柴犬カンの日記2004年10月 



過去の日記 インデックス
冬支度  (生後799日) 2004,10,30
 朝から冷たい雨がしとしとと降り続いた。まだ10月というのにずいぶん寒い。そこで灯油を買いに行ってファンヒーターを出すことにした。灯油も去年に比べるとずいぶん値上がっている。今日は60L買って、約3000円だった。しかしこのおかげで、午後は暖かく過ごすことができた。
 外では冬によく聞く、甲高い鳥の声がする。木々も少しずつ葉を落としているようだった。
 夕方のカンの散歩に出かけると、最初、手がかじかんだ。いよいよ冬近くなってきた。
 画像はカンがまだ幼かった2年前の今頃。

アメリカ大統領選挙 (生後798日) 2004,10,29
 アメリカの大統領選挙が迫っている。あと4日で投票である。日本で選挙があるときには選挙予報を出していたのだが、今回も出してみたい。
 その前に、なぜアメリカの大統領選挙に、私のような日本人が興味が引かれるかという点がある。確かに、最近オーストラリアの総選挙もあったし、インドネシアの大統領選挙もあった。申し訳ないのだが、これらの選挙は私のような日本人にはさしたる影響はないと考える。一方でアメリカの大統領選挙の場合、なんといってもイラクの問題がある。自衛官が場合によっては命を失うかもしれない。このような戦争が繰り返されるかどうかというところが、今度の選挙のポイントだ。また、最近石油やガソリンの値段が上がっている。これも石油がらみのビジネスに手を染めているブッシュ氏に関連しているかどうか。さらに、経済全般の問題。私の給料も年々下がり続けている。その分変寝休みは増えているのだが。一説にはケリー氏が当選した方が、日本経済にとって好ましくないという。
 さて私の予想だが、やはりブッシュ氏。そこそこ差を付けて勝つだろう。ブッシュ氏は人当たりがいい。一方ケリー氏はなんか辛気くさい。アメリカ人はそのように人を見るのではなかろうか。

オオサンショウウオ(生後796日) 2004,10,27
 ここのところどうも頭が冴えない。まるで今日の天気のようだ。曇り空で、時折陽が差すものの、気温は低かった。
 仕事帰りにのどが渇いたので、家の近くの「晩秋」というコーヒーショップでお茶を飲もうかどうか大変迷った。このくらいのことに決断がつかない。なぜならコーヒー一杯400円。家で飲めばいいのではという考えが、頭によぎる。でもここの喫茶店で飲むコーヒーはとてもおいしい。まるで貧困妄想である。
 結局喫茶店に入ったのだが、今度は1杯200円のおかわりを飲むかどうかで頭を悩ませてしまった。これも結局は頼んだ。
 これに限らず、何かを買うときに、お金が底を尽きてしまうのではないかという、考えが頭をよぎる。確かにそんなに金を持っているわけではない。かといって、すぐにでも破産するほど貧しくもない。どのくらいの贅沢が、身の丈に合っているのかぞの位置取りに悩んでしまうのである。
 こんな時には誰かに聞けばいい。しかし最近は友人と会う機会も電話することもなく、こういうときに他者というものは鏡になってくれて、自分の考えが安定するのである。
 画像はオオサンショウウオのようなカン。

カンの活動領域拡大(生後795日) 2004,10,26
 今日もまた冷たい雨が降った。本当に今年の10月は雨が多かった。心地よい気温で、乾燥した空気の中をカンと散歩したのはそんなに多くはなかった。今日のようにカッパを着て、水たまりをよけながら歩いていると、カンがウンコさえしてしまえば、さっさと帰りたくなる。
 また、余震もだいぶん減ってきたようだ。今日は体が揺れているような錯覚に陥ることも少なくなってきた。
 最近のカンは、家の中にはいると、ひとしきり1回の今などをぐるぐる回った後、我々人間が下にいても、いつの間にか2階に上がって和室でごろりとなっていることが多くなった。カンの家の中での活動領域が拡大したのだ。自主的に階段を上るようになったのは、今年8月の雷の時に、おびえて、我を忘れて会談を駆け上って以来だ。いったん登れるようになると、もういつでも登る。我々が外に出そうとして追いかけると、2回に逃げ込むこともあった。カンが階段を自由に上がり下がりするのが私の夢で、練習までさせていたのだが、いざ登れるようになると捕まえづらくて面倒になった。何とも不思議である。
 このまま雨が多い中冬が来てしまうのだろうか。なんだか寂しい。11月は小春日和がたくさんあるといいと思う。
 画像は秋を代表する小菊。

ライオンズ日本一に(生後794日) 2004,10,25
 今日の私にとってのニュースは、ライオンズの日本一の他はない。何せプレーオフに3000円、日本シリーズに7000円かけて応援に行ったわけだから、何が何でも今日勝って欲しかった。しかも西武ドームにいった2試合とも、乱戦だったけれども勝ったのでとてもよかった。ドラゴンズは是非来年、ホークスと日本シリーズをやって、雌雄を決してほしい。
 ただ、ライオンズがすごく強いという感じは、ポストシーズン2試合。レギュラーシーズン2試合見て、あまりしなかった。どの試合も西武投手陣が打ち込まれていた。松坂と豊田以外はあてにならず、その松坂も日によって打たれる。まあ安心して見ていられるのは、打撃のカブレラと和田くらいである。それでもあの強力打線の巨人に比べれば劣るだろう。今年の勝ちは、何となく運があったからのように思えてならない。それでも、97年、98年、02年と日本シリーズに出場してあっさりと負けていたから、今回ぐらいは勝って欲しかった。きっとこれまでの悪運が、今日で帳消しになったのだと思う。
 来年もライオンズが存続していれば、ファンクラブのただ券で見に行きたいと思う。たまには野球もいいと思う。特にカブレラのホームランは一見の価値がある。私も何度か見たし、今回のシリーズ第3戦の満塁アーチには鳥肌が立った。
 テレビで投手の球筋をあれやこれや解説するのを聞くよりも、スタジアムで生の野球を見る方が絶対楽しいと思った今回のポストシーズンだった。
 画像は第3戦の試合前に並ぶ選手たち。

