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青い巨塔 (生後454日) |
2004,2,28
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教授は朝晩の回診を欠かさない。助手は基本的に1人しか連れて歩かないが、場合によってはふたり連れて行くこともある。回診の内容は、電信柱の様子や、草の生え具合を丹念に観察する。観察したらその印しに小便を引っかける。 どこからか別の大学病院の教授たちが回診にまわってくる。すると、どっちが偉いか競うかのごとく、にらみ合う。30分と少し回診すると、青い網に囲まれた象牙の塔の中にある研究室に戻り、お食事を召される。あとは、1日その中で研究生活を続けることになる。 我が家のカン教授の主な研究テーマは、人間をどうやって癒すか、すなわちヒーリングと、防犯学である。癒しについては、存在そのものが癒しになっている部分が多いのだが、それ以外にどういった行動を取れば、人間を癒すことができるかを日々研究テーマに取り組んでいる。じっさい、カン教授と日々接している我々から見て、この分野にかけてはかなりの成果が上がっていると言えよう。最終的には、私の父の病気が治ってきたときに、たっぷり癒して欲しいと我々は期待している。 一方、防犯学についてはまだまだである。妙なときに吠えたり、本当に吠えなければならないときにぐっすり眠っていたりするので、この分野についてはこれから開発されると思われる。 もちろんカン教授は、パキスタンのカーン博士のように原子力兵器の開発には携わっていない。それどころか、そのような研究には反対しているのである。 画像は、研究の合間に(というか合間の方がずっと長い)横になっているカン教授。 |
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サテワン (生後453日) |
2004,2,27
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日本史学者網野善彦氏が今日亡くなった。肺ガンだそうだ。享年76歳。 先日日記に書いた『「忘れられた日本人」を読む』は、氏の作品である。実はまだこれは読んでいないが、『東と西の語る日本の歴史』や、『日本の歴史をよみなおす』、『海と列島の中世』等は私自身持っており、読んだことがある。日本の歴史を、農民と武士といった単純な階級史観と捉えず、百姓・・・ひゃくのかばね・・・かばねとは職業、生業を意味するのだが、多様な人々の姿を捉えなおした人物である。当初はマルクス主義史観の学者たちに異端視されたという。今や、若い日本史の研究者たちは、多かれ少なかれ網野氏の影響を受けているだろう。遊行人、賤民、海民、山人、様々な人びとを扱った。ちょうど西洋史で言えば阿部謹也氏と同じ視線で歴史を見直した人である。 大変残念な人を亡くしたと思う。 さて、今日はオウムの首領、松本智津夫被告に死刑判決が下りた。あれだけのテロをしたのだから当然であろう。そういえば、昨日は2.26事件が起きて68年たった日である。病床の私の父が生まれて半年後の事件だった。これもひどいテロ事件であった。 さて、我が家にはサテワンがある。人によっては悪臭と騒音を指摘するかもしれない。その中で毎日修行を積んで?いるのは我が家の愛犬カンである。ほとんど1日中瞑想にふけっているのである。 画像はクロッカス。これは昨秋に球根を買って植えたものです。 |
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マーフィーの法則 (生後452日) |
2004,2,26
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マ−フィーの法則というというものがあるが、日常生活の逆説をことわざにしたようなものである。例えば「急いでいるときほどタクシーは捕まらない。」といったたぐいだ。 私がこれに付け加えたいのが、灯油の補充である。我が家での暖房は主に石油ファンヒーターを使用している。1階と2階に1台ずつだ。エアコンもあるのだが、なんとなく足下が寒い。炬燵のある部屋は一部屋しかない。寒い日はファンヒーターをつけっぱなしにしている。 ところがこのファンヒーターの灯油が切れるときが、決まって都合の良くないときなのだ。例えば、風呂にも入り、歯も磨いて、うとうとし始めて、ファンヒーターのタイマーをセットして、さあ寝ようかというときに、ピッピッピッピと、給油が必要であると知らせる音が鳴る。または、朝寒い日に起きて、タイマーによって点火されたヒーターが、程なくまた、ピッピッピッピ、と鳴り始めて給油を告げる。給油するときに我が家では外につながる扉を開けて、寒い外気のもとで入れなくてはならないので、これが結構面倒で億劫なものなのだ。何でこんな時に灯油切れを起こすの?と思う。マーフィーの法則に加えてもらいたい。本当にこの音は大変不快な感じがする。 時には灯油そのものの買い置きが切れてしまうことがある。うちは18L缶を3つも用意して、セルフ給油のガソリンスタンドで買っている。 また話はそれてしまうが、ピッピッピッピという音が、日常生活の中で多すぎる。炊飯器がご飯が炊けたときに知らせる音。パソコンの出す音(これは消音にしておけば済むが)。風呂ができたときの音(我が家では自動で風呂がセットできる)。もちろん携帯電話や、据え置き電話の音。いま、電話が鳴ると、父の件かと思い、どきっとしてしまう。 静かな日常はどこに行ってしまったのだろうか? 画像は夏越しした白いシクラメン。 |
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温浴 (生後451日) |
