陽が差してきた (生後559日)
2004,3,4
朝からどんより曇って、薄ら寒い1日だった。
どうもこんな日は私の調子はが優れない。花粉症で鼻が詰まり、昨晩のサッカーオリンピック代表戦のTV観戦で寝不足気味だし、午後になってなんだか腹痛に襲われた。昼飯で食べた天麩羅のためか、寒いせいなのかは、わからなかった。
午後2時半頃、休暇を取って父の病院に向かった。母が所用でいけないため、毎日誰かが顔を出した方が、意識回復に役立つのではないかという考えで、家族で持ち回りで様子を見に行っている。今日は私の当番だ。
どうも父の病院に行く前は気が重いことが多い。やはりその病態が痛々しくて、見ている方が辛いことや、熱などがあると不安になってしまうからだ。しかし、現実に直面せねばならない。私は3時過ぎに病院に着くと、主治医の先生と鉢合わせした。先生の話によると、状態は上向いているとのこと。流動食の注入をしたり、人工呼吸器をはずして、自発呼吸に切り替えたことなどが告げられた。まだ、酸素は供給されているのだけれども。ただ、意識の方は依然としてはっきりしないと言っていた。
病室で父の具合を見ると、ここのところの中では良い状態のようだ。手を握って、と言うと握ってくれる。それを見ていた看護婦さんは、
「きっとわかっていると思いますよ。ただ、返事のできる状態じゃあないからね。」と言った。確かに分かっているようだった。しばらくベッドの脇にいると、動く方の左手の人差し指を水平に差し出した。どうも、もういいから帰れ、と言っているように感じた。それからしばらくして帰路についた。
帰宅途中にはにわか雨が降っていた空も、北西の方角から雲が切れ、カンの散歩に行った5時過ぎには夕陽が差してきた。辺りは今までに比べて嘘のように明るくなった。私の気分も少しだけ明るさを取り戻すことができた。
画像はローンデージー。雑草みたいに強い花です。
カンの忠告 (生後458日)
2004,3,3
今日は桃の節句。本来は旧暦の3月3日に行われたという。主に女の子を祝う祭りの日だ。宮中ではこの日に曲水の宴が行われたそうだ。もちろん雛人形も飾る。
妻がスーパーで夕方桜餅を買おうとしたらもはや売り切れで、店員に聞いたところ、飛ぶように売れたのだそうだ。
さて、桃といえば桃太郎。皆さんご存じのように桃から生まれた桃太郎は、犬・猿・雉を連れて鬼ヶ島の鬼退治をする。静かに暮らしていた鬼にとってはいい迷惑だったかどうかの話はさておいて、神話や昔話には動物が良く登場する。浦島太郎も助けた亀に連れらて竜宮城に行った。
今私は河合隼雄氏の『神話と日本人の心』という本を読んでいる。『古事記』の記述をもとに、神話から読みとれる人間の精神構造、特に日本人の精神を、ギリシャ神話など他国のものと比較して述べている。
この本の中に因幡の白ウサギの話が出てくる。河合氏はこのウサギをトリックスターと位置付ける。実は裸にされた白ウサギは、その前に鰐をだましたのだ。それでもかわいそうなウサギを大国主命が助けてあげる。ウサギは彼に意中の彼女が手に入ると予言し、実現する。
このように、人間の知恵でどうにもならないときに、動物の知恵が生きてくるという場面が、昔話や神話の中に随所に出てくるのだ。これは洋の東西を問わない。グリム童話の『黄金の鳥』には、3人兄弟の末弟が、キツネの助けによって成功するのだ。動物の忠告は軽く見てはいけない。かといってそれを聞いてばかりではダメなのだろうけれど。
さて、私は今までもこれからも、何か困ったことがあったら、カンの意見を聞いてみる。カンは表情や仕草で我々に語りかける。画像のようにぐっすり寝ているカンからは、どういうメッセージを受け取ったらよいのだろうか?
花粉の季節 (生後457日)
2004,3,2
昨日、鼻風邪だと思っていたものの正体が今日になってわかった。花粉症だった。母も花粉症なのだが、やはり昨日から鼻づまりがひどいという。そういえば今日カンの散歩に出かけたら、マスクをしている人が目についた(そう思って見るせいだろうか)。これから1ヶ月、辛い思いに堪え忍ばねばならなくて、憂鬱である。タリオンというアレルギー性鼻炎の薬は数日前から飲んではいたのだけれども。
犬にも花粉症があるのだそうだが、カンは別段何の変化もない様子だった。今日は少し遠くまで行ってあげた。散歩の途中、面白いことがあった。ゴルフの練習場がコースの途中にあるのだが、その駐車場で中年の男性がゴルフバッグをしまいながら携帯で電話をしている。聞き耳を立てていたら、どうやら仕事中だったようなのだ。彼はサボってゴルフの練習をしていたようで、一生懸命嘘をつきながら弁解していた。私も仕事中巧妙にサボることを考えることがあるので、他人事ではなかったが、やはり聞いていて面白かった。カンは知らんぷりで駐車場を囲うフェンスにおしっこを引っかけていた。
昨晩はサッカーU23オリンピック代表のバーレーン戦を見た。終わったのはかなり遅くて夜中0時を過ぎていたが、やはり本番は選手の気合いも違うし、見る方も手に汗握る。練習試合とは訳が違うのだ。深夜にもかかわらずカンがバタつくので中に入れてやったら、椅子の上にぴょんと飛び乗って、丸くなっていた。私と一緒にサッカーが見たかったのかもしれない。
画像は水をまいた後のクロッカス。
氷雨 (生後456日)
2004,3,1
暦の上では春3月が訪れた。昨日までの暖かさから一転、今日は1日冷蔵庫の中にいるような寒さだった。おまけに小雨が降り続いてあたりは薄暗い。私は陰鬱な気分で日中を過ごすこととなった。小雨はやがて氷雨と変わり、雪になった。積もることはなかったが、季節が変わった途端にこの天候とは不思議なものである。春の淡雪、という言葉があるが、そんなようなものだったのか。
どうも鼻風邪を引いたらしい。ちょうど1ヶ月前にインフルエンザになったばかりなのに、また風邪を引くなんて、無念である。風邪を引くと気分も浮かない。この天候と相まって、うんざりである。やはり父のことで心身に疲れがたまっているのかもしれない。
夕方6時半頃、カンの散歩に出かけた。この頃には雨も上がり、西の空には星が見えていた。朝晩、カンの散歩に行くときには雨が降っていなくてラッキーだった。雨降って地固まる、ではないが、この雨は地中で春を待つ植物たちには恵みの雨になることだろう。カラカラに乾燥した大地に生気をよみがえらせる。私の心にも潤いが欲しい。そういうわけではないが、今日記を書いているパソコンのある2階の部屋に、カンを持ち込んで癒してもらっている。カンは伏せの恰好をして、とろんと眠そうだ。それを眺めるのが何とも楽しい。そういえば最近、カンに日記を書かせていなかったっけ。
画像は先日妻の実家に寄ったときに撮った「はな」。行くとものすごく嬉しそうにします。