鯰絵  (生後793日) 2004,10,24
 昨日から少し変なカンは、今日もおかしかった。滅多にしない、囲いの中でのウンコをしてしまったのだ。朝晩だけでなく、昼間も少し散歩に連れて行ってあげたのにもかかわらずである。
 また、少し吐いた後も見られた。このような現象は、おそらく地震の恐怖から来ていると私は考えている。何しろ今日も、埼玉付近でも微妙な揺れが続いているからだ。
 話は変わって、江戸時代、特に幕末の安政の大地震の頃、江戸では良く鯰絵が描かれたという。鯰が地震を起こすという風に信じられてきたからだ。確かにナマズは地震の発声する前に奇妙な動きを見せるらしい。おそらく、地殻が摩擦を起こす際発生する電磁波を感じ取っているのではないかという学説がある。
 それはともかくとして、もう一つ、ナマズが暴れて地震が起こると、世の中の価値がひっくり返って世直しが起こると信じられていたようだ。確かに建物やら何やらが崩壊して、今までの金銭の貸借関係やら何やらが、なしになってしまった場合もあったのだろう。また、安政という頃は、いよいよ幕府も滅亡への一歩を歩み始め、既成の価値体系が転倒するような予感があったに違いない。そんな気分が鯰絵を描かせたのだろう。
 今起こっている地震は、人々にどんな影響を与えるのだろうか。
 画像はナマズが酔っぱらっている鯰絵。(江戸時代)

新潟で地震  (生後792日) 2004,10,23
 夕方、浦和レッズ対鹿島アントラーズの試合をテレビで見ながらストレッチをしてカンの散歩に備えた。そして試合はエメルソンの決勝ゴールで無事3−2でレッズが勝利したのを見届けたので、さあ、散歩に行こうかと思っている矢先、最初に小さな横揺れが始まった。それがしばらく続くと、次第に揺れが大きくなり、ここ埼玉でもかなりの揺れが起こった。隣の部屋の本箱から本が何冊か崩れ落ちた。おそらくテレビを早速付けると、新潟で震度6。埼玉では北部で震度5弱、南部で震度4だった。私の感覚では、大きめの震度4だったように感じた。
 少し心臓がドキドキしたが、カンの散歩に行くことにした。暗くなっていたので、それほど遠くには行かず、ほどほどのところで引き返してきたところ、もう少しで家に着くと言うところで、再び、周辺の家の窓ががたがたと鳴り、電線がかなり揺れているのがわかった。ああ余震が起こったんだなあと感じた。歩いていると体では感じられなかったが、周辺の様子でわかるものだ。体でわかるようだと、それは大変な地震だろう。
 さて、その後イタリア料理の店に行って食事をした後、家に戻った。カンがばたついたので入れてあげると。いつもと違って、家の中でずいぶん興奮して走り回った。妻と、おそらく地震のせいじゃないかなあと、話した。
 新潟の人が多く無事であることを祈りたい。また、関東でも、私の実家の静岡でもいつ地震が起こるかわからないと、思いを新たにした。

リンドウ   (生後791日) 2004,10,22
 昨日テレビで、「大奥」という番組を見た。前回のシリーズは、幕末の大奥崩壊の頃を描いたものだったが、今回は大奥が作られた、3代将軍家光の時代を描いている。
 家光は幼少の時から母親から離されて、乳母によって育てられた。その乳母は後の春日局である。一方、家光の弟、忠長は、母親のもとで育てられ、寵愛を受ける。母親は戦国時代の名家の出身で、あの秀吉の側室、淀君の妹であるから、信長の妹お市と、浅井長政の娘である。そんなわけで、夫の秀忠はなかなか妻に頭が上がらない。妻は、寵愛している忠長を将軍に付けようと画策する。
 結果的に、家康の遺志を受け、秀忠は家光を後継と決めるのだが、家光は母親に愛されなかった幼少期のトラウマを引きずって、生涯女性を信用できなかったという。したがって、子どももできなかったのだが、春日局の差し向けた商人の娘との間に1児をもうけ、これが4代将軍家綱になる。
 一方、弟の忠長は、幼少期にちやほやされたが、家光が将軍になると、小さな甲府藩の藩主にされて、江戸から遠ざけられ、家光からは疎んじられ、酒におぼれ、結局半分自殺のような形で死んでいったという。
 江戸幕府初期であるから、徳川家も勢いの良い時期だと思うのだが、それでも権力者はこのように複雑な家族関係の中で生きていかねばならなかったというのは、ずいぶん寂しいことなのだなあと思った。その点、一般庶民は権力闘争に巻き込まれず、比較的平穏に暮らしていける。どちらが幸せかはよくわからないものだ。
 画像は、秋空のもとで美しく咲くリンドウ。

交配失敗  (生後790日) 2004,10,21
 はなの生理が来て、交配に今回は2回チャレンジしてみたが、再び失敗してしまった。理由はどうもはなの生理の不順にあるようなのだ。はなの陰部は、出血が始まってから大きくならないで、日がたつに連れて小さくなってしまった。まだはなの体が大人になりきっていないのかもしれない。
 最初に試した日曜日は、カンが乗っかることもあり、カンのペニスも大きくなった。しかし交配にはいたらなかった。次に試したときには、カンはもはやはなに興味を示さず、どうやらはなの生理が終わりつつあるようだった。2回目に試したのは、鼻が出血してから14日目で、柴犬関係の書籍によると、最も妊娠しやすい頃だったというのだが。
 とにかく残念だった。はなの飼い主さんは、もう一度生理が来るのを待ってみて、そのとき試して駄目だったなら、もうあきらめて、不妊手術をしようと考えているようである。
 なかなかこればかりは難しいものだと痛感した。
 台風一過で、昼過ぎから晴れてきた。ここ2日間雨が降り続いたので、久しぶりにさわやかな空気の中での散歩となった。しばらくこんな日が続いてくれればと思った。
 画像は交配しようとしたときの画像。手前がカン。後ろがはな。