2004,2,25
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古代ローマ帝国の市民たちは大変な温泉好きだったという。なにしろ、戦争にかり出された軍隊も、辺境の地でまず温泉を掘ったのだという。温泉が出なくても、お湯を沸かして、浴場を作り、長い人は半日くらいそこでお湯に浸かっていたのだそうだ。もちろんお湯にはいるだけではなく、マッサージも盛んに行われたという。今残っている遺跡でもっとも有名なものはカラカラ浴場という、3世紀初頭の皇帝が建てたものだ。残っていないものを含め、小さな都市にも必ず浴場があったそうだ。そんなところは現代の日本人に少し似ているのではないだろうか。日本人の温泉好きはなかなかのものだ。 かくいう私も、妻も温泉好きである。妻はこのところの忙しさに疲れて、「リフレクソロジー」というものに、今日も出かけた。簡単に言ってしまえばマッサージである。私は3月の半ばに、父の状態が安定していれば、職場の仲間と1泊2日の温泉旅行に行く予定だ。今から楽しみである。 なかなか温泉に行けない私たちは、お風呂に入れる入浴剤で少しだけ温泉気分に浸っている。今使っているのは、資生堂が出している「フェルゼア」という、お湯が白くなる入浴剤だ。安価なのが魅力だ。他にもバスクリンを始め、様々な商品が出ている。フェルゼアは、何か人工的な感じが強くて最初は嫌だったのだが、今は慣れて、逆にこれなしに風呂に入れない感じになってしまった。お気に入りになってきたのである。 少し温めの風呂に、入浴剤を入れて、目を閉じれば、心の中だけは温泉に来たような気分になり、心と体が少しだけリフレッシュされていく。 |
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身体を鍛える (生後450日) |
2004,2,24
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よく、テレビで肉体を極限まで鍛え上げて、それを競う競技を見ることがある。例えばボディービル。少し気分が悪くなるぐらいの筋肉むき出しの裸体が、ブラウン管(液晶)にさらされる。彼らは、日々のウエイトトレーニングのみならず、食事も徹底して管理するという。好きなものも食べられないというわけだ。 他にも、野球、サッカーは言うに及ばず、ハンドボールやバスケット、水泳、陸上の各種目、そしてマラソン(これには少し憧れる)の選手たちも、大なり小なりトレーニングを欠かさないのだろう。そんな人たちに私は尊敬の念を抱く。 実は、私もカンの散歩に行く前に、ストレッチをやった後、腕立て30回、腹筋40回を日課としている。これだけでもふうふう息が上がり、なんだか胸焼けしたような気分になる。さらにカンの散歩に出発すると、最初の1kmは、カンがダッシュをかけるので、一緒に走る。この時点で、日によっては、疲れていたりすると、気分が悪くなったり、痰が絡んだりする。それからしばらく進むとカンが排便をする。するとカンはスピードを落とすので、軽いジョギングや、歩きに変わる。やっと気分がよくなってくる。ランナーズハイ、とはいかないまでも、爽快感が増してくる。 いつも思うのだが、私の体力も落ちたものだ。小中学生くらいまではマラソンは得意な分野だった。高校生あたりから次第に好きではなくなっていった。今は、その時によって違うが、カンの散歩の最初のダッシュが辛く感じることがある。それでも、日々少しずつでも体を動かして心肺機能を高め、柔軟体操をして筋肉をほぐすのは、身体に良いはずと信じてやっている。 根本的に煙草をやめるのが一番健康的と思うのだが、こればかりはなかなか・・・。 画像は夏越ししたシクラメン。今年はシクラメンはとてもうまく咲いたのだが、蘭(デンドロビューム)は花がほとんどつかなかった。 |
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過眠 (生後449日) |
2004,2,23
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春眠暁を覚えず。これは春の睡眠は、過眠傾向にあるということを表しているのだと思うが、私は、この半年ばかり、どうもうまく睡眠が取れず、1日中眠いような感じが続いている。朝起きられない。昼間眠くなる。寝起きは悪く目が覚めない。過眠気味だと言える。まあ、眠れないよりはいいのかもしれないが、仕事中や何かしようとする休日はちと辛い。 寝ている間は気持ちがいいし、起きても横になっていれば苦にならない。それでも、起きている間が変なのだ。バイオリズムが狂っているのを実感できる。朝早く起きる断眠療法も試みたし、休日、思いっきり眠ることもしてみた。最近はブライトライトで、朝、強い光を浴びることをしてみている。 今日は、日中あまり眠くならなかった。それでもいいときの50%には届いていないだろう。それでもこれまでよりはずっといい。明日もこんな感じであったらいいと、切に願ってしまう。 メラトニンという物質が脳の中で出てくると眠くなるのだそうだ。それがあまり放出されなければ眠気は起きないという。脳内物質をコントロールするのは私には無理だ。みんな無理だろう。生活の改善で多少良い状態をキープするしかない。 カンは睡眠では苦労していない。ただ、昨日はあまりに風が強かったので、家の中で、ゲージに入れて寝かせた。休日カンの寝姿を見ると心が安らぐ。ほんわかした気分になる。自分もああいう風に寝たい。 少し気になるのは、ここのところカンの無駄吠えが目立つことだ。季節の変わり目だからだろうか。昨夏にもそんな時期があった。宅配業者の車が来ると必ず吠える。近所迷惑にならなければよいと思う。 |
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にじんだ光 (生後448日) |
2004,2,22
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気温が上がった1日だった。22℃くらいまでいった。春を通り越して、一気に初夏を感じさせるようだった。車のエアコンを久しぶりに付けると、ぷ〜んと妙な匂いがする。日中は、そうでもしないと暑くていられないくらいだった。 南西の風も強かった。カンの飲み水を入れてある器にも砂がかぶってしまう。乾いている上に強風で、砂ぼこりがすごい。春二番といったところだ。先日の春一番の時よりさらに春めいていた。 夕方カンの散歩に行くと、吹きっさらしの畑のところでは、土が舞い上がって目が痛い。カンもあまり走ろうとせず姿勢を低くして、風を避けて歩いているように感じられた。まあ、あれだけ毛皮が厚くなっていると、走れば暑いかもしれない。 散歩も終盤にさしかかると、陽も落ちて、辺りは暗くなってくる。すると、家々の蛍光灯や、白色灯、電柱に付けられた水銀灯が、ぼんやりとにじんで光っているのがわかる。今まで、冬の間にはなかった光り方だ。早春の空気は濁っているのか、はたまた、少し湿気があるのか。 今日は午前中、父の職場に母と妻と行き、荷物の整理をした。午後は病院に行った。今日は少し熱があるようで辛そうだった。 画像は我が家で咲き出した水仙。 |
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春うらら (生後447日) |
2004,2,21
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午後、父の入院している病院に行った。妻が、習い事に行き、そのまま車で病院に行くというので、私は電車で向かった。自宅から駅までと、駅から病院までをおよそ30分歩いた。本当に春本番の陽気だった。梅の花は今が盛りといわんばかりに咲いていて、香りも漂っていた。ブライトライトで、光を浴び始めて3日目だが、こんな陽気では必要もないほどである。欲をいえば、だいぶん乾燥しているので一雨来てくれればと思う。 父の状態は相変わらずであったが、今日は熱が少し下がったとのことで、顔色もよく見えた。 帰宅してカンの散歩に行く前に、サッカーのU23、オリンピック代表の韓国戦を見た。随分よい仕上がりのようで、ライバル相手に2−0と快勝。少しキーパーに不安はあったが、やはり平山効果だろうか、テレビを見ていても唸らせるものを持っている。これからが楽しみだ。まあ、韓国の出来が今ひとつだったのかもしれないけれども。 さて、カンはとても素敵なプレゼントを貰った。首輪(カラー)である。同じブリーダーさんから黒柴を貰ったそらママさんから、バレンタインデーのプレゼントだ。手製で、デザインもとても素敵で色合いもとても気に入った(私が)。今日は1日間にくっつけておいた。本当にありがたく、カンを飼ったことで、こういった喜びを味わうことができ、幸せである。ちなみに黒柴のメスの「そら」ちゃんは、カンと異母兄弟である。どんちゃんとは異父兄弟だ。 画像は頂いたカラー。 |
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ひとり暮らし (生後546日) |
2004,2,20
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金曜日のためか、1日中疲労感を感じながら過ごした。午後は2時半過ぎに仕事を早退させてもらい、父の病院に行った。母も来ており、今後のことや、母が父の残務整理をしていることなどについて話をした。父は相変わらずの様子で、熱が上がったり下がったりだ。今日は少し熱が下がっていた。 帰宅途中、スーパーに寄って夕食の買い物をした。今日は妻が残業で遅くなるので、食事当番だ。カンの散歩に行った後、ご飯を炊いて、タマネギの具を入れたお味噌汁を作り、お総菜のひじきと豆腐の和え物と、サバの塩焼き、コロッケを盛りつけた。後は冷蔵庫にあるものを少したした。夕食の中で作ったと言えるのは味噌汁だけである。 私は結婚するまで、学生時代の4年間を含めて、約12年弱ひとり暮らしをしていた。その間まともな料理は覚えられなかったが、そこそこ何かを作ることができるようになった。こんな時にそれが役立つ。ちなみに得意料理はカレーである。 関東の若者はあまりひとり暮らしをしないようだ。学校が通える範囲にあるからだが、できたらひとり暮らしを勧めたい。いろいろなことをひとりでやる習慣が付くと思うからだ。親にあまり依存しすぎない方がよいと思う。今の経済状態では、ひとり暮らしは不経済かもしれない。ただ、アメリカ人などは、18歳を過ぎると、たとえ近くでも家を出るケースが多いと聞く。寮でも何でも一度は結婚前に家を出ておいてもいいのではないだろうか。 |
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雨水 (生後545日) |
2004,2,19
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今日は二十四節気の雨水。雪が雨に変わり始める頃ということらしいが、関東平野では最近全く雨も雪も降らない。おかげでからからに乾燥した状態が続いている。少し風が吹けば砂ぼこりが舞い上がる。 カンの散歩道の一つに、畑の脇を行く道があるが、土手に積まれた土が乾燥して、風で道の方に吹きこぼれてきているところがある。3cmくらい土が積もっているだろうか。早く一雨来て欲しいものだ。土の中に眠っている球根類や宿根草も、雨を待ちわびているだろう。 昨日、「ブライトライト」という商品が届いた。これは、強い光を浴びて体の調子を整える機械だ。あまりに朝起きられないものだから、少し強い光を朝浴びようと思ったためだ。今朝から試しに付けてみたが、光源から20cm離れたところで1万ルックスの明るさがあるという。心臓がどきどきしてしまうほどの明るさだ。急に強い光を浴びると、逆に体によくないかなとも思うので、明朝は少し離して光を浴びてみたいと思う。 私の体は天候に左右されやすい。だから、人工的な光はどうかなとも思うが、若干高価ではあっても、買えない値段ではなかったので、試してみることにしたのである。人工の太陽に期待してみたい。ただ、今年はもうすぐ春がやってくるので、「ブライトライト」の活躍の場はあまりないかもしれないが。 |