犬をはねる。  (生後789日) 2004,10,20
 今日も昨日に引き続いて1日雨が降りしきっている。
 昨晩、西武ドームから車で帰宅する最中、ちょうど夜11時頃だったと思う。所沢から川越に向かう1本道を走行している最中、その出来事は起こった。
 小雨が降り続いて、車道を走る車もあまりスピードを出していなかった。40kmちょっとじゃなかったかと思う。私は前の車から4〜50m離れて走行していた。
 するとそのとき、突然左側から、大型のゴールデンレドリバーらしき犬が、私の車の目の前に飛び出してきた。犬と私の車の距離は10mくらいだった。私はとっさに右にハンドルを切って、その犬を避けようとしたが、間に合わなかった。私の車の左前方の角が、犬と衝突した。ゴンと、鈍い音がした。今思い出しても嫌な気持ちになる。
 幸い、片側1車線の道だったのだが、対向車が来なくて、大きく反対車線にはみ出して正面衝突はしなかったのだったが、ぶつかったことは確かなのである。その後後ろをバックミラーで確認すると、後続の車は、犬を避けることもなく、そのままついてくる。どうやら犬はぶつかった衝撃ではねとばされたか、自力でもといた方向に逃げ出したようだった。どうやら即死ではないようだった。私は止まって様子を見たかったのだが、後続の車両がどんどん来ていて、止まるに止まれず、そのまま、車もそれほど破壊されていなかったようなので、進むことにした。しかし帰りがけの道の間ずっと、その犬の安否が心配だった。帰宅して車を見ると、バンパーがだいぶんへこんでいる。今日、修理工場に持って行ったところ、バンパーを取り替えるのに5万円弱かかるという。二重のショックである。
 しかしどうしてあの犬は、あの時間、一人で道を横切ろうとしたのだろうか。飼い主の姿はなく、綱も付けていなかった。放し飼いにされていたのか、それとも脱走していたのか。または、飼い主に捨てられて野良犬だったのか。しかも車が連続している中で、どうして犬好きな私の車の前に飛び出してきたのか。私は運命を呪った。そんなことを考えると、床についても寝付けず、結局朝の4時半まで起きていた。
 カンも脱走したことが数回ある。こういう目に遭ってしまうかもしれない。皆さんもできる限り、犬は放さないようにして欲しい。飼い主だけでなく、車に乗っている方も、大きなダメージを受けるからである。
 本当に悲しい出来事だった。今はあの犬が無事であることを祈るしかない。
 画像は、台風で家の中に入れてあるカン。

日本シリーズ第3戦  (生後788日) 2004,10,19
 雨の中、日本シリーズ第3戦を見に行った。7000円の席で結構良く試合が見えるところだった。それにしても、空席が目立った。やはり西武は人気があまりないようだ。先日のレッズ戦の5万8千と比べると、だいぶん寂しく感じられた。
 試合前には、ライオンズファンの松崎茂がライオンズの応援歌を歌って場内を盛り上げた。続いて始球式では、ハリウッド俳優のトム・クルーズが登場し、場内は一段と歓声に包まれた。
 さて、試合の方だが、ライオンズ帆足、中日ドミンゴの両投手が好調で、序盤は0対0の拮抗した戦いだった。4回にライオンズがフェルナンデスのタイムリーとカブレラのホームランで先制し、一時は4対0と突き放した。しかしドラゴンズが猛反撃。1点を返してさらに谷繁の満塁ホームランで逆転した。6対4になったときには、中日の中継ぎ陣の良さからして、もはやこれまでと思ったものだ。寒くなってきたし、帰りたくなった。
 しかし7回、ライオンズは満塁とすると佐藤の2点タイムリーで追いつき、さらにカブレラの満塁ホームランが飛び出した。その劇的なホームランで私は鳥肌が立った。
 私はそれほど熱烈なライオンズファンではない。シーズン中も勝ったか負けたかなんてほとんど気にもしない。しかし、日本シリーズというものは勝ち負けが大いに気になるのだと、今日改めて思った。私は3塁側に入ったので、ドラゴンズファンが威勢がよい。そんな中で持ってきた応援用メガホンも隠し持っていた。しかし7回には封印を解いて、大いに応援した。いつもセリーグに注目が集まる中、地味な西武に頑張って欲しいという気持ちが沸き起こってきたのである。ピンチになるとかなりドキドキした。最後9回は守護神豊田がぴしゃりと押さえた。とにかくかって良かった。わたしがみたなかでは、97年の日本シリーズ第2戦以来の、シリーズでの勝ちだった。
 さて、この帰路、私にとって2重にショッキングな出来事が起こった。これについては明日お話ししようと思う。
 画像は大活躍した両チームの外国人選手たち。投手交代の間に何か話していました。

アイデア  (生後787日) 2004,10,18
 秋晴れも今日までで、明日からはまた台風の気配におびえなければならない。
 こう単調な日々が続くと、日記に書くことも思いつかない。もちろん私の脳が、活性化していないせいもあるだろう。そういうときは、カンの子犬時代の頃の写真を眺めてみる。今もかわいいけれど、あのころは本当にころころしていてかわいかった。でも、飼う立場からすると、病気やけがが心配で、1日家におきっぱなしにしておくのがずいぶん不安だったことが思い出される。(画像)
 今、論文を書こうと、いろいろ思案そしているところなのだが、なかなかいいアイデアが思い浮かばない。やはり、書き物というものは、アイデアいかんだと思う。文章力はその次である。
 今日、大学へ向かう車の中で、はっとアイデアがひらめいた。私はうれしい気分で車を走らせて学校に着いた。ところ我である。大学で昼食を取って、食休みしているときに、一体何を思いついたのだろうかと思い出そうとしたのだが、いっこうに思い出せなくなってしまったのである。全く痴呆症にかかったみたいである。私も人生半ばを過ぎて、少し記憶力が衰え始めてきたようだ。それから何度も思い出そうとしてみたのだが、どうしても思い出せない。記憶の糸口を探しても無駄なのである。これには悲しかった。
 ちなみに、「アイデア」という言葉は、古代ギリシャの哲学者、プラトンの説いた、「イデア」から来ているという。イデアとは理想のようなものを指す。
 もうあきらめて、また明日からいいアイデアが脳裏に浮かぶのを待つこととした。