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小さな旅 (生後544日) |
2004,2,18
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ほぼ毎日、カンの散歩は3〜4km行く。最初、カンは勢いよく走り始めるので、私も後をついて走る。もちろん急に走ると体に悪いので、ストレッチをやってから散歩に行く。これに10分くらいかける。カンは大便をすると、スピードが落ちてくるので、そのあたりからは歩いたり、軽いジョギングで進む。もう、9月の半ばから、暗い中を散歩に行くことが続いているが(平日)、家が近づいてくると、ホッとしてくる。まるで小さな旅にでも出かけて、帰ってきたときのような気分だ。畑があったり、林の中の小径を通ったり、他の犬とのすれ違いに気を遣ったり。もっとも神経を使うのは細い道や交差点で車をやり過ごすときだ。そんなこんなで家に着くから、小旅行に行った気分になるのだろう。 サッカー日本代表も、ドイツへの旅に出かけた。ドイツに行く最初の、国内での道程でつまずきそうになってしまった。久保選手がいいところで決めてくれた。こんなところで負けてしまったら、この先2次予選や、本番のドイツワールドカップが楽しめなくなってしまう。何とかぎりぎり合格といった試合だろう。海外組と国内組が噛み合っていないような印象を持った。確かに相手のゴールキーパーはよかった。でも、もう少し早い時点で点を取り、もっと点差を付けて欲しかった。これから頑張って欲しいものだ。特にジーコ監督! 画像は豊後という種類の梅。今年は咲き出しが早いです。 |
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不思議な因果 (生後543日) |
2004,2,17
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今日は、夕方父の病院に、妻とともに見舞いに行った。その後夕食を食べて(1杯390円のラーメン屋で)帰ったので、帰宅は8時半くらいになってしまった。それから支度をしてカンの散歩に出かけようとすると、カンは怒ったような鳴き方をする。いつもはもう少し早い時間に行くので、不満だったようだ。私は自転車で連れて行くことを選択した。もうお腹一杯で、走ることができそうもなかったからだ。そして、いつもより短いコースを選んで散歩をした。 途中、金星が西の空に沈もうとしていた。そういえば最近、ホルストの『惑星』を今風にアレンジして、詩を付けた歌がヒットしている。今や人類は火星にまで宇宙船をとばして、地面を掘り返したり、写真を撮ったりしている。科学の発展には目を見張るばかりだ。 一方で、この地球上でよくわからない病気が発生している。大分で見つかった鳥インフルエンザがそうだ。私もインフルエンザにかかったが、ここ数年出てきた「タミフル」という、ウイルスを減らす薬によって、高熱は1日だけで済んだ。 人類は一つ一つ科学の力によってこういった疫病を退治している一方で、この鳥インフルエンザやSARSなど、新種の病気に悩まされる。不思議な因果である。 |
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「忘れられた日本人」 (生後542日) |
2004,2,16
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せっかくカンを洗ったのに、今日の午前中のような猛烈な北風を浴びては、カンはまたホコリまみれになってしまったことだろう。まあ、仕方のないことである。 今日は、先日読み終わった『忘れられた日本人』…宮本常一著…の感想を書いてみたい。 この本に関しては、日本史の大家、網野善彦氏が『「忘れられた日本人」を読む』なる本を出しているほどの名著とされる。宮本氏はもう亡くなられているが、民俗学者で、学歴もたいしてなく、どこかの大学の先生をしていたわけではない、民間の学者さんだ。自ら日本中を歩き回って、古くからの日本人の生活や、生産の方式などについて克明に記録を残している。そのやり方は、村の長老に聞くことや(この本はその部分が多い)、古文書を調べたりすることによってである。 面白かった部分には、例えば、村によっては女性の、それも年配の女性たちの寄合のようなものがあり、それが若い女性たちの抱える問題に相談に乗ったり、解決のために動いたりすることが多く、村の重要な組織の一部だったことがある。こういった、歴史の表に出てこない、しかも重要な老女たちの組織のことなど知らなかったし、現在もしあれば、若い人たちの大きな指針になるのではないかと思った。 他に、日本中を奔放に旅してまわる「世間師」なる人たちが、江戸後期から明治にかけて存在していたこと。芸人は船賃などただだったとか、文字を知らない人と、知っている人の間の、ものを見る感性の差であるとか、「油を売っている」という言葉の語源だとかが、私の興味を引いたことである。 江戸後期は農民の階層分化が激しくなっていったと歴史の本に書いてあるが、実はそうでもない村もあったのだとか、歴史の常識を覆すようなことを、丹念な実地踏査で明らかにしている。 歴史といえば、有名な武将や政治家だけの話と思い、それも確かに面白いが、実は名もなき庶民の豊かな風習・文化が今の我々の生き方に示唆を与えるのではないかと感じた。 画像は、「クリスマスローズ」の花。 |
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カンを洗う (生後541日) |
2004,2,15
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また冬に逆戻りしたような強い北風が午後から吹き荒んだ。こんな行ったり来たりの天候のためか私の体調は優れないようで、午前中は半ボケ状態。何もする気が起きず、コーヒーを何杯か飲みながら『仏教が好き!』という河合隼雄と中沢新一両氏の対談集を読んでいた。 11時頃風の割に外は暖かいので、カンを洗った。小屋の中で熟睡していたカンを引きずり出して風呂場に引っ張り込み、妻とふたりでごしごしと洗った。今日は悲鳴を上げることもしなければ、暴れもせず、多少抵抗しただけで洗いきることができた。ものの20分くらいだった。よく拭いて外へ出すと、日光に細かい綿毛が反射する。少しはきれいになったと思うが、今日に象徴されるように、2月3月は風が強いので、またすぐ汚くなってしまうだろう。その時はまた洗えばいいと思うことにする。 午後は父の病院へ。熱が若干下がってきたとのことで、少しホッとした。母もそんな感じで少しリラックスできたようだった。 帰宅後、カンを連れて強風の中歩いた。陽が沈んで少しだけ赤みの残った空の見える北西の方向に最初向かうのだが、砂ぼこりが巻い立って時折目に入る。30分少しが限界で、いつもより短めに帰ってきた。カンは少し興奮気味で、洗ったせいなのかなと思った。 |
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春一番 (生後540日) |
2004,2,14
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父が倒れて2週間たった。病状は大きくは変わりがないが、昨日から熱が出て困っている。ドクターも血液製剤を投入したりと、いろいろ治療を続けてくれている。1週間くらい熱に悩まされるかもしれない。母は、ほぼつきっきりで看病してくれているが、母の体の方も心配だ。そんなに若くはないからだ。 午前中は少し庭いじりをして、午後病院に見舞いに行ったのだが、南西の風が随分強くて、砂ぼこりがあちこちで立っていた。暖かい風で気温も16℃くらいまで上昇した。「春一番」だ。これは、立春から春の彼岸までに吹く強い南風のことを指す。 帰宅してから、カンの散歩に出かけた。17時過ぎで、ちょうどあたりは暗くなり始めていた。いつも行く散歩道の途中にある梅畑に植えられている、白加賀という種類の梅は、南向きの日当たりの良いところから、つぼみが割れて咲き始めている。ここのところの散歩のように厚着をしなくても寒くない温度だったが、こんな空気を吸うと早春の息吹を感じてしまう。日暮れの景色とともに、なぜだか物寂しい気持ちになって、胸がいっぱいになってしまった。父の苦しんでいる姿を見た後だったからだろうか。 季節はわずかながらでも歩み始めた。本格的な春を迎える頃には幾分でも良くなって欲しいと願う。 画像は庭の片隅に咲いた「クロッカス」。 |
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突然の贈り物 (生後539日) |
2004,2,13
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明日はバレンタインデー。誰かから、何かを突然貰うなんていう幸福は、一生に何度もあるものではない。正直に言えば、私はそんなサプライズなプレゼントを貰った記憶がどうしても引き出せない。もちろんバレンタインデーのときはなおさらである。 高校生の頃、好きな女の子がいて、もしかして私の靴箱にチョコレートを忍ばせておいていてくれないかなあと、こっそり手探りで探してみたことを告白する。さらに、教室に行って自分の机の中に何か入っていないか、やっぱり探ってみたが、何も入っているわけはなかった。 もちろん妻からは、私のリクエストで、チョコが嫌いなのでクッキーを買ってきて貰ったことがある。しかし今年は何も頼まなかった。今は父のことで、いろいろなことを控えておきたい気分だからだ。 何かを与えずして、何かを得ようというのは、基本的に無理な話である。もし、何もしないで幸運が転がり込んできたときは、案外その後が大変だったりする。宝くじが当たったときなどそんな感じではなかろうか。 「ふたつよいことさてないよ。」とは私の好きな心理療法家の河合隼雄氏の言葉であるが、私も同感である。コツコツ努力してこそ本物が手にはいるのだろう。 それでも、びっくりするほど嬉しい贈り物を貰ってみたいと思うのである。ねえ、カン! |
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冬の第三角形 (生後538日) |
2004,2,12