秋晴れのスタジアム(生後786日) 2004,10,17
 気持ちのよい秋晴れの中、埼玉スタジアムで行われた、Jリーグ戦の浦和レッズ対横浜マリノスの試合を見に行った。
 好カードということもあって、5万8千を超える人が詰めかけた。そういえば、11月の最初に行われるナビスコカップの決勝は、なんと30分で完売になったという。レッズの人気を示す数字だ。
 レッズファンはいろいろなグレードがある。コアなファン。どんな条件でも応援に行く。イギリスにまでチームについて応援に行ってしまう人もいるくらいだ。次に、都合がつかない場合以外は応援に行く人。そして最後に、私のように、年に何回か応援に行くファン。今日は3番目のファンも多く会場に詰めかけた。スタジアムはほとんどレッズファンだった。
 ビーズというバンドがある。このバンドの固定ファンは日本でだいたい25万人いて、CDが出たら必ず買うそうだ。だからオリコンで発売と同時に1位になるのだそうである。レッズの場合も同じだろう。
 試合は、前半はレッズの攻勢。後半はややマリノスが優勢な感じだったが、両チームとも決め手を欠いて、結局0対0の引き分けに終わった。レッズとしてはこれで良かったのではないかと思う。負けなかったことで。
 さて、あさっては今度は日本シリーズに行く。どうもこちらはチケットが売れていないみたいである。
 それから、今日、カンとはなの1回目の交配を試みたが、失敗に終わった。今週あと2回試してみたいと思う。

熊は誰?  (生後785日) 2004,10,16
 一転して今日はまた曇り。寒々しい1日だった。曇ったのは関東だけだという。でも、夕方、夕焼けが見られたから、明日こそはすがすがしい秋晴れになるだろうと、祈りたい。
 さて、昨日の熊の件だが、熊とは一体誰のことなのだろうか?
 というのは、精神分析では、夢に出てくる登場人物は一体誰を象徴するかを、分析医とクライアントが話し合い、そこからクライアントの持つ問題点の解決の糸口を探っていこうとするのだ。
 熊が痛めつけられている姿は、まず第一に考えられるのは私自身である。でも、私は殺されもしないし、麻酔銃で撃たれて眠らされているわけでもない。イノシシの罠に間違ってはまってしまったわけでもない。
 広く考えれば、現代社会の管理下におかれ、自由を奪われてしまっているのかもしれない。動物園の動物たちはかわいそうだといって、解放する運動をしている人たちがいる。私も動物たちはかわいそうだと思う。逆に、エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』の中で、人々はあえて、とらわれの身を選ぶ場合があると説く。私などはその例なのか。
 第2の仮説は、昨日示したように、熊はカンであるという説。でもカンはすでに私の心の大半を占めているから、カン=私、という図式が成立する。ということはやっぱり、熊=カン=私、ということになるのかもしれない。
 画像ははなの姉妹犬「さくら」ちゃん。

熊を放つ  (生後784日) 2004,10,15
 久しぶりに秋晴れとなった。日中は少し風が強かったが、カンの散歩に行った夕方は風もやみ、すがすがしい気分だった。
 最近山に近いところで、熊が出没するという。理由は、テレビなどの報道によると、台風で山の木の実が落ちてしまい、それがネズミなどの小動物に食べられてしまったこと。また、この夏の酷暑で、そもそも山の幸が少なかったこと、があげられている。えさ不足で里に下りては、柿の実を食べたり、鶏小屋を襲ったりしている。もちろん時には人間にすら襲いかかる。
 映像を見ていると、人里に出てきたために、猟友会のメンバーによって射殺された熊の死体が出てきたり、小熊が水路の中に隠れて、ぶるぶると震えている姿が見られる。私は熊殺しが、残酷に思えてならない。何とも悲しく、寂しい思いにとらわれる。
 妻にこんなことを言うと、熊が人里に来たら危ないから、殺すのは当然でしょ、という。結構クールである。私の家のそばには熊が絶対来ない。平野のど真ん中あるからだ。だから悠長に熊がかわいそうだと言えるのかもしれない。それでも、できたら、熊は射殺せずに、麻酔銃で眠らせて、そっと山に返して欲しいと思う。
 ずいぶん昔に、『熊を放つ』という小説を読んだことがある。『ガープの世界』や、『ホテル・ニューハンプシャー』の作者であるジョン・アーヴィングの処女作で、村上春樹が訳している。細かい内容は忘れたが、動物園の熊を解放しようという計画を実行する話だったように記憶している。かなりシュールな作品だ。
 人里に出てきた熊の姿を見ると、なんだかカンに見えてくる。熊が撃たれるのは、カンが撃たれるようにも見える。
 かわいそうな熊よ。

虚無感  (生後783日) 2004,10,14
 カンはここのところの涼しさのせいか、いたって活動的になった。散歩の時はぐいぐい引っ張るし、家の前の空き地に行けば、遊んでくれよとばかり、綱をくわえて右に左に引っ張る。たっぷり散歩に行ってもう満足だろうと思って安心していると、ばたばたとガラス戸をたたく。そこで家の中に上げると、和室に行って、我々を挑発して、くるりくるりと回転する。
 この夏の酷暑の頃のだらけて疲れ切っていたカンに比べると大違いである。えさを食べる量も増え、その分ウンコの量も増えた。
 日中、雨ばかりで、太陽の光が当たらないのがストレスの原因なのか。よくわからないが、元気なことはいいことだ。
 それに比して、私はどうも元気が出ない。何もする気力が起きないのだ。アンニュイという言葉が適切なのか、アパシーなのか、それとも一昔前の小説家がよく使っていた「虚無感」というやつなのかよくわからない。それでも何かしようと思って、今週の日曜日には、カンとはなの交配を予定し、午後はレッズ戦を見に行く。また、日本シリーズのチケットを取れれば取って、見に行きたいとも思う。
 何とか私の脳を興奮させようと躍起になるが、これがまた成果を上げない。果報は寝て待てなのか。