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父の状態は安定しているというか、ぱっとしないというのか、とにかく落ち着いているので、我々の気持ちもいっときの興奮状態からはやや抜け出しつつある。 そういえばこのところカンの散歩も、楽しく行くという感じではなく、義務感に駆られて、といった感じだったと思う。 今日の私は、仕事から帰ってきてゆったりとした気持ちで散歩の準備をしてから散歩に出かけたので、楽しむ、とまでは行かなかったが、あまりせかせか時間を気にせずに歩くことができた。今までは、歩いていても、父のことや諸々のことが頭の中に一杯で、カンに心を寄せることができなかった。 今日は、歩いている途中で、星空を眺める余裕さえあった。東の空に冬の大三角形が見える。おおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオンだ。この3つの1等星を結ぶと冬の大三角形になる。星々は、少し春を思わせる靄のかかった空気の向こう側に映し出されていた。今日は日中、埼玉地方で13℃まで気温が上がったらしい。1日中室内にいたので感じられなかったのだが。明日もそれくらいまで上がるそうである。少しだけ外へ出て、職場の庭の様子でも見てみようかと考えている。 私が穏やかな気分だったためかはわからないが、カンが3回も大便をした。全く通じがいい犬である。 画像は冬至梅。 |
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蹴りたい背中を読んで (生後537日) |
2004,2,11
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穏やかな建国記念の日だった。ここのところの疲れのためか、朝起きられず、何と起きたのは午前10時半。こんなに寝たのは久しぶりだった。午後はパンジーの植え付けをした。冬枯れて寂しかった我が家の庭にも少しだけ春の彩りが加わった。夕方は所用があったので出かけた。 さて、昨日に続き、今日は綿矢りさ氏の『蹴りたい背中』の感想を書いてみたい。 『蛇にピアス』を読んだ後に続けて読んだためか、この作品はどこにでもありそうな日常の風景に感じ、少しホッとした反面、物足りない気分にもなった。内容は、友人のいない女子高校生の細やかな心理描写と、同様に孤立している男子との微妙な関係についての物語だ。最終的には、孤独を好むこの主人公が、一方で誰かと繋がっていたいという気持ちに少しだけ気付かされるという筋立てである。この気持ちは、高校生だけでなく、生きている誰しもが多かれ少なかれ抱く心持ちであるから、この作品を読む人にみな共感を呼ぶだろう。そういえば私も高校時代、昼飯を食べる友人がいなくてひとりで食べた後、することがないので校舎内をぶらぶらと午後の授業が始まるまで歩いたことを思い出した。孤独でいい、という一方、誰かに関心を持たれたいと思う気持ちが同居するのは私も同じだった。今もそうである。 とにかく綿矢氏は文章がうまい。この作品は約1年かけて推敲しながら書いたそうで、一文一文実に無駄がない。それだけでも才能を感じてしまう。さらに、微妙な心の陰影を描き出すのが実に巧みだ。ああ、こんな気持ちわかる、という場面が多々あった。ただ、太宰治が好きだという綿矢氏だが、現在の太宰的な要素を多く持つのは金原ひとみ氏の方ではないかと思う。 それにしても良く書けているので、皆さんにもご一読を勧めたい。 |
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蛇にピアスを読んで (生後536日) |
2004,2,10
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「蛇にピアス」を読んだ。金原ひとみさんの芥川賞受賞作だ。 ここのところの芥川賞作品と同様に暴力、セックスの描写が随所に見られ、さらに自傷行為とも思える主人公のピアスを舌に入れ、最後にはそれを切って、は虫類のような舌を作る行動や、入れ墨入れる行動が描かれていた。 もちろん私の日常からは縁遠い世界だと思ったが、その心理構造に関しては類似している部分はなきにしもあらずである。心理学を少しかじったことのある私は、主人公を含めて、登場人物の家族が全く描かれていないこと。逆に言えばなぜ家族から離れて10代の青年たちが生活をしているのかに疑問を持った。複雑な家族関係が背後にあるのだろうと類推させる。ただ、作品には家族のことを書く必要もなければ、主人公が自傷行為をする理由について説明する必要もない。読者が想像をふくらませればよいだけである。そう考えれば、金原さんは、きわどい世界を、多少の物語性と、登場人物たちの構造を淡々と描写することだけで良かったわけである。 そうは言いつつも、なぜ主人公は自らを破壊しようとするのであろうか。己の肉体性を拒否し、純化した精神だけを残そうとしているのか。そもそも生きていることが苦痛で、死を早めようとしているのか。生の実感が痛みによってしか得られない主人公は、私にとっても身につまされることである。 とにかく、こういう暴力性は、私はあまり好まないけれども、現代社会の生きにくいある部分を鋭く描けている小説であると感じた。 |
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父の治療 (生後535日) |
2004,2,9
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昼前、私の携帯の着信に、病院からの履歴2回があった。父の様子に急変があったのではと、びっくりして電話をしてみると、ドクターが呼吸を気管を切開してやる方法に変えたいので、説明をするから来て欲しいという。私は、最初、仕事で重要な会議があるから、お任せしますと言った。しかし、私の同僚が、こんな時は行った方がいいよ、と言ってくれたので、午後有休を取って病院に向かうことにした。病院までの50分くらいは本当に長く感じた。 行くと、しばらくしてドクターと会うことができ、説明を受けた。意識障害が強いので、なかなか難しい状態であるとのことであった。気管切開はすぐやると言う。2,30分で終わりますよ、と言うので待っていたら、1時間たってもドクターが出てこない。私の不安はピークに達した。手術がうまくいっていないのでは、というつまらない妄念が頭に浮かぶ。やっとそれから10分くらいして、涼しい顔をしたドクターが出てきて、これで呼吸が楽になりますよ。と言ってくれた。時間が長くかかったことについてはあまり細かくは聞かなかった。 それからレントゲンを撮って、父はまた眠り続けることになった。しばらく様子を見ていたが、看護婦さんが大丈夫ですよ、と言うので病院を後にした。 それにしても、肉親の病は不安にする。くよくよしやすい私には辛いのである。 帰宅後、カンの散歩で一汗かいた。少しじゃれて遊んであげた(画像のように)。 |