新デジカメ   (生後782日) 2004,10,13
 なかなかすっきり晴れない。今日も朝のうち雨が降り、午後からもどんより曇った1日だった。湿気も強くて、そのせいかおなかの調子がいまいちで、何回かトイレに駆け込んだ。
 昨日買ったデジカメは富士フイルムの出している「fine pix F710」というやつだ。それまで使っていたものが同じメーカーだったので、操作の仕方が似ているだろうと思い購入した。他のメーカーのものもいろいろあったのだが、どれがよいのかわからないし、違いもよくわからない。店員に聞いてみたところ、難しいことをいろいろ説明を受けたが、どうもしっくりこない。
 前回のものは、初めて買った入門用のデジカメで、2万円ジャストの最低ランクのものだった。今回は少しランクを上げようと思ったのだ。最近のものは、単3電池が使えないものが多いらしい。また、いつの間にかスマートメディアという記録用のメモリーはなくなっていて、今回のものはXDカードなるものに変わっていた。
 早速今朝庭の花々を撮ってみたのだが、前の機種に比べて格段にきれいにとれる。今日の画像は秋明菊だが、新しいもので撮った。
 いろいろインターネットで調べてみると、このデジカメの欠点は、電源を入れてしばらく時間が経つと、省電力モードに切り替わるのだが、再び撮影モードにするとき、いちいち電源を入れ直さなければ行けない点らしい。確かにそれは面倒だ。でも、この新しいデジカメで、また、カンや花々、そして旅行の風景などをいっぱい撮ってみたくなった。

カン、カレンダーに載る(生後781日) 2004,10,12
 やれやれ、また雨である。気が滅入って仕方がない。こんな時に何か幸福感を得るにはどうしたらよいのだろうか。私にはわからない。
 とりあえず、昨晩は応援する浦和レッズが、ナビスコ杯の決勝に歩を進めることになり、同じく西武ライオンズがプレーオフを勝ち抜き日本シリーズに進むことになった。・・・名古屋ファン、ダイエーファンの人ごめんなさい・・・
 野球などはすごい試合で、手に汗握るシーソーゲームだった。にもかかわらず、私の幸福感は満たされない。最近私は、消費することで、わずかな快感を得ているようだ。今日もデジタルカメラを買った。4万5千円した。また、ベルトと靴下も買った。少しだけ、脳のどこかが興奮を覚えた。こうやって消費を続ければ、いつかは経済的な破綻が訪れるだろう。
 現代社会に住む人は、多かれ少なかれ消費することで欲望を満たしている。消費する主体となったことで、民主社会の1個人として、個の自立を達成しているのである。世の中の多くの人は、その消費力で人を判別する。私などは社会からお呼びがあまりかからない方だ。何しろ持っていない。たまにお金を持って店頭に立つと、アルバイトの店員でさえ、「いらっしゃいませ〜〜」と愛想よく歓迎してくれる。少しだけ王様になった気分だ。今や女性と子供が強いのも、このためだ。社会は消費してくれるものを愛する。
 まあこんなことを考えていると頭がますます痛くなってしまうので、神が私に「いらしゃいませ〜〜。」といっているだろうと考えながら、今少しそのことを忘れようと思う。
 さて、カンがまたまた出版物に載ることになった。来年版の「柴犬卓上カレンダー」に載るのだ。昨日取材を受けたブリーダーさんに聞いて、うれしかった。というのも、かつてカンが吉本多香美さんに取材を受けたときに、同行した新見さんという女性カメラマンが撮った画像を使うことになったのだという。9月分に、カンと同胎犬「クロベ」と共に幼い頃のカンが載っている。画像がその写真である。
 もしご購入を予定されているのであれば、アマゾンドットコムで「柴犬 卓上カレンダー」で検索すれば、出てくるかと思いますので、よろしくお引き立てください。
 とまあ、店員みたいなことを言って、今日は終わりにしたいと思います。

秋季埼玉展見学  (生後780日) 2004,10,11
 曇天の中、日本犬保存会の秋季埼玉展が行われた。
 まだ会場の駐車場には、先日の台風で降った雨がたまって、あまりいい状況ではなかったが、雨はほとんど降らなかったので、まあよしとしなければならないだろう。
 私も妻とカンを連れ立って、会場に向かった。だいぶん遅くなってから行ったので、ついてしばらくしたら昼食休憩にはいってしまった。
 会場には、浦和第一荘の家族の方々や、この犬舎から犬を譲ってもらった方々が何組か来ていた。はなの兄弟犬「さくら」ちゃんや、本部賞を2度受賞した、黒胡麻の「どん君」。そしてどんちゃんのあとに雌柴で入った「美美ちゃん」。カンの父犬三郎の子で、母犬はすみれの「そら」ちゃん。そらちゃんは壮犬賞を取った。(画像)他にも、はなと母親が同じの「小梅」ちゃん。はなと父犬が同じで、カンと母犬が同じの「ムク」君。まあほんとに多士済々だった。
 展覧会の方は、相変わらず、どうして子の犬が一番なのか、目を凝らしてもよくわからなかった。
 カンは、少し車に酔ったのか、最初よだれを垂らしていた。しかしだんだん会場の雰囲気になれて、よだれは止まった。こうして多くの犬の中にいると、カンは案外おとなしくて気の小さな犬であることがわかる。「どんちゃん」の試合が終わってから家に帰ったのだが、囲いの中でぐったりしていた。おそらく疲れたのだろう。
 それでも夕方の散歩はたっぷり行ってやった。