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春なお遠し (生後534日) |
2004,2,8
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気温こそ高くはならなかったが、風がなく穏やかな1日だった。光の春、というが、以前に比べればかなり日光を強く感じるようになってきた。 午前中は本を読んだ。私はどうも目覚めが悪い方なので何かしようとしても、午前中は体がいうことを聞かない。最近はつとにその傾向があるので、コーヒーを何杯か飲みながら(デミタスカップで)、読書をするのがちょうど良く、心地よかった。背中に太陽の光を浴びて、光だけの春を楽しむ感じだった。 午後になって、少し庭仕事をした。ホースの先端に付けてあった噴霧器が壊れたので、付け替え、パンジーなどに液肥を与えた。固形の肥料も追加した。花がら摘みはプリムラにだけ行った。 東京国際マラソンが終わった頃、選挙に出かけ、そのまま父の病院に向かった。父の同僚の方や、甥っ子(私の従兄弟)の方などが見舞いに来てくれて、父も嬉しかったに相違ない。ただ、状況はやはり半濁状態であった。しばらくは待つほか無いだろう。いろいろ刺激を加えた方がいいということで、カンの写真や、犬のぬいぐるみなども持っていって見せたり触らせたりした。目で追うものの、はっきりそれと認識しているかはよくわからなかった。ただ、手を握ってくれと頼むと、握りかえしてきたのは事実である。また、瞬きの回数が前回よりずっと多くなってきた。良い徴候と捉えたい。ただ、まだまだというのが実感で、「春猶遠し」といったところだろう。 画像は我が家の庭に咲いた福寿草。 |
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数寄屋侘助 (生後533日) |
2004,2,7
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夕方まだ明るいうちにカンの散歩に出かけた。風邪も治ってきて久しぶりにのんびりと散歩することができた。風は冷たく、やや強く吹いていた。しかし、随分陽が延びたものである。5時を過ぎてもまだ明るい。こんなところは春の気配なのだと思う。下を見ると、畑の脇に、ホトケノザやオオイヌノフグリの花が咲いているのが見られた。気温は1月と同じなのに、どうして季節がわかるのだろう。不思議である。 我が家の椿のうち、「数寄屋侘助」が咲いた(画像)。いつもは3月に入ってからなのに、1ヶ月も早い。日だまりの暖かいところに植えてあるためなのか、それとも少し季節を間違えたのか。この花は茶花として使われる。そもそも「数寄屋」という言葉の意味は、茶室、とか、茶室風の建物、という意味だから、名前からして茶花である。昼間見た花を思い出しながら、夕飯の後、お茶を入れて(普通の煎茶)飲んでみた。 父が倒れて1週間がたった。あの時は私も高熱で、本当にパニック状態だった。父は顔色が少し良くなってきたと、母から報告を受けた。明日は行ってみるつもりだ。 |
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飼い主のことがわかる犬(生後532日) |
2004,2,6
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夜、テレビを見ていたら、忠犬の話をやっていた。車で事故が起きたとき、飼い主とハンドルの間にとっさに入って、エアバッグの役割をした犬がいたという。さらに、その犬はその事故の後、行方不明になっていたのだが、2週間して飼い主のもとに戻ってきたのだという。6kg痩せて、毛並みもぼろぼろだったという。私と妻はこの話を見て少しうるうる来てしまった。 実は、我が家のカンも、ここのところ調子が悪くて、緊張が取れない私に、家の中に上がっている時に、私にすり寄ってきて、体をこすりつけてくるのだ。それに、私が行く先々に、まるで心配しているかのようについて歩く。普段では考えられないことだ。いつもは、捕まらないために私が近づくと飛んで逃げるのである。 犬はきっと飼い主のことが分かるんだね、と妻と話した。今日はやっと私の気分もやや持ち直し、カンをかまってあげられるくらいまでの状態だったためか、心配そうにすり寄ってこない。かえって逃げ回って、遊びを求める。本当に私の調子を心得ているかのようだ。 ペットとは不思議なものだと感じた。 |
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スノードロップ (生後531日) |
2004,2,5
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今日は本当に疲れた。日記も短めに。と言いつつ最近どんどん短くなってきているのですが。もう少し立てば、例えば3月になれば少し余裕も出て参りましょう。 真っ先に春を告げる「スノードロップ」という球根植物が咲いている。(画像)福寿草も顔を出した。もしかしたら日中花開いているかもしれない。 でもまだまだ寒いですね。 明日も北風が強いようです。 |