犬の幸福  (生後779日) 2004,10,10
 犬の幸福とは?
 カンの様子を1日観察していると、ふとそんなことを考えてしまう。えさをもらい、広いスペースを与えられ、朝晩の運動も欠かしたことがない。そして夜と日中は、ごろりと横たわって眠る。そんな生活をもう2年繰り返してきた。最近は、飼い主から、お菓子や果物をもらう回数も増えてきた。
 思えば、かつて飼っていた「黒柴ボン」も、そんな生活を繰り返して、17年の生涯を閉じた。幸せだったのだろうか?
 「幸福」という概念は、もしかしたら人間だけが持ち合わせているものなのではないだろうか?それを犬に投影しているだけに過ぎないのだろうか?私は最近人間の幸福についてついつい考えてしまう。「幸福」は、人間の生きる意味に通じる。だから、生きる意味が実現されているときに、人間は幸福といえるのだ。
 子孫を残すこと?毎日ご飯を食べられること?苦痛を感じないでいられること?社会に何らかの貢献をすること?テレビで盲導犬の特集をやっていた。無駄飯食いは駄目なのかしらん?
 カンはもしかしたら、生理にはいったばかりの「はな」と交配をして、子孫を残すかもしれない。ボンは子孫を残した。
 明日は日本犬保存会の埼玉展だ。ここで優秀な成績を収めれば、子孫を残すことができるだろう。よい評価を得た柴犬は幸福なのかしらん?
 人間も犬も、自転車を漕いでいるように、立ち止まってしまうと、駄目になってしまうのだろうか?
 昨日も書いたように、何となく時の流れに流されている私が、最近感じている疑問なのである。

時間の知覚   (778日) 2004,10,9
 こうして毎日日記を書いていると、あれ、もう1日経ったんだ、とか、ニューヨークに行ってから、もう1ヶ月以上経ったんだ、と、必要以上に時の流れを感じることがある。
 今日あたり、台風を過剰に警戒して、外にほとんど出ず、家の中で過ごしていると、これでいいんだろうかと疑念が浮かんでくる。ちなみに今日の過ごし方は、午前中、メジャーリーグの中継を見た。松井がラッキーなホームランを打ったのを生で見て、面白かった。
 午後は、DVDで「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という映画を見た。ところがこれが、私の趣味にちっとも合わず、実に退屈な140分になってしまった。とても暗い中身だった。
 カンの散歩は16時頃に、雨が小雨になったのを見計らっていった。しかし、歩き始めるまもなく、風とともに強い雨が降り始めた。近くを流れる川の様子をついでに見てみると、後1mくらいで氾濫しそうな勢いである。水防団員の人たちが出て、土嚢を積む作業をしていた。さすがに強力な台風接近という風情であった。
 とまあ、なんやかやと1日が過ぎ去っていったわけだが、冒頭にも述べたように、最近私にとって時の流れが妙に速く感じてしまうのである。まるで、小学校の頃に、夏休みの終盤戦、後10日になってから、9月の始業式が始まるまでの10日間のようなのだ。
 どんどん日は短くなる。時を知覚する、ということは一体どういうことなんだろうかと、ふと考えてしまう今日この頃である。

地震と台風  (生後777日) 2004,10,8
 先日の地震にはびっくりした。私は、静岡に長く住んでいたので、小学校の時から東海地震に対する警戒感を持っていて、ある意味では地震慣れしている方だと思う。学校では「マイ防災ずきん」を座布団代わりに敷くことが義務付けられていた。
 関東でも、いつ直下型の地震が起きても不思議はないという。だから、地震が始まる前の微動が起こると、それ、いよいよ来たか、と覚悟を決めるのである。
 先日は、埼玉県宮代町で震度5弱だったという。私の住んでいるところでも震度4はいっただろう。本棚に置いてあったフォトフレームが落っこちてきた。ものが倒れたりする地震は久しぶりである。
 浅間山が噴火したりと、次は富士山かなとも思うし、日本列島の地殻が今活発に活動を始めているようだ。
 そして明日は台風が直撃しそうだ。ここ10年来でもっとも強い台風のひとつだそうである。カンは家の中に避難させないとまずいだろう。
 やれやれである。

深まりゆく秋  (生後776日) 2004,10,7
 1年の中でもまたとない日和だった。乾いた風に、澄んだ空気、心地よい日差し。こんな日が続けばよいのにと思うのだが、どうやら明日の夜あたりから、また台風の影響が出そうである。
 しかし今日の夕方のカンの散歩は本当に心地よかった。半袖のTシャツで出かけた。最初は少しひんやり感じたのだが、しばらく走っていると、じんわり汗が出てくる。しかしカンが足を止めて、草むらをごそごそしているうちに、汗の方は引いてくる。そよ風が当たっていい気持ちだ。
 昨晩、「THE WEY WE WERE」という映画を、DVDで見た。実は、ビデオデッキの映りが悪くなり、クリーニングをかけたのだが修復せず、結局新しい物を買うことにしたのだ。そこで今度はDVDとビデオの両方が見ることができるものを購入することにした。シャープ製で18000円だ。DVDの方はハードディスクに録画できない。しかし、いままでDVDで見たことがなかったので、この、「THE WEY WE WERE」が新しいデッキで初めて見る映画となった。
 映画は、バーバラ・ストライサンドとロバート・レッドフォードの悲しい愛の物語。タイトルそのままの歌が有名だ。実はこの映画、「セックス・アンド・ザ・シティ」の中で、登場人物たちが絶賛していたので、見ることにしたのである。日本名のタイトルは「追憶」である。主人公の二人が、大学時代に出会ってから、再び再会し、結婚するものの、時代に翻弄されながら別れていく話である。そして最後に、ニューヨークで偶然出会う。そのときバーバラ・ストライサンドが、ロバート・レッドフォードに対して、「かわいい人ね。」と、彼の新しい恋人について言うところが哀しみを誘う。
 場面はどうやら初冬のたたずまいなのだが、なんだか今の、秋の深まりゆく風景と相まって、私自身がおセンチになってしまった。