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立春 (生後530日) |
2004,2,4
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今日は立春。春は今日からその歩みを始める。関東地方は比較的穏やかな晴天だった。 私は、昨日は仕事を休ませてもらって静養したので(しかし持ち帰りの仕事はやった)、今日は朝から仕事に行った。やはり、まだ本調子でないせいか全体に体がだるい。また、期限付きの仕事を抱えているのだが、少し集中してやると、疲れてしまう。したがって少しずつ、休み休み進めることにした。 帰宅して、カンの散歩を後回しにして父の様子を見に行った。車で35分くらい。相変わらずだったが、昏睡というより、混濁という感じに変わってきた。看護婦さんが「手を握って!」と父の手を触ると、握り返すことがあるそうだ。私たちが行ったときも、薄目を開けて、何となく私たちが来たことが分かるようだ。「じゃあ、帰るよ。」というと、動く左手を動かした。売買という意味に感じられた。 看護婦さんによると、脳関係の患者さんは、三寒四温で、良い日と悪い日があるのだそうだ。波があっても、少しずつ春に向かって欲しいと思った。 |
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節分 (生後529日) |
2004,2,3
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今日は節分。季節を分けるというところから来ている言葉だ。暦の上では冬は終わり。しかし、寒さはまだまだ続くだろう。ただ、節分、立春から、だんだんと暖かくなる春への第一歩だと考えるべきなのだ。 私の体調も、気分も少しづつではあるが上向き始めた。風邪の方はほぼ平熱に下がり、体のだるさがとれてきた。ぎっくり腰も快方に向かってきている。問題は不安定な気分の方だが、確かに今日も父の容態は変わらず、昏睡を続けているのだが、その状態に慣れてきたというのか、倒れたときのショックが薄らいできたためというのか、少しずつではあるが落ち着きを取り戻しつつある。たぶん、風邪で衰弱していたため心の方も余計に落ち込みがあったのだと思う。幸い母が気丈に看病していてくれていて助かっている。フランスの妹も連絡を取って来てくれて、嬉しかった。 父の容態も節分を期に上向いてくれることを祈りたい。 |
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久しぶりの雨 (生後528日) |
2004,2,2
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久しぶりに雨が降った。 父の容態は変化がないようだ。相変わらず昏睡状態である。手術は成功したとのことで、医者の話によると、経過はよい方だという。こうなると、事態が急変するということはないだろう。そうなると今度は、欲が出てくるもので、意識が戻ってくれたらと願ってしまう。もう少し父には頑張って欲しい。 私の方は、熱が下がってきて、微熱程度になってきた。しかし父のことが気になって、食欲が湧かない。父のいろいろな思い出や、言葉が胸を去来し心臓がどきどきしてしまう。どんな人でも肉親が病に倒れる辛さを味わうのだから、私だけがと言うわけではないと分かっているのにだ。私は本当に心が弱いと思った。でもそれは、他の人々もそうなのでは、とも思う。 仕事の方は、午前中だけ行って、私の分担を他の人に頼んだ。こういうときは仕方がないだろう。 カンも飼い主が落ち着かないためか、あまりかまってやれないためか、寂しがっている。 カンよ、父のために祈ってくれよ! |
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なるようになる (生後527日) |
2004,2,1
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昨日の朝体温を計ると、38、5℃ある。医者に急に体温が上がったらインフルエンザだといわれていたので、午前中医者に行って、診て貰い、インフルエンザの薬をもらって飲んだ。午後はずっと寝ていた。 夕方、電話が鳴った。父が倒れたという。さいたま市内の病院からだった。私は妻とともにすぐ向かった。医者にあって話を聞くと、脳出血だという。緊急手術が必要だそうだ。私は承諾書にサインをした。ただ、私も高熱なので、ベッドのある部屋を無理言って用意してもらった。手術の間はそこで横になっていることにした。妻の父母も来てくれて、心強かった。父が手術室に向かうとき、みんなで、「がんばれ!」と声をかけた。すると父は、意識を失っているはずなのに、片手をあげて、手を振った。少しジンと来てしまった。父はカンをとてもかわいがってくれた。1月11日にも我が家で、カンとはなと遊んでくれた。 母は静岡からだったので到着は夜10半頃になった。また、私はホッとした。手術が終わり、ドクターの説明を聞いて、帰宅するともう、午前2時をまわっていた。私は眠れなかった。 今日の朝は少しゆっくり起きた。ショック療法なのか、薬のせいなのか、私は37℃代前半まで熱が下がり少し楽になった。午後、仕事に向かった。しかしやっぱり辛かった。今日は父の方は母が面倒を見てくれていたので、私は風邪が治り次第手伝えることをしたいと思う。 なんだかバタバタして、今は気を張っているが、この反動がきっと来るだろう。どうにもならないことはどうにもならないので、なるようになると常に考えていきたい。終わらない冬はないのだから。 |
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