ダ・ヴィンチ・コード  (生後775日) 2004,10,6
久しぶりの青空。こんなにも気持ちがよいものと感じられるとは・・・そのためか、何となくからだがだるく感じた1日だった。
 「ダ・ヴィンチ・コード」を読んだ。今、欧米でもっとも売れている本だそうである。歴史ミステリーといったところだ。殺人事件が起こるのだが、その犯人捜しよりも、むしろ歴史の謎解きの方が面白く感じた。その謎とは、キリスト教の秘密である。そして謎の修道会、「シオン修道会」がひた隠してきたとされる「聖杯」のありかが次第に明らかにされていく。聖杯については、荒俣宏も独自に小説を書いているのだという。
 本のレビューはこうだ。
 ルーヴル美術館館長ソニエールが館内で死体となって発見された。殺害当夜、館長と会う約束をしていたハーヴァード大教授ラングドンは、フランス警察より捜査協力を求められる。ソニエールの死体は、グランド・ギャラリーでダ・ヴィンチの最も有名な素描〈ウィトルウィウス的人体図〉を模した形で横たわっており、さらに、死体の回りには、複雑怪奇なダイイングメッセージが残されていた。館長の孫娘でもあり、現場に駆けつけてきた暗号解読官ソフィーは、一目で祖父が自分だけに分かる暗号を残していることに気付く……。
 小説の中で、ローマ皇帝コンスタンティヌス帝が出てくる。彼がキリスト教の歴史をねじ曲げたのだという。欧米人にとってキリスト教は、水のように重要なものである。その根幹が揺るがされるのであるならば、興味が沸くのも当然である。
 また、暗号がよく出てくる。この解読も面白い。古来の手法が使われるのだ。私もカンの散歩の最中に暗号をひとつ考えた。
 
 「宇宙の裂けるところの未知に、ドイツの哲学者、3、PO」

 解読できた人メールください。実にくだらないです。
 とまあ、コーヒーでも片手に、秋の乾いた風が頬を撫でる中で、こんな面白い本を読むのは一興だ。
 画像はダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。実はこの絵に重要な秘密が隠されているのだそうである。皆さんわかりますか。

カン、ストレスたまる。  (生後774日) 2004,10,5
 天上の水神様が、空に鉛色の綿を敷き詰めて、その上からこれでもか、といわんばかりに水をまき散らしている感じ。地上にはどうにも止まらないくらいに雨が落ちてくる。まるまる2日間雨が降り続いている。
 聖書によれば「雨は40日40夜、地に降り注いだ。その同じ日に、ノアとノアの子セム、ハム、ヤペテと、ノアの妻と、その子らの三人の妻は共に箱船にはいった。」という具合なので、それには届かないものの、このまま降り続けば、それこそ、聖書のみならず、世界中にある洪水伝説のように、現代の洪水が起こるようにも感じてしまう。
 カンの囲いの中にも、強い雨が吹き込んで、濡れていないスペースの方が少なくなってしまった。カンは器用に、水がかかっていない場所に、スフィンクス座りをして雨を凌いでいる。それでもやはりストレスがたまるようだ。散歩も、いつもより短くなっているし、雨にも濡れてしまう。そのせいか、家の中に入りたがることが多くなった。
 家にはいるときは、特に雨の時は、4本の足を丁寧に拭いてから上げる約束になっている。しかし今日は、足を拭こうとする私の横をスルリとかいくぐって、居間や和室を猛スピードで駆けめぐり始めた。おかげでフローリングのところには、肉球の足跡が、カンの通過したラインに沿って残ってしまった。妻は切れかかっている。
 さらにいつものことだが、カンは和室に入って、我々を挑発する。くるりくるりと敏捷に回転しながら、ワウワウと吠える。これはカンなりの遊びである。どうもフローリングの部屋だと足が滑るらしく、畳のところの方が、キュッとストップがかかって、気持ちよいらしい。畳が痛むというので、カーペットを敷き詰めてあるのだが、それがめくれてしまうほどの勢いで、カンははしゃぎ回る。
 ひとしきり騒ぐと、満足するのか、程なく座布団の上に丸くなって寝てしまう。毎日これの繰り返しだ。特に最近のこの天候で、エネルギーが余ってしまうのか、、中での暴れ具合がひどくなってきている。カンもストレスがたまっているみたいだ。

ノーマンズランド (生後773日) 2004,10,4
 最近映画の紹介ばかり日記に書くようになった。
 すごく映画を見たいわけではなくて、何となく借りては見ている。本は読んでいて疲れるし、文章を書くことはもっと億劫だ。映画なら、再生ボタンを押せば独りでに始まって、ブラウン管の前に寝転がっていれば、何となく頭に入ってくる。でも、「マルホランド・ドライブ」みたいな難解な映画だと疲労が増してくる。ついこの間見た、「ノーマンズランド」も、最初はそんな難解な映画のように感じた。しかし、見入っているうちに、この映画は悲劇的なコメディーであることがわかってきた。
 舞台は1993年のボスニア。セルビアとボスニア(イスラム教徒)の間の激しい内線が繰り広げられていた、ボスニアが舞台だ。ノーマンズランドとは、「中間地帯」を意味して、両軍の緩衝地帯のことである。そこにある砦に、ボスニア兵とセルビア兵がいる。そして、眠っていたボスニア兵の背中に地雷がセットされてしまう。彼が起きあがれば地雷は爆破されるという状況だ。
 そこに国連軍と、イギリスのマスコミが関わってくる。結局両者は何もすることができない。
 この映画を撮った監督は、当時30歳代前半だったという。彼のいわんとしていることは、戦争の無意味さである。ただ、その表現の仕方がとても斬新で面白いし、悲しい。
 案外引き込まれてあっという間に見終わることができた。
 こんな寒々しい秋の夜長には、うってつけの映画化もしれない。
 画像は先日のカン。

インファナル・アフェア(生後772日) 2004,10,3
 なんだかあっという間に秋が深まってきた。この日記を書いている現在、外気温は15℃。霧雨が降って、薄ら寒い。
 寒いといえば、今日の夕食を食べたイタリアンレストラン。味はまあまあだったのだが、食事が出てくるまでの時間が長すぎる。そして最初の料理が出てきたと思うと、今度は立て続けに出てくる。そしてまた、次がしばらく出てこない。ずいぶん待たされてしまう。それからウエイトレスの人がセンスがない。最近アルバイトで採用されたばかりのようだ。こんな様子に妻が切れてしまった。食べ終わると、余韻を楽しむことなしに、早く帰ろうと私をせかす。私のそれに同意して、2800円のセットメニューを食べた店を後にした。
 家に帰ると、U20アジアサッカーがやっていた。20歳以下はこんなにレベルが低かったかしらと思った。カタール相手に日本は押されっぱなし。しかし相手のミスにも助けられ、PK戦にもつれ込んだ末に、かろうじて勝利をものにした。森本も平山も、いまいちだった。
 最後に、「インファナル・アフェア」という香港映画を見た。これは当たり。主役のトニーレオンが渋かった。また、セラピスト役のケリーチャンはなかなかの美人。ストリーもスリリングで謎めいて、とても良かった。一言で言うと警察と暴力組織の間の密偵を巡る争いだ。ハリウッドがあわててこの映画のリメイク権を買ったという。確かにうなずける作品だった。
 画像は森林公園の「コリウスガーデン」にあったモニュメント。

イチロー伝説  (生後771日) 2004,10,2
 今日は朝ゆっくり起きて、のんびりとカンを連れて近所を1周した。
 程なくメジャーリーグ、シアトルマリナーズ戦が始まったのでチャンネルを合わせてみた。そしてしばらくするとイチローの打席が回ってきた。マリナーズの本拠地セーフコフィールドは異様な興奮に包まれた。観客は総立ちになり、イチローのヒットを期待した。私は、昨日の西武ドームでの興奮を引きずっていたためか、まるでスタジアムにいるような感覚を覚えた。するとイチローは、難なくサードの頭をワンバウンドで越えていくヒットを打ったのである。これで257本目。シーズン最多安打の記録を持つ、シスラーに並んだ。続いて3回のマリナーズの攻撃。イチローはまたしてもセンター前にクリーンヒットを打った。彼はチームメイトや、シスラーの親族に讃えられ、試合は5分間中断してしまった。
 私がイチローの姿を生で見たのは、1997年のシーズンだった。この年は私がプロ野球にはまった年だった。5月に当時まだ屋根のない西武球場で、西武対ダイエーの試合を5月に、妻とともに見た。これがなかなかエキサイティングな試合で、延長サヨナラゲームだったり、乱闘があったりで、その後すっかりやみつきになってしまったのだ。
 私も例に漏れず、幼い頃からプロ野球を見て育ち、野球好きな少年だった。自分がプレーをしたのは、団地のソフトボールチームに入っていた小学校3年の時だけだったが、高校野球もよく見たものだった。また、大学に入ると、早慶戦も見に行ったりした。
 97年のシーズンでは、オリックスと西武が優勝争いをしていたので、このカードを2試合ほど見た記憶がある。父も連れて行ったことがあった。当時、イチロー人気と優勝争いのためか、西武球場は超満員だったのを記憶している。
 イチローを最初に見たのは、東京ドームでオリックスが日本ハムと対戦したときだった。イチローは修学旅行で観戦に来ていた中学生の一団に、ボールを投げ入れたり、背面キャッチをするなどのファンサービスをしていて、私は彼のプロとしての態度に敬服したものだった。
 そして、今日、彼は海を渡り、異国の地で偉大な伝説を作り上げたのである。
 私は、イチローが新記録を出せば、自分自身に何かが変わるのではないかと思いこんでいた。けど、どうもそのような様子はなさそうだ。私の人生は、イチローが変えるのではなく、自分自身にかかっているのだろう。でも、私を含めて多くの人は、何かに、例えば歌手やスポーツ選手に、自分を託すことがあるのだと思う。
 画像はヤフーからいただいた、今日のイチローの打撃。

レオ、宇宙を駆ける (生後770日) 2004,10,1
 レオが、西武ドームを飛び出して、宇宙を駆け回った。実はこれ、西武のナインがホームランを打つと、バックスクリーンにあるモニターに出てくる映像だ。今日は何回も映し出され、私はその姿を見て少し涙ぐんでしまった。そしてレオの姿が、なぜかカンに見えてしまったのだ。久しぶりに野球を見て興奮した。ヤンキースタジアムに行ったとき以上だった。
 パリーグで何十年ぶりかで行われたプレーオフを見に、西武ドームに行ってきた。昨日思いついてチケット店で切符を買ったところ、とても良い席が手に入った。ということは、ずいぶん空いているのかなあと思ったが、球場に行ってみると、7割方埋まっていた。
 大学から球場まで1時間弱で、着いた頃ちょうど錦織健が国歌を歌っているところだった。続いて始球式。柔道無差別級でアテネオリンピック金メダルの鈴木選手が行った。ところが、打席に入ったSINZYOU選手がこれを打ちに行く。しかしぼてぼてのファールで、場内歓声に包まれた。
 やはりレギュラーシーズンよりプレーオフの方が盛り上がる。試合中、いつもより一段と大きな声援が飛んでいた。
 松坂と、北海道は金村が先発。松坂の立ち上がりはすばらしかった。150km以上の球がびしばし来ていた。先制したのはライオンズ。3回、カブレラの満塁走者一掃のツーベースで3点リード。ところがその次の回、ファイターズが小笠原の3ランで同点。その後もライオンズが点を取ると、ファイターズが追いつくという、一進一退の攻防が続いた。
 試合を決定づけたのは7回裏のライオンズの攻撃。佐藤友がホームランを打って勝ち越すと、フェルナンデスが今日2本目となる満塁ホームランで大きく突き放した。その後、ファイターズも3点返して追い上げたが、最後は守護神豊田に押さえられた。
 松坂は7点取られた。オリンピックの時もそうだが、走者を出すと、どうも制球が定まらない。フォアボールを出しては打たれるという感じだ。彼もこれからメジャーリーグを目指すならば、このあたりを気をつけなければならないだろう。スタミナ不足もやや気になる。試合の後半になると打たれる傾向がある。
 そういえば何年か前、西武とヤクルトが日本シリーズを戦ったとき、父を誘って、妻と一緒に見たことを思い出した。父は日本シリーズを見るのが初めてだったようで(私も初めてだった)、ずいぶんビールを飲んで興奮していた。ドジャースに行った石井一久が完封した試合だった。病床の父にいい試合を見せてあげられたのだと、今思えばそう振り返ることができる。
 明日はプレーオフには行かないで、イチローの試合をテレビで見てみたいと思う。
 画像は小笠原に向けて投げる松坂。